再開
降りしきる雨足が、若干の落ち着きを見せるその下で、目から黄色の光を輝かせる輝夜が、ゆっくりと起き上がった。
光を放つ目は未だ鋭く、敵意も殺意もまったく衰えていない。せいぜい予想だにしない攻撃が来たことに驚いたほどで、一度見て味わえば何のこともない。というくらいか。
「━━!」
輝夜が軽く吼えると、荒い息づかいの弓張は呼吸を整え輝夜を見据える。そうして構えをとろうとした時、輝夜の下半身を覆うドレスが地に足を伸ばした。
空から降る雨の音に混ざって、地中を削り進む音が、徐々に大きくなる。
ちらりと目線を下ろすと、地面から無数の黒い棘が、左右に二列飛び出し、弓張めがけて向かってくる。
だがその直後に弓張は目線を上げると、輝夜の背中から二つの黒く、太い角にも似たものを作り上げ片方の角を勢いよく弓張へと伸ばした。
地上のイバラか、迫り来る剛角か。
後退すれば黒い角に当たり、左右に避ければ棘に当たるし、飛んで避けるには遅すぎた。
またしても瞬時の判断を迫られた弓張は、角の方をかわした。
黒い角は空を切る重い音と共に外れたが、地を這う棘は弓張の足元に容赦なく突き刺さる。
だがそんな苦痛を感じる間も無く、もう一つの黒い角が代わって向かって来た。
直撃は避けられず、防御に回した腕に角の先が深々と突き刺さり、勢いで雨の中を突き進む弾丸のように、吹き飛んでいく。
飛沫を二、三上げて転がりながらも、体勢を直して前方を見ると、二本の黒い角と輝夜が飛びかかって来ており身を後退させる。
黒い角が地面に突き刺さるもすぐに引っこ抜き、交互に叩きつけてくる。
角の後からは追いながら一撃一撃に全力を込めた拳を本能の思うままに奮う輝夜が迫る。攻撃をしても一つ一つをかわしていく弓張に、苛立ちをあらわにしながら攻撃をしていた。
すると黒の双角は攻撃を止めて、大きく振りかぶりながらその太さと長さを広げさせ、同時に叩きつけた。
しかし弓張からすれば、あまりに大振りな攻撃故に、あっけなく避けられてしまう。
それを知っていたか、柱のように太い角は地面から離れると、身の丈を超えた振り子鎌の形に変形し、斬り払う。
今度は攻撃のタイミングが違い、空を切る方が先に、後からは地上すれすれの方を切る鎌が、大きくそれでいて勢いよく空と雨を切る。
が、二つの鎌の間に避ける所を見つけた弓張は、やはりというべきか顔色ひとつ変えず、体をひねりながら飛び上がって避けた、その時だった。
そこに突然彼女の身体へ、鋭利な刃に変わった細身の黒衣が大量に伸び、宙に舞っていた身体を刺した。
怒りに身を任せて、一撃に全てを込めた大振りな攻撃ばかりと思わせての素早い攻撃は、弓張に大きな油断を生ませた。
身にまとった袈裟が刻まれ、血が滲んでドス黒い色へとなっていく。
そこへ群がるように他の刃が襲いかかり寸分の隙無く、黒く刺々しい花の様な姿になって弓張を捉える。
そこを目がけてドレスが全方位に爆発している姿の輝夜が駆け寄り、目の前まで迫ると全ての刃を戻し、解放された弓張を殴りつけようとした。
殴りかかる瞬間、弓張は片手から先ほどの気の塊を放った。
両手から放たれたものより、威力も大きさも劣るものの、命中した輝夜の身は大きく反った。
が、それで輝夜の攻撃が止まるわけもなく、反った身を利用して弓張の頭部を思いきり殴りつける。
食らった弓張が顔から音を立てて崩れ落ち、飛沫を上げながら地面をへこませるとそこに間髪入れず輝夜の蹴りが入り、回転しながら吹っ飛ばされた。
再び輝夜が雄叫びをあげると、彼女の手中で黒い雷が弾けた。
雷はあっという間に手中から漏れ始め、それを弓張にかざそうとした時、輝夜の背後にボタンがいた。
振り向くより前にボタンは輝夜の後頭部を掴み、当の輝夜は乱入者を振りほどこうと暴れまわる。
ボタンは腰にかけた月輪を薄く発光させ、本人の眼は薄紅色に輝き始めた。
咆哮を上げて暴れる輝夜は、突如そのけたたましい声を止め、鋭く光る眼を思い出したかのように大きく見開いた。
輝夜の脳内に浮かぶ龍吾の姿。そして当初の目的。それが心火に燃える心を冷まし、憎悪の暗雲で覆われた世界に光を射し込む。
黒い雷は一気におとなしくなり、雫でしたたる手の中で消え、黄色く輝いていた眼は紫色に戻った。
空から降る雨が見上げる顔を濡らし、見上げる瞳は鈍色の空を映していた。
「……私……」
正気に戻った輝夜は、文字通り怒りに我を忘れていたらしく、自分自身が見覚えのない所になぜいるのかさえ理解出来ていない様子だった。
そこにどこからともなく、雛月の声が輝夜の耳に入る。
(輝夜様! 前です!)
ハッとした輝夜の前方から、白い光を引いて、弓張が距離を詰めて来た。
対して輝夜は不意を突かれ無防備となり、間合いに易々と弓張の侵入を許してしまう。
互いの距離が人一人分ほどに詰まった時、輝夜の背後にいたボタンが一瞬で輝夜の前に躍り出て弓張の拳を防いだ。
乾いた銃声のような音。拳から放たれた衝撃波が雨を乗せて、背後にいる輝夜に吹きかかりながら通り過ぎた。
「また会ったな精靈。しかしどうした? 些か力が劣っている感じだ」
ボタンは未だ鋭い目つきで弓張を見据えるが、その姿は次第に薄くなっていく。やがて雨の中に溶けて消えると、垂直に上げた黒い足が降りかかってきた。
見てからのとっさの防御も、その衝撃は地面をへこませ、表情も曇らせる。
しかし弓張は離れようとした足を掴むと、そのまま力任せに振り回し地面に投げつけた。
投げた反動で浮かんだ輝夜の顔を、掴んで地面に落とす。幾つ出来たのかも分からない、地面のへこみがまた一つ増える。
「どうした。鬼に成らねばその程度か」
雨で血がにじむ顔で輝夜の顔を掴み、力を込めると更に地面が深くへこむ。
すると弓張の指の合間から紫の光が漏れ出した。それを見た弓張の視界の隅に輝夜の右手がゆっくりと伸び上がる。
伸びた手の意味を考えるより前に、伸びた手から向かって来た指先が弓張の目の辺りを突き叩いた。
眼を突かれた弓張は、不意の事に怯み手の力がゆるみ、そこを見計らったように腹部目掛け蹴り飛ばす。
吹き飛ばされた弓張と輝夜が起き上がるのはほぼ同時。身体を大きく振りかぶり、勢いよく前にドレスから太く鋭く大きな棘を出し、弧を描いて弓張へ行く。
弓張もろとも地面に突き刺し、ドレスごしに手応えは確かに輝夜は感じ取れているようだった。だが輝夜は伸びたドレスの先を見ていた。
見れば弓張は片目を開きながら、伸びた棘を止めていた。
不意をつかれたとは言えど弓張にとっては完全な失明に至らなければ、攻撃を避けること、受け止めることは造作もないことだった。
それを承知の上で輝夜は足下にスカートを伸ばすと、地中から弓張へと向かわせる。だがこの手は彼女にはつい先ほど行った攻撃だ。
「似たような手が二度も通じると思うか」
弓張は地中からの音を認識すると、止めていた棘を傍らに投げ捨て、地中から棘が出るより前に輝夜へと駆けた。
目と鼻の先にまで迫ったその時、瞬時に真横へと移動すると真正面から来る弓張の顔をつかみ、駆けて来た勢いを殺さずにすくい上げるように投げ飛ばした。
それはさながら合気の技。投げ飛ばされた弓張は宙に浮きながらも、今までの単純な技からの高度な技に驚いている。
途端、弓張の背部を投げ捨てた黒い棘が、元に戻るついでに叩きつける。そのすぐ後に輝夜の黒い脚が背部につま先の一撃、足背の一撃と蹴りつけ、加えて回し蹴りをわき腹に食い込ます。
宙を舞いながらの攻撃。やがて弓張より上に昇ると回し蹴りの勢いを利用し、前のめりに一回転しながら、かかと落としならぬつま先落としでとどめを刺そうとした。
だがそれがくる前に、降りかかる足首を捕らえると捻るようにグルリと右下へと回した。
すると弓張より上にいた輝夜が、自分の意思とは反対に急な勢いで弓張の下へと移された。
「小癪な」
弓張の拳が輝夜の腹部に直撃し、雨より速く、流れる風を割りながら地面へと落ちると、空を蹴って急降下しながら輝夜に剛拳を打ち込み、大きな飛沫と共に重々しい音をたてながら道路の真ん中に大きな穴を開け、二人は穴の中へと落ちた。
そこへ疲れきった表情の雛月が、交差点のど真ん中にポッカリと開いた穴へ、ビルの屋上を伝いながらやって来た。
(……これはまた、派手にやりすぎですよ……。でも、輝夜様はなんとか正気に戻せたし、ここからは……)
その時、雛月は穴の中を凝視した。
(……この気配、それに魔力。……まさか!?)
雛月は人目も気にせずに穴の中へと向かって行った。
穴の中では吐きながら血痰を吐いて立ち上がる輝夜と、傷だらけの袈裟を着た弓張が、崩れ落ちた瓦礫に立っていた。
「中々やるじゃない貴女」
「……貴様もな」
持てる限りの力を出し尽くし、命を賭すには十分すぎる相手に弓張は厳粛な表情へと変わろうとした。
すると輝夜の背後で手を伸ばす少年、龍吾に気づき輝夜よりも龍吾へと目を移した。
輝夜もまた、自分ではなくその背後を見ていることに気づき、目線を背後へ向けると、途端に血相を変えて龍吾へと寄った。
「り、龍吾! しっかりしなさい! 雛月! 雛月速く来て!!」
輝夜に応えるように雛月がフワリと降りてくると、彼女もまた弓張を無視して龍吾へと駆け寄った。
二人はまるで弓張を眼中に入れておらず、むしろ弓張よりも、一大事と言わんばかりの焦りに駆られていた。
弓張は静かに構えを解いて三人を見守っていた。そうしていると周りから野次馬たちが瀕死の龍吾と、焦りと大きな不安を抑えながらも、治療に努める二人を、物珍しそうにスマートフォンを取り出して撮影していた。
皆、誰一人として助けようとはしなかった。それは日常では滅多に見る事のない非日常に好奇心が勝って、自分がその非日常の場にいるという愉悦に入り浸っている面構えそのものだった。
それが弓張の遠い過去を目覚めさせた。
※
ーー弓張がまだ幼い頃。たった一人の手によって起こされた災禍は、月界を混乱と混沌に満たした。
弓張のいた世界もまた同じだった。
まだ力を持っていない弓張は災禍によって両親を失いながらも、他の者がしているように荒廃した世界で自力で生きていた。
今日を生きるために、幸運にも無事で済んだ都市へ出向いて物乞いや助けを求めた。
だが待っていたのは、対岸の火事から生き延びた者に対する好奇の目と蔑視だった。
傷と血にまみれ、ホコリとボロの衣をまとった者が声をかけても、返ってくるのは静かなささやきと嘲笑。
近づけば周りは汚れ物を見るような目で後ずさり、助けの手など誰一人として差し伸べる者はいなかった。
そうして大概は、都市にいらぬ混乱をもたらすとされ、清潔な制服をまとった兵士に、がなり声をかけられながら追い返される。そんな毎日だった。
誰も止めず、誰も咎めず、誰も助けず。皆が好奇と卑下の眼差しで、今日の生き死にが関わる被災者を見ていた。
復興までの長い時間、そんな光景を彼女は目一杯に、脳全体が焼き付けるくらいに見てきた。
※
それが今、立場や人種は異なれど似た状況と重なる。
それは弓張の義憤に火がつけられるには、十分な理由だった。
「この不作法者共が」
輝夜が怒りに身を任せていたように、彼女も全身からあふれんばかりの怒りを放っていた。
「死の淵に立つ同士を、救おうとも思わぬ屑どもめ……貴様らまとめて黄泉へ叩き落としてくれるわ」
鬼のごとき形相で、野次馬を一掃させると弓張は、徐々に生気が戻っていく龍吾に、どこか安堵にも似た表情を僅かに浮かべていた。
「……貴女」
「その者を先に治せ。続きはその後でも出来る」
やがて龍吾は息を吹き返し二人は喜び、その光景に弓張もまた、一つの命が救われたことにうっすらと口元を緩ませた。
龍吾の注意を受け、四人は地下から出て雨の降りしきる外へと出ると、ポッカリと口を開けて崩れ落ちていた地面と地下の駅は雛月の魔術で難なく元に戻った。
生き返った龍吾は自分の命にしろ、崩れた地面にしろ、補修、回復において時間があれば直せるという、なんとも好都合な力を持つ雛月を複雑な面持ちで見ていた。
そうして再び輝夜と弓張は対面した。
互いに終わりの時が近づいているのは、言わずとも理解していた。
長い黒髪と、薄い藤色の髪が雨の中でなびく中、二人は同時に駆けた。
月界 言語説明
災禍
たった一人の手によって起こされた戦争。相手は一人であるにも関わらず、死者、行方不明者(大概は肉体さえ残らなかった者が多数)はおおよそ2000万と5000を超え、負傷者に至っては364万と言われているがそれ以上とも。
被災した国はいずれも廃墟同然の世界へと変わり果て、被災孤児となった者も多い。
しかし、時が経った現在はなぜあの災禍が突然起きたのかという理由と原因を追求する者が多くなった。
が、それらの情報は閲覧、入手ともに禁止であり、それ以上の追求をした者は消息不明となる事態が起きている。




