始末人
テールランプが消えると、タクシーは夜の街へと走り始めた。後部座席には、雷花と月島が並んで座り、右側に龍吾が座る形となっている。目指す場所は、六本木一丁目に建つアーク森ビル。高速へとつながる道路を走っていると、運転手がバックミラー越しで気さくに話しかけてくる。
「お客さん。もしかして、コミケってヤツに、出る人ですか?」
かたや青い髪の青年。かたやタンポポ色の髪の女性。目鼻立ちは日本人はもとより、世界中の人種に当てはめても、似ても似つかない整った顔立ちをしている。そんな二人が仕事でもないのに白衣を着て後部座席に座っている。普通に考えれば目立つ姿ではある。
時期的にいえば、有明で夏に開かれるコミックマーケットの時期である。最近は外国人のコスプレイヤーも増えてきてはいるらしいので、そういう体でいえばまだ納得はできる。
「……そうです。さっきまで、ダンスの練習をしてました」
「こんな時間までですか? 大変ですねぇ、コスプレイヤーというのも」
月島と雷花は、間の抜けた顔でやり取りを聞いていた。地球の、日本のイベント知識はおろか、そもそも地元のことでさえまだ満足に覚えていないのに、コミックマーケットなぞ分かるはずがない。
「でも。どうしてこれから六本木まで? 有明まで、かなり離れてますよ?」
当然というべき疑問を、運転手は投げた。
六本木一帯で、マンガ、ゲーム、コスプレといったサブカルチャーなものは、オフィスビルが軒を連ねる世界で皆無に等しい。そんなところにコスプレイヤーが、夜もそこそこに遅くなってきた時間帯に行くのは、何故なのか。そんな疑問が浮かぶのは必然である。龍吾は慌てる様子もなく、少し時間を空けて答えた。
「オフの日は、二人ともコスプレイヤーですよ。本業は、硬派なファッションモデルですけどね。六本木に行くのも、明日ヒルズで開かれる『ファッションとダンスカルチャーの祭典』って、名前のイベントに出るからです。それで、自分はサブマネージャーとして二人についているのです」
「へぇー。コスプレイヤーで、ファッションモデル。世の中変わったものですね。私がマネージャーぐらいの年にゃ、そんな変わった格好の人なんか、バブルの熱に浮かれている人ぐらいでしたよ」
運転手と雑談をしている間、龍吾は詐欺師もかくやと言わんばかりの巧みなウソを吐き続けた。嘘も方便とはいえど、全く取り乱さず話すので、運転手は完全に騙されていた。雷花と月島に至っては、信じる信じない以前の問題であった。和語、外来語、現代語のハイブリット言語でやり取りされるのを、呆然として見守るしかなかった。
「月島、『だんす』ってなんですか?」
「分からない。この国の宗教じゃないかな」
まもなく、高速道の料金所に差しかかるところで、対向車線の方で黒月が乗ったタクシーがすれ違った。
黒月はすれ違ったことに気づいていなかったが、黒のマントに身を包んだクロユリが助手席にフワリと現れると、黒月を見ずに一言だけ言った。
「今、対向車線にいる車。アレに目標がいるわよ」
黒月の白く輝く眼だけがバックミラーに向けられ、龍吾たちを乗せたタクシーを確認すると赤信号を無視してUターンをした。
けたたましいクラクションが、黒月の乗るタクシーに向けられても黒月には意に介さない。
用賀料金所を通過すると、そこから先は片側二車線の道路が果てしなく伸びている。先ほどの能力の影響からか、車の通りは平時よりも少ない。対向車線ではパトカーがひっきりなしに通過していき、先ほどの影響が広範囲に渡って出ていることを、三人は嫌でも察した。
「そういえばお客さん。さっきは大丈夫でしたか?」
「先ほどの……幻覚ですか?」
「その言い方、お客さんも見たんですか。あの墜落事故。恐ろしいくらいにリアルでしたなぁアレは。けど、よくよく思い返してみたら、もう三年も経ったんです。早いもんですよ。あの事件の犯人、あの後どうなったかご存知で?」
三人が見た凄惨な旅客機墜落事故。原因は、一人の整備士による意図的なミスだった。
当初はマスコミも政治家も遺憾の声を連日上げていたが、ある一報が流れるや否や、途端に声をすぼめてしまった。
その一報というのが、犯人の身元が当時山のように来日した外国人労働者というものだった。
これを皮切りに、マスコミはたちどころに『悪意によって起こされた事件』から『不幸な事故』へとミスリードさせていった。
当然ネットがすでに発達した今の世の中でそのようなミスリードが見逃されるはずがなく、遺族や多くの国民から大反感を買ったが、時の政権はこれを黙殺し、封殺した。
犯人には数日の取り調べの後、あっさりと釈放された。顰蹙の声も、後の大震災と重なって一時はかき消されたが、当時の政権に致命傷を負わすものとなった。
「いえ、どうなったかまでは」
「とても奇妙なものでしてね。プールで焼死、ですって。信じられます?」
龍吾の顔が張り詰める。まさかそんなところにまで、天月人の手が伸ばされているとしたら。と、考えていた矢先に運転手が続けて言う。
「関係者も他殺と見て、捜査を進めたんですが、何一つ証拠が、出てこなかったんですよ。そのくせ、水場しかないプールで全身丸焦げっていうんだから、警察もお手上げですよ。ただですね? 捜査をしているときに警察の何人かが、ボロボロの日輪……だったかな? そんなものを引っさげた骨と皮だけに近い亡霊のような人を見た、って言うんです」
日輪を背負った骨と皮だけに近い人。修行僧なわけもなく、現代に現れた神の化身、なんて言うには無理がある。人外のなにかであるのは明確と龍吾が考えていると、小さく胸が小突かれるように龍吾が席にもたれかかった。
月島と雷花は気にしていなかった。龍吾はというと、心中に宿したシラユリによって脳裏に鮮明な映像が流れていた。
ボタンが元いた場所。用賀神社の本殿上で、運転手が言っていた通りの、ボロボロになった日輪━━正確にいえば黒い旭日━━を背負った異形の存在とボタンが、一方的ながらも戦っていた。戦いの最中でボタンが感じ取ったのは、見た目からは想像もできないが、ボタンと全く同じ神靈の類であるということだった。
雛月と同じような精靈使いが用賀の地にいる。そんなことを考えて、龍吾の顔がみるみるうちに緊張してくると、運転手が「危ないなぁ」とボヤいた。
見ると、追い越し車線に別のタクシーが並走していた。追い越すような素振りは見せていない。雷花が、窓から隣のタクシーを見ると、電気が走ったように大きく見開かれ、月島の肩を強く握った。「どうした?」と囁くと、タクシーの運転席には、先ほどシラユリが見せた黒月が座っていた。
輝夜を倒した相手とは露知らず、運転手が怪訝な表情で見ていると、黒月の目が真っ黒に発光し、背中から筋繊維がむき出しになった、槍のような腕を出した。
非現実的な光景を目の前にした運転手は、前を見るのも忘れて釘づけになっていた。
「運転手さん! 危ない!」
雷花の甲高い叫びが車内に響くと同時に、月島は龍吾を抱きしめた。
瞬間、窓ガラスが砕ける音に混じって「げッ」という、か細い最期の声が龍吾の耳に入った。
運転手は、黒月が伸ばした槍の腕に顔面から後頭部へかけて貫通していた。さっきまで話していた運転手は、あっけなく即死し、残された身体は、異常なまでの痙攣を起こしていた。
抱きかかえられていた龍吾は、その瞬間は見ていなくても、何が起きたのかは容易に想像がついたようだった。その証左に、今さっきまでスムーズに進んでいた車体が、フラフラと蛇行しはじめていた。
雷花が窓を開けようとするも、そのタクシーの窓の開閉ボタンは運転席側にあった。それ以前に、地球の車の構造を知らない雷花は、どうして開かないんだと言わんばかりに、手で窓を降ろそうとしていた。
窓を必死に降ろそうとする雷花を尻目に、黒月は刺さったまま痙攣している運転手を、窓の外へズルリと引きずり出した。
宙吊りになっている運転手を、黒月は龍吾たちの乗っているタクシーの前方へと投げ飛ばし、それから少しだけ間を開けると、側面へ押し当てた。
壁に当てられている方から、甲高い金属音と火花が飛び散る。その間にも、投げ飛ばされた運転手が転がってくる。このまま乗り上げれば、バランスを崩して横転しかねない。そうなれば、天月人である二人はともかく、龍吾が無事である保証は低くなる。
運転手をなくしたタクシーは、いよいよ蛇行が大きくなって不安定な状態となり、速度も少しづつ落ちはじめてきた。
抱きしめられていた龍吾が月島から身を離すと、龍吾の意識が、目の前の光景と現状が瞬時に吸収して、彼の中での時間の経過が、極端に遅くなった。
龍吾はそのことを自覚していない。ほんの一瞬、与えられた時間の中で、彼の脳内はフル回転し、最善の答えを導きだすことだけに全ての思考が回る。
運転手がいない今、地球の車に知識がない二人に、運転を任せることはできない。仮にできたとしても、二人は能力者。黒月へ迎撃を間違いなくするとして、その間、運転に防衛・迎撃の両方もしなくてはならない。ながらにやったことが原因で致命傷を負い、事故につながる可能性も十分に考えられる。
一方で龍吾は、手持ち無沙汰なことに加え、無免といえど車の知識はあるし操縦もできる。ともなれば、やるべき答えはすでに出ていた。
弾かれるように後部座席から、運転席に乗り出して座ると、いの一番にハンドルを握ってバランスを取り戻し「掴まって!」と、大声で二人に呼びかけ、急ブレーキをかけた。
急停止したタクシーは、押し付けられた状態から抜け出し、黒月の運転するタクシーの背後へと回る。
すぐさまアクセルを踏み込むと、ガラ空きになった追い越し車線の方へ、ハンドルを切って追い抜いた。
運転手の身体は、黒月の乗るタクシーに吸い込まれ、くぐもった音を立てながら車体を大きく揺らす。
だが、黒月は焦りもせず、冷静に操縦し、態勢を立て直した。龍吾たちのタクシーを一瞥すると、すぐさまアクセルを全開にした。
車の数は、時間帯も関係しているが平時にしては少ない。とはいえ、片側二車線しかない高速でのカーチェイスは、危険行為も甚だしい。
だが、相手は天月人。地球のルールも、常識も一切通用しない。ましてや、今龍吾たちを狙っているのが、黒月という兵器にも等しい存在なら、なおのことだ。
追いついた黒月は、バンパーを容赦なくぶつけてくる。
龍吾はミラーと前方を器用に見つつ、黒月が前に出ないよう進路を塞ぐ。
「龍吾さん! 窓を開けてください!」
雷花の言葉が耳に入るや否や、パワーウィンドウスイッチを入れ、後部座席の窓を開かせる。
雷花が上半身を窓の外に出すと、人差し指と中指を揃えながら指先を黒月に向け、腕を伝って指先に集約した、電気の弾丸を放った。
突き破るような音を立てながら、弾丸は瞬時にボンネットに着弾。続けざまに撃った電気弾は、バンパー、ヘッドライトに当たった。
「すげぇ」と龍吾が漏らす。が、黒月のタクシーはスピードが落ちるどころか、どんどん上がってきている。
運転席へと狙いを定めた雷花が、電気弾を放った。
フロントガラスが音を立てて割れ、ガラス片が宝石のように輝く中、電気弾は黒月に直撃した。
うなだれる黒月に、雷花が一息吐いたのも束の間。何事もなかったかのように顔を上げた黒月に、雷花は目を見開いた。
「外したのか?」
「いいえ! 確かに当たりました!」
「だけどこっち見てるぞ!」
外してはいない。撃った雷花自身が、黒月に被弾する瞬間を確かに捉えていた。
なのに彼女は平然としている。白い虹彩の中心で、ネコのような黒い瞳孔が、しっかりとこちらを見ている。
冷や汗が雷花のこめかみを伝うと、思い出したように席に座った。冷や汗に頭部が濡れている雷花を隣で見ていた月島が気づくと、雷花が「思い出しました」と、か細く言った。
「何がだ」
「あの女のことです」
「知っているのか、雷花」
雷花がうなずく。その目は恐怖に揺れている。
「彼女は『黒月』。裏社会で生きる、有名な始末屋です。『機械』や『兵器』という異名を持ち、彼女に狙われて、生き延びれた人はいない、と言われているほどです」
マンガや小説。映画にドラマでよく聞く『狙われて生き延びたものがいない』という実績。それが雷花の口から出た途端、やけに冷たい風が窓から吹き込み、龍吾を震わせた。
「まさか。そんなマンガじみたこと、流石に誇張だろ?」
平常心を必死に装っても、声には力がまるで入っておらず、とても心もとないものだった。それだけ黒月を象る実績が、確固たる現実味を帯びていたからだ。
教師である二人は、龍吾の声色から全てを察し、二の句を告げられずにいた。
ふと、龍吾が目線をミラーに移すと、前へ出ようとする黒月のタクシーが踊り出た。二、三秒にも満たない僅かな時間だったが、暗黒にも似た運転席から黒月の微動だにしない目が、固定されているように龍吾を見ていた。
全身の毛が、一斉に立つ感覚を覚えた龍吾は、ミラーから顔をそらして、アクセルを深く踏み込んだ。
「なぁ、二人とも」
月島と雷花が、バックミラー越しに見る龍吾へと視線を移した。荒い息づかいの龍吾が息を整えると、突拍子のないことを言いだした。
「名前、教えてくれないか。いつまでも二人を、アンタ呼ばわりするのは、流石に失礼だからな」
場にそぐわない質問に、二人は少しの間、間の抜けた顔をしていたが、雷花が柔和な声で先に言った。
「私の名前は、雷花。雷の月と書いて、雷花です」
「月島です。おおよそ想像はつくと思いますが、月に島と書いて、月島です」
「雷花に月島さん……か。すまないけど、後ろの黒月ってヤツを頼む。運転は俺がやるから」
油断をすれば、あっという間に心身を飲み込もうとする恐怖から逃げ出さず、立ち向かう意志の強さが声に込められているのを、二人は敏感に感じ取っていた。
雷花は「任せてください」と龍吾に言うと、タンポポ色の髪がほのかに光り始めた。
「生徒の頼みを拒む教師なんて、いませんよ」
「龍吾くんは、運転に集中していて下さい。こっちは自分たちが受け持ちます」
二人からの言葉を聞いた途端、龍吾の脳裏に高校の教師である『橋下』の顔が思い浮かんだ。
周囲の目と、自分のことしか眼中にない、嘘と虚飾だけで出来ているような教師に対して、背後にいる二人は、地に根を張った大木のように心強いものだった。
ハンドルを握る手に力が込められると、龍吾もまた、怖気付いていた意識に火を灯した。
(やってやる。ここで諦めたら、今度こそ俺には何もなくなる。だったら、俺のすることは一つだけだ)
光できらめくビルに囲まれた高速道を、二台のタクシーが疾走している。
決死の一夜が幕を開けた。




