果て
駆け寄る鴉と単。亡霊のような出立で立つ輝夜。
残された時間は少ない。二人は決死の思いで輝夜へと向かう。
輝夜はというと、すぐ近くの民家に入ると何かを持ちながら出て来た。
それに構わず、鴉は能力を発動させながら単に命じる。
「単、奴の動きを止めて準備しろ」
「応ッ! 今度こそ確実に仕留める! 終符! 蛇皇眼!」
単の目が光り始めた瞬間、輝夜は手に持っていた物を単の方に向けた。
鏡だった。西洋風の作りで出来た木縁に、上半身が丸々映し出せる縦に長く作られた丸鏡。そこに単の姿が反射して映される。
単は見た者を固定させる終符を発動している。それが鏡に反射して自分自身を見ている。
ならば単は自分の能力で動けなくなり、哀れにも輝夜が味わった動きたくても動けない感覚を、身を以味わう━━と、輝夜と龍吾は予想していたようだった。
ところが単は一行に止まらず、逆に輝夜と龍吾の方がその場で動けなくなった。
「そんな物が通じると思ってるのか! 蛇が自分の目を見て失神するか!?」
「……あらあら、これは意外だわ」
「か、感心してる場合かよ!」
「馬鹿が。自分の無知さを晒しながら逝ってしまえ! 輝夜!」
「……無知? 果たしてそうかしら?」
刻一刻と単が向かって来る。
鏡を持ったままの輝夜へ単が攻撃に移ろうとしたとき、彼の目に違和感のある光景を鏡が映し出していた。
着いて来ていたはずの鴉が後方にいる。だがその姿勢が不自然だった。
それは野球の投手が、球を今まさに投げようとしているような姿勢で鴉は固まっていたのだ。
「……か、鴉!」
鏡では単の視線を反射しても、単本人には通じない。
しかし鏡に反射した視線は後方にいる鴉を捉え、彼の動きを止めてしまっていた。
「あぁっ! の、能力を解除しなきゃ!」
慌てふためく単が能力を解除したことで鴉だけでなく輝夜と龍吾にも掛けられていた固定が解けると、輝夜は持っていた鏡を龍吾に手渡して単の元へと向かう。
単が輝夜の気配を察知して振り返った時、単の腹に輝夜の拳が突き刺さる。
悶える単を掴むと、次いで輝夜は街路樹が植えてある土を握り、それを単の瞼を強引に開かせ、叩き入れた。
「うあああっ! ……目っ、目がっ! 目がぁっ!」
単はつぶらな目を両手で必死にこすって土を拭おうとしているが、目の痛みと腹部への重い一撃が加わってか呼吸がままならない状態で叫び、悶えている。
能力が解けた鴉が急いで単に駆け寄る。
「単、落ち着け! 冷静になるんだ! 目が使えないなら俺の匂いと声を聞け」
単は視覚から鴉の言う通りに、嗅覚と聴覚の方に意識を切り替えて鴉の方へと顔を向ける。
それに合わせて鴉の手から大量の破片が放り投げられた。
単は石と石が打つかりあう音で大まかな量を計ったか、破片を吸い込もうとする。
そこに先ほど輝夜から食らった攻撃が単の腹部を痛め付け、途中で吸い込みを止めてしまい鴉の投げた破片の山の全てを吸い込む事は出来なかった。
一方輝夜は、単が石の山を吸い込み始めたと同時に右脚を後方に回して力を溜め始める。
支点となった足元がどんどん割れて、輝夜のいる周囲は足を中心に深い亀裂が走る。
単は覚束ない呼吸で禍々しい気配の方向へと吸い込んだ石の山を噴出した。
だが万全の状態ではない為か、噴出の勢いは先の噴出に比べれば勢いは格段に落ちている。それでも輝夜の元へと噴出するには十分な勢いではある。
鴉は輝夜に破片が迫った瞬間に起爆を試みようと、破片の濁流を凝視する。
雲霞の如く破片の山が輝夜に迫り、輝夜の眼前を黒い破片が覆い尽くす
(今だ。起爆)
鴉が起爆の意思を、終符に掛けられた破片に伝えた瞬間。
輝夜の右足が解き放たれ、単の噴出の勢いを無視して眼前の破片を蹴りの衝撃波で跳ね返した。
「なっ……ひ、単!」
鴉は単の方へと戻ってきた破片を見るや否や、単の髪を乱暴に引っ張って後方に放り投げた。
鴉が振り向くと、跳ね返された破片が光を発しながら鴉の周囲で一斉に爆発した。
文字通り自爆した鴉はそのまま倒れ、完全に意識を失ってしまう。
爆音に気づいた単は涙交じりの目で前方を見ると、爆煙とその下で横たわる鴉の姿が目に入った。
「か、鴉! 鴉!」
単は腹部と目の痛みも忘れて駆け寄るも、鴉は戦える身ではなくなっていた。
輝夜はしたり顔で二人を見ていると、単は涙目ながら怒りの表情で輝夜を見定め構えを取る。だが輝夜は単に背を向け、龍吾の方へと戻って行った。
「お、おい! 何をしている輝夜! まだ僕は戦えるぞ! 来い! 僕と戦え!」
ドレスから生えた触手が器用に雛月を下ろすと、輝夜は単の方へと振り向いて答える。
「その必要はないわ。もう決着は着いているのよ、坊主」
「な、何……?」
「貴方に打ち込んだ即興の治療剤はもうすぐ効果が切れる。そうなれば治療剤を打たれる前。つまり立つ事さえ困難な状態に戻るのよ。意気込みは素晴らしいけど、貴方は負けたの。この勝負はもうこれでお終いなのよ」
「な……な、ならば! 効果が切れるまで戦うまで! どちらにせよ僕はまだ……」
単が言い終える前に自分の足が突如笑い始め、崩れ落ちる。
それは恐怖から来る震えではない。輝夜の言う通り治療剤の効果が切れた物で、単は愕然とした表情で自分の足を見る。
顔や身体、四肢のあちこちから眠っていた痛みが思い出したように目を覚ます。
単の身体は、今や輝夜からの攻撃によって立つことさえままならない本当の状態へと戻っていく。
「……そ、そん……な! 待て、輝夜! 僕は……僕…は……!」
倒れながらも輝夜を引き留める単の要求は虚しくあしらわれ、輝夜と龍吾に担がれた雛月は単を無視して去って行った。
悔しさと敗北感に飲まれ、悔し涙に目を濡らす単はもういなくなった相手に、届かぬ言葉を投げていた。
夏の日の下に死闘は決着を迎えた。
※
帰宅した龍吾たちは、無事に戻って来た事に安堵しつつ雛月をどうすれば良いか輝夜に尋ねる。
「雛月……目を覚まさないけど……死んでるんじゃないよな?」
「魔力が完全に底をついているだけよ。矢継ぎ早で悪いけど、また食事を作ってくれるかしら」
「……輝夜は大丈夫……なワケないよな。……とにかく治療を」
「このくらいなら別に問題ないわ」
「大ありだ。もう輝夜も休みな」
龍吾に言われた輝夜は少しだけ口元に笑みを浮かべると、龍吾の背中を見てギョッとする。
「……龍吾……背中が大変よ?」
「そりゃあ分かってるけどよ、背中が一体全体どうなってるのか分からねぇんだ。俺の背中はどうなってるんだ?」
「石が幾つか刺さってるわ。流石にそのままは危険ね。荒治療だけど破片を取ってあげるわ。痛いのは嫌かしら?」
「お前のに比べたら屁でもないだろ。少しくらい我慢出来る」
「そう。じゃあ遠慮なく」
そう言うと輝夜は、本当に遠慮なく龍吾の背中に刺さった石を無造作に取っていく。
飛び跳ねるような激痛が全身に走り、その度に龍吾の食いしばった歯が露わになる。合計で六個もの石を取り除いた輝夜は最後に龍吾の背中に白い光を灯し始めた。
それは以前借金取り達から受けた暴行の傷を治した使い捨ての術式。
光が体の中へと入ると背中に出来た傷は、全て細かな粒となって空へと消えた。
龍吾が声を上げるほどの激痛が嘘のように消えて行くのを感じて、引きつった表情が元へと戻っていく。
「使い捨てだけど、しないよりマシでしょう。雛月が先に起きたら今度こそ治してもらいなさい。変に動くとまた傷が開くわよ」
「それで輝夜は。輝夜はどうやってその傷を治すんだ」
おもむろに龍吾へと差し出された、無駄のない輝夜の腕は火傷と切り傷で満たされていた。
しかしよく見ると、輝夜の腕から傷の類が徐々に薄まって消えていく。自己再生の映像を早回しで見ているかのように、負傷していたところが見る見るうちに無くなっていく。
「これが私たち天月人の体質なのよ。戦うことに特化している私たちは、自己治癒の速さも進化しているの。雛月だってそう。だから治療なんていらないのよ」
「……本当か? やせ我慢とかじゃないのか?」
「あら、私のことを心配してくれるの?」
少しばかり茶化した返しに、しかし龍吾は少しの間さえなく平然と返した。
「当たり前だ。輝夜であれ雛月であれ、傷ついたヤツ目の前にして放ってなんかおけるか」
真っ直ぐすぎる返しに言葉が詰まった輝夜は「そう」と一言だけ言うと、その場で横たわった。
「少し、疲れたから寝るわね。食事は雛月を先にして、私はその後でいいわ」
「……本当に大丈夫なんだろうな。永遠に起きないなんてないよな?」
輝夜は不敵に、しかし角のない笑みを龍吾に向けながら「大丈夫よ」とだけ言うと、静かに寝息を立てて眠りに落ちた。
龍吾はすぐさま今し方買ってきた食材を使って料理に取りかかった。
※
ふらふらと覚束ない揺れを感じ、鴉が目を覚ます。
霞んだ視界には単の翠色の後頭部が一面に映っていた。
「……ひと……え?」
「おはよう……鴉。もう大丈夫だからね……」
大丈夫と言う単は息も荒く、足取りもおぼつかない。
一歩歩く度に体中に重い痛みと刃物で刺されるような激痛に顔が歪むが、鴉が何を言おうと頑なに単は降ろそうとはしない。
すると単の視線の先に、一軒の店が視界に入る。
それは輝夜と戦う前に立ち寄った、喫茶店『ぽえむ』だった。
(……この店……さんど、いっち、と……珈琲だっけ。美味しかったな……)
単がついさっきの記憶を蘇らせながら、店の前を通り過ぎようとしたとき、店から慌てた様子で店主が出て来た。
「そこの貴方たち! さっきのお客さんですよね?」
「……人違いですよ」
「いえ、私の記憶が間違ってなければ、その声はさっきの眼帯を着けていたお客さんですね。理由は聞きませんが結構無茶したようですね」
「……貴方には関係ない」
「今さっきまでいたお客さんが、そんな状態で帰って来た、となれば無関係なんて言えませんよ」
「そんな馬鹿を……」
強がる単だがとうとう体の限界が身を激しく揺さぶり、単はその場でうずくまるように足を折ってしまう。
単の背中から降りた鴉は、単の衰弱ぶりに険しい顔つきとなっていく。
「そこでそのままにしても、体は良くならないでしょう。私としては、さっきのお釣りの件でお話しもあるので、一度こちらに来て欲しいのですが」
鴉は店主の言葉に根負けし、単を連れてぽえむの中へと戻って行った。
※
シャッターが閉まった無人の店内で、単と鴉は最初に座ったところと同じところに座って、お互いに簡単な治癒術を使って身を回復させていた。無論、彼らは術式に長けた者ではないので、その効果は薄い。
「一つお聞きして良いですか?」
三人だけの店内。
静かなジャズと調理している音が当たり障りなくマッチする中で、店主が二人に問い掛ける。
「あなた方は、ここの世界の人では無いですね? どこから来たんですか?」
「言って信じられる所じゃねぇよ」
「一つ目のお客様と、欠けた長い耳と火傷痕をお持ちのお客様。これを見て別の世界から来ました、と言っても何ら不思議とは思いませんよ」
鴉と単は数秒黙っていたが、単は静かに店主に答える。
「月です。僕たちは……月から来ました」
「月……。ということは、先ほどあなた方が無茶をしたであろう相手も月の方ということで?」
「そうです。一言では言えませんが……僕たちは」
「おい、単! もうそれ以上は言うな。……店主さんよ、俺たちを助けてくれたのは感謝する。だが、ここに居たら、アンタだってタダじゃ済まなくなる。すぐにでも月からの兵隊がやってきて俺とアンタを殺しに来るだろう。だからアンタとはここでお別れだ」
「そうでしょうねえ。ですが月という別の星からきた人たちだ。私が貴方たちを追い出しても、貴方たちと関わった手前、穏便に済ませてくれるとは思えません。それに、あなた方の言い方から察するに、月に帰ることも、帰った後も色々と難しいと察しますが?」
「……何が言いたい?」
「でしたら、暫くここに居てはいかがでしょうか? 私は別に構いませんよ」
「な、なにバカを言ってるんだ! これは芝居じゃねぇんだぞ! 俺たちを匿っていたら、本当に死ぬかもしれないんだぞ!?」
「そ、そうだよ! なんで……僕たちに、赤の他人である僕たちに、そんなこと言えるのさ!? 下手したら見つかって……! その時は僕たちはもとより、貴方の命だって保証なんか出来ないんですよ!?」
「その時はその時。困った時はお互い様なのです。月から来たあなた方には、理解出来ない考えかもしれませんが、日本人とはそういう人なのですよ」
店主は優しい笑みを浮かべながら調理の盛り付けを進め、カップに珈琲を注ぎ始めた。
「それに……月という異世界からやって来た貴方たちは、私の料理を喜んで食べていた。そのときの顔はとても微笑ましかったですよ。それがこんなボロボロになって帰ってきたとなったら、私はどんな理由があろうとも、貴方たちを助けたいと思いますがね」
単と鴉は黙っていた。店主の肝の大きさ、器の大きさ、人としての大きさに驚嘆していたからだ。
「コーヒーが出来ました。冷めないうちにどうぞ。後、こちらは先ほどのお釣りです。私たちはお釣りはいらないと言われても、必ず返しますからね」
二人の卓に湯気を立てる珈琲が置かれ、隣の卓に鴉が出した金額のお釣りが置かれる。
二人はゆっくりと、落ち着いたジャズが流れる三人だけの店内で、静かにコーヒーを飲んだ。
一口啜った単は次第に肩を小刻みに揺らしながら、徐々に嗚咽の大きさを上げつつ飲んでいく。
「……鴉……珈琲……美味しいね……」
「……あぁ……美味しい。美味しい……!」
二人はいつしか、目に涙を浮かべながら飲んでいた。
この日の珈琲の苦味は、二人にとって一生忘れられない、温もりのある味だった。
一方で、用賀スクエアタワーの屋上で、兎の耳飾りを付けた女性が見下ろしていた。
茜色に染まる地平線の彼方に太陽が沈むのを見届けると、女性は闇の中に溶けるように消えた。
単 能力値 特 上 普 下 苦
腕力 上
走力 普
守備 普
察知力 特
持久力 普
知識 下
能力
初符:幻吸口
特徴:竜巻から掃除機位の吸引力で物を吸い込む事が出来る。吸い込んだ物は爆発的な勢いで放出できる。
弱点:吸い込む力と長さは本人の肺活量に比例する。吸い込んだ物をその場で保持できるのは十秒以内だけ。
それを過ぎると吸い込んで溜めた物はその場で落ちる
終符:蛇皇眼
特徴:視界に入った者をその場で固定させる。
鏡で反射されても本人は効果を受けない
弱点:本人は効果を受けないが、他の物は効果を受ける。
なので使い方を誤ると味方にも影響が出てしまう