従者と刺客
短くて長かった一夜が明け、輝夜は龍吾の家へと住むことになった。そこに輝夜の従者を名乗る者と、月からの刺客がやって来た。
夕食を終えると、龍吾は水道とガス代を浮かせるために猛スピードで風呂━━正確にはシャワーで済ませたが━━に入ると、続く輝夜は浴室を見るや否や足を止めて愕然としていた。
「厠と風呂が一緒? ……流石にこれは酷いわ。惨すぎる。こんな家の作りを考えた設計者は、とても悪辣な人に違いないわ」
輝夜のいた月界ではユニットバスはあり得ないものであるようだ。盛大に批評しながらも渋々入っていったのは、住まわせてもらっている身であることを自覚しているからか。
やがて輝夜が風呂から上がると、龍吾は六畳ほどのリビングを開けて「そこで勝手に寝てくれ」と言って、本人は四畳ほどの台所で毛布にくるまった。
「待ちなさい。ここは貴方の家でしょう。貴方は居間で寝なさい。私がそこで寝るわ」
「いいよ。……月の神だったか? そんな大層な身分の人が、台所で寝るのは嫌だろう」
無論、これは龍吾の本心ではない。正直なところは、輝夜の機嫌を損わせないように気を遣っているだけだ。
「……そう……。それじゃあ、ありがたく使わせてもらうわ」
輝夜は自分が月の神であることを言ってしまったことを後悔していた。が、すぐに弱気な表情を隠してそのまま眠りについた。
それでこの激動の一日は終わるはずだった。
草木も眠る丑三つ時。不意に輝夜が目を覚ました直後、均等な間隔でドアが強くノックされる。
跳ねるように起きた龍吾はドアの方を見て、思わず取り立て屋の報復が来たと勘違いしたか風呂場の方へと移動した。
「取り立て屋ではないわ。……まったく。時と場所を考えられないのかしら。龍吾、代わりに相手してもらえる? それで適当に言って返してちょうだい」
「だ、誰が来たっていうんだ?」
「港で言ったでしょう。私の従者よ」
輝夜の従者。すなわち月の人間が玄関の先にいる。
竹取物語の筋に沿って考えるならば、出会って半日も経たずして月からの迎えが来たということになる。
扉の先に待つのは天女か、仏か、神々か。
龍吾が台所の曇りガラスへと目を向けるが、通路を照らす安物の蛍光灯以外の光は一切ない。玄関の先にいる従者は、なおもノックを続けている。
龍吾は恐る恐るドアを開けると、待っていたと言いたそうに女性は軽く咳払いをした。
足まで届く清流のような水色の髪、紫色を基調としたドレスにも似た服に、丸々としたネコのような耳飾りを頭の左右に付けている特徴的な姿をしていた。
「夜分遅くに失礼します。そして、お初にお目にかかります、地球の者よ」
「な、何の用ですか」
「貴方はここに、月の神を連れて込んでいますね? その方を迎えに参ったのです」
「月の神? ……何を言ってるのか、よく分からないですね」
「ごまかしても無駄ですよ。さあ、大人しく私の前に出して下さい」
凛とした態度の従者は一歩も引く気を見せない。龍吾のことを全て見透かしているかのようだ。
「知らないものは知らないですよ。大体、こんな時間になんだっていうんですか。警察を呼びますよ」
龍吾が強制的に話を区切りドアを閉めようとすると、弾かれるようにドアが勢いよく開いた。
目の前の従者が自身の腕力で無理やり開けたような動作は見られなかった。そんな従者は涼しい顔をしながら「隠すのはおやめ下さい」と静かに言う。
「無用なもめ事はお互い嫌でしょう。お分かりになられたら、どうか月の神をお出し下さい」
困惑する龍吾の後方で輝夜が一つ大きく嘆息すると「もういいわ」と言って、輝夜が玄関へと赴いた。
龍吾が道を開けると従者と輝夜は少しの間見合っていたが、従者とは頭一つ分大きい輝夜の眼力に圧されて徐々にたじろぎ始めている。
「雛月」
『雛月』という名前の従者は輝夜の姿を見るや否や、息を呑んで信じられないものを見たように目を開いた。
返事のない雛月に輝夜が再び名を呼ぶと、我に返った雛月は小さく声を震わせて「はい」と返す。
「貴女、今何時だと思っているの」
再会に喜ぶわけでも、叱咤するわけでもなく、至極当たり前の不満を吐いた。
無論、雛月からすれば昼夜という時間を問わず、一刻一秒を争う重大な使命を背負っている。だが、それは雛月の話であって輝夜からすれば関係のない話だ。
時刻は間もなく夜の三時に差し掛かろうとしている。気配に気づいたから先に目が覚めたとはいえ、決して目覚めのいい起き方ではない。そのためか輝夜は、不満を凝縮したような低い声で詰め寄る。
「従者以前に人としての問題よ。貴女、いくら何でもこんな時間に訪れることは失礼だと思わなかったの?」
「た、確かに平時なら失礼ではありますが、今は━━」
「━━今も後も同じよ。貴女、結局自分のことしか考えていないのね。とりあえず、夜が明けるまで頭を冷やして来なさい」
「あ、あの……ですが」
「頭を冷やせと、私は言ったのだけれど?」
一睨された雛月は肩をすくませて引き下がった。
蚊帳の外にいた龍吾は居間に戻っていく輝夜を黙って見ていたが、雛月の方を見ると彼女は玄関前の通路脇にそっと腰掛けたので怪訝な表情を向けている。
「あの……何をやっているんだ……ですか?」
「お構いなく。輝夜様の言う通り、夜明けまで待つだけです」
「……そこで座って待つの……ですか?」
「左様です。あぁ、お気遣いはいりませんよ。それに、敬語である必要もありません。私は従者ですから」
「それってどういう」
龍吾が言い終えるよりも前に、居間に戻った輝夜が「放っておきなさい」と冷たく切り捨てる。それに乗じて外にいる雛月も体育座りのように座り込むと、そのままうつむいたきりになった。
龍吾は声をかけようとしたものの、その雰囲気に飲まれて渋々ドアを閉めると再び台所で横になった。
が、一人の女性が通路で座り込んでいるのを知っていながら眠りにつけるわけがなく、龍吾は度々目を覚ましては無理やり寝ようとした。
しかしどうしても寝ることはできず、とうとう龍吾はドアを開けて雛月に声をかける。
「ちょっと、あの……ええと……従者さん」
龍吾の声に気づいた雛月が素早く顔を上げた。タヌキ寝入りをしていたのか、眠りから目覚めた割にはハッキリと目を開けて龍吾を見ている。
「輝夜様に何かありましたか?」
「イヤ、そうじゃないん……ですよ。そこで寝られるとですね、警察とかに見つかったときに面倒なんですよ。だから、寝るならウチの中で寝てもらえますか?」
「お気遣いありがとうございます。ですがその手の対応なら、私一人で問題なく済ませられます。あと、敬語で言わなくても結構です。私は従者なので」
「……さっきから従者だからと言っていますが、どういう意味なんですか?」
「月界において、人間よりも立場が低いのが従者なのです。下の者は命令に逆らうことは許されません。無論、ここは地球であることは承知の上ですが、この風習はどこであろうと変えることはありません」
「ということは俺よりも低いということで?」
雛月はさも当然のように「左様です」と言い切った。
すると龍吾は目線を斜め下へとずらしてほんの一瞬だけ考え込み、すぐに目線を雛月に向ける。
「それなら従者のあなたに命令させてもらいますがね、寝るなら俺のウチで寝て下さい」
言った後で雛月は声を出さずに「あっ」と言い、自分の言ったことに後悔をしていた。
「い、いえ、ですが私は」
「従者なのですから、俺の言うことの方が優先されるのでは?」
雛月は苦虫を噛んだような表情で龍吾を見るが、言ってしまった以上変えることは出来ないために渋々「分かりました」と言って、渋々龍吾の家へと入った。
(従者の割には少し抜けているな)
「ですが、貴方はどこで寝るのですか?」
「俺はどこか適当に寝るからいいですよ。なんなら輝夜と同じ居間で寝ますか? 俺はそれでもいいですが」
雛月がおもむろに居間へと目を向けると、そこには輝夜のドレスから二層の歯列を持った触手の群れが、いつでも迎撃できるといわんばかりに歯ぎしりをしながら身構えていた。
冷や汗をかきながら雛月は「ここで大丈夫です」と言って腰かけた。
「あと、私を従者として接するなら、再三になりますが敬語で接しなくても大丈夫です」
龍吾が生返事で返すと、風呂場の前で横になって今度こそ眠りについた。
横になった龍吾を、雛月は心底不思議そうに見ながら、やがて深い眠りの底へと落ちた。
※
一夜明け、平日と変わらないくらいの早めの朝食を取るはずだったが、昨晩の夕食とは打って変わって険悪な雰囲気が食卓を包んでいた。
背筋を伸ばして正座する輝夜から放たれる、体毛が逆立つような張り詰めた空気と圧。それら全ての矛先が雛月へと向けられている。
「その首飾り」
輝夜の一言が口から出ると、雛月の肩が電流を流されたように大きく震える。それと同時に、大量の汗が額を流れ落ちていく。
「月へ戻るための装置ね。私が隙を見せたところを見計らって起動する算段かしら」
龍吾が伏し目がちに雛月の首飾りを見る。
曇りのない金の光沢が眩い、風の流れを思わせる形の首飾りだ。
一見しただけでは、輝夜のいう月に戻る装置には到底思えない。しかし、輝夜はいたって真剣に、そして忌々しげに雛月を見ている。
「やれるものならやってみなさい。その代わり貴女、楽に死ねるとは思わないことね」
ドスの効いた声色。黄色く光る目。嘘やハッタリではないとイヤでも分かる脅迫は張り詰めた空気も相まって、少しでも動こうものなら八つ裂きにされそうな雰囲気が漂う。
「そもそも、あの世界に私が帰れる場所なんかないというのは、貴女なら言わなくたって分かるはずよ。それを踏まえてのことだとしても、貴女は何をしに来たわけ?」
「……輝夜様をお守りするためです。輝夜様が脱獄なされたことをきっかけに、三月皇の神無が月界の国民を使って輝夜様を討滅するがてら、地球に眠る『靈光泉』を奪おうと画策している模様だからです。
すでに月界では、国民の否応なく強制的に徴兵されて続々と地球に来るでしょう」
雛月の口から唐突に出た脱獄という言葉に、龍吾は思わず雛月へと顔を向ける。
加えて靈光泉という謎のものを狙いに、月の世界から天月人が来るという驚天動地な話も聞き捨てならない話だ。しかし雛月は気にもせず輝夜と話している。
「……靈光泉のことは気になるけど、国民のことなんか知ったことじゃないわ。私は地球で生きることを決めたから月の世界を捨てたの。月界も、そこに生きる天月人も、どうなろうと興味のかけらもない」
「で、ですが、神無の横暴に国民は辟易しきっているんです。むしろ今は、『大災禍』の真実が国民に知れ渡ってきて、輝夜様の帰りを期待している人の方が━━」
「黙れ!」
輝夜の一言が雛月の口を閉ざした。
激憤に駆られている輝夜の剣幕は、鬼さえ震えるほどの凶悪さを表している。
そんな剣幕の輝夜が雛月の首を掴んで、軽々と宙に浮かせた。
「私に殺されたいようだな貴様」
非常に信じがたいことに、輝夜の怒気で周囲の空間が軽く歪んでいる。
呼吸がままならず血の気が引いていく雛月は、次第に目の焦点が定まらなくなっている。
「やめろ、やめろ! 輝夜、今すぐやめろ!」
一触即発の雰囲気の中、蚊帳の外であった龍吾は何を思ったのか輝夜と雛月の間に割り込んで話を途切れさせた。
無謀ともいえる行動は、しかし輝夜と雛月にとっては予想外のことだった。
昨晩の取り立て屋が味わった形相とは比べものにならない鬼神の如き剣幕と、空間が歪むほどの憤怒に駆られた輝夜を止めるなど容易に出来ることではない。ましてや天月人よりも遥かに無力な人間が止めに入るなど、輝夜たちには考えもしなかったことだ。
それでも龍吾は止めた。
巻き添えになるかもしれないにもかかわらず止めに入った彼の本心は、喧嘩を見たくないというのもあるし、騒動を起こして家をめちゃくちゃにされるのが嫌だからという理由に限る。
その甲斐があってか、輝夜の怒りはあっという間に冷めていき掴んでいた雛月を降ろした。
咳き込みながら腰を抜かしている雛月を片目に、龍吾はかすかに震えながら輝夜の面と向かい合う。
「どういう事情かは置いといて、とにかく喧嘩だけはやめてくれ」
無力ながらも毅然と立ち向かう龍吾に、輝夜は目線を逸らすことなく見ている。どうして人間なのに立ち向かえるのかという興味の目を。
傍らで咳き込む雛月に顔を向けず、輝夜は「命拾いしたわね」と見下すように言った。
「でも私は貴女を信用していない。信用して欲しいなら、その誠意を見させてもらいたいわね」
「機会を下さり、ありがとうございます」
死ぬかもしれなかったというのに、雛月は不満を感じさせない清楚な面持ちに直った。
雛月が来て間もないが、少なくとも従者という立場はどういったものなのかというのを龍吾は苦々しく感じ取っているようだ。
※
一方、龍吾の家から遠く離れた地下深くで、天月人の一人が気を伺っていた。
軽自動車ほどの大きさの、黒金のドリルみたいな殻を持つ天月人は、輝夜と雛月。そして龍吾が映ったホログラムを悪意を孕んだ目で見ている。
「輝夜と従者をまとめて相手取るのは困難だが、この人間を使えば問題はないな」
黒金の殻が高速で回り、地面を削りながら猛進する。
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雛月 能力値 特 上 普 下 苦
腕力 下
走力 普 (魔術を使えば上)
守備力 普
察知力 上
持久力 特
知識 特
能力
初符 清光の書庫
特徴:補助や探索、魔法や精靈を使った技を多数使える
弱点:攻撃魔法は精靈の攻撃を一つとして三つしか覚えられない
攻撃魔法を使うと、補助等に使う倍の魔力を消費する
終符 不明