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薫香な珈琲

 一人の少年が夏の陽が登り始め、肌を蒸すような暑さの中を平然と歩いていた。

 少年が通り過ぎる時、すれ違う者達は必ず彼を凝視するか、二度見する。何故なら彼の肌は陽の光を反射しているように真っ白なのも要因ではあるが、目の部分を眼帯で隠しているのが最たる理由だ。それも片目では無く全体を。

 にも関わらず少年は、まるで前方の景色が見えてるかのように一切の迷いも歩幅を変えることなく歩いて行く。

 タバコをふかしていた三人の男たちもその異形な姿に驚くものの、悪意と興味が勝って煙草を眼帯の少年が通り過ぎた背後から煙草を投げつけた。

 すると少年は突如歩みを止めて飛んで来た煙草を振り返りながら片手でつまみ、煙草を投げつけた本人に弾き飛ばした。

 煙草は男の目の上に当たり、それが逆鱗に触れて男は怒号を上げて襲いかかって来た。

 男が殴り掛かった瞬間、少年は男の右手を掴みながら受け流して背後に回ると男の膝裏を蹴って態勢を崩し、右腕を左側の方に強制的に足で押し潰す。

 あり得ない方に折られた右腕に男が絶叫している最中、男の延髄目掛け少年の手刀が振り下ろされた。

 か細い悲鳴をあげると、男は二度と起きなくなった。

 それを見たエラの張った男が無言で襲って来るも、その攻撃すら難なくかわし一瞬のスキを見極め少年の手刀が男の喉を突くと、男はえづきながら悶え始めた。

 間髪入れず少年の手刀が延髄に振り下ろされ、その男も永遠の沈黙に落ちた。少年は倒れた二人の男の腰を一人づつ探り財布を抜き取る。

 最後の一人に近づくと少年の冷たい声が男に向けられた。


「先に手を出したのはアンタたちだ。悪く思わないでよ。それとアンタ。お金、だしなよ。でないとこの二人のようにさせるよ?」


 男は夏の暑さを忘れさせるくらいの青ざめた顔つきで少年を見る。男は少年が只者じゃない事を理解し、持ってた財布を投げ捨てる様に少年の足元に落とすと、二人の倒れた仲間を引きずって一目散に逃げて行った。

 三つの財布を懐に入れて少年は再び歩き始め、一軒の喫茶店に入って行った。


 ※


「いらっしゃいませ」


 老齢の店主が切り盛りする店内は静寂に包まれ、外の暑さを拭うように涼しく、何より珈琲豆の深みのある芳香と植物の香りが店内に満ち満ちている。

 少年はその芳香に口元を緩めながら左脇にある席に座っている一人の男性の向い側に座った。

 男の顔は、眼帯をつけた少年と同じく白い肌だが、左側が未だ燃え盛っているような火傷跡が残っている。

 鋭利な眼光は火傷跡も加わって、彼の存在がただならぬ者であると誰が言わずとも理解出来る風貌だった。

 そんな彼は手にした容器に入った熱いコーヒーの香りと味を優雅に吟味していた。


(からす)、さっき通りで三人ほど絡まれたけど二人楽にさせてあげたよ。これ、戦利品。ここの星にいる人たちは無謀なことが好きなようだね」


「……そうか。結構入っているが、これか? この国の一番価値のある金は。一万って数字が書いてあるが」


「多分それじゃないかな」


 少年の言葉に鴉と呼ばれた男、(からす)は一万円札を折り畳み、手に納めて握り締める。

 そして手を開くと、まるで水がこんこんと湧き出るように一万円札が際限無く出て来た。


「御苦労だったな。(ひとえ)も何か頼めよ。遠慮は要らねぇ」


「じゃあお言葉に甘えて。で、鴉の飲んでる、その、珈琲(こーひー)っていうの? それはどんな味なの? 香りはとても良いけど」


「渋い味だ。だが、その中で……まろやかさって言うのか? それが上手く調和してて、とても飲み易い。単はそのまま飲むよりかは牛乳を入れた方が飲み易いかもな」


「ふーん。じゃあ僕も同じ物を頼もうかな。名前は何て言うの?」


「もか。って名前だ」


「……もか? どういう意味なんだろう。まぁ良いや。あの、すいません。『もか』をお願いします」


 (ひとえ)と呼ばれる天月人の少年が注文すると、老齢の店主は「はい」と答え、静かに珈琲を作り始める。


「それと鴉、お腹減ってない? 僕たちここに来る前からロクに食べてないんだから、飲み物以外にも頼もうよ」


「そう言いたいんだがな。どうも見慣れない言葉ばかりで何が何やらなんだ。珈琲って字すらさっき覚えた言葉だぞ」


「そうだよね。それにしても何だろうね? 和語と外来語と現代語が混ざり合ってるのに、この国の人は混乱しないのかな?」


「品書きも分からん言葉だらけだ。何だこの……三度……一致? ってのは。本当に食い物の名前なのか? 写真の見た目は何とも美味そうだが」


「名前はどうあれ、品書きに出してるって事は食べれるんだと思うよ?多分」


「まぁ、そうだが……。どうも分からんな。ばたー……何だこの、人が体育座りしてる様な文字は? ……じゃむ、とーすと。特製、あいすくりーむ?」


「……とりあえず写真見る限りだと、どれも美味しそうだから……すみません、この……さんどいっち、をお願いします」


「はい、どうも。それとモカにはミルクを使われます?」


「……え?」


「牛乳を使いますか?」


「え? あ、あぁ。お願いします……」


 店内は静かな音楽が奏でられ、外の暑さや騒音と蝉の声から乖離かいりしゆっくりと、静かに時を刻んでいった。


「鴉、聞いた?! 牛乳だって! 普通の喫茶店で牛乳が無料で出るなんて初めて聞いたよ!」


 単は月と地球の違いに、小声ながらも子供のように高揚して鴉に告げる。


「聞いたよ。(むこう)じゃ、水も茶も頼まなければ出ないからな。だけど地球(こっち)じゃ当たり前のように出すし、金もいらないときた。これには俺も驚きだ」


 単はウキウキしながら、鴉は今いる空間と雰囲気が気に入って柔和な表情になる。地球のジャズは彼らには聞き慣れない音楽だったが、不思議とすんなりと受け入れられた。むしろ彼らの表情を自然と緩ませてくれる優しい音色であるために、二人はなんの抵抗もなく聞いていた。


「はい、お待たせしました」


 店主が長めの丸皿に載せられたサンドイッチと珈琲を出され、単は眼帯を少しずらして見る。

 一方の鴉も出されたサンドイッチに、見た目とは裏腹に興味の眼差しでサンドイッチを見る。


「これが……さんどいっち?」


「何とも不思議なモンだな。それに思ったより多い。あぁそれより単、その珈琲ってのを先に飲みな。熱いうちが美味いんだ」


「分かった。でも試しに牛乳無しで飲んでみるよ」


 単は一口珈琲を啜る。


「……何これ……苦い……けど、本当に鴉の言う通りまろやかだ! 苦いのに美味しい! 何だろうこれ! こんなの、月では味わった事無いよ!」


「単、少し静かにしな。美味いのは分かったから」


「牛乳を入れてみよう! 珈琲に牛乳が付くって事は何か意味があるんだろう」


 単は鴉の注意そっちのけで無邪気な子供のように牛乳を全部珈琲に注ぐ。


「これは……この(さじ)でかき混ぜるって事かな?」


「だろうな」


 眼帯をしているにも関わらず、単はやはり見えてる様にスプーンで珈琲に入れた牛乳をかき混ぜる。

 一通りかき混ぜるとそれをまた一口啜って吟味した。


「鴉凄いよ! まろやかさが一層増したよ! 苦味が少し残ってるけど、それが逆に美味しさを引き立たせてる! 凄いよ鴉!」


「単、分かったから静かにしろ。店の迷惑だ」


 単はハッと我に返って大人しくなり、そのまま珈琲を一気に飲んだ。


「ご、ごめん、鴉。でも本当に美味しかったから」


「それは分かる。だが時と場は選べ。……で? このさんど、いっち。だったか。コレは本当に何なんだ?」


 単は顔を近づけ、その匂いを嗅いでみる。

 すると単の眉がシワを寄せる。彼がこれまで嗅いだことのない独特な、それでいて柔らかな匂い故に、眼帯をつけたままでも単は困惑の表情を浮かべていた。


「……これは、卵黄? いや、塩っ気も僅かに感じる……後これは、辛子だね。辛子の匂いがする。こんなにふんだんに調味料とか使う料理も初めて見たよ」


「緑と赤い物があるが、これは……野菜か?」


 トマトとキャベツを添えたサンドイッチ。単と鴉は「どちらが先に食べるか?」と言いたげに数秒の間顔を合わせていた。


「……毒味……って言ったら失礼だが。先に俺が食う」


 鴉はサンドイッチの一つを摘み、半分を口にする。半分のサンドイッチが彼の口の中に入り、舌に触れたその時、鴉は驚きのあまり目を見開いた。


「……美味い。辛子と卵黄か? とにかくその調味料がこの新鮮な野菜と肉、そしてこの白い……何か分からんが、それと絶妙に合わさって。美味い……生まれて初めてだ。こんな美味は……」


「鴉、すごい感動してるね。じゃあ僕も」


 鴉に釣られて単もサンドイッチを一つ半分食べてみる


「おーいしーい! 珈琲とは違ったまろやかさと、辛子の少々の辛さがクセになる。こっちの世界が羨ましいよ! こんなの絶対月では食べられないって!」


 二人はあっという間にサンドイッチを食べ終え、残る野菜を分け合って食べた。


「これが野菜なんだ……。今まで食べてたボロボロの野草じゃない。瑞々しくて、シャキシャキしてて……。月界で食べる野菜なんかより全然美味しいよ」


「月の連中が俺らに教えてる事は結局、デタラメって事だな。まぁ……今の三月皇が、あぁじゃな」


 その言葉を聞いて、単のはにかんだ笑顔の口元は一転して、寂しさを噛み締めるような口元に変わった。


「……鴉、僕……行きたくない……輝夜と戦いたくない」


「何故だ」


「だって月界で億を超える死者を作り出した人だよ? 輝夜の素性や能力だってどういうものなのか、僕たちは分かっていない。神無は知ってて僕たちを徴兵させたんだよ。自分一人じゃ勝てないから、捨て駒のように兵を動員させて、弱った頃合いを見てアイツが出るって算段だろうよ。僕は……僕はそんな無意味な死を遂げるくらいだったら、いっそこの地球で生きた方がマシだ!」


「……お前の言いたいことは分かる。何せ相手はあの鬼姫。脅えるのは当たり前だ」


「じゃあ!」


「だが脅える理由になっても、それが戦わずして逃げる理由にはならねぇ。それに単。お前ここで逃げたところで、俺らが助かると思ってるのか?」


 単の口が重く閉じる。

 彼らは数日前まで、月界でアウトローな生き方をしていた。

 ━━時はまだ輝夜が月界から脱獄するよりも前。

 鴉はかつて所属していた月宮解放軍の傘下チームの中で名を馳せるほどの鉄砲玉として、生傷の絶えない任務を積極的に行なっていた。

 彼を動かしていたのは出世欲だ。出世して金も力も権力も全て得て、組織のトップとして認められるために尽力をしてきた。

 しかし、そんな彼を組織はただの利用しやすい駒としか見ていなかった。

 去る日に、鴉はかねてから組織の検挙に奮起していた警備軍の収容所に囮として捕まり、内部情報を引き抜いた後に内外から収容所を破壊するという作戦に抜擢された。当然ながら彼はこの真意を見定めもせず、これを二回返事で承るほど乗り気だ。

 しかし収容されたところで彼の運命は大きく変わってしまう。

 何の因果か収容所内で出会った教官によって、彼は更生されたのだ。生まれてから拠り所のなかった彼にとって、教官の存在は実の父のように思えていた。

 恩師とも呼べる教官との出会いで充実した収容所内の日々は、組織の企てた破壊作戦によって脆くも崩れ去る。

 組織の人間たちは鴉はもとより収容されていた仲間の救出なぞ最初から眼中になく、お荷物となったかつての仲間たち諸共破壊することが目的だった。それに気がついたときには彼は仲間も教官も全て失い、生死をさまよう大怪我を負ったのだ。

 彼を特徴づける大火傷を、彼は治さなかった。治療費がないというのもあったが、全てを奪った月宮解放軍に彼も属していたという黒歴史を忘れないために、あえて彼は残したのだ。

 それからは鴉は、自分を裏切るだけでは飽き足らず、全てを奪った解放軍を軒並み一人で潰しにかかった。警備軍からも解放軍からも目をつけられることとなってもなお。

 その道中で、鴉は単と出会った。解放軍の小銭稼ぎとして機能していた末端の見世物小屋で。

 鴉の姿に感銘を受けた単は、散々鴉に叱られながらも付いて行った。そうしてとうとう根負けした鴉は、単と共に各地の解放軍拠点を潰しに回っていた。

 しかしそんな日々も、神無の差し向けた警備軍に捕まったことで終わりを告げた。

 彼らに与えられた罰は二つ。ここで死ぬか、それとも輝夜を倒しに地球へ向かってそこで死ぬかのどちらかだった。

 鴉はすでに神無の後ろに解放軍の影があると見抜いていた。しかし確証となる証拠はないし、それを指摘したところで神無には痛くも痒くもない。それに、それを言ったところで二人の罰が軽くなる訳でもない。

 最初から最後まで解放軍の影に翻弄される死に方をするよりは、二人でわずかでも可能性のある輝夜の討伐を行い、あわよくば一発逆転の機を得ようとして今に至る。そんな一発逆転の賭けをしたところで、彼らには未来がないということも知りながら。


「そうさ。俺らはどっち道、死にに征く運命なんだよ。だったら腹を(くく)れ。それにまだ俺らは生きている。戦う前から諦めて脅えて念仏唱えて、媚を売る生き方は俺は御免だ」


 そう言い終わると、鴉は珈琲を飲み干し、席から立ち上がった。


「ご馳走様。美味かったよ」


「はい、ありがとうございます」


「初めてだ。こんな美味い物を食ったのは」


 鴉の言葉に店主は、はにかみながら「ありがとうございます」と言う。


「だからこれは礼だ。あんたの作る物にはそれだけの価値がある。釣りはいらん。貰うのは無礼に値する」


 そう言うと鴉は一万円札を出して店主に背を向けた。


「お客様、ですがお釣りは……」


「単、行くぞ」


 単は浮かない顔つきだったが、鴉が扉を開け出て行くと、単も意を決した様に立ち上がり、店を後にした。


(……ぽえむって名前の喫茶なのか。名前の意味は分からんが、良い所に巡り会えたものだ)

珈琲喫茶店 ぽえむ 用賀店

東京都 世田谷区 4丁目 31-2 三光ビル一階


2016年12月11日 14:33分 御許可を貰いました。上質な珈琲とサンドイッチが美味しい、静かな時を刻む素敵なお店です。店主もとても優しい方です。この度は御許可を頂きありがとうございました。

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