厄日
六時間目の授業が終わると、掃除もなしに橋下がクラスの生徒を一瞥しながら教卓に立っていた。
一同は無表情な者から、早く帰りたいと心中で思ってることを誤魔化しつつ周りを見ている者から様々だが、少なくとも晴々とした気持ちでないのは確かだ。
「皆んなは知ってると思うが、ウチの高校はバイトは原則禁止だ。それは皆んな分かってるよな?」
橋下の言葉が耳に入って一番うんざりした表情を浮かべたのは龍吾だった。頬杖をつきながら窓の外を眺めようとすると。
「おい雪下! 今、大事な話をしてるんだ! どこを見ている!」
がなり立てる橋下を龍吾は小さく息を鼻から出しつつ、橋下の話に耳を傾ける。
「それでだ、最近ウチのクラスでバイトをしている生徒を見たと言う話を聞いた。それも毎日のようにな。心当たりのある人はいるか?」
まだ夏の日差しが夕刻に迫ろうとしているのにさんさんと照りつける室内で、龍吾の顔に影が掛かる。
「いないか。だがこのクラスに一人確実に分かる人がいる。お前だ龍吾!」
一同の視線が一斉に龍吾に向けられる。
(……おいウソだろ、マジかよ……)
「龍吾、お前は毎日のようにバイトに行っている。ウチの高校の禁止こと項を知ってながら、だ」
生徒たちは自分のことを棚上げして指摘されなかったことに安堵しつつ、橋下の口から述べられた明確な犯人に、にやけ顔を浮かべながら龍吾を見る。
「どういう理由があろうとダメなことはダメだ。それなのにお前ときたら━━!」
結局生徒たちの前での説教という名の公開処刑は、本来帰れる時間を二十分も超えるものだった。
説教から解放され帰路につこうとすると「今日もバイトかー?」「ダメじゃーんバイトしちゃー」といった茶化す声が龍吾に向けられる。
煮え立つ怒りを抑えつつ足を運ぶと、橋下が龍吾の名を呼んだ。
最悪の状況を作った張本人に悪態を吐きながらも橋下へと振り向いた。
「これでようやく分かったか? バイトは原則禁止だ」
「はい、分かりました。以後気をつけます。申し訳ありませんでした」
これ以上の波風を立てるのは勘弁と思い、口調も表情も悪態の片鱗も見せないようにしっかりと橋下の顔を見て反省の弁を述べた。
「以後? 以後じゃないだろ! 今すぐ辞めろと言っているんだ! 話をちゃんと聞いてたのか?!」
しかし何が気に食わないのか、橋下は重箱の隅を突くようなことを指摘して、またしても説教へと移った。
(……謝ったのに何でこうなるんだよ)
橋下の説教は他の生徒達も見ており、皆、見世物を見ている様に静かに笑いながら帰る者、部活に行く者、窓越しから見ている者と同情をかける者は誰一人いない。
すると説教中に橋下の背後から橋下を呼ぶ声がかけられた。しかし説教に夢中になってる橋下はその呼びかけに応えない。
「……橋下先生」
「後にしろ、今私は忙しい」
「橋下先生」
「うるさいな! 見てわから━━」
橋下が怒鳴りながら振り返ると、そこには中年より後半か、白髪交じりの初老の男性教師『長谷川』が立っていた。
「邪魔でしたか?」
「あ、あぁ……どうしたんですか長谷川先生」
怒鳴り散らしていた橋下が一気に縮こまった声色へと変わる。長谷川は特に表情を変えることもなく、橋下の後方にいる龍吾へと目を向けた。
「雪下に用があるんです。ちょっと雪下を連れて行って良いですか」
「あ、はい……どうぞ」
「ん。じゃあ、ちょっと来てくれるか?雪下」
特にこれと言って特徴もクセもない長谷川だが、橋下は弱みでも握られているのか態度を一変し、龍吾と長谷川はその場を後にした。
長谷川に連れて来られたのは備品や小道具、学芸会などで使う物が置かれながらも整えられた倉庫代わりの空き教室だ。
その奥に一人分の席と事務机が置いてあり、長谷川は小道具の奥から適当に座れる丸椅子を取り出すと龍吾に「まぁ、座んな」と言って龍吾が座った後に長谷川が座った。
「話は聞かせてもらったよ。だからと言ってお前を責める気はない。ウチのクラスだってバイトしてるヤツはザラにいるからな」
「それで、今日はどうして俺を?」
「あんまし変わんないが、俺も雪下のバイトのことを聞きたいんだ。……って言ってもアレの後だ。嫌気が差すのは分かる。だが俺が聞きたいのは雪下のバイトの日数だ」
長谷川は静かに片手を少し前に出して静かに話し始める。
「俺がこれまで教師やって来て、バイトしてるヤツには大概特徴が三つある。一つは、単に遊びたいから金を稼ぐヤツ。二つ目は、携帯代とかを払う為に働くヤツ。三つ目は、家庭が貧乏で親御さんと共に働いてるヤツ」
片手で指を三本出しながら「この三つだ」と特徴を述べた長谷川は、一呼吸置いて龍吾の方へと顔を向ける。
「……雪下は携帯代とか遊ぶ為にバイトしてるとは思いにくい。しかも毎日となれば尚更だ。ならば三つ目かと問えばそれも違う。雪下、お前は俺ら教師にはもちろん、親御さんにも話せない理由があって働いてるのか?」
龍吾は長谷川の的を射ている推測を聞いて、背中から汗がジワリとにじみ出している。だが長谷川は全く表情を変えず背もたれに寄りかかって、しばらく話さなかった。
しばらくと言っても一分も満たないほどの時間だが、龍吾の背中からは汗が滝のように流れており、それが龍吾の時間の感覚を狂わせる。
「……先生は……そのことを注意しに?」
「注意と言うか、それ以上にお前の健康が心配なんだ。それは教師だからってのもあるが、側から見ても今のお前は、自分を酷使し過ぎてる」
長谷川は周りに目を配りながら、「タバコ吸っていいか?」と聞いて来たので、龍吾は首を縦に振った。
長谷川はタバコを口に咥えると、ひし形の中に旭日模様が刻まれたライターを取り出し、タバコに火をつけた後ポケットにしまった。
備品の隙間から覗く窓の外には生徒達が和気あいあいと帰って行く。その様子を見ながら煙を窓へと吐くと、長谷川は呟くように龍吾に言い始める。
「昔なら似たようなヤツはゴマンと見た。だが今は違う。毎日働かなければならないなんて、よほどの理由がなけりゃ、そうはいない。雪下が何で毎日働くのか。その理由は言いたくなければ、言わなくていい。だが……自分の身は大切にしろ。その身体は一つしかねぇんだ」
長谷川はタバコの煙を天井に向けて吐くと、「それだけだ」と言って龍吾を帰らせた。
校門の前で龍吾は長谷川がまだ居るであろう教室を見ながら、学校を後にした。
※
新宿の駅前は大小問わず学生や会社員、私服で出歩く人に観光に来たであろう外国人で、ごった返していた。
その一角に、今ではすっかり数が激減した電話ボックスに入り、龍吾は十円玉を入れて電話を掛け、呼び出し音が数回鳴ると、受話器の向こうからこれまた中年よりの男性の声が聞こえ来た。受話器の向こうから聞こえる声は、龍吾の仕こと先のマネージャーだ。
「あ、お疲れ様です! 雪下です。すいませんが電車が止まってしまって、着くのが大体……」
「雪下か? 確か、今日入れて今週来週とシフト入ってたよな?」
「……そうですが?」
「そうか。そしたら急で悪いが今月と来月は来なくていいぞ」
「ど、どうしてですか?!」
「簡単に言うと、労基の人が来たんだ。全員のシフトのチェック受けて、龍吾のシフトが多過ぎるって指摘受けてな。それでだよ。悪いが今月は今日の分を入れた分だけ送る。来月は悪いが我慢してくれ。じゃあ、お疲れさん」
受話器からは音が途絶え、龍吾は虚空を見つめながら受話器を置いた。
最悪のときに最悪が重なるとは、まさにこのことである。今月を仮にしのげても、来月の収入は完全に途絶えた。ひっ迫していた状況がいよいよ限界を迎え、龍吾は未だ夕方とはほど遠い空を見上げながら、ため息を吐いて駅前を歩いていた。
(……今度こそ本当にお終いだ……。売れる物なんて何もない。あっても小銭程度にしかならん……。それに、今は何も反応がないけど、未だ借金だってある。一体どうすれば……)
途方に暮れる龍吾が歩道橋の下をトボトボと歩いていると、歩道橋の空きスペースにバスケットボールを一回り小さくした大きさの水晶玉を傍に置いた、いかにもという感じの占い師がいた。
「占い〜占い〜。占いはいかがですか〜?」
日陰の下にいるにも関わらず、フードを被っている若い女性の占い師は焼き芋屋のような謳い文句使いながら客引きを行なっている。
だがそんなことよりも、眼前にそびえ立つ現状に屈しようとしている龍吾は、何も言わず通り過ぎようとした。
すると占い師が「そこのお兄さん?」と声をかけてきた。最初は龍吾のことではないと思い、龍吾は歩みを進めたが、「そこの暗い雰囲気真っ盛りのお兄さん」と言われ龍吾は占い師の方へと顔を向けた。
「占いをしていきませんか? 今なら初回無料ですよ〜。何か大きなお悩みがありそうですし、私が占いますよ〜」
悩みという万国万人が持っているであろうものを指摘されたからと言って、特別心中を見抜かれたような驚きは龍吾には湧かなかった。
だが今となっては、良くも悪くも時間に余裕が出来た身。何より無料ということもあり、時間つぶしと現状から少しでも逃避出来るならと思い、机の前に置いてある黒い椅子に座った。
「はい。それでは占いますね〜。貴方の利き手はどちらですか?」
「右利きだけど」
「では左手を占いましょう。左手を出してもらって良いですか?」
龍吾は左手を出すと、占い師は左手を触り片手で水晶玉を撫でる。
「手相占いで水晶玉を使うんですか?」
「はい、使いますよ〜。私は手相を見て、そこに太陽の位置と月の位置を照らし合わせ、星の動きを見ます。そして貴方の手から伝わる、霊的波動をこの水晶玉に集約させて、貴方の運勢を天から引っ張って来て占うのです〜」
全世界の占い師が驚くぐらいに詰め込んだキメラ式占いに、龍吾は早くも帰りたそうな面持ちとなった。しかもそれを何の疑いもなく言うものだから、尚更である。
「〜〜°%|\^<=$☆♪♪々8〆々々〜〜」
そして占い師は龍吾の掌をなぞりながら、念仏とも呪文とも分からない、意味不明の言葉を唱え始めた。
もうここまで来ると、占われている側が恥ずかしくなって来る。一通り占い師が唱え終わると、「キシェー!」と奇声を上げた。
「お待たせしました、結果が出ました。結論から言うと、貴方の全体の運命は大吉です」
龍吾は軽く目眩を起こした。手相から始まり、キメラ式の占いが行われ、占いと言うより降霊術めいた過程を経て、言われた言葉が大吉である。龍吾は最早考えるのをやめて脱力した。考えたら負けだと、確信したからか。
「……その顔つきは信じてないって反応ですね!」
「誰だってそう思う」
「まぁ疑われても仕方ないと思いますが、私の出した結果は本当ですよ。今は金銭的にひっ迫した現状ですね」
「本当って言われても……ん? ……待て、アンタ何で俺の現状を知ってるんだ?」
「貴方の手相と霊的波動を感じたからです」
(手相に霊的波動は関係あるのか?)
突っ込んだら負けだと思ってる龍吾は、喉元から出かけてる言葉を必死に抑え込んで、口を噛み締めている。そんな彼をな視して占い師は続けた。
「貴方の運命は、いわば先憂後楽。今はその憂き時ですが、今の状況は……そうですね……大体ですが四日以内には改善されます。そしてその後、貴方は運命の選択を迫られます。丁字路を右に行くか、左に行くかのような選択です」
占い師はいたって真面目に答えている。声色や口調を察するにふざけている所は感じられない。
「その道は先で繋がってはいません。一度決めたら引き返すことも、やり直すことも出来ません。ですが、その選択にきっと貴方はすぐ答えを出せるでしょう。困難な試練もこの先沢山ありますが、貴方なら乗り越えられますよ」
絶望の真っ只中にいた龍吾にとって、彼女の言葉は温もりのある救いの言葉のようだった。
落ち込んでいた龍吾の表情は、今や無意識の内に微笑みを浮かべていた。占い師も龍吾の顔を見て、「喜んでくれたなら何よりです」と笑顔で返してくれた。━━そして見てはならないものまで、見てしまった。
「……あのー、貴女は白眼がないんですね。何か目に付けてるんですか?」
「いいえ〜付けてませんよ〜」
「ということは、生まれたときからですか?」
「そうですよ〜不思議ですよね〜」
「何か水晶玉が浮いてますけど」
「タネも仕掛けもありませんよ〜不思議ですよね〜」
「……すいませんがフード取ってもらって良いですか」
「風土? どういう意味ですか?」
「被り物取ってもらっていいですか」
「あぁ!」と言いたげだな表情で占い師はフードを取ると隠れていた長い耳がぴょこりと出て来た。
「……随分と長い耳ですね」
「不思議ですよね〜」
言うが早いか龍吾は弾かれたように逃げると、座っていた席と占い師との間を隔ていた机がみるみる内に影へと溶け、手の形に変わって龍吾の背中から掴もうとする。
しかしにスミレ瞬時に現れて二つの闇の手を切り裂き、龍吾は駅の中へと駆け込もうとした。そこに二人の影が落ちてくる。
「待っていたわよ! 人間!」
「今日こそお覚悟願いますよ!」
はち切れんばかりの胸の持ち主。露出の多い服装で、同じく胸が大きい少女。そして他の天月人に比べれば、聞き飽きたと言いたくなるほどに聞いた声。
「またお前らかよ!」
龍吾は冥と風華を見ながら全速力で別の出入り口へと逃げ出した。
風華は両手を前に出すと、周りの人など御構いなしに、自分の方へと吸い寄せる猛烈な風を生み出す。
その間、冥はヴァジュラから光刃を出すと、風で態勢を崩した龍吾を捉えて斬りかかる用意をした。
冥達の元まで後わずかの距離に迫った時、龍吾は開いたドアの取っ手を掴んで、よじ登るように駅内へと逃げて行った。
それを見た風華は両手からの風を止めると、風で引き寄せられた多くの人や車や物が重力によってボトボトと落ちて行く。
冥達の背後から先の占い師が靴音を鳴らしながら歩いて来る。
「奴が中に逃げた。でも能力は既に発動しているんでしょう?」
「はい、もう彼は私から逃げられませんよ〜」
「よし、風華! 晶濟! 奴を追うわよ!」
「了解です!」
「逃がしませんよ〜」
不敵に笑う冥と風華。そして晶濟と言う名の占い師。その三人から逃げる龍吾は駅の中でついに心の叫びが口から出てしまう。
「今日は厄日だ!」




