死線上の貴方へ
「━━では、これより雪下 龍吾の検死解剖を始める」
監察医の男が多種多様な医療器具の中から手慣れた手つきで器具を取り、今まさに龍吾の体を切ろうとしたときだった。
突如として院内に警報が響き渡り、男の肩が大きく震える。そこへ切羽詰まった面持ちで、別の医者が滑り込むように部屋へと入って来た。
「例の異世界人と思しき奴が院内で暴れている。急いでここから避難して、班に━━」
男が状況を説明していると不意に男は縦に真っ二つとなり、血のカーテンを引きながら力なく分たれて倒れた。
遺体を無造作に蹴り飛ばして現れたのはスミレだ。しかしその雰囲気は明らかにいつもとは違う。
目から濃い紅紫色の眼光を稲光のように迸らせ、返り血が前衛的な模様となってドレスを赤く染めあげ、憤怒で血の涙を流した鬼の形相だったからだ。
スミレの目がおもむろに男の方へ向けられる。
男はまだ龍吾に手を出していないが、龍吾を背にしながらメスを手にしていたのが男の運の尽きだった。
スミレは有無を言わさずに一瞬で男の懐に潜り込むと、声すら上げさせる間もなく問答無用でバラバラに切り捨てた。
肉塊となった男を見ることもせず、スミレは青色の液体が入った細長い試験管のようなものを取り出して龍吾に突き刺す。
試験管の中にあった青い液体が注入されると龍吾の体が蠢き出し、目を見開いて盛大に咳き込みながら目を覚ました。
横になりながら苦悶の表情で激しく咳き込むと、黒いゲルのようなものを吐き出した。注入された薬品によって龍吾の体内を蝕んでいた毒素を、一個の奇怪な物体へまとめて変質させたのだ。
拳大ほどのゲル状の物体は「ギィギィ」と不快な声を上げて鳴いていたが、スミレは遠慮も躊躇いもなく踏み潰して謎の生物の息の根を止めた。
「……スミレ? ここは……その姿は……」
状況を掴めない龍吾だが、一命を取り留めたことにスミレは安堵して龍吾に抱きついた。
感極まったが故の行動に思考がフリーズするも、自分が輝夜たちに救われ、スミレが間一髪のところで死の淵から呼び戻したのだと理解してスミレの頭を優しく撫でた。
「ゴメンな、いつも助けてもらってばかりで。ありがとう、スミレ」
喜色満面のスミレを見ていたのも束の間、急に寒気が龍吾の体を冷ましたところで、ようやく龍吾は自分が裸体になっていることに気づく。しかし裸体である以上に自分の身体に生じた異常に気づくと、彼は息を呑んで目を見張った。
まさかと思いながら鏡のように反射をしている扉の前に立つと、そのまさかは的中していた。
意識が失われる前に投薬された薬の影響により、龍吾の体には左腕を起点として焦げ茶色の炎のような跡がビッシリと体に巡っていたのだ。顔にもその跡は足を伸ばしており、捉え方によっては歌舞伎の隈取りのようにも見える。
「……やってくれるじゃねえか」
哀憐の情で見つめるスミレだが、龍吾は絶望するどころか目に闘志を燃やしていた。
安全な場所から好き放題やってくれた霧奈を恐れて逃げる訳にはいかない。自分の手で、こんな体にした霧奈にやり返すまでは死んでも死に切れないという強い意志が、龍吾の衰弱した心に火を灯す。
二人は解剖室を後にし、監察医の待機部屋へと入る。
サイドテーブルに置かれた龍吾の学生バッグの手前には、警察が押収品を陳列するような感じに中身が並べられていた。
財布と携帯などの必要なものだけ回収し、手術用のガウンを拝借すると龍吾は拳を握りしめて真っ直ぐスミレを見据えた。
「行こう、スミレ。……そういや、スミレがここにいるということは、輝夜と雛月も近くに来ているのか?」
スミレがうなずく。ならば急いで合流しなければ輝夜たちの身が危ういと、龍吾は自分の身を差し置いて二人を心配していた。
おびただしい数の死体で満たされた通路を通り過ぎて地上階へと出ると、院内はしじまの海に沈んでいた。
物音一つ、足音一つしない院内は妙に広く、窓の外を見れば、空が広く建物が少ないことに都会育ちの龍吾が気づく。
加えて外は緑も多い。都内にも広大な敷地に緑も多く植えてある病院は数あれど、都内に住んでいるからこそ感じる微妙な違いと違和感を龍吾は敏感に感じ取っていた。
そしてその違和感の正体は、院外に佇む検査センターに書かれた表記を見たことによってあっさりと判明したのだった。
「……筑波? なんで筑波まで俺を運んだんだ?」
都内で事故に遭ったのに、都会から離れた筑波のとある大型病院に彼はいた。
困惑の渦中にいた龍吾だったが、その直後、闇に飲まれた通路の奥から一条の光が龍吾に向かって放たれた。
龍吾が気づくより前にスミレが剣で弾き飛ばす。壁に深々と突き刺さったソレの正体は、医療用のメスだった。
甲高い残響が辺りに染み入る中、龍吾がおもむろに顔を向けると、闇の奥から一人の女性が歩いて来る。
「おかしいわね。アンタ死んだはずなのに、何で生きてんの?」
縁の薄いメガネをかけ、青く長いポニーテールと腰に下げた一振りの刀が特徴の『竜咲 霧奈』だ。
長袖のオフショルダーに青いワイドパンツのカジュアルな服に身を纏い、砕けた態度も相まってとても四季皇護隊の角主とは思えない姿ではある。が、通路に転がるかつての仲間には目もくれず、龍吾一人を見据えて離さない姿は彼女の異様さが更に引き立たっている。
「心臓も脳波も脈も停止していたし、瞳孔が開いていたのも確かに確認した。なのにアンタはどうして生きているのかしら。おかしいわねえ?」
龍吾は答えない。どう答えたところで、結末は変わらないし変えられないということは分かっているからだ。
スミレが一旦回収した護身用の武器『邂逅』が龍吾の手に渡ると、さりげなく手を後ろに回して刀身を実体化させた。
相手は太刀。龍吾はペティーナイフ程度の刀身しかない武器が一振り。
しかし武器の大小は問題の内ではない。
重要なのは徹底として抵抗し、やり返すことだと龍吾は己に言い聞かせ、闘志にを燃やそうとした。
「……ま、どうでもいっか。実験台として再利用できるし、生き返った人間としてのデータも取れる。あぁその前に、あの薬を投与されて死んだのに生き返ったなら体の作りとかどうなってるのか気になるし、抗体も出来ているのかも……。
うん、今のアンタは知りたいことが詰りに詰まってる。この国の医学薬学が大きく発展するのは間違いないわ。だから━━」
だが戦意を燃やすはずだった龍吾と、中に潜むスミレは思わず冷や汗を流した。
一人で興奮し、笑う状況下でもないのにヘラヘラと笑う霧奈の姿が、異様で、不気味で、奇怪に映ったからだ。
そして霧奈は懐から注射器を取り出して腕に刺すと、満面の笑みを浮かべて言う。
「その体、私に診せてよ」
その言葉を口火に、霧奈は腕を振り上げる。
袖に隠してあった対のメスが、弾丸のように龍吾へ放たれた。
銀の凶刃を追うように霧奈が床を蹴る。
距離にして十メートルはあったはずの間が、瞬時に詰められた。
スミレがメスを弾いた直後に生じる一瞬の隙を狙い、霧奈は手にしたメスで龍吾を斬りつける。
だが龍吾は手にしていた邂逅を本能的に前に出し、鋭利な切れ味を持つメスの斬撃を防いだ。
それでも霧奈は止まらない。今がダメなら次とメスで龍吾の急所を的確に狙い、攻め入ってくる。
全神経を集中させて龍吾は斬撃を防いでいるものの、医療用メスの切れ味の前に小さな切り傷が少しづつ増えていく。
加えて攻撃を防いだ衝撃も大きかった。
刀身から龍吾の身に伝わる衝撃は大柄の男性に殴られているかのように重々しく、気を抜けば即座に守りが崩されかねない。
斬撃から流れるようにメスをアンダースローで投げつけると、忍ばせていた特殊な注射器をタイミングをずらして投げつけた。
龍吾一人だけなら、この投射を捌くことは絶対にできなかった。しかし潜んでいたスミレの前では二つともあっさりと弾き返されてしまい、どの攻撃も龍吾に届くことはなかった。
「……いや、どう見ても防げてなかったでしょう。なのに何で一発も当たってないの。もしかしてそれも異世界人の力ってやつ?」
「答えると思うか?」
「━━そう。まぁ気になるからついでに調べてみるけどね。投げても斬ってもダメなら、コレはどうかしら?」
言うと霧奈はズボンのポケットから試験管のようなものを両手指に挟んで投げつけた。
スミレの判断が一瞬鈍る。
だがスミレよりも早く答えを導き出したのは龍吾だった。かつて輝夜と戦った天月人の『鴉』と同じく単眼の少年『単』との戦いで、試験管というものは龍吾にとって本能に刻まれるほどの脅威として記憶に残っていたからだ。例えそれが人間の持ち出すものであっても、こんな状況下で何の意図もなくいたずらに出すはずがない。
踵を返して逃げ出そうとする。龍吾の背後で試験管は重力に従って床へ落ちて割れた。
容器に封じられていた薬品が外界に放たれ、空気という海に自らを染め、龍吾の鼻腔に音もなく侵入する。
瞬間━━嗅覚が存在することを強く後悔するほどの激臭が、逃げようとした龍吾の身を侵した。
すぐに鼻を抑えたが手遅れだった。少量しか嗅いでいないにも関わらず、龍吾は動くことよりもにわかに強い吐き気に頭痛。体の強い軋みなどの症状に苛まれ、逃げるための足はどんどん幅を狭めていく。
そしてとうとうその場に四つん這いとなって足を止めると、体の中の物を全て吐き出すかのように吐瀉してしまった。
霧奈はというと、まるで臭いを感じていないかのように平然と漏出した薬品を踏みながら、歩いて龍吾との距離を詰めていく。
悶え苦しむ龍吾は持てる力をもって逃げようとするが、その速さは亀にも劣る。
メスを手にした霧奈が迫る。
未だ吐瀉が治らず動けない龍吾。
腕を伸ばせば掴めるほどの距離に霧奈が迫ったとき、中にいたスミレが実体化して霧奈に斬りかかった。
しかし霧奈は、ほぼ目の前で不意打ちを受けたにも関わらず、一切動じることなく剣筋を目視で避けた。
しかし当たらないことは既にスミレは想定している。ほんの僅かな距離を空けさせると、龍吾を抱えて滑るように移動した。
「ほーら、やっぱりいたあ」
深いえくぼを作って後を追う霧奈。距離は離されても、彼女は待ちに待った天月人をその目で見れたことに興奮を隠し切れていない。
(ぱっと見は今時の高校生くらいかしら。身長は私より少し小さいくらい? だけどさっきの一閃は手慣れていたやり方だった。あの子走っていなかったわね。飛んでた。どうやって移動してんのかしら。なんか装置でも付けてるのかしら?
いやいや、それよりもあの子、あの龍吾の中から急に現れたよな? どうやって潜んでた? あ、そういや例の薬であの子特段異常が見られなかったわね。髪染めてんの? 地毛? ああもう、知りたいことが多すぎて纏まらない。早くあの子を捕まえて色々調べたいわ。捕まえたらまずは血液のサンプルを採って、次に━━)
皮算用に胸を弾ませる霧奈。
二人の姿が見えなくなっても、メガネに仕込んだ特殊装置を起動させて、院内に設置されている防犯カメラが二人の居場所を即座に突き止める。
足下で無造作に転がるかつての仲間を踏みつけながら、霧奈は嬉々として追跡を再開した。
※
吐瀉こそ治ったものの、龍吾の調子はグロッキーもいいところだった。
体の芯から無理やり揺らされているかのような目眩に、しぶとく残る鈍重なだるさ、止まない頭痛。負傷するよりも体に応える症状のオンパレードに、龍吾の戦意は乱れに乱れていく。
「……スミレは大丈夫なのか……」
老人のようにしわがれた声で安否を気遣う龍吾に、スミレは躊躇いがちにうなずいた。
「なら……よかった」
消え入りそうな笑みを浮かべる龍吾を、スミレは怒涛のような嘆きに飲み込まれる寸前で見ていた。
「……俺の心配は後でいい。スミレ、単刀直入に言う。俺が囮となるからスミレは不意打ちでアイツを斬ってくれ。それしかもう生き残る術はない」
豆鉄砲をくらったようにスミレが龍吾の顔を凝視する。生き残るために立案した内容が、自分の身をまるで重んじず無碍にするような作戦とくれば、例えスミレでなくても理解は出来ないだろう。
とはいえ、頼みの輝夜たちが来るまで持ち堪えることが出来るかと問われれば、今の状況下ではとても難しい。スミレもスミレで、霧奈を相手にしつつ先程のような有毒ガスめいた広範囲に渡る道具から龍吾と自分の身を守れるかと言われれば、安易に龍吾の案を蹴るわけにもいかない。
なによりこの病院は霧奈の独壇場。距離を離した今、彼女が新しい道具を用意しているかもしれないし、新たな罠を張り巡らせているかもしれない。
そう考えたなら、下手に動き回って霧奈の術中に嵌まるよりも、龍吾の案に乗じた方が得策ではある。
「……本当に、いつもいつも世話かけて、ごめんな」
スミレの煮え切らない心境を察した詫びの言葉にスミレはズイッと身を前にすると、どこか可愛げのあるムスッとした形相で迫った。
すると遠くの方から規則正しい足音がだんだんと龍吾たちの方へと向かって来る。
もう時間はない。龍吾は口を閉じ、スミレに心中で作戦を伝えた。
作戦が決行されると同時にドアが荒々しく蹴破られるのはほぼ同時で、逆光で白く輝くメガネを引っさげて笑う霧奈が龍吾の前に立ち塞がった。




