風の乙女 鋼の漢女
物理的にも、印象的にも、無機質で柔らかさの欠片もない黒金の殻の内部は、外の様子が三百六十度見て分かる透明な内部だった。
そしてその殻の主もまた、外からでは絶対に想像できない見た目だった。
髪から眼の色、肌の色まで文字通り真っ白の、黒いオープンハイレグにも似た、きわどい衣服を着ている中性な顔だちの子供なのだ。
「目が覚めたようだな」
女性とも男性とも取れる中性的な声の鉄花は、不敵に龍吾を見据える。
龍吾は逃げ場のない状況下で少しでも距離を取ろうと後ずさる。
「……お前は誰だ? どうして俺を? 俺は月の人間じゃないぞ」
言うと鉄花は「知っているさ」と嘲笑した。
その雰囲気からして、誤って龍吾を捕まえてしまったというものではなく、確信を持って龍吾を捕まえたという意思を匂わせている。
「お前のような奴が天月人な訳があるか。おこがましいにも程があるぞ。私は、お前だから捕まえたのだ」
「なんでだよ。俺はただの人間だぞ。……まさか、俺が輝夜と一緒にいたからか。俺を拐えば、アイツが助けてくれるとでも━━」
「バカが。そんな理由ならとっくにお前なんか殺してる。お前も、輝夜と同じ標的なんだよ」
龍吾の思考が停止する。
輝夜と出会うまでは借金の肩代わりをさせられたことを除いて、そこそこ運動が出来て、頭の回転が多少は良い程度の、それこそどこにでもいるありふれた高校生の一人であった。
そんな龍吾が唐突に天月人から、輝夜と同じ標的の一人と言われたのだ。
何故自分が? どういう理由で? 誰がそんなことを決めたのか?
あらゆる疑問が頭の中で乱れ飛んで動揺する龍吾は、言葉を失って鉄花を虚ろな目で見ていた。
愉快そうに見ていた鉄花は、何かに気づいたように背後へと振り返った。
見ると、自分が掘り進んだ道の奥から薄い紫色の光が猛スピードで追ってきている。
やがてその光が鉄花に追いつこうとすると、一際大きな光となって破裂し、双剣を持った少女が出てきた。
彼女は雛月が操る精靈の一人。
名は『スミレ』という。
空色のショートヘアに、ノースリーブのドレスを着たスミレは脇目も振らず鉄花に迫る。
(精靈か。大方あの従者が出したものだろうが、鬱陶しいことには変わりない)
収納していた腕がスミレへと伸びる。三つの鋭いかぎ爪は、スミレの柔肌を抉らんばかりに目一杯展開する。
しかしスミレは眉一つ動かすことなく目視で伸びる腕を見切ると、すれ違いざまに体を回転させながら双剣で流れるように切りつけた。
濁点のつくような重い音と軽い音が、混ざって地中に響く。
その軽い音のした部分をスミレは見逃さなかった。
対象を逃した腕は、黒金の見た目に似合わず鞭のようにしなりながら再びスミレへと迫る。
するとスミレは滑空を止めて地に足をつけ、迫る腕を紙一重で屈んで避けると、軽い音の鳴った部分を立ち上がる勢いを加えて円を描いて切りつけた。
腕は質量のある音を立てて切り落とされ、猛進する本体にはあっという間に置いていかれた。
「……腕の一つくらいくれてやる。だが、タダで済むと思うなよ、駄犬めが!」
鉄花は龍吾がいるにも関わらず、あらん限りの怒りを露わにする。
腕の一つを失ったのは確かに痛手ではあるが、癇癪とも言える怒り方には龍吾も違う意味で呆気にとられていた。
興奮冷めやらぬ鉄花は、呆気にとられている龍吾に気付くと、そこでもまた激しく激昂した。
龍吾の腹部に華奢な足による蹴りが食い込む。激昂というよりもただの八つ当たりだ。
「貴様、馬鹿にしたような目で私を見たな!」
鈍くも鋭い痛みが龍吾の腹を起点に全身を駆け巡り、龍吾はうずくまるように倒れた。
それだけにとどまらず、鉄花は龍吾の首筋を掴むと殻の真上だけ開き、龍吾の頭と地面の距離が拳一つ分までくるように持ち上げた。
削られた大小細かな土や破片が絶え間なくぶつかっている龍吾のすぐ真後ろでは、轟音を立てながら高速回転するドリルが待ち構えている。
手を離されれば瞬く間にひき肉になるのは、火を見るよりも明らかだ。
「これ以上私を愚弄してみろ。貴様の死が早まるだけだぞ。それとも今ここで貴様の命を終わらせてやろうか」
身勝手な八つ当たりだが、生殺与奪を完全に握られている龍吾は涙を流して命乞いをする他にない。
悪辣なことに、鉄花はその様子を見て楽しんでいる。優越感に似た嫌らしい笑みを浮かべて。
その背後で、双剣を構えたスミレが鉄花の首を切らんと目の前まで迫った。
「鬱陶しいぞ、この駄犬風情が!」
苛立った鉄花は、収納していた脚四本をスミレへと放った。
しかしそのことごとくが涼しい顔をして避けられ、内一本は先ほどの要領と同じ方法でまたしても切られてしまった。
ますます苛立った鉄花は一度本体の中へと戻ると、暗黒の外を見渡した。
そうしてある場所に目をつけると、突然地上へと向かい始めた。
※
空から鉄花を追う雛月は、スミレを送ったにも関わらず未だに地上に出ないことに焦れていた。
とはいえ、雛月は攻撃の術は得意でない。技が全くないわけではないものの、鉄花が地上に出てきても輝夜のように致命的な一撃を与える術は片手で数える程度。
しかもそれらは雛月の魔力━━人間でいうスタミナと栄養状態━━が大きく削がれる諸刃の剣。
技を使ってなお相手が生きていたら、もはや詰みは免れない。
堅実に、しかし早急に鉄花を倒す算段を考えていると、唐突に地下にいた鉄花が地下から飛び出し、地上で散歩をしていた老夫婦がなす術もなく巻き込まれた。
「この程度では気が済まんが、まぁ、少しは苛立ちが治ったな」
悪びれる様子もなく、精々したという感じに鉄花は地上に落下した。
緩やかに停止した殻の隙間から蒸気のようなものを噴き出すと、モーターのような音を出して鉄花は静止する。
鉄花が飛び出した穴からスミレが出てくるのと、滑空していた雛月が降りてきたタイミングはほぼ同時だった。
すぐさま雛月が負傷した夫婦に駆け寄ると、妻の方は比較的軽症であった。
しかし夫の方は殻の先端。ドリル本体が直撃したために右半身が抉り飛ばされ無くなっている。
こんな惨状を目の当たりにしても、雛月は二人の容態が分かると安堵の息を吐いた。
(よかった、まだ大丈夫だ。ならば後は簡単なことです)
雛月は片手で二人の額を軽く叩くと夫の体は淡い青色の光に包まれ、短時間で抉り飛ばされた部分が元に戻り、妻の方は負傷した部分が文字通り消えてなくなった。
二人とも傷口はもとより吹き出た血の一滴すら跡形もなく消える奇跡を経験したからか、思考の整理がまるっきり出来ずに放心して雛月を見ていた。
「お二方、今日は朝から妙な夢を見ましたね。ですがもう大丈夫ですよ。今、夢から覚ましてあげますからね」
柔らかな笑みを浮かべる雛月は老夫婦の目の前で指を弾くと、二人は光に飲まれて公園から消えた。
二人はどこに行ったのか。答えは二人の家である。
今しがた砧公園で散歩していた記憶を完全に無くして、二人は寝室で座っていた。
雛月の言う通り、二人は揃って現実味のある不可思議な夢を見たということで、片付けられる。
場は戻り、砧公園ではモーターの音が最高潮に達した鉄花の殻が駆動音を立てながら変形を始めた。
胴部分に付いていた三つのドリルが展開・変形していき、鱗が連なったような三つの太い脚となって大地に立つ。
頭頂部の巨大なドリルは四つに分かれると、入れ子の構築で出来た口となって開き、雛月を見定めながら大気を引き裂くような甲高くもかすれた咆哮を上げた。
「……どうしようもないほどに甘いな、従者。いや、従者だからこそ下賤な人間に情が移るのか?」
「生憎ですが、私は貴方のような性根まで腐り果てた天月人ではありません。人間だろうが天月人だろうが、私には等しく同じ命です」
鉄花が地面を踏みしめながら、太くもしなやかな脚を振り回して雛月を攻める。
攻撃こそ大振りなものの、軌道上にあった街灯は木の枝さながらに呆気なく千切れ飛ぶほどの威力がある。
加えて口のように展開する頭頂部には高熱をまとった歯が煌々と光っていて、猛獣さながらに直接噛みつこうとしてくる。
更に厄介なのは、噛むだけではないことだ。
時折、攻撃に合わせて頭頂部を閉じてドリルのように回転させ、突いてくるのだ。当然、当たれば即致命傷に繋がる。
重々しい見た目には全く似合わない矢継ぎ早な攻撃に、雛月は回避と防御に徹し、スミレは隙を見つけては双剣で反撃を仕掛ける。
しかし先に切った二本の脚とは異なり、大きさも質量も倍近くある脚を切るのはスミレ自身も、精靈の感覚を共有している雛月でさえ二人では困難であると感じ始めているようだ。
すると鉄花は、二つの野太い脚を大きく振りかぶりつつ、頭部をドリルのように回転させて土下座するように前のめりで倒れ込んできた。
表現としては滑稽ではあるが、踏みつけられた地面は大きくヘコんでいる。だが鉄花の狙いはただ攻撃するだけではなく、倒れ込んだ勢いを使って地中に潜ろうとしたことだった。
「スミレ、奴の動きを止めて」
命令を聞いたスミレが、可変しながら潜りつつある鉄花の脚の一つに剣を突き立てた。
異物の介入によって回転と可変が阻まれ、金属の悲痛な叫びが辺りに響く。
しかし鉄花は止まらない。
スミレはもう一つの剣を使って脚の芯ごと切断しようとしたが、直前で剣が刺さった脚が回転を止めてしなやかに伸びた。
剣を弾き、スミレの動きを阻みながら脚を元に戻すと、鉄花はとうとう地下へと潜って行った。
「スミレ、もう一度奴を追いなさい。可能ならば、奴の動きを止めて」
先ほど雛月が鉄花の位置を把握できたのは、スミレの追跡があったからである。
今回も同じようにスミレが鉄花の掘った穴に向かわせようとしたそのとき、地下にいるはずの鉄花が雛月のいる方へ正確に突っ込んできた。
急速に近づいてくる轟音に気づいて走って逃げようとしても、鉄花は後をしっかり追って来くる。曲がろうが、逆方向に走ろうが、位置が見えているかのように追ってくる。
轟音が直下まで迫り、雛月は自身を包む簡易的なバリアーを貼って飛び跳ねた直後、地下から鉄花が飛び出した。
バリアーが保ったのはほんの一瞬。
バリアーが呆気なく崩れて、迫りくる鉄花に雛月は本能的にスミレを呼び出し、剣を交差させて直撃を防いだ。
二人の身にひしひしと剣越しから伝わる鉄花のスピードと質量。
受け止めている剣が断末魔の声を出す中、スミレは回転している頭部の動きを読んで、逆方向へ弾かれるように器用に剣を動かした。
スミレの読み通り、二人は鉄花の進行方向とは真逆の方へ弾き飛ばされた。
「オダマキ!」
落ちていく雛月が片手をかざすと、『オダマキ』という名の精靈を出した。
オダマキは出るや否や雛月の体を踏み台にして未だ飛び進む鉄花の前方へ飛び出すと、黒い岩に柄を突き刺したような飾り気のないハンマーを振り下ろし、頭頂部を思い切り叩きつけた。
体の内部に響くような低音が辺りを揺らす。
黒金の殻は重力に引きずり下ろされるように落下し、中にいる鉄花が呻き声を上げていた。
一方、踏み台にされた雛月も踏まれた部分を押さえながら軽く呻いていた。
「もうちょっと丁寧に動きなさいよ……」
悪態をつく雛月を意に介さないオダマキは、スミレとは真逆の荒々しさを表した見た目だ。
ウルフカットに切られた白い髪。猛禽を思わせる鋭い藍色の眼。一目で乱暴な気質だと思える顔だちは、ノースリーブでショート丈のタンクトップからありありと出ている引き締まった体躯も合わさって、お世辞でも清楚な人物だとは言い難い。
手に持ったハンマーの重さを感じさせないくらいに、軽々と肩に担ぐオダマキの傍らに雛月が寄ると呻き声の止まった鉄花に進言した。
「龍吾様を返しなさい。そうすれば、命だけは助けてやってもいいですよ」
言葉だけ聞けば悪役じみたことを言う雛月は、スミレとオダマキをいつでも出せるように両脇に待機させる。
すると殻の一部が、空気の抜ける音とともに開いた。
「……よくもそんな言葉を吐けるな。こんな姿にさせておいてその言葉は、さぞこの人間も怒りに震えているだろうよ」
外殻に付いていた脚が伸び、閉じ込めていた龍吾を掴み上げた。
雛月の目が大きく開いて愕然とする。
かぎ爪に掴まれた龍吾が、咳き込むたびに吐血していたからだ。




