従者ではなく人として
耳を突くほどの静寂に包まれた病院に、今は亡き自分の体を物憂げに見下ろす霧奈がいた。
「……実験は成功。しかし結果は大失敗……いっそ笑えてくるわね」
雑然とした院内。待合用の椅子に腰掛ける霧奈に「ごきげんよう」と、闇の中から声がかけられる。
霧奈が目だけを動かすと、そこには黒いマントに身を包ませた『クロユリ』が立っていた。
うんざり、という表現が似合うほどにため息を吐く霧奈を気にせず、クロユリは一つ隣の席に腰掛けた。
「人間のくせに大した芸をするじゃない。正直、ちょっと引くくらいにね」
「光栄ね。異世界の人間に私の切り札を堪能してもらえたようで。それに望外の収穫までゲットできて、私はもう言うことはないわ」
「その割には随分と名残惜しそうね。一体何故かしら」
見え透いたことを、と言いたげな霧奈は無言で手を遺体に差す。
「見りゃ分かるでしょう。私は結果的に死んで、あの龍吾は今も逃げ延びているからよ。今までテロリストやら犯罪者やらを相手取っていた私が、ただの高校生のガキと連れの女ごときにやられるなんて……ジョークでも笑えないわよ」
所々で外来語の意味が分からないクロユリは、適当にうなずいて返すと影のある笑みを霧奈に浮かべた。
「まあ、言いたいことは分かるわ。こんな気合の入った一発芸を出しておきながら反応がない上に、お客にも逃げられちゃうなんて悔しいわよねえ? ねえ、悔しいと思わない?」
「……何が言いたいの」
「貴女、私と少しお話をしない? どうせお互い、時間はもて余すほどにあるんだから。きっと貴女も満足すると思うわ」
闇よりも深く暗い笑みを浮かべるクロユリに、霧奈は得体の知れない恐怖を感じていた。
しかし全く話が通じない相手でもない上に、既に互いは死んだ身。もはや何の期待もしていない霧奈は、クロユリの方へ向き合うと彼女の話に耳を傾けた。
※
雛月を救助した輝夜たちは、筑波の都市から一足離れた田園地帯に不時着すると、朽ち果てていながらも住人の帰りを健気に待つ一件の廃墟へ押し入った。
辺りに都会のような高層ビルはなく、見渡す限り夜闇に染まった田畑が広がり、点々と灯る家屋の電気が拙くも廃墟の中をほのかに照らす。
雛月の体はヤケドに弾痕に弾がえぐり通った跡と、生きているのが不思議に思えるほどに負傷している。
精靈の『シラユリ』が即座に回復を施すが、依然として雛月の魔力は少ないまま。そんな状態でシラユリに自身の回復をするという自傷行為にも等しい行いに、雛月の容体は悪化していくばかりだった。
「なあ、雛月は大丈夫なのか? それに、ここまで魔力が少なくなるなんて、一体何があったんだ?」
輝夜が知っていることは雛月が虚実入り混ぜたこととはいえ、龍吾を救うために魔力の大半を費やしたことは変わりない。それ故に彼女は言うべきか、はぐらかすべきかで葛藤する。どちらを言っても龍吾がショックを受けることが避けられないからだ。
輝夜は自身の魔力を分け与えようと雛月の手を握るが、雛月は頑なに「輝夜様のお手を煩わせたくありません」と言って手を振り払う。
諦めた輝夜は「彼女は大丈夫よ」と、曖昧すぎる返答をした。しかしそれで龍吾が納得をするわけがない。
煮え切らない輝夜の返事を聞いて何かを察した龍吾は、怒りもしなければ焦りもせず、輝夜をなだめるかのように目を見て優しく追求する。
「輝夜、本当のことを言ってほしい。きっとなんか遠慮とかしているんだろう。だけど、遠慮をしたら俺はそれが辛い」
龍吾の言葉で輝夜はますます困惑する。
あたかもそれは、自分で判断がままならない子供のように雛月の方をしきりに見ている。そうして意を決した輝夜は、要点をかいつまんで龍吾に全てを明かした。
聞き終えた龍吾は沈痛な面持ちで「そうか」と返す。薄々そうではないかと予期していたものの、いざ本当であったとなると動揺が大なり小なり起こるのは必然である。
「……俺は……結局いつもいつも助けられてばかりで……。情けないものだな……」
「気に病む必要はありませんよ、龍吾様」
消え入りそうなほどにか細い声の雛月は、儚い笑みを浮かべて龍吾を励まそうとする。
彼女の顔には未だにヒビが黒々と刻まれており、凝視すれば少しづつ足を伸ばしている。
「私は従者です。私の命で主である輝夜様と龍吾様が護れたなら、それこそ従者冥利に尽きます。私の身は、従者として生きると決めた日から、全てはその日のためにあるのですから」
雛月と初めて出会った日に遭遇した敵『鉄花』との戦いでも、彼女は同じようなことを言った。尽くすために命を捨てることが意義であり、使命でもある雛月の揺らぎない意思は崇高たるものだ。
しかしそんなことを龍吾が許すわけがない。初めて会った日とは違って絆が深まり、血は繋がってなくとも家族として迎えた今なら尚更だろう。
「……別に、生きたっていいじゃあねえか。従者として使命を全うしながら、自分もしぶとく生きたってさ。雛月は、月の世界に家族だっているだろう? 両親だって口では使命を全うしろって言うかもしれんが、本音は生きていて欲しいって思ってるだろうよ」
すると雛月は儚げな笑みをより一層濃くさせながら「お優しいのですね」と言った。
「万に一つではありますが、私の妹なら、もしかしたらそう思っていたかもしれませんね」
「妹? 雛月には妹もいるのか。だったらなおさら━━」
「━━ですが、そんなもの所詮は妄想ですよ。だって私には、もう家族と呼べる間柄は存在しないのですから」
事も無げに出てきた衝撃の一言に、龍吾は思わず弾かれたように顔を向ける。
「冗談だろ」と言っても「本当です」と雛月は淡く返す。声も見た目も、触れてしまえば崩れてしまいそうなほどに。
「そもそも私が従者となったのは、賤しくも両親による家柄の再興が理由でした。
私が生まれる前、我が家系は高位の座にありました。しかし時代の移りと共に衰退し、私が生まれた頃ともなればすでに貧民街に居を構えなければならないほどに落ちぶれてました。
ですが、両親はそれが許せなかった。過去の栄光と財貨に満ちた日々をもう一度味わいたいと。だから賭けに出たのです。私を、月神の従者にさせて、再び家系を再興させようと」
「……でも……従者って確か、俺みたいな人間よりも立場が低くなるって」
「その通りです。確かに月界において従者とは、目指すと心得た時点で地球の人間よりも劣る身分となります。しかし仕える者が高貴な方、名だたる名将などとなれば、一転して従者も家族も尊崇の対象となります。
月神。月の神たる輝夜様にお仕えすることが出来れば、もはや月界中の者たちが平伏する地位と名声を得られるのは必然です。
故に私は生まれてから間も無く、勉学に作法、能力の修行など従者に必要な学を徹底的に学ばされました」
「それで輝夜に仕えられたんだろ? なのになんで家族がいないんだ」
雛月は輝夜を一瞥し「失礼します」と言うと、弱々しく指を鳴らす。
途端に周りが真っ暗闇になり、文字通り二人だけの空間となった。
「簡単なことです。輝夜様が月界で億を超える民を殺害する大事件を起こしたからです。龍吾様、輝夜様がかつて自らの所業を明かしたとき、貴方は私たちを激しく拒絶しましたよね? それは私の両親も同じでした。そんな残虐非道の者と関っているなんて世間に知られてしまえば、もう二度と再興はあり得なくなると。
家族は混乱の騒ぎに乗じて私を残し、どこかへ逃げて行きました。今となっては……家族が生きているのかさえ私にも分かりません」
龍吾は言葉を失った。
あまりにも報われなさ過ぎる人生。家柄の再興という一方的な都合のために、雛月の意思を無視して従者に仕立て上げた末路は、自分たちの都合に悪いからという理由で一方的に打ち捨てられる残酷な結末だった。
唯一の拠り所である家族を失い、仕えるはずだった輝夜も地球に再来する日まで失い、彼女に残っているのは何もなかった。
一人残された彼女はその後、輝夜の従者であることを辞めず、一人輝夜が凶行に至った理由を明かすために各地を奔走したのだという。
月界中で根も葉もない非難や誹謗中傷の的にされても、時には命を狙われても彼女が従者として生きたのは、それ以外の生きる道を誰からも教えてもらえなかったからであり、洗脳じみた両親からの教育と躾による呪縛でもあり、それ以外に彼女が生きる意義を証明出来なかったからであった。
雛月が再び指を鳴らすと、暗闇が晴れて元の空間に戻った。
別空間の外にいた輝夜は雛月の話したことを知らない。だが話の途中で雛月が貴重な魔力を使ってまで魔術を使う理由を、輝夜は痛いほどに理解出来ている。
「ね? だから私はこの命が尽きても後悔はないのです。だって、私には失うものがないのですから。
さあ、龍吾様、輝夜様。先ほどは助けられてしまいましたが、もう私は一人で大丈夫です。来たる追手も、この私が全力を持って食い止めます」
畏敬の念と同情を覚えずにはいられない雛月の過去。龍吾はしばらくの間黙祷をするかのように目をつぶって黙り込む。
そうしておもむろに目を開けると、唐突に輝夜の方へ向いた。
「輝夜、さっき雛月の手を握ったのはなんでなんだ?」
「え……。私の魔力を分け与えようとしたからだけど……」
「なら分けてやってくれ。奴らはすぐに俺たちを追ってくるだろうから」
龍吾の言葉で雛月は「大丈夫です」といって制止しようとするが、龍吾は雛月の手を握って真っ直ぐに雛月を見ながら言った。
「大丈夫じゃない。このままだとお前は本当に死んでしまう。俺は、そんなのは絶対に嫌だ。こんな報われない形で人生を終えるなんて、俺が許したくない。お前も生きるんだ。お前を捨てた両親が悔しがるくらいに、幸せに生きるべきなんだ。だから死に急ごうとしないでくれ」
飾り気も洒落っ気もない真っ直ぐな言葉に雛月は「えっ」と、か細く言ったきり一時停止をかけられた映像のように動きを止めた。
「それに寄る辺ならあるだろう。もう雛月も輝夜も、俺たちは家族なんだ。その家族を置いて、お前はお前の両親がしたように俺たちを置いて逝くのか。そんなの俺は絶対に認めないからな」
雛月は言葉が出せなかった。
『従者』ではなく人として扱ってくれることの嬉しさと、龍吾の説得を聞いてなお反発する従者としての使命が拮抗していたからだ。
しかし厳しく教えられてきた使命や教えも、雛月という一人の人間が心の底で渇望してきたものの前では途端に瓦解してしまう。
加えて彼女は、危うくも自分が両親と同じ轍を踏むところであったことを気づかされた。
親からの一方的な都合に散々振り回された挙句、最後は別れの言葉さえかけられることなく失踪した家族に、雛月は当然ながら怒りを覚えていた。
それと全く同じようなことしようとした雛月は自分自身を悔い、龍吾の言葉を全て受け入れた。
心の奥底からにじみ出す熱は春の陽気にも似た温かさで、寒々としていた雛月の心をみるみるうちに満たしていく。
「だから、雛月。自分一人で死のうとするな。生きてくれ。俺たちはお前が必要なんだから」
恥ずかしげもなく、しかしそれ故に直に雛月の心を揺さぶる言葉に、彼女の目尻から自然とこれまでの過去が雫となって流れ落ちる。
おもむろに輝夜が雛月の手を握ると、雛月の顔に足を伸ばしていた黒いヒビが徐々に消えていく。
「龍吾の言う通りね、雛月。貴女はまだ死ぬべきじゃないわ」
黒いヒビが薄れ、生気が目に見えるほどにまで復活した雛月は龍吾にしどろもどろながらも感謝を伝えた。
龍吾が柔らかな笑みを返すと、地平線の彼方からローターの羽音が数機、龍吾たちの元へと迷いなく近づいて来る。
地上からは秋の虫たちが奏でていた音色を遮るように武装した
「もう来たのか……。それにしても奴ら、どうして俺らの場所が分かるんだ?」
「どうせ聞いたら拍子抜けするような簡単な理屈よ。それよりも、今後はどうするのかを考えた方がいいんじゃない? 言っとくけれど、龍吾の家は奴らが撒いた毒煙のせいで住めるような所じゃあなくなったからね」
「……いいさ。みんなが無事なら、家なんかどうでもいい」
気持ちを切り替えた龍吾たちは、廃墟を後にして当てのない逃避行を続けた。
道中雛月は、何度も龍吾の方を見ては満悦に満ち満ちた柔らかい笑みを浮かべていた。




