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夏空の下で

 消え入りそうな声で龍吾は呻いていた。時折彼は咳き込んでは、その都度手のひら大ほどの血を吐き出す。

 雛月は大きく戸惑っている。しかしそれも無理はない。彼女の出した精靈オダマキの一撃は、確かに鉄花の殻に当てたのであって、龍吾には直撃はしていないはずだと確信があったからだ。

 

 「そ、そんな。龍吾様がどうして……」

 

 「従者、お前はつくづく甘いな。そもそもこんな狭い殻に人が二人も入っているのだから、どこかを打てば中にも影響が出ると考えなかったのか?」

 

 言われて雛月は後悔し、自己嫌悪の()()()に落ちた。そして、今更になって冷静な思考が雛月の脳裏を駆け巡る。

 オダマキの一撃は、雛月の持つ能力や術の中で最高値の威力を誇る。

 直撃していなくとも、ハンマーの持つ質量から出る衝撃は黒金の殻にこもっているはずの鉄花が呻くほどなのだから。

 しかしそれは中にいる龍吾にだって影響は出る。しかも龍吾は天月人とは違って、非常に脆い地球の人間なのだから、天月人が受ける倍以上の感覚を味わうのは当然の理屈である。

 だが、雛月はそれを見落としてしまっていた。

 戦果を挙げて輝夜からの疑いを晴らすことと、龍吾を助けるという結果だけを念頭に起きすぎたせいで、過程へ十分な配慮と思考が回らなかったが故の結果である。

 

 (何をやっているんだ私は……。こっちに来てから私は何一つまともな成果を出せていないじゃない。こんなザマで従者を名乗る資格なんてあるの?)

 

 失意の沼に雛月の意識が浸かっていく中で、傍らにいたオダマキが雛月を見ると、乱暴に背中を叩いた。

 一瞬で我に帰った雛月が、苛立ちをあらわにしているオダマキへ顔を向ける。

 オダマキが顎で鉄花に掴まれている龍吾を指して雛月が見ると、龍吾はかすれた声で、しかし今出来る限りの力を使って声を絞り出した。

 

 「俺はいいから、早くコイツを倒してくれ」

 

 雛月の目に光が戻る。

 失意に沈みかけていた意思が水柱を上げて浮上し、闘志は音を立てて燃え盛る。

 

 (そうだ。今私が戦意を捨ててどうするの。むしろそれこそ、私が従者を名乗る資格がないと断言できることじゃない。

 落ち込むのは後だ。反省も謝罪も後でしっかりすればいい。今は龍吾様を第一に助けなくては!)

 

 再起した雛月がスミレとオダマキに攻撃の命を下す。

 瞬時に二人の精靈が素早く鉄花に迫ると、鉄花はあろうことか龍吾を盾にして迎え撃った。

 それだけでなく、龍吾を振り回して攻撃の道具としても扱う始末である。

 雛月は攻撃の意思をためらうが、スミレとオダマキは関係なく攻めていく。

 鉄花が龍吾を振り回しながら攻めて来ても、二人が常に見据えるのは鉄花本体だけ。

 脚の攻撃に合わせ、流れるようにオダマキへと鉄花が噛みつこうとした。

 高熱をまとった暖色色の歯がオダマキを頭から食らおうと迫るが、オダマキは自らの獲物であるハンマーを盾にして防いだ。

 鉄花はハンマーもろともオダマキを噛み砕こうと噛む力を強める。噛まれているハンマーからがギチギチと軋むが、オダマキの様子は危機的だとは微塵も感じない。

 すると鉄花の重心が意志に反して大きく逸れて盛大に倒れた。

 黒金の巨体が、さながら釣られた魚のように地面に跡を残しながらハンマーで引きずられている。

 巨体を動かしているのは、もちろんオダマキだ。

 藍色の目が鮮やかな赤色に変色すると、稲妻のような荒々しい光がほとばしる。

 雄叫びを上げていそうな感じに口を開け━━何故か声は出ていない━━自分の力だけでハンマーに噛みついた鉄花を投げ飛ばした。

 土のしぶきを上げて地面に落下した鉄花に、オダマキは好機と見て休む間もなく追撃に向かう。

 すでに鉄花の真上に移動していたスミレが翻って落下の勢いをつけながら、先ほど剣を突き立てた脚へ切りつけた。

 太い脚が一瞬の野太い悲鳴を上げて切り落とされる。

 そこに続いてオダマキが一撃を加えようとしたときだった。

 突如、鉄花は龍吾をオダマキへと投げつけたのだ。

 距離と不意の事態にオダマキは判断が遅れてしまい、投げられた龍吾がオダマキに覆いかぶさる形でぶつかった。

 嫌悪の表情を隠すことなく龍吾に向けるオダマキだが、直後に鼓膜が破れんばかりの爆発音が轟いた。

 鉄花の殻の後方に付いているブースターが火を吹いて、静止した状態から時速百キロを超える速度まで急発進したのだ。

 軌道上にいた龍吾とオダマキはなす術もなく、鉄花に跳ね飛ばされた。

 オダマキの右足は膝から下が嫌な方向に曲がり、外側の肉が腰の辺りまでえぐれていた。

 だがオダマキは負傷したことよりも通りすぎた鉄花に憎悪を向けていて、戦意が消えるどころか逆に激しくなっている。

 一方で、精靈の状態が主人である雛月自身にも反映されてしまい、彼女はその場で激痛に耐えられずその場で崩れ落ちてしまった。

 すぐさま回復術を使って治したものの、時間をかけずに治したためか所々傷が残っている。

 そうまでして何を焦っているのか。それは他ならぬ龍吾の状態だ。

 鉄花に直撃した龍吾の左半身は、()()()()()()()

 おびただしい血が半身からあふれ、青い芝生を赤く濡らしていく。

 おぼつかない足取りの雛月が龍吾に触れると、龍吾の体が水面に意思を投げ入れたように波紋を打ち、淡い青色の光に包まれた。

 

 「大丈夫ですからね。私の威信と命にかけて貴方を治します」

 

 彼女がお手上げとなるときは、死亡してから時間が経ってしまったとき。存在そのものが消滅してしまったときだ。

 だが死亡して間もなければ、雛月の術式で蘇生と治療の両方が出来る。

 龍吾の場合も━━幸か不幸かは見方によって分かれるが━━左半身が無くなっても意識だけはまだあった。

 雛月にとってはまたとない僥倖。龍吾を助けることが出来た。

 しかし、その代償は決して安いものではない。

 氷が水に浸かったような音を立てて、雛月の顔に黒いヒビが足を伸ばした。

 魔力が枯渇間近を示すサインだ。

 先の老夫婦と龍吾。死の淵に立たされた二人を助けることは、さすがの雛月でも容易なことではない。

 

 (まぁ……こうなるでしょう。とはいえ、死んだ方を生き返らす練習なんてそう滅多に出来ることではありませんが……。それならそれで術の訓練をしておくべきでしたね)

 

 依然鉄花は生きている。しかし雛月は魔力がほとんどない。

 スミレとオダマキの体が薄くなっていき、活動の限界が近づいて来る。

 焦りに飲まれるのを必死に抑えているであろう雛月は、地面を伝わる揺れに気付いて身構えた。

 しかしその揺れの正体はオダマキだった。ハンマーで辺りを滅茶苦茶に叩き回っている。

 雛月が周りを見渡すと、鉄花がどこにもいない。

 オダマキの前方には、鉄花が地下へ潜って行った穴がポッカリと空いている。どうやら鉄花を止められなかったことに苛立って、周りの地面に怒りをぶつけているようだ。

 

 「スミレ、オダマキを連れ戻してきて。私は足を治します」

 

 嘆息しながら小声で指示を出すと、スミレはすぐにオダマキの元へ滑空しながら寄り、雛月は不完全な状態の足を治し始めた。

 スミレが荒ぶるオダマキの肩を強く叩いて抑え、強制的に振り向かせると━━案の定スミレも言葉はおろか声すら無い━━止めろと言わんばかりにジッと睨みつけた。

 対してオダマキは、苛立ちの矛先をスミレに向けて逆に胸ぐらを掴み、ギラギラした猛獣のような目で睨み返した。

 二人の空気は正に一触即発の状態。どちらも引く気はない。

 すると二人の足元が徐々に大きく揺れ始めた。

 異変に気付いた二人は左右に分かれてその場から飛び跳ねると、真下から鉄花が勢いよく飛び出した。

 五階建てのビルほどの大きさを持つ木を軽々と超えるほどに飛んだ鉄花は、落下の勢いをりようして再び地下へと潜っていった。

 遠目で見ていた雛月は、なんの脈絡もなく飛び出した鉄花に違和感を抱く。

 

 (……どうして奴はあそこから飛び出した? 標的を私から精靈に変えたのかしら?)

 

 足を治し終えた雛月が二人を呼び戻してその場を離れようとすると、地下から轟音がまっすぐ雛月へと向かって来る。スミレとオダマキのいる方には見向きもしない。

 雛月は龍吾の体に円を描いて指を弾くと、龍吾の体はその場で光に包まれて消えた。

 即座に走って離れようとすると、足下まで迫っていた轟音がいきなり地下へと戻り、雛月の後を追いかけ始めた。

 音が波を打ったような変化を雛月が見逃すわけがなく、後方から迫る轟音の大きさと同じほどに膨れ上がる違和感に頭を動かしている。

 

 (何か……変。今もさっきも、私を地中から追ってきていたときは的確に真後ろを捉えていた。それほどの正確さがあるなら、地下にいても私の居場所を掴めたはず。

 だとしたら、どうしてさっきは精靈の方を狙ったの? なぜ今は私の方を狙う?)

 

 轟音が雛月の真後ろに着き、狙いをつけたように地上を目指して迫り来る。

 危機感が雛月の曇る脳内を無理やり晴らし、無数の憶測の中から無意識に一つ取り上げた。

 雛月はスミレだけを瞬時に側へ呼び戻すと、

雛月自身はその場で立ち止まり、先の方へスミレが持っていた剣を一つずつ投げ飛ばした。

 離れたところに剣が歩幅と同じ感覚で落ちると、鉄花は雛月のいる場所を通り過ぎ、剣が落ちた場所から飛び出した。

 それを見た雛月の脳裏に閃光が走る。


 (分かった……音だ。奴は音を感知して居場所を特定していたんだ。奴が動くとき、私や精靈は何かしらの声か音を出していた。奴はそれを能力か何かで地中から見ていたんだ)

 

 振り返れば、龍吾がさらわれたときも。公園前の大通りを襲撃したときも。老夫婦が攻撃されたときも、そこには必ず共通して音があった。

 鉄花が雛月へ攻撃をしかける前は様子を窺って全く動かないために、どこにいるのかが雛月には分からない。

 が、それは鉄花も同じであり、今しがた剣が刺さった音は鉄花にしてみれば雛月の足音だと思ったのだろう。

 音の位置を読み取る力は優れている反面、音の正体については正確に分からない。それが鉄花の露呈した弱点だったのだ。

 一方で鉄花も、自分がまんまと騙されたことに気づいて慌てたものの、雛月の顔に黒いヒビが伸びていることに気づくと勝ちを確信したようにほくそ笑む。

 

 (どうやら従者は限界が近いようだな。それならばここで終わらせてやろう)

 

 黒金の殻が徐々に音階を上げて回り始める。

 雛月はなけなしの魔力を絞ってオダマキを出した。一直線に向かうオダマキは今にも消え入りそうだ。

 それでもオダマキは構うことなく鉄花に一撃を与えるが、先ほどまでの音に比べると音量も音質も明かに小さい。

 段々と大きくなる回転の音。徐々に動きだす黒金の殻。

 甲高い音は先ほどからの音よりも一層大きくなり、高周波にも似た音に変わっていく。

 

 「そんな蚊ほどの攻撃で止められると思っているのか、バカめ。お前が何度回復をしようが、今度こそこれで仕留める。

 『終符(ついふ)爆穿砲(ばくせんほう)!」

 

 高速回転する殻の中では回転の速さと負荷によって軋む音が鳴っているが、鉄花は意に介さず動きだす。

 後部にあるブースターを爆発させ、地面を滑るようにしながら大きく旋回し、雛月の方へ向かってくる。

 鉄花の軌道を見極め、確実に攻撃を避けようと雛月が身構えていると銃声にも似た音が鳴って、迫りくる鉄花の前方がうねるように歪んだ。

 雛月が違和感に気づいたときには、雛月の体を一陣の風が通り過ぎると共に、体がズタズタに切り裂かれた。

 

 (……な、何で? 私は確かに奴の射線から離れたのに)

 

 傷と血だらけの体を呆然と見ている。

 容赦なく迫り来る鉄花を、雛月は体を走る鋭い痛みを堪えながら鉄花を避けた。

 通り過ぎて行った鉄花は、そのまま地面へと潜っていき、旋回しながら再び雛月に向かってくる。

 自身の身に唐突に起きた事態と、この後の対抗が冷静に処理できず、雛月は滑空しながらの逃走ではなく走りながらの逃走をしてしまった。

 

 ※

 

 黒い旭日から放たれた光に飲まれた輝夜は、目の前の光景にひどく怯えていた。

 今ではないはるか昔。用賀(ここ)ではないどこか。

 しかし輝夜にとっては一時だって忘れもしない世界。

 荒廃し、永遠の眠りについた都に降る雪は、すすり泣くようなささやきを立てながら都に積もっていく。

 輝夜がおもむろに空を見上げると、冬空に似合わない赤い月が浮かんでいた。

 輝夜に湧いてくる感情。それは憤怒と悲哀。

 今にも叫び出しそうな輝夜が歯を食いしばりながら手をかざしたとき、赤い月が赤い旭日に姿を変えた。

 暗く淀んだ空気と、蝕むような闇を強烈な光によって輝夜の視界を塗りつぶす。

 一面の白の世界で、腰から月輪を下げた一人の女性がたたずんでいたのを輝夜は見逃さなかった。

 やがて光が晴れると、白いウサギの耳飾りをつけた女はどこにもいない。

 

 「……ふざけたマネをしてくれる」

 

 悲壮に満ちた顔でうつむく輝夜は、龍吾の家がある方に振り返って重い足を上げた。



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