穿つ暴力 向かうは知識
現代の夏に比べれば柔らかな日差しが降りそそぎ、遠くで川のせせらぎが歌っている。
龍吾が目を覚ますと、そこは緑が生い茂った山の中腹にたたずむ昔ながらの駅だった。
駅には龍吾以外誰もいない。
眼前には青々とした山々が連なり、その一角に小さな村があった。
特段目がいいわけでもないのに、こじんまりとした家の庭で老夫婦と少女が満面の笑みを浮かべながら遊んでいるのが目に入った。
誰なのかと目をこらそうとした時、不意に「龍吾」としわがれた声が龍吾の耳に入って、声の方へと振り向いた瞬間、視界は真っ白に塗りつぶされた。
※
龍吾の意識が戻り、ゆっくりとまぶたが開かれると、そこは自宅の居間だった。
身を起こして辺りを見渡していると、意識が途絶える直前の出来事が容赦なくフラッシュバックを起こす。
龍吾の体がオダマキに投げつけられた後、後方で鳴った爆音に振り返って目にしたのは、視界一杯に迫る黒だった。
直後に体の左側を強くぶつけたような衝撃が来たのを最後に、体から一切の感覚が消えたのを龍吾は鮮明に覚えていた。
龍吾の意思に反して体は動かない。しかし体の左側からは血がドクドクと吹き出て、背中からは生暖かい液体がじわじわと広がっているのは感じ取れた。
おぼつかない足取りの雛月が血相を変えて近寄ってきて体に触れると、淡い青色の光に包まれたところで彼の意識は途絶えた。
「夢……なわけないよな。雛月と輝夜は……帰ってないのか」
雛月と鉄花がどうなったのかは龍吾には分からない。
このまま帰って来なければとも龍吾は思ったが、そうならそうで次に引っかかってくるのは必然的に輝夜である。
雛月に対して隠すことのない不信感を見せていた輝夜だが、龍吾には懸念があった。
彼女の性格である。
自由奔放で身勝手。あたかも二重人格とも取れるような性格の豹変と手のひら返しをその目で見ているものだから、予想もつかないようなことをしてくるのではと勘繰ってしまうのも仕方のないことだ。
不信を抱いていたその実、輝夜は雛月のことを厚く信頼していたが故に助けることすらしなかった龍吾に失望して、あの人外な怪力が八つ当たりとして向けられるということを彼は容易に想像出来た。
しかし人間である彼が単身生身で向かっても、鉄花に勝てる要素はない。むしろ、雛月と龍吾が揃って死ぬ可能性が十二分にある。
そうなれば輝夜は今度こそまともなことはしないと龍吾は考えた。
どっちを取っても付きまとう輝夜の存在が龍吾の重い足を動かす。
「……なんでこんなことになるんだよ」
悪態をつきながら龍吾は家を出て砧公園へと向かう。
雛月たちがどこにいるのかは、園内で轟く音の方へと向かえばあっけなく判明することになった。
※
暗黒の地中を超がつくほどの高速の回転をしている黒金が爆進している。
狙うは地上にいる雛月だが、地中にいるはずの鉄花は一点を見据えながらピッタリと後を追っている。
鉄花の目に映るもの。
暗黒の地中で雛月の位置を示すそれは『波紋』。
地中に白い輪郭の波紋が等間隔で浮き出て消える。
周囲の環境音は細い波紋しか出ないが、雛月の走る音には太い輪郭で視覚化されている。
その波紋を見ながら鉄花は狙いをつけて、地上へと飛び出した。
直撃こそ外したものの、雛月の背後から飛び出した鉄花は脇目も振らず逃げる雛月の背中めがけ、終符を発動する。
銃声のような音が鳴ると、高速回転する頭頂部から空間の歪みが放たれて雛月を飲み込んだ。
清流のように整いサラサラだった髪はざんばらに斬られ、背中は切り傷まみれとなりながら大きく吹っ飛ばされた。
うなり声を上げながら、雛月はなおも立ち上がって走り続ける。
再び地中に潜り直進する鉄花は、ほくそ笑みながら地中に広がる波紋を見つつ狙いを定めていく。
白い波紋は相変わらず等間隔で波うつが、突如波紋が一層の太さで表れた。
(奴は何を考えてわざわざ走って逃げるのだ? だが、そうやって逃げれば逃げるだけ、自分の首を絞める愚行だということを━━)
鉄花が心中であざ笑っていると、急に視界が開き重力によって落下した。
不意をつかれた鉄花は叫びながら、両手で自分の顔を覆って伏し目がちに外の景色を見る。
そこは公園に流れる川で、鉄花が落ちたのは川をまたぐ橋の下だった。
先ほど見た波紋が急に太くなった理由が分かると、鉄花は安堵から勝ち誇ったような笑い声を高々とあげた。
「とんだ姑息な手だ。少し冷や汗をかいたが、いよいよお前の作戦は底をつきはじめたようだな。そして従者。こういう姑息なことは、お前自身の首を絞めつけるだけだ!」
鉄花が殻の頭部を再び回転させ、対岸を掘りはじめて地中へと潜って消えた。
その一方で、全身余すことなく傷だらけの雛月は、今更になって走って逃げることが悪手であることに気づいて足を止める。
後方から迫りくる鉄花に向かい合い、覚悟を決めてスミレとオダマキを出した。
新たに作ったスミレの剣を、雛月の前方に投げて鉄花を誘い出す。
(このやり方も、もう次はないでしょう。そうなったらどうやって奴をおびき出すべきか……)
幸運にも鉄花は雛月の陽動に引っかかり、雛月の数歩先から飛びかかるように飛び出した。
しかしそこにたった一つの、それでいて致命的な誤算が生じる。
飛び出てきた瞬間に鉄花は衝撃波を撃ち出したのだ。
凝縮された衝撃波はオダマキの腹部に幼児の頭ほどの大きさを持つ風穴を開けた。
オダマキは腹部に風穴が開いても、向かってくる鉄花をさながら野球のように鉄花をハンマーで打ち返した。
が、その一撃を最後に、オダマキは心底無念そうにその場から消えてしまった。消滅をしたのではなく、負傷を移した雛月の意識が大きく乱れたからだ。
鉄花は吹っ飛ばされたものの、すぐに立て直して雛月に向かってくる。
「終わりだ。死ね、従者!」
殻の後方についたブースターが地面を蹴るように火を吹き、飛び上がった鉄花は落下するのと同時にブースターが爆ぜて勢いよく雛月目掛けて突っ込んだ。
傷だらけの身には避けることもままならず、防ぐ術もなく、衝撃波ををまとった鉄花に直撃し、周囲に血を撒き散らしながら吹っ飛んだ。
転がり落ちた雛月は、周りに血の池を作ったままピクリとも動かない。
しかし幸か不幸か天月人の身体的な特性で、人間ならば死亡している状態でも雛月は虫の息ながら生きていた。
全身は顔から足まで余すところなく切り傷で満たされ、腹部からの出血は未だに止まらない。
無意識のうちに体全体を治癒魔術が治すものの、その光は非常に心許なく、今にも消えてしまいそうである。
雛月には立ち上がる余力はなく、光の消えかけているおぼろな目で空を仰ぎ見ていた。
(悔しい……結局何一つ成果を出せずにこんなザマなんて。こうなったら……最期の手段!)
雛月の体に赤い光の球が浮かんで目から光が消えようとしたとき、彼女の耳に人々のざわめきが耳に入った。
消えようとした光が戻り、満身創痍の身を起き上がらせて雛月が見たのは、離れたところで数人の野次馬が心配そうに集っているところだった。
そのうちの何人かはスマートフォンで撮影をしていて、危機感は微塵もない。
(な、なんであの人たちは呑気に見ているの? これは本当の殺し合いなのに!)
雛月の意識が戻りつつある中で、地下にいる鉄花も地上にいる野次馬の声に呆れつつも様子をうかがっていた。
(人間が愚かなのは知っていたが、ここまでとは思わなんだ。
まぁいい。声の様子からして奴はまだ生きているな。ならば今度こそとどめをさしてやる。……が、野次馬の音が多すぎるな。そちらを先に黙らせるか)
鉄花の殻が絶え間ない音が出る波紋の方角。
野次馬たちのいる方へと、狙いを定めたときだった。
「雛月!」
野次馬たちをかき分けながら、龍吾が雛月の名前を叫ぶ。
雛月は声を聞いた瞬間、おぼろだった意識が瞬時に覚醒し、地中にいた鉄花は予想外の人物が来たことに戸惑っていた。
(この声はあの人間か? ……奴は確かに死んだはずだが……従者の奴め、面倒なことをしてくれる)
龍吾の足音が強い波紋となって暗黒の地中に映る。
そこに弱々しくてたどたどしい足取りの波紋が、離れたところで浮かんだ。
「この波紋は従者のものだな。音の具合からして瀕死なのは間違いない。ならばまとめて仕留めてくれよう」
殻の頭頂部がゆっくりと龍吾と雛月のいる方へと向けられて回転を始める。
二つの波紋が一つに重なったところを目掛けて、鉄花が浮上しようとしたときだった。
「雛月、大丈夫か。今すぐこっから━━」
安否の声を盛大に出していた龍吾の声が唐突に消失した。
直後に野次馬から「消えた」という声が口々から発せられ、その後には「あそこだ」「どうやってあそこに?」という歓声が湧いて鉄花の動きを止める。
(波紋の消失に次いで野次からの声を聞くに、従者め、空間転移を使ったな。
しかしあそこ……とはどこだ? 奴らはどこに行った? これではどこにいるか分からん。何か、何か音さえ出れば!)
※
地中で鉄花がやきもきしている最中、雛月と龍吾は元いた場所から数十メートル離れたところにワープしていた。
血塗れの雛月は片手で龍吾の口を抑え、片手で額に触れて脳内に語りかけている。
(私の声が聞こえますか? 聞こえるなら脳内で言ってみて下さい)
(……き、聞こえる)
脳内の会話というフィクションの中でしか味わえないことを、龍吾は半信半疑ながらも行ってみると、口で会話する以上にはっきりと自分の声が脳に響いて知覚する。
驚くのもそこそこに、龍吾は雛月の姿をひどく気にかけている。
(私のことは重々理解しています。言いたいことは沢山あると思いますが、決して口に出してはいけません。
奴は音を感知して相手を攻撃します。加えて、今、外殻の回転で作られた衝撃波を放ってきます。それがこの身体にできた傷の原因です)
(……分かってるよ。だけど今ここで走って逃げられるとは思えないし、下手すりゃ野次馬たちにも被害が出るだろ)
(確かにその通りです。ですが、いざというときは龍吾様を含め、野次馬の方々の記憶を削除した後、空間転移術で強制退去させます)
(……退去させて雛月はどうするんだ)
(崩滅の術を使って奴を倒します)
(何だそれは)
(要は自爆の術式です。奴を確実に葬るためには仕方ないことです。私は輝夜様の従者。命令を達せないならば、こうするのは当然です)
雛月の覚悟を決めた眼差しが、龍吾の眼へ向けられる。
だが、そんな覚悟を龍吾の本能が許さず、殴りつけるような叱咤を心中で上げた。
(バカを言うな! 今は戦時中じゃねえんだぞ。それに輝夜はどうなる。アイツは信じられないって言ってたけど、雛月が死んで喜ぶような奴じゃないだろ。玉砕じみたことを綺麗事のように言うな!)
それを聞いた雛月は癪に触れたか、冷静を装いつつ。しかし腹立たしげに心中で声を上げて返す。
(綺麗事ですって? お言葉ですがそれは飾ることなくそのままお返しします! これからの大惨事を防ぐために私一人の命で済ませようというのに、それを阻むというならそれこそ綺麗事ですよ!
それに貴方は、戦っていないからそう言えるのです。言っておきますが、共に戦うなんて言わないで下さいね。貴方は人間。能力はおろか、武器すらないのですよ!)
雛月の言い分は龍吾にとって反論の余地もない正しいものだった。
龍吾にはなにもない。
強固な防具。
強力な武器。
強大な能力。
どれ一つとして龍吾にはない。
そんな龍吾が言った言葉はあまりに薄く、脆く、頼りない。そんな彼が雛月と共に戦うようなことを言うのは、彼女のやり方に口を出すのはおこがましいにも程がある。
だが、このままでは雛月が死ぬかもしれないということが龍吾の中では許せず、頑なにその場を離れようとしない。
龍吾の脳内がフル稼働し、思いつく限りの可能性と知恵を広げるが、全てが無力と分かり、闇の中に吸いこまれて消える。
雛月が一息つくと、(分かったなら、もう戻しますよ)という声が真っ暗な脳に響いた。
その時だった。
雛月の指が額から離れようとしたところを、龍吾の手が掴んだ。
雛月の肩がピクリと跳ねる。
龍吾は雛月の目を一点に見すえながら、真剣に問い詰めた。
(雛月。雛月はどういった魔法とか能力が使えるんだ)
(な、何を……)
(教えてくれ。全部を細かく言う必要はないから)
(……私は治療や補助、あとは工作的な術式を得意としています。ですが、攻撃的な術や能力はあまり……)
(攻撃の方法は何がある)
(精靈を使った方法です。……さっきから何をお考えなのですか?)
龍吾の真剣な面持ちが緩み、可能性に満ちた瞳で雛月を見据える。
その真っ直ぐすぎる目には、訝しんでいる雛月の口から出るはずの言葉が出てこない。
(奴を騙す方法さ。もしかしたら、奴に勝てるかもしれん)