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非情の返答

 龍吾の顔がこれ以上ないほどに引きつっていく。もはや愛想笑いさえ作ることもできないほどに。

 

 「信じてなさそうね」

 

 「当たり前だ。アンタ薬でもやってんのか? だったら警察呼ぶぞ。なんなら救急車も呼ぶか?」

 

 輝夜はおもむろに龍吾へと近づくと「呼んでもいいけど意味ないわよ」と言って、紫色の目を光らせた。比喩ではなく本当に目が光っているのだ。

 技術の飛躍的な進歩の最中であるといえど、装置一つ持たずに生身の目を光らせるなんて不可能である。

 そしてよく目を見ると、人間にあるはずの白目の部分は黒くなっている。カラーコンタクトの類を付けているようでもない。

 頭のおかしな奴から一転して、目の前にいる女性「輝夜」が人間じゃないと龍吾は本能的に察した。

 有無を言わずに駅構内へ逃げようと走り出した途端、背後にいたはずの輝夜が何故か目の前で立っていた。

 

「ちょっと。人を亡霊みたいに見ないでくれる。生まれた場所が違うだけで、私はれっきとした人間よ」

 

 背後と輝夜を交互に見ながら、龍吾は今起きたことを理解できずにいた。

 

「私はね、月の世界を捨てて、こっちで生きることを決めたの。でも、初めて来たときとは何もかも違うわけだし、行くアテだってない。

 元、月神とはいえ、こうして出会えたのはお互いこれ以上ない僥倖なのよ。あぁ、心配せずとも居座る身である手前、貴方の負担は極力かけないようにするわ」

 

 「バカ言うな。勝手に話を進めるなよ。こっちはただでさえ生活がヤバいんだ。イカれた人なんか誰が住まわせるか」

 

 「言ったでしょう。貴方の負担はかけないようにすると。それに褒賞も与えましょう。

 後……私にとっては非常に遺憾で不愉快だけれど、私の従者ももう間もなくこっちに来るはず。彼女の真意を見定めた後に、そうね。貴方の願いみたいなものを叶えてあげるわ」

 

「おい、いい加減にしてくれ。そういう胡散臭い話なんか真っ平ゴメンだ。本当に警察を呼ぶぞ」 

 

 頑なな龍吾の態度を見た輝夜は「そう」と言うと、ドレスの中から手のひらに収まる小ささの純金の棒を取り出して見せた。

 

「これは褒賞の一例よ。欲しくないのかしら?」

 

 人間、純金をホイそれと出されれば疑うことこそ最初の方だけで、頑なな態度は途端に瓦解を始めてしまう。こと、金銭に困っている龍吾ならば尚更である。

 

「に、偽物だろ。金紙とか貼り付けたチョコとかだろ」

 

「ちょこ? これでどうやって酒を飲むというの?」

 

「……その猪口じゃねえよ。ふざけてんのか?」

 

「それは私が言いたいわ。疑うなら確かめてみたら?」

 

 輝夜はなんの躊躇いもなく龍吾に手渡した。

 龍吾の手に伝わるハッキリとした重量。金紙では到底出せない光沢に滑らかな感触。龍吾はイヤでも手にした物が本物だと実感する。

 

「どう? 少しは考える気になったかしら」

 

 龍吾の心は激しく揺れていた。何せ高値がつくのは間違いない本物の純金を貰えるチャンスが、唐突に訪れたのだから。

 しかもその条件が目の前にいる女性を住まわせれば良いという、たったそれだけである。

 無論、怪しいと感じる心が無くなったわけではない。しかし金欲の前には悲しいほどに無力。

 そこに輝夜は、龍吾の心を位置付けさせるダメ押しの一言を入れた。

 

 「もちろんこれだけでは無いわ。住まわせてくれるならこれ以上の褒賞をあげるわよ」

 

 背に腹は変えられない龍吾は、渋々ながらも「分かった」と了承を出した。

 

 「決まりね。見たところ貴方はさほど悪人とは思えないし、大丈夫でしょう。それじゃあ貴方の家に向かいましょう」

 

 「だ、だけど変な動きとかしたら、すぐに警察を呼ぶからな」

 

 輝夜は不敵に微笑みながら「どうぞ、ご勝手に」と言い切った。

 駅に入り、帰りの電車に揺られている最中も、輝夜はバスのときと同じように子供のようにはしゃいでいた。

 それはまるで、二重人格なのではないかと思うほどの変わりっぷりだが、龍吾はとにかく関わりたくない一心で他人の振りをしていた。

 奥多摩の駅に着いた電車を見て。流れていく景色を見て。着いた駅の先々で。鬱蒼としげる緑の世界から、ネオンライトの輝く都会に着くまで、輝夜の興奮は止まらなかった。

 龍吾の頭二つ分はある大の大人が奔放に感動する姿は、見た目に全く合わない大きなギャップだ。だがそんなギャップも、この世界では奇異の目で見られる。いくら姿形が美しくても、ここまで異様な姿を晒せばなにもかも台無しだ。

 そんな輝夜を連れてきてしまった龍吾は、輝夜から距離を取ってジワジワと後悔の念に駆られていた。

 確かに事態の混乱を避けるためとはいえ一緒に連れてきてしまった手前、小動物とは訳が違うために出来なかった。

 そもそも彼女は月の世界を捨てて来たと言っているが、それは一体何故なのか。彼女の正体は一体何者で、都会に比べれば極端に人口が少ない奥多摩の、更に人気の少ない山奥にどうして現れたのか。

 謎が謎を呼んで気になる一方で、言葉遣いを良くして言えば浮世離れした、悪く言えば気が狂ってるとしか思えない女性の挙動を前に、龍吾の口は重く閉ざされてしまう。

 そうしている内に龍吾の地元である世田谷区は用賀に着いた。そこでも女性はしきりに辺りを見回しては目を輝かせている。

 彼女に取っては間違うことなく異国の地ではあるのだが、いかんせん目立つことこの上ない。

 龍吾が気怠げにいると突然足を止めて鬱屈とした顔を更に濃くさせた。

 女性が前を見ると、木造アパートの前に三台の車と多勢の屈強な男たちがたむろしている。

 その中の一人が龍吾に気がつくと、ひどく耳障りな大声を出しながら仲間を引き連れて龍吾を囲んだ。

 閑静な住宅街に響く怒号。たまに通りすがる人は我関与せずと言わんばかりに足早に立ち去っていく。

 

 「女と一緒に帰宅とは随分余裕なんだな、お前」


 黒いサングラスをかけた男がドスの効いた声で言うと、周りの下っ端たちが眼力を強くして龍吾を睨む。

 その隣で涼しげにいる輝夜は 臆することなく取り囲む男たちを見ると「誰? この人たち」と龍吾に聞いた。

 

 「見て分からねえのかよ。取り立て屋だよ。とうとうウチに来やがった」

 

 「取り立て? 待ちなさい。貴方その歳で借財の身なの? それはちょっと頂けないわ」

 

 「誤解するな、俺のものじゃないんだよ」

 

 龍吾が反論した途端、背後にいた男がかき消すように怒号を発し、それに便乗して周りから龍吾へとヤジを飛ばす。

 そこにサングラスをかけた男が一喝して黙らせると、輝夜の前に立ち。

 

 「おい、お前には用はねえ。大人しくソイツを出しな。断るってならお前も容赦しねえぞ」

 

 輝夜を上目遣いで睨みながら言った。

 だが輝夜は怯むどころか臆さず見返している。揺らぐことのない不敵な眼差しで真っ直ぐ見返すものだから、男は一瞬だけたじろいだ。

 輝夜は目線を龍吾に移すと、顎に手を当てて悩んだ末に「分かったわ」と言った。

 

「過程はどうあれ、借財をした身は罰せられるべきよ。自分のことは自分で片付けなさい」

 

 輝夜が龍吾の背中を片手で押すと、当然ながら龍吾は激しく取り乱した。助けるどころか話さえまともに聞かずに突き放すのだから、濡れ衣を着せられている身としては堪らない。

 

「ふざけるな! 俺の話を聞けよ。これは俺の借金じゃねえ。むしろ俺は被害者なんだぞ!」

 

「そういうことを言うに限って、自業自得の過程があるのよ。少しは反省することね」

 

 龍吾が激昂するよりも前に、取り立て屋の男たちが龍吾を羽交い締めにして車へと連れ込んだ。

 

 「お前! 人の話もロクに聞かないで! 絶対に許さないからな!」

 

 龍吾の言葉は男たちの罵詈雑言によってほとんどかき消されてしまったのものの、輝夜の耳にはシッカリと届いていた。

 そのとき、彼女の顔がほんの一瞬だけ陰りを見せると、ドレスの一部が取れてトランクのところにへばり付いた。

 車が去っていった後には静寂が戻り、今しがた起きたことがウソのようと思える。

 

 「……これで良いはずよ。ええきっとね。さて、彼はどうやらハズレみたいだし、別の人を探してみようかしら。その前にどこか食事処とかないかしら」

 

 輝夜の足が光の多いところへと伸びる。どこに行くというアテもなく、気の向くままに辺りを見て回る。

 程なくして駅前に着くと、輝夜のいう食事処を探すものの彼女には予想外のことが待っていた。

 

「……どらっぐ、すとあ?」

 

 輝夜の頭に疑問符が浮かぶ。

 辺りを見渡せば、目に入ってくるのは外来語と現代語が入り混じった店名ばかり。

 輝夜とて地球に来る前に━━全く豊かな環境ではなかったが━━勉強をしなかったわけではない。しかし現実に来てみれば、今までの勉強が水の泡になるような状態だった。

 

「え、ええと……すーぱー? 何かしらコレは、怪しいわね。いたりあん、れすとらん? 賭場か何かかしら」

 

 困惑している輝夜が迷いながら店を探していると、一件の店前で足が止まる。

 

 「す、寿司? こんな普通の店で? この街には高位の人でもいるのかしら?」

 

 月の世界にも寿司なるものはある。海外のような気をてらったものではないが、我々が寿司と言われて思い浮かぶようなものには若干違いがある。

 ただし、その寿司は月界で食べられるのは高位の人間だけ。そしてその高位の者でさえ稀にしか食べれない物が、普通の街の、普通の店で、普通に売っている。

 店へ足を伸ばすと、店員の女性が輝夜を目を見張るように見た。しかしすぐに失礼だと思ったか、いつもの調子に戻ってハリのある声で出迎えた。

 

「いらっしゃいませ! こちらのクーラーからお選び下さい!」

 

 輝夜にはクーラーの意味が分からず、戸を開けずに外から眺めた。色とりどりの寿司がパックに詰められていて、輝夜は思わず生唾を飲む。

 

 (……月界よりも色鮮やかで新鮮ね……。これを地球の人は普通に買って食べるの?)


 輝夜は好みの寿司を指差して「これを頂戴」と言った。

 自分で取らない輝夜に店員は一瞬ポカンとしたが、すぐに取り出して接客に戻った。


「ありがとうございます! お箸は何膳お付けしますか?」


「一膳で良いわ」


「かしこまりました! お会計九百六十円となります!」


 輝夜はドレスをかき分けて、地球に赴く際に用意した小銭と紙幣の入った巾着を探した。

 ところがどこを探しても一向に出てこない。純金を出そうかと思ったものの、そんなことをすれば不必要な騒ぎを起こすと懸念して思いとどまった。そんな輝夜の素振りを察してか、店員がそっと進言する。


「あの、クレジットでも大丈夫ですよ?」


 すると輝夜は動きを止めて、またしても疑問符を浮かべながら尋ねた。


「はぁ? くれじっと? 何それ?」


「え? いや、あの……クレジットカードのことですが」


「だからその、くれじっとかーどってどういう意味なの?」


「……少々お待ち下さい」


 店員は奥の調理部屋へと入っていった。どうやら意味を聞きに行ったらしい。

 しかし待っていても時間は過ぎるばかりで、目の前の寿司にありつくことは出来ない。

 加えて、輝夜にはある懸念があった。

 仮に今日を凌げたとして、このような生活をこれから続けていくとなれば、当然限界が生じる。ましてやここは、輝夜のいた月界ではないし、月界の常識なぞ一つも通用しない。行くアテも無ければ、頼れる隣人も、知り合いも一人もいない。

 加えて待っているだけでも問題はあった。それは輝夜の美に惹かれて少しづつではあるが、ギャラリーが寄って来つつあるのだ。

 背後からの視線に、輝夜は妙に時間の流れが遅い現状が加わって非常に鬱陶しそうである。

 それだけなら別に問題はないが、これがこの先も続くようであれば必然的に彼女という存在は全世界に知れ渡るようになる。そうなれば、月界の住人である輝夜の存在が知れ渡って面倒ごとに追われることになるのは明らかであった。

 どうすればいいかと思案していた輝夜は、何かを閃いたように顔を上げると店を後にして人気のない所へと歩いて行った。

 

 「お待たせしま……あれ?」

 

 店員が戻ってくると輝夜はどこにもいなかった。ギャラリーも人っ子一人いない。

 その輝夜はというと、夜空の只中に浮いていた。人気のない路地裏まで行ったところで空へと飛び上がったのだ。

 眼科には宝石をちりばめたような夜景が広がっている。ドレスを風になびかせながら、輝夜は一方向を見据えていた。

 

 「彼……きっと怒るわよね。いいえ、ここで弱く出てはダメ。毅然と、自分を通すのよ。ここで私を知っている人なんかいないのだから」

 

 決意を目に漲らせると、さながら戦闘機のように空を飛んで行った。

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