明けない光
用賀の砧公園へと続く、いらか道の道中に『生産緑地地区』という小さな人工林の敷地内がある。その園中にフワリと青い泡が弾けると、龍吾たちが現れた。
迎賓館の緑あふれる庭内から映像が切り替わるように、用賀のシンボルでもある『用賀ビジネススクエアタワー』が見える場所へと移動したことで、龍吾は戸惑いながら辺りをキョロキョロと見回していた。
こういったワープの類いをされるのは久しぶりなことだが、前回とは違い港区から一瞬で世田谷区まで移動するものだから驚きも一入である。
夏の太陽はすでに沈んではいるが、粘りつく湿気と蒸すような暑さは、夜を迎えても未だに収まる気配はなかった。
「龍吾様。改めてお聞きしますが、何故龍吾様はその身を酷使してまで働きになるのですか?」
「……輝夜から聞いてるだろ。借金があるからだよ」
「……あ、あの時……。龍吾は……自分のものじゃない……って、言ってた……わよね?」
「あぁ。その後でお前は、何も聞かずに俺を突き放したっけな」
嗚咽が治まりかけていた輝夜は、龍吾の一言で再び過去を思い出したか、泣く事こそしないが、とても沈んだ面持ちになっていく。
「私も輝夜様も、その事は重々承知しています。龍吾様は借金を背負ってまで散財をするような方とは毛頭も思いません。ですが、未成年である龍吾様が、どうして借金に追われる身となったのですか?」
「そういう風に法が変えられたんだよ。前の政権のせいでな。未成年でもハンかサインをすれば連帯保証ができるんだよ。……どんなやり方でもな」
「(……さいん?)なるほど……。今の日本は未成年で、本人の意思と違っても、同意の意思があると、金融会社から見られれば、親族などからの借金を、知らずのうちに負担される。ということですね?」
「そういう事だよ」と言いながら龍吾は、大きく息を吐きながら、共に帰路に着いた。
輝夜は泣くことは治ったものの、未だに一言も発さず、雛月と龍吾の後ろを追うように歩いていた。
「驚きました。月界では未成年が債務を背負えるなんて法はありませんよ。最も、今はどうかは分かりませんが」
「そりゃあ光栄だよ。後にも先にも未成年で、本人の同意が無くても、金融会社が合意したと見たら、連帯人にされる法律を作ったのは地球だけだろうな」
「……そ、そこまで言わなくても……。それで……差し支えなければ。なのですが、その親族というのは?」
「俺の祖父。『雪下大毘』って奴だ。金融危機が起こる前に、株だかで一発当てたんだけどよ。身内には一銭も出さねぇくせに、酒には耽るし、よその女には貢ぎまくる最低な奴だった。その借金を俺と両親に投げつけて、今はどこにいるかも……」
龍吾が言い終えより前に、突如龍吾は表情を険しくさせた。それに気づいた雛月が前方に目を向けると、龍吾の家の前にある駐車場から十人ほどの、いかにも暴力的な風貌の男達が、二台のバンから出てきていた。
距離は離れていても、男達が龍吾を見る目は鋭く、敵意に満ちている。それを見た龍吾は「最悪だ……」と小声で呟いた。
男達の中から一人。三十後半くらいの、黒のスーツから白の開襟したシャツを着て、眉間に二つの直線を刻ませた男が出てきて龍吾を見定めた。
「雪下龍吾、だな。やっと会えたぜ」
雛月はすでに戦闘状態に移って、手出しをすればいつでも攻撃できると言わんばかりの険しい面持ちとなった。
対して輝夜は、まだ沈んだ表情で男達を見ていた。
「彼女を二人も連れて帰るなんて、ずいぶんいい気だな? まさか俺たちが、お前を諦めたとでも思っていたのか?」
「……」
「思っていたようだな。……お前の担当が一晩で全滅して。未だに全員昏睡か植物人間になったなんて事が起きたモンだから、こっちは大騒ぎだ。ようやく意識を取り戻したヤツだって、もうマトモじゃねぇ状態だ。何が言いたいか分かるよな?」
龍吾は次第に震えはじめ、息も少しづつ乱れていく。雛月や輝夜という味方がいても顔はこわばるばかり。
その姿を見た男は見た目に反して落ち着いて、しかし怒りに満ちた言葉を龍吾に向ける。
「この落とし前は払ってもらうぞ。金だけじゃねぇ。命も一緒にな」
男が片手で合図を送ると、後陣の男達が前に出始め、龍吾の元へと近づいて来る。
龍吾の息がいよいよ激しく乱れはじめ、眼前の恐怖に少しづつ後ずさる。
すると後ろにいた輝夜が、後ずさる龍吾と入れ替わるように前へ出た。
住宅街に上がる罵詈雑言と脅迫の嵐を吐き出す目の前の軍勢に、輝夜は静かに紫色の目を開かせ男達を睨みつける。鋭利な視線が彼らの口をピタリと閉ざし、歩みを止めさせて、目の前にいる輝夜に釘づけとなった。
「貴方達。今、私を『殺す』と言ったわね? ならば自分たちが殺される覚悟も、あるということね?」
「……な……そ、それが何だってんだ!」
輝夜は「そう」と言うと、おもむろに右拳に力を込めながら後ろに引いた。
男達は目の前にいる女性の行動に、攻撃することも忘れ、ただじっと見ていた。
華奢な女性が殴りかかろうとしている。そんな突飛な光景は、先に輝夜が男達を鋭い眼差しで睨んだことも重なって、誰も輝夜へ攻め込もうとはしなかった。
すると輝夜の足元から一瞬、低くも甲高い音を上げながら小さなヒビが走る。
一同がビクリと肩をすくませる。何が起きているのか男達は理解できず、オロオロしながらも、その場に立ち尽くすしかなかった。
それと同時に輝夜の目が黄色く変色して輝き、力を込めていた右拳が拘束から解かれたように、勢いよく地面へ殴りつけた。
━━瞬間、コンクリートの道路が盛大にへこむと同時に、身体の中にある臓物が潰れそうな低音が轟き走り、世田谷一帯が大きく揺れた。
特に輝夜の周囲は停めてある車が跳ね回り、電柱は風に吹かれているように大きく身を揺らし、周囲の建物は小刻みに震えている。
数秒の後、男達の持っている携帯から、遅れて緊急地震速報のサイレンが合唱を始めた。その原因は間違うことなく目にいる、輝夜以外に考えられない。
輝夜の拳を中心に、大きく陥没した道路から拳を引き抜くと、黄色に光る目を男達に向けた。
「来なさい。相手になってあげるわ」
男達は血の気を失い、その場に崩れ落ちたり、気を失って倒れたりして、誰一人輝夜と戦う者はいなかった。
「……な、なん、だ! お前……!?」
唯一正気を保っていた黒スーツの男は、車のボンネットにしがみつきながら輝夜を凝視した。
輝夜の目が黒スーツの男に向けられると、小さな悲鳴をあげた。
輝夜は、気を失って倒れている者、放心している者の間をすり抜けるように、黄色の残光を引きながら男の元へと歩み寄る。
男はガチガチと歯を鳴らして、必死の思いで隠し持っていた銃を取り出すも、手に力が入らずに力無く銃を落とした。
輝夜の黄色い眼光が紫色に変わると、男を見下しながら静かに口を開いた。
「貴方に聞くわ。龍吾の借金は幾らなの」
「……な、え……」
「龍吾の借金は幾らなの? と、聞いているのよ」
「そ、それは……」
「それは?」
「……い、言えねぇ……。関係者以外のヤツには……話せね」
男の返答を聞き終える前に、輝夜は男がしがみついていた車を蹴飛ばした。
鈍い音を立てながら、車はいともたやすく駐車場の奥へ滑りながら移動し、車にしがみついていた男は、支えを失った赤子のように倒れた。
「これが最後よ。龍吾の借金は幾らなの」
男は半ばパニックになりつつ、口を割った。
「い、い、一億! 一億と、二千万だ!!」
その返答に輝夜はもとより、蚊帳の外にいた雛月と龍吾も驚きの表情を露わにした。
祖父の借金が龍吾に移って、利子が付いたとしてもまだ半年も経っていない。にも関わらずグレーゾーンを易々と超える冗談めいた借金額に龍吾は困惑し、輝夜は何かの間違いと思ったか片手で男の胸ぐらを掴み上げた。
「ほ、本当なんだ! ウソじゃない!! 本当に今言った額なんだよ!」
「いくら法に疎い私でも、そんなバカげた額で、騙せると思っているの?」
「本当だ! 本当なんだ! 信じてくれ!!」
「……あ、あの輝夜様。一度彼を解放してください。私が話をつけます」
割って入った雛月の言葉を聞くと、輝夜は掴んだ手を開いて男をその場に落とした。
恐怖と緊張で男が輝夜を見上げていると、輝夜と入れ替わって雛月が男のもとにしゃがみ、静かに質問を始めた。
「輝夜様に変わって失礼します。改めて聞きますが、今の額は嘘や誇張ではないのですね?」
「……あ、あぁ。そ、そうだ……本当だ。……だからい、命だけは……」
「その額を全部払えば、もう龍吾様につきまとうことは、無いのですね?」
「……そ、そうなるな」
「分かりました」
雛月は静かに立ち上がると、空に指で長方形を書き、その周りを丸で囲うようになぞると、ちょうど太ももあたりまで積まれた札束がフワリと降りて来た。
何もない所から、札束の山が現れたことに男は呆然として、目の前に置かれたものを凝視していた。
「後で数えてもらえれば分かりますが、全部で二億あります。利息とか年利だとか、後でとやかく言われないように余りをつけて返します」
男が札束に手を伸ばそうとした時、不意にスミレが現れて男の眼前に剣の切っ先を向ける。それに気づくと、男は悲鳴を上げながら後ずさった。
「ですが余りを付けて返す以上、私たちの方からも条件があります。それを飲まないなら、話は決裂になりますよ」
「な、なんだ?」
「一つは。当然のことですが金輪際、龍吾様に関わらないで下さい。形はどうあれコレを受け取ることは、返済した事に、合意したという事ですからね」
男はコクコクと首を縦に振り、雛月の言葉に異を唱えなかった。
「もう一つは、龍吾様のご両親を戻してあげて下さい。龍吾様のご両親は、今も借金返済のために働いているでしょう。ヤクザな商売をしている貴方なら、債務者の場所なぞ網羅しているはず。ご両親にも借金があるのなら言ってください。この場で私が返します」
二つ目の条件を聞いた男は、怯えた表情から徐々に複雑な表情に変わっていく。当然、雛月はそれに気づき、「なにか?」と問いただすと、男は重い口を開いた。
「そ、それは出来なくはないが……」
「どうしました? 続きを言ってください」
「その……龍吾ってヤツが、面倒なことになるぞ」
「何故ですか。ご両親に借金があるなら、返すと言ったのですが」
「……悪いがコレだけは死んでも言えねぇ。もちろん両親は会わせてやるさ。だが、何故かは言えねぇ。……そこだけは大目に見てくれ」
雛月は今一つ腑に落ちない表情だが、「両親にも今後関わらない」という男の言葉を聞いて、強引に納得したような感じに「良いでしょう」と返した。
「では次に、私たちの前で龍吾様のご両親をお呼びください。残念ですがあなた方が口約束を、確実に守るような方とは、到底思えないので。もう借金は無くなったから、龍吾様の所に帰ってくるように。という旨の連絡を」
雛月の要求を聞いた男は、少しの間ボウっとしていたが、直後に。
「聞こえなかったのですか? ご両親をお呼び下さい、と言ったのですが」
普段の雛月からは聞くことのない低い声で男に言うと、男は即座にポケットにしまってあった携帯を取り出し、連絡をし始めた。
しばらく間が空いても、一向に相手がでないことに、男はせわしなくその場を行ったり来たりしていたが、唐突に男の足が止まると、待っていたと言わんばかりに男の口が開いた。
「ゆ、雪下瑞穂だな? ……待て。……そうじゃない。お前らの借金は返済された。さっさとガキの元に帰ってやんな。……場所は『世田谷区の上用賀、○丁目、□番の×××だ」
電話を切ると男は雛月と輝夜を一瞥すると、すぐにもう一人の方へ電話をかけ始めた。
これも同じく間があったが、電話先の相手『雪下正樹』に通じると、今度は少し落ち着いた感じに、借金が返済されたことと、龍吾の元に帰るように言うとすぐに電話を切った。
「これで……これで満足だろ?」
「そうですね。では弁済証書を」
「え……べ、弁済……」
「……まさか弁済証書を持って来ていないとか言わないですよね」
「い……いや……その……」
男のどもり方を見て、雛月は呆れるように長く息を吐くと、男の額に光をともした指先を当ててすぐに離した。
すると男の額から、紙を模った光の線がスルリと出てきて、雛月が指先で弾くと一瞬で実体化し、その場にヒラヒラと落ちた。
「これで間違いありませんか」と言いながら雛月が掴んだ紙面を見せると、男はそれが自分達の会社で使う証書であることに、目を丸くしながらうなずき、それを見ると「では貴方の署名を」と見下しながら冷たい声で雛月は言った。
男は胸ポケットから身体中へと手をまさぐり始めると、それを見越してか雛月がどこからか万年筆を放り落とした。男は黙って自分の名前を書き、その様子を雛月はこれ以上ないほどに冷たい目で見下していた。
男が署名を終えると、大した運動もしていないのに荒い息遣いで紙面を雛月に見せつけ、雛月は署名があることを確認すると、「はい、確かに」と淡々と応えた。
男が一息つくと、「では最後に」と雛月が言ったのと同時に男の周囲に、先ほど気絶させられた仲間たちが石を投げているかのように輝夜によって山積みにさせられた。尻もちをつきながら周りを見やる男に、雛月は静かく丁寧に。それでいて相手を根底から見下すように口を開いた。
「ここからすぐに消えて下さい。もう貴方に、用はありませんから」
夏の夜に雛月の目が青く輝く。それは氷のように冷たく。鉄のように無機質で。鉛のように重々しい光。
その眼光を見た男は、有無を言わずに金も仲間もまとめて車に投げ入れていく。
そのうち一人では時間がかかると思ったのか、気絶している仲間を一人強引に起こして作業に加えさせ、全てを乗せ終わると、取り立て屋たちはあっという間に逃げていった。
静寂の戻った住宅街に龍吾は、思い出したように雛月に口を開く。
「ひ、雛月。アイツらの記憶、消さなくて良かったのか? 輝夜の力もそうだけど、あの魔法とか地球に知られたら……」
「細かな記憶の削除では、消された所の前後で違和感を覚えるでしょう。全てを消せば、彼らの手元にある二億の意味がなくなります。……それに……今更彼らの記憶を消したところで、もう私たちの存在はこの国。この星に知れ渡っているでしょう」
雛月は夜空を見上げながら、諦観したように言った。
※
━━それから三日後。休日の昼過ぎに戸が叩かれ龍吾が出向くと、扉の先には男女二人が立っていた。
男性は二つのキャリーバッグを引っさげ、龍吾と同じグリースを塗ったようなショートヘアに、チェック柄のTシャツと薄地のジーパンを着ている。
女性の方は、キャリーバッグを一つだけ持っているが、身なりは整っていて、薄地で出来たモノトーンの花柄シャツ。黒のシガレットパンツに黒革のヒール。
二人が並んでいると、身なりの違いが浮き出ているが、そんな事は龍吾には眼中になく、ようやく会えた嬉しさから感極まって声が震え始めた。
「……父さん……! 母さん!」
龍吾の母、雪下瑞穂。父、雪下正樹。二人は龍吾を何ともいえない複雑な表情で見ていた。
「……龍吾。久しぶり……だな。元気にしてたか?」
「うん……うん! 母さんも、元気だった?」
「え……えぇ……。ごめんなさい。あまりに唐突だったから……その……言葉がうまく出てこないわ」
半ベソをかきながら両親と再会している光景を、部屋の奥から見ていた輝夜と雛月はゆっくりと歩き、三人の前にその姿を表した。
瑞穂と正樹は見ず知らずの者が、龍吾の元に二人もいることに驚きを隠せずにいたが、輝夜は「立ち話での挨拶は無礼ですので、恐れ入りますが中へ」と、二人を室内に案内した。
五人いるのは狭いリビングで輝夜は龍吾の両親に、座礼で深々と頭を下げ、五秒ほどかけてゆっくりと頭を上げると自己紹介をし始めた。
「初めまして。私の名前は輝夜と申します。訳あって雪下龍吾さんの下に住まわせてもらっている身であります。故にあなた方の生活に支障がないようにいたしますので、どうかよろしくお願いいたします」
今までの輝夜からは、想像できない丁寧な自己紹介に、龍吾と雛月は驚きを隠せずにいたが、両親の返答を聞いて、雛月も我に帰り自己紹介をした。
両親には月の住人であることは伏せているものの、地球の人間とは思えないほどの髪の長さと色。そして白い肌は輝夜や雛月が言わずとも、別世界の人間と両親が感じるにはさほど時間はかからなかった。
一通りの自己紹介が終わると、少しの間が空いた。
複雑な空気と沈黙が漂うなかで、龍吾は輝夜と瑞穂の二人を見やると、雰囲気を変えるように口を開いた。
「そうだ! 時間も時間だし、ちょっと遅いけど昼食にしよう! 父さんと母さんは何が食べたい? あんまり豪華なものは出せないけど、全力で美味いもん作るよ!」
「あ……そう、ね。じゃあお願いしようかしら」
「あぁ。龍吾の自由に作ってくれ」
二人の返答を聞くと、龍吾は張り切りながらキッチンへと向かい、調理を始めた。
正樹が「テレビを見ても良いか」と三人に聞くと、雛月が代わって許可を出し、正樹はテレビを見、瑞穂はスマートフォンを取り出してそのまま輝夜達には目もくれず操作をし続けた。
テレビでは、番組の合間のニュースが放送されており、いくつかの注目ニュースが上げられていた。
その中に『暴力団経営の金融会社 謎の全員失踪』なるものが上げられていたが、すでにそのニュースは報じられていたのか、詳細をキャスターが語ることは無かった。




