霹靂
「皆さんは『人』と言う字を見て、どういう風に見ますか? ある人は、互いが互いを支えている様に見える。と言う人もいれば、一方がくつろぎ、一方が支えている。と言う人もいます」
タンポポのような眩しい黄色の長髪をたくわえた、縁のない眼鏡をかけた女性教師『雷花』の言葉を、見た目こそ大人より少し小さいほどだが、未だ西も東も分からぬ年頃の真っ白な肌が眩しい生徒達は真剣な眼差しで聞いていた。
「私は、互いが互いの手を取り合っている、という風に見えます。もちろん、人の書き方によってはそうは見えないかもしれませんが。知っての通り、人と言う字は一回では書けませんね?」
雷花は縦長の万年筆を、映し出されている白いモニターに縦の棒を一本引いた。
「一つの線では『人』では無く『1』です。これを人と読む人はいませんし、そもそも読めません。ですが、そこにもう一つ線を加えて、初めて『人』と言う字が出来ます」
先に引いた縦の棒が、映されている画面を指先で弾いて消し、真っ白の画面に漢字の「人」を書くと、教棒を収納させながら「それでは何が言いたいかと言うと」と言いながら生徒の方へと目を向けた。
「人は一人では何も出来ない、と言う事です。私達には能力があるとは言え、一人で生きて行くのは到底難しい事です。貴方達はこれから大きくなり、成長します。私は人と言う字を、人と人が手を取り合っていると言いました」
「ですが世の中には、そんな手を取り合って生きて行こうとする人を利用して生きている者もいます。残念ながらそういう人の方が多いのも事実です。しかし、そういう人は必ず最後は一人となる。自分の為だけに他人を利用して、最後に捨てる人は必ず真の一人となる」
雷花は静かに、それでいて力強く生徒達に語る。
「誰からも助けられず、誰からも信じられず、誰からも関わらなくなる。そうなった時、人は人で無くなるのです。みんなも、これからは手を取り合って生きて行く正直で素直な人になりましょうね。それでは授業終わり!」
教卓に乗せられている小さな銅の鐘を二回小槌で叩くと、生徒達は全員起立して「ありがとうございました!」と少年少女らしい元気で、はつらつとした声で挨拶をした。
雷花が笑顔で教室から出ると、そこで待っていたと言わんばかりに、子どもと見紛うくらいの小柄な体格の学校長が慌てて雷花に駆け寄って来た。
「校長先生、いかがされたのですか?」
「雷花君、大変なこととなった。唐突で事態を飲み込めないと思うが、今すぐこのまま帰るんだ。持ち物は後で送るから!」
真相を確かめるより前に、校長の後方から廊下一面を塞ぐように身体にピッタリと装着された軽装ながらも強固な装甲を着た兵士が、雷花の元へと歩み寄って来た。
それは月の世界で知らぬ者はいない、政法殿に属する軍の者だ。
あまりに異様で、校長の言う通り唐突過ぎる出来事に雷花はもとより他の教室にいる教師は唖然とし、生徒たちは恐怖で震えている。
「な、何用ですか? 政法殿の方々が我が校に来るなんて」
「それは私の口から言わせてもらおう」
鎧兵が道を開けると、そこには神無の側近にして右腕である神刺が雷花の元へと歩いて来た。
氷のように冷たい眼差しに、つけ入る隙さえ見せない面持ち。見る者を威圧させ慄かせるそのたたずまいは、目の前の存在が今まで多くの者をその手にかけてきたことを語らずとも分からせるほどだった。
「校長、神無様からの言葉は伝えたか?」
「い、いや……これから……伝えようと。さ、最近は腰が悪くなりましてね。歳をとると体が思うように動かないから困ったもので」
苦笑する校長の言葉が言い終わる前に、神刺は周囲の目なぞ気にも留めず、校長の顔を鷲掴んでその小柄な身体を浮かせた。
「嘘をいうな校長。伝言は既に半刻前に伝えていた。見え透いた嘘は良くない」
「や、止めて下さい! 生徒たちがいるんですよ!」
雷花の言葉を聞いてか否か、神刺は校長を乱雑に降ろすと雷花の方へと目を向ける。
「お前が雷花か」
「左様ですが……一体何ですか?」
「単刀直入に言う。お前に徴兵の命を下す」
その言葉を聞いた雷花は、一瞬意味が分からず真顔で神刺を見たが、直後その意味が歯車と歯車が合致するように理解したとき、神刺の口から告げられた言葉に憤慨し反抗した。
「何を言っているのですか!? 私は一教師で、戦場や軍とは無関係の身ですよ!? 何故私が徴兵されなければならないのですか!」
「これは命令だ。それに、お前に理由を一から十まで述べなければ分からないのか?」
「当たり前です! 理由無き強制徴募なぞ、無法も甚だしい事この上ありません!」
神刺は小馬鹿にしたような溜息を吐くと、またしても雷花の身を震わせる一言を放つ。
「そうか、なら仕方ない。では、ここの生徒たちを使うとするか」
雷花の顔が、氷風呂に投げ入れられたように凍りついた。対して神刺は、まるで悪意を感じていない顔振で、むしろしたり顔で雷花のいた教室を除く。
教室内では外の騒ぎで生徒たちが全員困惑した表情で、扉窓を見ていたが神刺の顔が教室に向けられると、皆一様に恐怖に包まれた。かたわらにいる友にしがみついたり、その場で立ち尽くしたり、ある者は今にも泣きそうに震えている。
「……何を言っているのか分かっているんですか? まだ十にも満たない子どもを戦地へ送るなんて……」
「世知らずな女だ。世界に散在する形態の傭兵には、十にも満たない子どもなぞ普通にいる。子どもは大人の不意を突くのに最適な人材だ。ましてあれぐらいの年頃の少年少女なら、誰だって緊張の糸を緩める。戦力としては論外だが、それを利用して不意を突いたときに自爆か何かさせれば、誰だって無傷では済むまい」
「ふざけるな! 子どもの! 命を何だと思っているのですか!」
それを聞いた神刺は、凍りついた光のない眼を雷花に向ける。まるで命というものは、道端に咲いてる花ほどしか、価値の無い物だと言わんばかりに。
「ふざけるな? お前、先ほどから言わせておけば、ようも壮語を吐く奴だ」
神刺の冷たい眼が光を放つと、右手が赤黒く変色して肉と一体化した禍々しい刃を雷花の喉元に添えた。
「お前は所詮ただの一国民。そのお前に命を下したのは三月皇が一人、神無様だ。教鞭を振るう者なら、立場の差位は勉強して来たはず。それが分かってて、なおその発言をするなら大した者だ」
刃が雷花の喉元に軽く触れる。裁縫針が刺さったような、小さな痛みが雷花の喉元で踊る。
「しかし今のお前は、もう一度教育が必要みたいだな? 選べ、今生で学び直すか、来世で学び直すか」
雷花に向けられた言葉、狂気と悪意に満ちた眼が雷花を震えを加速させる。
そして神刺の言った言葉が、逃げ場のない選択肢だと理解した瞬間、もはや雷花に選択の余地は無いのだと悟った。
数分かあるいは、分にも満たない僅かな時間か。沈黙と緊張が周囲に張り詰め、誰もかれもがその場で凍りついたように動かない状況の中、雷花の声がその凍てついた空間を壊した。
「分かりました……。私が……私が行きます」
その一言を聞くと、神刺は腕を元に戻して、踵を返して帰ろうとした。
「ですが、私から一つだけお願いがございます。何も貴女の立場や、状況を根底から覆すような要求ではありません」
面倒臭げな表情を浮かべながら、雷花の方を向かずに、神刺は要求に耳を傾け始めた。
「何だ」
「私がこの学校の、最初で最後の徴兵者にして下さい。子どもたちはこの月界の未来を担う大切な存在です。その子ども達に教育をする教師もまた然りです。教える者、ここに在らずでは子どもは育ちません。なので金輪際、我が校には関わらないで下さい」
「……なら早く用意をしろ。私は忙しいのだ」
突然の訪問。突然の強制徴募。何もかもが突然で、あまりに一方的な出来事が過ぎ去った。
人という物を説いたその後で説いた本人が人に利用される事になるとは、なんたる皮肉なことか。
帰宅後は雷花の両親に事の顛末を伝え、一同涙を滝のように流した。わあわあと泣きじゃくる母と、悔しさと悲しみを必死に堪える父に別れを伝え、一夜の準備を整えると政法殿に赴いた。
雷花がしくじれば、本人の処刑だけで神無は終わらせない。必ずや自分の学校に手を出す。もう彼女の瞳から迷いは消えた。対象の輝夜を決死の覚悟で仕留める。その背中には愛する生徒たちの未来がかかっているのだから。
一筋の光が月から射出される。向かう先は地球の、日本。
※
場は移って地球。
冥月達と遭遇した所から撤退した所までの出来事を龍吾の口から告げられ、輝夜は口元に手を当てていた。
「じゃあその二人は神無側が動いていたことを知らなかった、ということ?」
「そうなるな。そもそも神無が関わってることも初めて知った。って言わんばかりの反応だった」
「まぁ、初めて会った時に貴方も狙うって言ってた時点で、薄々勘付いていたけれど……。貴方と一緒にいたスミレもその場を見てるのでしょう? どうなの? 雛月」
輝夜が雛月に目を向けると、龍吾の身に宿っているスミレを雛月の身に戻し、一分ほどの間を空けた後、思案に耽る面持ちで雛月が答え始める。
「龍吾様の言う通りです。あの二人の表情は嘘を言ってるようには見えませんでした」
「どちらにせよ、私の命を狙う連中は神無だけでは無いということがこれで明確になったわ。一方の首謀は分からないけれど、いずれ尻尾を見せるでしょ」
「ですが、あの二人の素性が分かりません。ましてやあの二人の所属する組織は、お世辞にも力のある組織ではありません。そんな二つの勢力が、輝夜様と龍吾様を狙っている。私たちと一緒なら問題ないのですが……。お勤め場所が遠いので、いざというとき私たちがすぐに助けに行けないというのが現実です 」
すると輝夜は雛月の言葉を聞いて、思い出した様に「あっ」と言って龍吾の方を見た。
「そういえば前からずっと思ってたんだけど、貴方は何でそんなに働いているの?」
とたん、龍吾は淀んだ顔に一瞬で変わり、不機嫌そうに輝夜たちを見るようになった。
「お前分かってて言ってるのか? 今更言わすなよ」
「借金があると言うのは知ってるわ。でも、私は今日まで一緒にいて、貴方が借金を作ってまで散財するような人間だとは毛頭も思えないの。貴方と出会ったとき……そう、素性が分からなかったから一回は突き放してしまったけど」
「そろそろ飯にするぞ」
目を伏せながら、明らかに不機嫌そうな声で輝夜の問い掛けを無視し、龍吾は台所へと向かって行った。
「……龍吾、私の問いに答えなさい」
輝夜が問い詰めて追おうとしたとき、龍吾は足を止めて喉奥に溜まっていた息を吐きながら輝夜へと振り向いた。
「お前、自分のしでかしたことがどういうことだったか、自分の胸に聞いてみろよ。それに、俺が話したらお前は自分の過去を話してくれるのか?」
龍吾の言葉に輝夜はハッとして言葉を失い、普段からは想像もつかない、おどおどした表情へと変わった。そんな輝夜の表情を察してか否か、龍吾も何も言わず踵を返して調理の準備に取り掛かった。
二の句が出ない輝夜の正面に、雛月が恐る恐る出て、輝夜へと話し出した。
「輝夜様、ここは何卒お引きになりましょう。誰にでも安易には話せぬ秘密の一つはありますから……」
「……なら貴女は知ってるのでしょう? スミレは彼の中にいた。精靈は主人と文字通り一心同体。過去の記憶も同体と化す過程で彼の心中も見ることが出来るはずよ」
「龍吾様にスミレを渡してからさほど時間は経っていないので、スミレも全ては知りません。従者たるもの、主人に逆らう形で申し訳ありませんが、どうか御理解をお願いします」
輝夜の顔はこわばるばかりで、雛月もまた互いの過去を知ってしまったが故に、気まずく重い空気の中、それ以上の言葉は出さなかった。
その日の食事はちんげん菜と白滝のスープと小松菜とご飯。月には無い野菜と、龍吾の作る独特の味が二人の舌へ円やかに滑り込み、輝夜が「いつも貴方の味には感心するわ」と龍吾に言うが、一回だけ頷くだけでそれ以外の返事はない。
食は円やかなれど空気は鉛のように重く、四方八方から縮まってくるみたいに息苦しい時間だけが無駄に過ぎて一日は終わった。
※
次の日、龍吾は学校に行く為の準備を終えて、玄関先で靴を履いていると、背後から輝夜が「ねぇ」と呼びかけて来た。
龍吾が見返ると輝夜は、親に叱られた子のように縮こまり「無理だけはしないでね」と、か細い声で龍吾に言うが、心ここに在らずという感じに何も言わず学校へと向かって行った。
残された輝夜は誰もいない玄関を何も言わずただジッと見ていた。その心中で昨日の龍吾の言葉が輝夜の中で反芻する。
(俺が話したら、お前は自分の過去を、話してくれるのか?)
輝夜の身体は小刻みに震えていた。彼女の封じられた消し去りたい過去。それを安易に話す事は並大抵のことではないし、そんな勇気は持っていない。
だが輝夜は、愚かにも自分の事を棚上げして龍吾の過去を掘り出そうとした。自分の過去さえ、まともに話せない身でありながら。
「バカね私って……」
床に就いている雛月だが、薄らと目を開け輝夜の呟きはしっかりと聞いていた。輝夜の方にも、龍吾の方にも味方出来ない身の狭さに、雛月は無力感に打ちひしがれていた。




