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狂奔

 澄み渡った空を見上げながら仲睦まじく外を歩く輝夜と月魄は、あふれんばかりの笑みを浮かべていた。

 人工的に作られたものとはいえ、その日の空は芸術的に綺麗だったことを輝夜は今も覚えている。

 あるとき、目の前に群衆がゾロゾロと輝夜たちの周りを取り囲んだ。

 皆、明確なまでの敵意と殺意を込めた目を向けていて、やがて誰かが「この人殺し!」と叫んだことを皮切りに、「堕人(おちびと)!」「死んでしまえ!」と雨あられの罵詈雑言が輝夜と月魄に集中した。

 輝夜は息が詰まりそうなほどにパニックを起こしていると、隣にいた月魄が「本当にそうだわ」と呟いて、輝夜は弾かれたように顔を向けた。

 

 「こんな親不孝者の娘を産んだことは、末代までの恥でしかない。お前はどうして、まだのうのうと生きている? 私に許されたいのか?」

 

 尊愛する母から冷たく向けられる眼差しに、幼き輝夜の目が涙で満ちる。次第に嗚咽を混じらせながら「おかあさん」と連呼し始めると、月魄の顔が一層の嫌悪を含ませた表情に変わった。

 

 「消えてしまえ、餓鬼め!」

 

 本来なら天地がひっくり返ってもあり得ない、母からの暴言。それがウソだと分かっていても、輝夜にとっては致命傷なまでの効果だった。

 

 「……おかあさん。おかあさぁん」

 

 ※

 

 「おかあさぁん」

 

 輝夜が目を覚ますと、そこは外からの夜景で薄い白と黄色に照らされた天井だった。

 ゆっくりと輝夜が身を起こすと、見計らったように電気が点き、輝夜を囲むように大勢の兵士たちがいた。

 一同は大小入り混じった嘲笑を向けていた。先ほどの寝言がハッキリと声に出ていたのか、「おかあさぁん」と言って茶化している兵士がいて、それに釣られて爆笑の(うず)が出来ていた。

 ところが、輝夜は怒るどころか、恥ずかしがる素振りも見せない。

 いつもなら縦に長い黒の瞳孔が消えて無くなりそうなほどに薄く、雛月のように虹彩の色が前面に出ている。

 そして、小さく周りを見渡す輝夜の表情に現れていたのは『恐れ』だった。

 それは、見知らぬ地で迷子になった子供のような。それは人ごみの中で母親とはぐれた子供のような、自分が今どこにいるのか分からない恐怖と、大切な存在に二度と会えなくなるかもしれないという不安。

 その二つが、普段の輝夜からは想像もつかない表情となって、前に出ようとしていた。

 そうしているとボールルームの大扉が音を立てて開き、兵士の後を追うように金満(かねみつ)舞月(まいづき)が現れた。

 

 「随分と心地よく眠っていたようだな? どうだ、母との再会は堪能したか?」

 

 ヘラヘラと笑いながら嫌味を言って近づく金満を見て、輝夜の目に黒い瞳孔が色を取り戻すと、またしても周りを見渡した。

 やがて状況を理解すると、大きく目を見開きながら手を口元に寄せ絶句していた。

 

 「おい、聞いているのか」

 

 金満の呼びかけで我に戻った輝夜は、「あぁ」と生返事で返した。

 

 「どこまでも余裕な奴だな。だが、そんな余裕がいつまでも続くとは思わぬことだ。その両手足に付けられたものの意味を知れば、尚更な」

 

 金満の言葉で我に戻った輝夜は、自分の両手足に白いアクリルのような楕円形の塊。もとい、拘束具が付いていることに気がついた。

 兵士たちが、装甲の上からでも分かる下卑(げび)た笑いを漏らす中、輝夜は動じることもなく静観しており、ゆっくりと顔を金満へと向けた。 

  

 「お前に付けてあるそれは天門石(てんもんせき)という、月界でも希少なもの。逃げることなぞ不可能よ」

 

 「よく分からないけど、大層なものなのね」

 

 金満は、少しの間ポカンとしていたが、直後に噴き出しながら「無知者め」と言って大笑いした。

 

 「そんなことも知らぬのか。いや、貴様には酷な言い方だったな。なにせ、ついこの前まで血涙の牢獄に囚われていた身だからな」

 

 「出し惜しみせず、なんなのかさっさと言え。後々恥をかくぞ」

 

 「かかないさ。なにせそれは、小惑星帯にある一国に匹敵する大きさの小惑星を、その一個だけで粉砕できる超硬度・超密度の鉱石だからな」

 

 得意げに言っている金満だが、輝夜は全くといっていいほど大事と捉えていない。むしろ、情報を聞いたことによって、余裕すら生まれているようだった。

 

 「今のお前はダルマも同然。何をしようが、お前はされるがままなのだ」

 

 「そう。それよりもこの際だ。お前に聞きたいことがある」

 

 「なんだ? 我々に許しを乞いたいのか?」

 

 下品さが増していく顔つきの金満を、冷めた目で見ている輝夜は、淡々としながら問いただした。

 

 「お前たちは、なぜ私と龍吾……人間を狙う? 私には思い当たる理由がある。だが、人間を狙う理由が分からん。私と関わったが故というなら、人間さえ巻き添えにする貴様らは堕人も同然だ」

 

 金満はそれを聞くと「そんなことか」と言って、今度は別の意味で下品な笑みを浮かべた。

 勝ちを誇ったような笑み。大きな野心を孕んだその笑みは、輝夜に軽い寒気さえ覚えさせたようだった。

 

 「簡単なことだよ。彼は、お前が月神に至るための要素だからだ」

 

 ※

 

 時は、月島と龍吾が雷花と別れ、非常エレベーターに乗り込むところまで遡る。

 塗装が所々剥がれ落ちたエレベーターは、その見た目に違わず昇ってくる速度が普通よりも遅いように二人は感じていた。

 ようやく到着したエレベーターの扉が開くと即座に乗り込み、最上階である三十七階のボタンを押して扉が閉まった。

 上から下へと流れ落ちる、規則正しいうなり声だけが密室に響く。そこで最初に口を開いたのは月島だった。

 

 「大丈夫だ、龍吾くん。生徒を守ると決めた雷花(かのじょ)は敵なしだよ」

 

 龍吾は緊張した面持ちのまま「そうか」と、一言だけ返して再び沈黙してしまった。

 ほんの少しだけでも緊張をほぐせればと思い立った月島の考えは、結果として外れてしまった。が、その意図は汲み取れたらしく、依然として緊張してはいるが、龍吾は「今は、ちょっとな」と顔を見ながら返した。

 月島が小さく笑みを浮かべたそのとき、龍吾の背後。頭より若干上の方から、全身を黒いマントで包んだ金髪の女性『クロユリ』が音もなく壁をすり抜けてきた。

 月島が有無を言わさず龍吾を抱き寄せると、背後を振り向いた龍吾はビクリと肩を跳ねさせる。

 

 「お前は」

 

 「味方じゃないのか。と、言いたいのかしら? お生憎様、私がいつ貴方の味方だと言ったかしら?」

 

 月島が龍吾を背後へと寄せると、青白い帯が月島とクロユリを分けさせるように壁となった。

 ところがクロユリは、不敵な笑みを浮かべながらマントからおもむろに細い腕を出す。

 無駄という言葉を一切排除し、美への追及の果てに得た、華奢ながらも艶かしい腕は眼を見張るものだ。

 ゆっくりと手のひらを返し、なぞるように、伝うように、舐めるようにゆっくりと指を上げていく。

 指先が上がっていく様は、万の男を惑わすといっても過言ではないが、その指先の持ち主であるクロユリの顔は万の命を震わせるような死霊の如き形相に変わっていく。

 指先が、ピンと跳ねるようにすくい上げられると、後を追うように黒い爪痕が走り、帯の壁を呆気なく切り裂くだけでは止まらず、奥にいた月島と背後の壁を容易く切った。

 青白い帯と赤い血しぶきが密室に散る中、支えを失ったように倒れた月島に龍吾が寄ろうとすると、月島は片手を出して止める。

 

 「大丈夫。こんなヤツ、一人で十分だ」

 

 「無粋なことを言うわね。私、貴方みたいなの嫌いだわ」

 

 再び彼クロユリの指先が明後日の方向へ指され、月島たちへ向かうようになぞられていくと、脇でしゃがんでいる龍吾を覆うように帯で包み込み、月島は上半身だけを帯で隠す。

 指が滑らかになぞられると、続いて黒い爪痕が走り、帯の裏にいる月島を切り裂いた。

 右腕から上半身に乗り上げて左腕へと、一直線に走る傷跡からは、スプレーのように血が吹き出ている。

 しかし月島の闘志は目から消えておらず、クロユリに向かって帯を射出すると間髪入れずに魔力を奪おうとする。

 帯が巻きついたクロユリは、帯が発光するとその即座に能力を理解したか黒い液体となってこぼれ落ち、再び人の姿へと戻って拘束から逃れた。

 獲物が逃げても、月島は微動だにせず帯を太めの刀へ変形させ、斬りかかろうとする。

 クロユリは動じず、代わりに輝夜のドレスのように全身を包むマントが刺々しく変形し、月島の動きを止めた。

 傷を負って尚止まらない月島の背後では、龍吾がスミレに守られる形で体を小刻みに震わせていた。

 若干押され気味のクロユリは、月島には目もくれず厳粛な面持ちでジッと龍吾を見ていると、唐突に鼻で笑う。

 

 「無様な姿ね、人間。威勢がいいのは一瞬だけ?」

 

 人間と言われたら、その密室の中で当てはまるのは必然的に龍吾ただ一人。自分のことを言われたと思ったか龍吾は顔を上げてクロユリを見た。

 鼻で笑い、挑発にも似た悪どい笑みを浮かべるクロユリは、しかしその目は器用にも子を叱りつけるような目をしている。

 

 「ここまで来てそんな体たらくなら、今までもそうだったのでしょう。親に裏切られたときも」

 

 その一言を聞いた瞬間、龍吾の震えはピタリと止まり、怯えの表情は瞬時に消えた。

 

 「一つの勇気さえ出せず、いつも手前で尻込みするのが貴方。

 ━━だから誰も助けられないのよ。輝夜も、雛月も、自分自身さえも」

 

 「その口を閉じろ! 龍吾くん、コイツの言葉を聞くな!」

 

 押し退けた月島が掴みかかろうとするが、クロユリは涼しい顔をして後退しながら、天井目がけて軽く引っ掻いた。

 黒い爪痕が天井を走ると、エレベーターの重力が急に下がり始めて室内が傾いた。

 非常エレベーターは、三十六階に差し掛ったところで、レールに寄りかかるように引っかかっていた。

 クロユリの黒い爪痕によって切り裂かれたロープは、あと一センチでも深かったら間違いなく地上へと落下していたであろう、絶妙な加減で切られていた。

 月島はクロユリへの追撃を止めると、固く閉じられた鉄の扉へと向かい合う。

 

 「無視はよくないわよ」

 

 クロユリが指を立たせると、ゆっくり下ろし始めた。

 その間月島は、青白い光を全身から発している。

 氷の軋むような音を立てて、顔に黒いヒビが出来ていくことさえ厭わずにいると、不意に月島の姿が青白いクモに変身した。

 クモの体だけで室内はすし詰め状態になり、脚の何本かにいたっては壁を貫通して外に出ている。

 突然のことにクロユリは反応ができず、腹部に当たるところに挟まれていた。

 クモは前脚二本を器用に扉の隙間へ押し込むと無理やりこじ開け、頭一つ上で閉じられた三十六階の扉を見つけると、今度は前脚で叩きつけるように扉を壊して道を作った。

 

 「先に行くんだ、龍吾くん」

 

 月島の言葉通りにエレベーターから這い出ると、月島も来るようにと手を差し出した。が、月島はその場を動かず「自分はいい」と、龍吾を促した。

 

 「いい……って」

 

 「勝手を通すことになるが、自分はコイツを抑える。先に行くんだ龍吾くん。自分は後で必ず向かう」

 

 「ダメだ。そうしたら月島さんが殺される」

 

 「どっち道もう保たない。行くんだ龍吾くん」

 

 月島の言葉を聞いても、龍吾はためらっていた。

 それは単に、今抑えている相手が月島よりも手強そうであり、状況が状況なので命を落とす可能性が高すぎること。何より、ここで月島と別れたら、龍吾はスミレと二人、戦場に取り残される形となる。 

 エレベーターが悲痛な叫びをあげ、クモの姿である月島が上半分しか見えなくなるほどに下がると、月島は「自分(オレ)を信じろ!」と真剣な表情で言った。

 直後、重量に耐えられなくなったロープがブツリと切れ、けたたましい悲鳴を立て、エレベーターは落ちていった。

 龍吾が呆然としていると、扉を蹴破りながら大勢の兵士たちがなだれ込んできた。

 敵襲と身構えていた武装している兵士たちは、龍吾の姿を見るや否や「人間だ」「コイツだけか?」と言って、明らかに緊張を緩めていた。というよりも、完全に油断しきっていた。

 敵の数は扉の外までいて数えきれない。加えて龍吾のいるホールには非常階段があるものの、兵士たちに塞がれているので逃げることはまず不可能。

 緊張を解いた兵士たちは、嘲笑いながら侮蔑の言葉を次々と龍吾に投げていった。

 

 「よう、人間。どうした? 迷子にでもなったのかい?」

 

 「可哀想に。はぐれてしまったんだな」

 

 「俺たちが慰めてあげるからな。男なんだから、泣いちゃダメだぞ〜」

 

 舐め腐った態度をとりながら、各々の獲物を取り出して次の行動へと構えていく。

 ここで戦わねば、ただ無意味に死ぬだけ。

 かといって、戦わなくても生きて帰れる可能性は無に等しい。

 そして何よりも、戦う選択肢を取ってしまえば、一高校生である龍吾は生き残るために『人を殺す』という、不可避の行動を起こさなければならないことでもある。

 対話も、和解も、交渉も、命乞いすら無意味。

 目の前の軍勢は武器を可変させて、龍吾をメチャクチャにするときを待ちわびている。

 目の奥に宿した怯えがしぶとく(くすぶ)っていたが、クロユリが言った一言を思い出すと、たちどころに蒸発した。

    

 (だから貴方は誰も助けられないのよ。輝夜も、雛月も。自分自身でさえも)

 

 意識が、黒く染まる。

 善悪の概念が、倫理が、心底の火へと、くべられる。

 ━━やらなければ、やられる。

  

 「おお。泣かないんだな、偉いぞ。それじゃあな、ご褒美に月の武器を見せてやろう。これを見てみ━━」

 

 嘲笑も含んだ言葉は、前触れなく訪れた一刺しの前に途切れた。

 意思に呼応して、ペティナイフほどの長さの光の刃を出す武器『邂逅(かいこう)』が、装甲を易々と貫いて腹部に刺さっていたからだ。

 固く握られた手に力が入ると、力一杯腕を振り上げ、兵士は腹部を起点にベロンと左右に分かれて倒れた。

 余裕でほくそ笑んでいた一行の笑いがピタと途絶える。

 龍吾は音を立てて落ちた可変式の銃を拾い上げると、迷うことなく引き金を引いた。

 光が銃口を塗りつぶし、放たれた光弾は装甲を身にまとった兵士の体を、容赦なく削ぎ落とす。

 不意の事態に狼狽(ろうばい)している兵士たちが、龍吾の顔を見たとき、一同は戦慄が走ったように小さく肩を揺らした。

 龍吾の顔は、鬼のように深いシワを眉間に寄せ、四白眼さながらに目をむき出しにした、(はた)から見ても凶暴さを感じさせる剣幕だった。

 おおよそ少年の出せるような顔つきではなく、また兵士たちですら、月ではこんなものは見たことがないと言わんばかりに戦いていた。

 龍吾の口から弱々しく出た鬨の声は、一度外に出ればたちまち勢いをつけ始め、固定されていた足をバネのように弾かせて前に出させた。

 銃口が絶え間ない光を放ち、熱光弾を吐き出す。その度に兵士たちは、面白いくらいにバタバタと倒れていく。

 兵士たちは呆気にとられながらも、むざむざと人間にやられるわけにはいかないと思ったか、手にした武器をマシンガンに可変させて龍吾に撃った。

 しかし、淡い紫の眼光を帯びたスミレの目にも留まらぬ速さの双剣(さば)きによって、光弾のことごとくが切り裂かれた。

 龍吾の心身と一体化しているスミレもまた、覚悟を決めた龍吾と同じ決意に満ちていた。

 距離を詰められた兵士の一人が頭部にゼロ距離で撃たれて絶命すると、龍吾は銃器を雑に投げ捨て、手にしていた斧型の武器を奪い取り雄叫びを上げながら吶喊(とっかん)した。

 刀身が高熱を帯びている斧で狙いをつけた兵士を絶命させても、なお乱暴に、執拗に攻撃する(さま)を見た兵士たちは一様に言葉を失っていた。

 血走った目が、骸から次の獲物たちへと向けられる。

 能力もなければ体質だって天月人には劣る人間が、突如として脅威に豹変した。

 邂逅と兵士から奪った斧の武器を持って、再び龍吾が駆ける。

 兵士たちが放つ光弾の弾幕も、スミレの剣撃の前に弾かれていく。

 それでも全てを捌けるわけではない。切り漏らした光弾は龍吾の肉体を貫き、削ぎ落とすが、(ひる)(とど)まる気配はない。

 角からの不意打ちも致命傷に至らず、逆上した龍吾に返り討ちにされていく。

 距離が縮まるほどに、兵士たちは後退していく。中には恐れをなして先に逃げ出す者もいた。

 一人、また一人と倒れていく。

 切れるところがあるなら迷いなく切っていく。

 夜景の煌めきを背にして、鮮血を撒き散らしながら迫り来る人間の影は、兵士たちへ着実に恐怖を植え付けていく。

 

 「なんだアイツは! あんな状態で何故死なない!」

 

 「冗談じゃねぇぞ。こんなところで人間なんかに殺されてたま」

 

 逃げようと後退し始めた兵士の腹部に、背後から赤く光った刃先が深々と貫くと、龍吾は背中に抱きついて頭部を邂逅でメッタ刺しにしていった。

 絶叫にも取れる雄叫びを上げながら、とっくに死んでいる兵士を徹底的に刺しまくり首を切り落とすと、とうとう兵士たちの半分は声を上げて逃げ始めた。

 死体を乗り捨てて着実に、着実に輝夜の元へと駆け抜ける。

 邪魔をするなら(どか)すまで。

 呵責も、遠慮も、躊躇いも、後悔もいらない。

 ここではそれらが不要の長物。 

 綺麗事は無知者の戯れ言(ざ  ごと)で、理想論を語る者は対岸からモノを言う卑怯者。

 自己犠牲を尊び謳う者は、自己陶酔(ナルシスト)の自慰でしかない。

 ここは戦場。歳も、性別も、人種も関係なく、勝った者が生き、負けた者が死ぬ単純な世界。

 理不尽で、一方的な死を向けられて無抵抗な人間は、いない。

 

 (決断は済ませた。覚悟も決めた。後は動くだけだ)

 

 神に祈る必要はない。

 神よりも頼りになる味方(スミレ)が、隣にいる。共に、戦っている。

 これを重畳と言わずして何と言う。

 生き残りたければ、今、抗うしかない。

 

 「だから━━俺と一緒に征くぞ、スミレ!」

 

 龍吾の言葉でスミレの目が紅紫色へと変色すると、目から漏れてほとばしるほどの激しい光を放ち、残光を引きながら龍吾と共に進む。

 スミレの、不可視にも等しい速さの剣さばきで光弾を切り弾き、道を切り拓いて先に進む。

 恐怖は怒りと成って燃え上がる。

 怒りが力に変わり、力は勇気へと転生する。

 鬨を上げて猛進するその姿は、まさに狂奔。

 輝夜のいるボールルームの扉が見えてくれば、その勢いは苛烈の極みに達した。

 扉の前で立ちふさがっていた隊長格の兵士が龍吾へと銃口を向けると、龍吾は手にしていた斧を全力で兵士へ()()()

 予想外の攻撃に対処できなかった兵士の胸部に、高熱を帯びた斧が柄の部分まで突き刺さる。

 膝をついた兵士が顔を上げると、鬼気迫る顔の龍吾が邂逅で斬りつけようとした光景が、最期に見たものとなって、兵士の首は力なく体から分かれ落ちた。

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