明けの幻
雛月と雷花、オダマキの三人が泥の海で満たされた広場で変身した黒月との激闘に挑む中、屋上の輝夜は終符によって醜い巨大なイカの姿となった舞浜と向き合っていた。
輝夜はその様子を遠目で見ながら鼻で軽く笑って、舞浜の方を見やる。
「あれは、あの鉄仮面女かしら。大した忠誠心じゃない。まさか暗符を発動してまで勝とうとするなんて。それで? 貴方はどうなのかしらね」
「黙れ。あの金満のために、暗符を使う気狂いの何が忠誠心だ。ああいうバカには心底呆れるわ」
「そうかしら。そんなやり方でも、私は彼女に敬意を表するわ。貴方には軽蔑を表するけど」
「……お前、いい加減にしろ。私をあの気狂いよりも下だと言うか」
「埋まって見えないくらいね。分かる? お話にすらならないっていうことよ」
完全に挑発されたと受け取ったか、舞浜は激昂しながら多数の腕を振り回す。
巨体の攻撃は一発一発が最上階の半分近くにまで届くものだが、その見た目に違わず大振りなので輝夜は涼しい顔をして難なく避けていく。
目の前で腕が床に叩きつけられ、穴が開こうが、割れようが、大気がうなるほどの勢いで薙ぎ払われても、輝夜の目には怯えどころか余裕さえ生まれていく。
「この際だからハッキリ言っておくわ。貴方はあの女に比べれば、比喩抜きで話にならない存在よ。その姿だって私の初符を使うまでもない。今なら見逃しても良いわよ」
「墜人の糞鬼姫が! 殺す。絶対に殺してやる!」
外套膜の目が赤々と光り、攻撃はヒステリー気味に苛烈となっていく。
腕を床下に突き刺して、真下から攻撃させたりするも、攻撃はさっきから全く当たっていない。
踊るように攻撃を避けている輝夜は、腕に乗り移ると顔面に拳の一撃を叩き込んだ。
鳥の鳴き声のような甲高い声を上げながら、巨体がフワリと浮かぶほどに飛ばされた舞浜の半身は数本の腕をビルに食い込ませて持ちこたえた。
輝夜の目が紫の光を灯し、ドレスから牙を生やした触手が六体出てきて舞浜に噛みついた。
夜の闇が固体化したような黒さの触手が豪快に噛みつく度に、水色の体色をもつ舞浜の体から噴き出た緑色の血が汚していく。
裂くような叫びを上げながら舞浜が輝夜に向かって体当たりを当てようとするも、輝夜が舞浜を垂直に蹴り上げ、巨体の重さを感じさせないほどに浮かび上がらせた。
すかさず飛び上がった輝夜が、かかと落としを打ち込ませる。
ビルの最上階に落ちた巨体は、床を壊しながら数階下まで落ちていく。
拳に力を込めて輝夜が勢いよく落ちながら舞浜にダメ押しを叩き込み、巨体は更に下へと落ちていく。
低めの鳴き声を上げながら舞浜は下層から這い上がり、いくつもの腕を総動員して輝夜を仕留めようとするが、腕の先端すらかすらない。
その光景に、蚊帳の外である龍吾とスミレは見惚れていた。
※
美というのは、正しく輝夜にあると思えるほどだった。
紫色の眼光を灯し、残光を引きながら夏の月夜に舞う輝夜の姿は、醜悪な姿の舞浜がいることで更に映え、力強くも幻想的な姿が繰り広げられた。
空に浮かぶ月の光が龍吾の目をなでると、我に返った龍吾がふと、目線を動かした。
目線の先には、消えてなくなった兵士が持っていた銃を持って、輝夜へと狙いを定める金満の姿があった。
反射的に体を動かした龍吾は、「テメェ」と叫びながら金満へと走り出した。
銃口を輝夜から龍吾に向け、ためらいなく発砲するも、光弾はスミレに難なく弾かれていく。
距離を詰められた金満の身を、龍吾の持つ『邂逅』と、スミレの持つ剣が切り裂く。
血で赤く染まった金色の着物が更に赤く染まる。
金満はひいひいと怖気つつも、なお龍吾に向かって発砲するが、パニックになっているために近距離でも当たっていない。
対して龍吾とスミレの斬撃は確実に当たり、金満を確実に追い詰めていった。
端に追いやられた金満が「待て、待ってくれ」と言いながら、持っていた銃を捨てて手を前に出した。
興奮気味の龍吾は、辛うじて残っていた理性で金満の手前で止まった。
「精靈持ちとはいえ、人間でありながら大した度胸と腕前だ。未だ成人に至らない身でありながら、驚嘆する他にない。そこで、お前の腕を高く買い取ろうじゃないか。いくら欲しい。子孫代々続く富が欲しいか。幾らでもくれてやろうぞ」
金を対価とした命乞いだった。
媚びへつらうような下品極まる目で見上げる金満に、龍吾の目は揺らぐことなく向けられ、金満を思い切り蹴飛ばした。
「金、金、金。何でもかんでも金ばっか付けやがって。もう金にはウンザリだ。特にお前みたいなヤツが、俺は一番ムカつくんだよ!」
溜め込んでいた怒りが爆発したように、龍吾が駆け寄る。
金満が懐に忍ばせていた短刀を刺そうとするも、スミレの剣撃で呆気なく短刀ごと弾き飛ばされ、龍吾の振り上げた邂逅が金満へと落ちようとしたときだった。
龍吾の背後から虫の羽音にも似た銃声が鳴ると、数発の光弾が龍吾の体を撃ち貫き、金満の傍に倒れた。
意識を取り戻した兵士の一人が、龍吾に銃口を向けていた。
「素晴らしい、良くやったぞ!」
思わぬ幸運に救われたと思ったのも束の間。未だ麻酔が効いている龍吾が即座に起き上がり、金満の顔を鷲掴みにすると勢いよく床に叩きつけて、そのまま勢いに任せて殴る、刺す、斬るを繰り返した。
撃った兵士の方には、怒り心頭に達したスミレが乱暴なまでに濃い紅紫色の眼光をほとばしらせながら瞬時に兵士の懐に入り、感情の赴くままに切り刻んだ。
装甲ごと体を乱切りにされた兵士は、声すら上げれずに床に散らばり、頭だけは腹いせと言わんばかりにスミレに蹴飛ばされ、ビルの真下へと落ちていった。
スミレが龍吾の元に戻ろうとすると、舞浜の巨大な腕が金満ごと龍吾を掴み取った。
「締め潰してやる。クズの出来損ないどもが」
輝夜とスミレがが血相を変えて向かおうとすると、奥から青白い帯がクモの巣のように伸びて、舞浜の体をがんじ絡めにした。
輝夜とスミレが振り返ると、ひどく負傷した月島が荒い息遣いで両腕から帯を伸ばしていた。
「自分の生徒を離せ、ケダモノ」
激昂した舞浜が月島を弾こうとしたとき、力の緩んだ腕から龍吾が這い出ると、器用にも腕の上を駆け上がった。
舞浜が腕を振って落とそうとするが、その勢いを利用して、龍吾は外套膜の目をめがけて飛び、邂逅で刺した。
絶叫を上げて悶え苦しむ舞浜に、月島は帯を離して龍吾を掴み、そのまま自分の元へと引き寄せた。
「お二方、今です」
視界を潰された舞浜が悶え暴れていると、まずスミレが舞浜の腕を切り刻んで行った。
深々とした傷が矢継ぎ早に作られ、身悶えをしている舞浜の口元に輝夜が潜り込んだ。
女性の叫び声に似た声が輝夜の頭上で発せられる中、輝夜は三層で輪状に生えている鋭い牙を見やると。
その内の大きな牙を掴んで、無理やり引っこ抜いた。
港区一帯に絶叫が響き渡る。
声にかき消されながらも、輝夜は「うるさいわよ」と言って、引っこ抜いた牙を喉の奥へと投げ捨てた。
叫び声は途絶え、今度は異物を吐き出そうとのたうちながらえづいていた。
やがて堪らなくなった舞浜が元の姿に戻ると、前方にいる輝夜に向かって「このクソアマが」と叫んで、対の鉄扇を広げて吶喊した。
輝夜は動じず、四股を踏むように深く腰を下げ、右手を静かに引いた。
両の足元に深々と亀裂が縦横に走り、目に灯った紫の光が強く輝く。
舞浜が目前まで迫った、その瞬間。
引いていた拳が空を裂いて放たれ、舞浜の胸部中心を正確に貫いた。
胸骨と背骨は完全に破損し、間にある心臓は破裂した。
人間より強靭な天月人といえど、ここまでくれば絶命は免れず、舞浜はその場で崩れるように膝をついた。
「ち、く……しょ……う」
最期の言葉を出すと、憎悪や悔しさ、怒りを混じらせた形相で仰向けになりながら倒れ、醜い形相を晒したまま沈黙した。
「言ったでしょう。初符を使うまでもないって」
足まで伸びる黒髪をなびかせながら、輝夜が龍吾の元へと戻っていく。
するとビルの下から、体が裂けそうな低音を立てながら極太の光線が放たれた。
本能的に龍吾の元へと駆け寄って、龍吾を包むように守る輝夜は、その光線が電気を帯びていることに気づいた。
※
輝夜たちが舞浜と戦っている最中、追い詰められつつある雛月と雷花が、泥の海から再び起き上がる変身した黒月を前にして、雛月は苦渋の決断を決めたように顔を上げた。
「ここまで来たなら、もはや手段を選びません。ここで確実に終わらせるために、私も切り札を使いましょう」
言うと雛月は、自分の頭についている丸みを帯びた大きなネコ耳の飾りに触れた。
ネコ耳の飾りが内側から光り始めると瑠璃色の粒になって弾け、二人の体に染み込んでいった。
すると、雛月の顔から魔力が枯渇間近を示す黒いヒビが消え、雷花の薄くなりつつあった白い髪が煌々と輝いた。
「体が軽い。体も温まってきて……。雛月さん、先の耳飾りは一体?」
「魔力の結晶です。向こう一週間ほど魔力の心配をしなくていいでしょう」
「一週間ですか」
「おおよそですけど。ですが、その一週間分を作るのに十一年かかりました」
得意げに話す雛月は、目の前にいる黒月に向かって手を突き出した。
「そして、切り札の二つ目です。私の終符、身をもって感じなさい。
終符 夢幻泡影」
雛月の体から淡い水色の光が出始めたとき、黒月は大きな咆哮を上げながら二人の真下、泥の海から腕を振り上げ宙へと浮かばせた。
「……あっ!?」
身動きが取れず、雛月と雷花が力なく落ちようとしているところを、黒月は狂ったように両手で叩き殴った。
水柱が絶えず立ち続けるほどの強さで殴りつける黒月は、口から高圧縮された水流を加えて徹底的に痛めつけていく。
黒い泥が辺りに飛び散り、さながら二人の血痕のように映る。
よくよく目を凝らせば、青とタンポポ色の髪の毛が泥や飛沫に混ざって辺りに漂っている。
殴るのをやめた黒月の眼下には、体の一部が欠損し、ありえない方向に曲がった手足と、血だらけの二人だった。
虫の息ではあるが生きている。ボロボロの状態で雛月が黒月に手をかざすが、黒月は口に黒い水弾を最大限まで溜め込み、撃ちこんだ。
二人は爆発とともに跡形もなく消し飛び、黒月は勝鬨を天に向かって吼えた
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「……彼女が動かなくなりましたが、一体どうしたのでしょう?」
「きっと私たちを倒したことに満足しているのでしょう。彼女の妄想の中で、ですが」
黒月は、我に返ったように小さな唸り声を上げて周りを見た。
倒したはずの二人は、雛月は右手を、雷花は左手を前に出して煌々とした光を集約させながら黒月に狙いを定めており、傷一つ負っていない。
付近に飛び散ったはずの泥はどこにもなく、それどころか、泥の海面には小さな波一つと出ていない。
あれだけ動いたのに、動いた痕跡がどこにもない。
その大きな矛盾を生み出したのが、他でもない雛月の終符だった。
「これが私の終符。発動した瞬間に相手の五感と意識を全て妄想の中に移す。たったそれだけです。その間だけ、妄想を現実のように味わえますが……。聞こえていますか? 夢から覚めた気分はいかがでしょう」
雛月が、終符を発動した後は、何も起きていなかった。
黒月が雛月と雷花を仕留めたことも。
黒月が二人を徹底的に痛めつけたことも。
黒月が二人に不意打ちを当てたことも。
何も起きていなかった。
彼女は、初めから、何もしていなかった。
「終符 雷極」
雷花の終符が発動すると、雛月と雷花の合わせた手の中心に、雷の輪が縮小しながら集まり、一点に集約した瞬間、付近のガラスが割れるほどの低音を出しながら、極太の電磁砲が放たれた。
避ける間もなく直撃した黒月は、両手で押し返そうとするも、光線に内包された高熱と高圧の電気が黒月の手と体を焼き尽くす。
獣の咆哮と、大勢の人たちが一斉に叫んだような断末魔をあげながら、黒月の体を電磁砲が貫いた。
真夏の夜に、港区の一角から放たれた電磁砲が空に風穴を開けた。
一筋の光は、かすかな残光を残しながら点滅し、消えた。
左半身が消滅した黒月の目が激しい赤の光を灯すと、足下の泥の海が突如ありえない速さで黒月の元へと集まっていった。
港区の広範囲に広がった泥が、森アークビルの広場にいる黒月の元に集まっていく。
違和感を感じた雛月は、集まった泥が黒月もろとも黒い玉となったところを見て、脳裏に強い衝撃をくらったように急いでボタンを顕現させた。
「ボタン、あの黒球を封じて!」
顕現きたボタンは悠然としており、おもむろに手をかざすと、黒い球を包むように淡い朱の球体が現れた。
直後、内包していた黒い球はボタンが作り出した淡い朱を塗りつぶすように爆発した。
一週間分魔力に困らなくなるほどの魔力を得たにも関わらず、悪あがきの自爆をボタンの手を使って防いだことで雛月の顔には黒いヒビが音を立てて一筋伸びた。
「ひ、雛月さん。顔にヒビが!」
「……大丈夫です。想定内のことです。それよりも、彼女は」
泥の海が無くなり、霧が立ち込めている広場に一つの影が立っていた。
上半身の左側が消失した黒月だった。
倒れる。と、二人は思っていたが、直後黒月は覚束ないながらも雛月たちの元へと歩き始めた。
「……そんな」
「う、ウソでしょう……!?」
普段から言葉遣いを意識している雛月でさえ、言葉が砕けてしまうほどに驚いていた。
黒月はなおも歩み続けるが、八歩歩いたところで膝から崩れ落ち、うつ伏せで倒れた。
なおも立ち上がろうとするが、もはや手足はピクリとも動かない。
そうして彼女は、自身の『死』を察した。
無痛症という特異な病を利用して生きてきた黒月は、痛みというものは分からなくても、死については十分すぎるくらいに理解していた。
刺せば死に、折れば死に、潰せば死に、斬れば死に、落とせば死に、撃てば死ぬ。
今に至るまで数えきれない死を与え、目にしてきたものが我が身に降りかかってきても、不思議と黒月は怯えることはなかった。
最後の力を振りしぼって、黒月は夏の夜空を見上げた。
その日の夜空は、冬の夜空のように澄んでいた。
彼方で瞬く星は、飲み込まれてしまいそうな夜空に散りばめられて輝いている。
夜を照らしながら世界を見下ろす月を見て、黒月の表情がほんの少しだけ緩んだ。
「やれやれ」と言いたげに、しかしどこか満足気味に小さく息を吐くと、黒月は静かに永遠の眠りについた。
黒月が眠っても、雛月と雷花は強く警戒しながら恐る恐る近づいて生死を確認した。
そしてもう二度と起きることはないと確信した途端、二人は盛大に息を吐いてその場に座り込んだ。
澄み渡った夏の夜空の下、血に塗れた戦いが決着を迎えた。




