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人間の意地

 スミレの剣は龍吾の左腕を制服や筋肉は勿論、骨ごと難無く斬り落とす。

 左腕が地に落ちると、氷を水に浸けた音と共に左腕は完全に水晶と化し、同時に斬られた部分からは下水管から水が放出されるように血が止めどなくあふれ出た。

 形容出来ない激痛が龍吾の身に駆け巡り顔をひどく歪ませる。それを見ている晶濟(あきな)も、手を口に当てて震えていた。


「……な、なんて馬鹿なことを。気でも狂ったのですか!?」


「だ、だがこれで侵食は出来なくなった」


 騒ぎに気づいた冥たちが、運転席から晶濟がいる車両へと戻って来る。

 その前に龍吾はスミレの方を見ると、スミレは龍吾の意思が伝わったかドアの扉を両手で開けて龍吾は水晶の左腕を持って車両から出ようとした。


「ちょっ……その状態で逃げる気ですか?」


「……それ以外に、何が考えられる」


 龍吾を気遣う晶濟を見ると、龍吾は車外に飛び降り逃げた。

 晶濟の元に戻って来た冥と風華はまず龍吾の事を問うと、晶濟は事の経緯を話した。

 二人は驚愕し、唖然とした。しかしこのままみすみす逃す訳にはいかず、冥たちは遅れながらも車外に降りて龍吾を追い始めた。

 三人が去った車内の闇は、開いたドアに吸い込まれるように外に出され、再び光が戻り闇に飲まれた乗客、運転士が解放された。一同は混乱の中で右往左往していた。


 ※


 車外に出た龍吾は、レール脇の人一人が歩ける幅の小道を走りながら、水晶と化した手の指を口に咥え、黒の制服を片手で脱ぐと、制服を裏返し、出血している左手を、裏返った右袖の中に突っ込み、左腕を隠す様に袖と制服を纏めてグルグルと巻きつけた。

 袖の中に、未だ出血の止まらない腕の切断面を入れて血を極力落とさない様にする、龍吾なりの工夫をしていると、十メートルか二十メートルか先に駅の光が点いており、走る速度を早めた。

 その隣を同じ速さで滑空するスミレが普段の冷静さをかなぐり捨てて、激しく動揺しながら龍吾をのぞき見る。


「良いんだスミレ。スミレはちゃんと命令を聞いてくれた、ありがとうな。スミレは何も悪くない。アレは俺の選んだことだ」


 龍吾から感謝の言葉を掛けられるも、スミレの表情は晴れるどころかますます乱れていく。

 そのとき、スミレが素早く背後を見ると無数の黒い竜巻が龍吾の方へ轟々と音を立てて向かって来た。

 離れて見ているにしても、スミレの身を遥かに超える大きさの竜巻。

 スミレは迫り来る竜巻を、苦々しく見ている。攻撃は避ける暇は無いし、防御をしてもスミレの大きさでは後方の龍吾を守りきれない。何より自分が傷つけば、タダでさえ重症の龍吾がさらに傷つく。意識の連結を絶ってスミレだけが負傷しても、やはり龍吾には当たってしまう。そればかりか、スミレが負傷すれば今度は龍吾1人で戦う事になり、今度こそ本当のおしまいである。

 どの選択肢を選んでも、龍吾もスミレも負傷するのは確定である事態にスミレは自らの無力さに奥歯を噛み締めた。

 龍吾も音の方に振り返り、自分の方へ竜巻が来ているのを目視した。

 スミレと竜巻の距離は、もうすぐそこまで近づいている。

 すると龍吾はスミレを庇うように身体の前へと引き寄せた。

 予期せぬ事態にスミレが動こうとした瞬間、龍吾の身は竜巻によって呆気なく吹き飛ばされた。

 スミレは血相を変えて抱きしめている龍吾を見た。

 ズタズタに千切れて引き裂かれていく黒の制服に混じって、龍吾の体から血飛沫を撒き散らしながら線路の上へと転がりながら落下した。

 倒れている龍吾の身を揺さぶると、呻き声を上げながら右手に力を込めてゆっくり立ち上がった。


「無事か……。ならそれで良い」


 スミレを見ながら龍吾は優しく笑う。

 駅には大勢の人が、ホームガード越しに背中から血を流す龍吾を見ていた。するとまたしてもトンネルの奥から闇が広がり、駅の光とホームにいる人々を闇の中へと飲み込むが龍吾とスミレは飲まれなかった。

 やがてトンネルの奥から、冥達が歩いてやってくる。


「……驚いたわ……まさか人間のお前が受け止めるなんて……。お前のその勇気と覚悟に、私たちは最大級の敬意を払うわ。惜しむらくは、種族と立場が違うことね」


 冥と風華、そして晶濟が龍吾を見る目は今や敵意や目的の為ではなく、純粋な敬意とある種の畏怖の眼差しだ。風華に至ってはもはや戦闘を拒み、大人しくしてくれと言わんばかりな表情だった。


「人間……お前の名は何と言う? もうお前をただ人間と呼ぶのは無礼だ。純粋に名を聞きたいの」


「雪下……龍吾だ」


「……龍吾、か。ならば龍吾、お前のその勇気と覚悟を私たちは認めるわ。……だけど……私たちはお前を捉えなければならない。龍吾、大人しく降参しなさい。もう私たちはお前を傷つけはしない」


「そうですよ! もうやめましょうよ! 従者の私が命ずる権利はありませんが、それでも命じます! もうこれ以上抵抗しないで!」


 荒い息遣いの龍吾は、瞼がやや降りて来ている目で三人を見ている。


「龍吾さん。貴方の運命は、ここで絶たれるべきではないと思います。お願いです、もう抵抗をおやめになって下さい」


 スミレが龍吾の方を見ると、制服を巻きつけた左肩から血がにじみ始めていた。このまま何もしなければ、出血多量で龍吾が死ぬ。だが龍吾はなおもその目に闘志を燃やしている。


「……降参すれば……本当に傷つけないのか?」


「ああ。その腕も治して元に戻すわ。それにお前の功績を称え、私たちの方で始末を取り消すように申請もするわ」


「俺の身の保証はされる……っていうのか?」


「そうよ。さぁ、こちらに来なさい。先ずはその傷を治そう」


「そうか……分かった……」


 冥たちが安堵しようとした直後、龍吾の口が開かれた。


「だが断る」


 龍吾の口から放たれた拒否の言葉に一同は言葉を失い、その後大きく取り乱しながら龍吾を見る。


「何を言ってるの? お前を傷つけはしないと言っているのよ?」


「お前らが俺を助けるって言うなら、輝夜と雛月にも手を出すな。それとお前のいる組織と神無の奴らにも、未来永劫輝夜と関わるなって言って来いよ。それができないなら、お断りだね」


 全員が、畏怖の感情を抱く。

 こんな状況になっても輝夜たちのことを考える龍吾に、頭が良い悪い関係なく理解不能の領域に彼女達の思考は突き落とされたのだ。


「……俺だけ助かっても、輝夜達が助からないなら意味がない。俺が自分のことしか考えない奴かと思ったか? ……人間を舐めるなよ、お前ら」


 龍吾は全身の痛みを堪えながらホームへよじ登ると、ガードを片手だけの覚束ない登り方で乗り越え、駅内へと逃げて行った。


「……め……冥様、晶濟様? どうしましょう?」


「本当に、同じ種族だったらこれほどの逸材はそうはいないのに。……行くわよ二人とも、こうなれば最早止む無し。絶対に彼を始末するわ!」


 風華も晶濟も、そして始末の命を出した冥さえ、その表情は複雑だった。諦めることも、見逃すことも出来ない状況。龍吾の意思の強さ、覚悟を見せつけられた三人は苦渋の選択を決めた後、冥が先陣を切って追いかけると、その後に続いた。


 ※


 龍吾が辿り着いた駅は運が良いことに青山一丁目だった。

 既に駅内では新宿にて爆発があった事による放送が流れていたが、電車は動いている。このまま半蔵門線に乗れば用賀までは一本で行けるが、向かえば向かうほど冥が闇に飲み込んだ場所から離れている所。即ち人が大勢いる場所へと出て来てしまう。

 全身ズタズタに裂かれて出血していて、左腕に巻き付けた制服からは血が滴り落ちていて、右手には水晶の腕を持って走る異様な人間を周りの人が見ないわけがない。

 だが龍吾はそれすら意に介さず、電車へと向かい続けた。すると、不意に龍吾の足どりが重くなり、進む先から大きく曲がった。


 龍吾は走るのを止め、目の前を見ると額から汗が出始めた。


(何だ……視界が曇って……マズい! もう限界か? ダメだ、ここで死んだら色々と後で問題になる! 特に日本の駅では!)


 しかし龍吾の焦りを嘲笑(あざわら)うように、足取りはどんどん覚束なくなっていき、瞼も本人の意思とは関係なく降りて来る。

 人気が比較的少ない階段を登ると、上りの電車がホームにやって来た。

 三人が来る前にどこでも良いから乗って家に辿り着く。帰路につく龍吾のたった一つの思いが錆びついて軋む足に油を注ぎ、重い足を動かす原動力になっていた。

 電車のドアが開いて足を懸命に動かしていると、向かう先の地面が起き上がってきた。

 龍吾が妙だと感じたときには、その身が駅内にびしゃりと音を立てて倒れた。

 周りから甲高い悲鳴が上がり、それにつられてどよめきが起こる。

 倒れていた龍吾はゆらりと膝をついて立ち上がる。不思議と彼は苦悶や絶望的な表情はなく、むしろ眠りを前にした子どものような表情だった。

 痛みは感じず、ただ目の前が霞んでいき周りのどよめきや叫びも曇って聞こえる。意思はあれど身体は動こうとしない。不安も恐怖も、今や溶け果てて何も感じない。

 そんな中でも、まだ心残りはまだ残っていた。


(電車に、乗らなきゃ……。輝夜と、雛月に……最後くらい…………)


 龍吾の意識が白く染まり、瞼が閉じかけたその時、眼前から地を砕く轟音が地下に起こり、昇りかけた意識が強制的に戻された。

 目の前にいたのは家にいたはずの輝夜と、傷と血がにじんだ濃い紺色の袈裟を着た弓張がいた。

 輝夜は起き上がりながら血痰を吐くと、龍吾に気づいてないのか弓張を見ていた。


「中々やるじゃない貴女」


「……貴様もな」


 弓張が構えを取ろうとした時、唐突に輝夜の背後に目線を向けた。

 それに気付いた輝夜も背後へ振り返ると、足下に水晶と化した手が置いてある、傷と血だらけの龍吾が右手を輝夜へと伸ばしていた。


「━━龍吾!」


 弓張を無視して輝夜は血相を変えて龍吾に寄ると、龍吾は安堵の表情を浮かべて糸が切れた人形のように倒れた。弓張は構えを解いて、ことが終わるまで見守っている。


「龍吾! しっかりしなさい! ひ、雛月! 速く来て!」


 崩れ落ちた天井からフワリと雛月が遅れて降りて来ると、龍吾の変わり果てた姿を見て身体に衝撃が走り、龍吾へと駆け寄る。


「━━龍吾様! 出でよシラユリ! 彼を直ちに! 全力で救え!!」


 雛月の命が下る途中から既にシラユリは出現し、矢の様に龍吾の身体に入り込んだ。

 龍吾の身体から脂の乗った肉が熱した様な音が鳴り始める。


「雛月! どうなの雛月っ! 龍吾は! 龍吾は助かるの!? どうなのよ!?」


「大丈夫です! 大丈夫ですから落ち着いて下さい!」


 二人は弓張をそっちのけで、一人の少年を助けようとしていた。

 その様子を、周囲の野次馬が恐怖と混乱の場に慣れて遠目からスマートフォンで物珍しげに現場を撮っている。

 弓張はこの星の知識は皆無に等しいが、充満する雰囲気、集まっている者の目、口々にする言葉一言一句。それら全てが目の前で消えかけている命を助けることよりも、己の好奇心を優先し自己の満足を満たす為のゲスな行為である事は、知識に疎い彼女でも分かった。

 すると弓張から張り詰めた気配が周囲に放たれ、下衆な笑みを浮かべる人々を凍りつかせる。


「この不作法者共が!」


 弓張の一喝が地下内につんざき、野次馬を戦慄させる。同時に弓張の足下を中心に周囲に亀裂が走る。


「死の淵に立つ同士を、救おうとも思わぬ屑どもめ……貴様ら纏めて、死の淵へ叩き落としてくれるわ!」


 弓張の怒声と波動がホームの床を盛大に砕き、野次馬たちを吹き飛ばす。

 野次馬は各々が身体の自由を取り戻すと、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 帰宅ラッシュの時間帯、ホームには弓張と輝夜達の四人だけ。電車はあれど弓張の喝で、今や電気の灯った鉄の塊となり果てた。

「その者を先に治せ。続きはその後でも出来る」


 弓張の言葉を聞いた雛月は、敵と言えども信頼を寄せて、回復に集中した。

 水晶の部分がどんどん元の腕へと戻ると龍吾の肩にくっ付き、切れ目は跡形もなく消えた。

 龍吾が瞬間的に大きく息を吸い込むと、長く息を吐きながら目を覚ます。


「……輝夜……。雛月……」


「よかった……心配したわよ」


 安堵の表情を浮かべる二人を見ながら、龍吾は元に戻った自分の身体を見ると、ハッとした様に起き上がって自分の来た道を振り返る。

 来た道からはあの三人がもう追いついてもおかしくないはずだが、人影一つと無い上に足音一つしない。


「どうしましたか? 龍吾様」


「……二人とも、色々と言いたいが、まず一番言いたい事を、言わせてくれ」


「何?」


「何ですか?」


「駅内で戦うのだけは止めてくれ!」


 ※


 龍吾が輝夜達と合流する前、三人は駅の階段を昇ろうとしていた。

 血の跡が大きくなって行き、こっちに行ったぞと言わんばかりの分かりやすいサイン。その跡を追って三人は駅内を走っていた。

 すると冥が急に足を止め、前方を見定めた。

 何事かと風華と晶濟も遅れて足を止めると、冥はヴァジュラから光の刃を出して前方を見据える。

「二人とも、私の後ろに来るんだ」


「……え? どうして」


「風華さん、彼女の言う通りです。向こうから、何か……龍吾さんとは違う誰か、が……」


 晶濟が言い終わる直前に、進行先の改札口から一人の者が歩いて出てきた。

 兎のような長い耳飾りを頭に着けて、長い前髪は二つに分かれて細長い手のように見える。両方の肩飾りから伸びる白色と両脇が赤色の布地で、両胸を前面だけ隠している露出の多い衣装をまとった女性。

 腰には仏の面が彫られた草摺(くさずり)が左右に掛けられ、中央には草摺から吊られて、肩から伸びた紅白の布地が陰部を隠すように付けられている。

 三人は自分たちと同じ天月人であることを察したが、それと同時に寒気を感じ始めた。

 兎耳の女が三人に近づくに連れて周りの電気が点滅し始める。近づけば近づくほどに、明かりは点滅の間隔が不規則に長くなる。

 兎耳の女はまるで能面のような張り付いた、あからさまに自然の笑みではない作られた笑みを浮かべながら三人の前に立った。

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