輝夜姫
全面ガラス製のエレベーターは、無音ながらも高速で上層階へと向かう。道中では非常灯の輪っかが、上から下へと流れ落ちていく。
最上階へとたどり着くと下から光が灯されている一本道が伸び、その先に赤い電子壁で守られた扉があった。
窓はなく、左右の壁にライトが灯った縦線が一本。忍び足で歩こうとしても、ほんの少しの靴音は室内で何度も反響するほどに静まりかえっていた。
(昇降機が上って行く道中にあった、非常灯の輪っか。そしてこの空間。全てが最新で、高性能の防犯、監視機能で構成されている。なるほど、特級機密情報を扱う場所にふさわしい防犯設備だ)
朔が感心をしながら赤い電子壁の前に立つと翡翠の腕輪から電子音が鳴り、電子壁が解除され扉は上へスライドしながら開いた。
室内は無菌室のように明るく真っ白で広々としており、十台は軽く超える監視装置が地上から天井まで隈なく監視をしている。
あっけに取られながら朔は室内の中央に歩いていき、ポツリと浮かんでいる青い楕円形の光に腕輪をかざした。
すると天井の一角から、情報が収納されているコンテナが一つ。朔の近くへと静かに運ばれてきた。
一つ一つのデータを外に出しては、宙に浮かばせる。
その内容は共通して輝夜に関すること。特に、輝夜が地球に降り立った時のログだった。
(輝夜さんは、地球から月に戻った数ヶ月後に、月界であの大惨事を引き起こした。
竹取の翁、もとい、讃岐の造なる老夫婦との別れだけが原因というには、どうにも理由としては足りない気がする)
朔は輝夜が地球に降りてから、初めての記録を調べ始めた。
一番最初の記録は、翁の元で育って三ヶ月を過ぎた頃。輝夜があっという間に成人に成長して御室戸斎部の秋田より、輝夜という名を授けられるあたりだ。
文字列をなぞるように、朔は文章を読む。
【御室戸斎部の秋田という方から、私に輝夜という名を与えられた。天月人には到底思いつかない、とっても綺麗で素敵な名前。
じーじもばーばも満面の笑みを浮かべて喜んでいた。私はそれだけでも満足なくらい】
ほんの数行しかない記録に、朔は早くも違和感を感じた。
(そういえば、輝夜という名前は地球でつけられた名前だ。なら、輝夜さんの本当の名前は何というのだろう?)
朔は次の記録へと矢継ぎ早に。しかし、しっかりと目を通していく。
【日が経つに連れて、じーじの家の周りには見物人が増えてきた。塀の外からチラチラと視線が向けられ、見かねたじーじとばーばが屋敷の一番奥に私を移してくれた。けれど、常に私のことを気にかけてくれる二人の姿には、痛々しさと申し訳なさを感じる】
【五人の公達が、私に求婚を申し出てきた。だけど、あの五人は父と同じで、私を人として見ていない。彼らは私を、伝説上の宝に例えて讃め称えるけれど、私は物じゃない。種族は違えども人間だ。
ただ、じーじの頼みを拒むのはとても辛い。だから私は、彼らの例えにあげた至宝を条件につけた。皆、全て伝説の中でしか聞かない逸品。取ってこれるなら取ってきてみろ、だ】
記録の中で、輝夜は五人の公達に、父親を照らし合わせていた。
(父? それに人として見ていない? どういうことだ?)
朔は輝夜の父についての記録を、調べはじめようとすると、突然ホログラムが『警告 国家最重要機密 閲覧階級一級所持者の承認が必要』という赤い画面へと切り替わった。
刺激的な赤が本能的に警鐘を鳴らさせるも、朔は自らの腕輪を赤く変色した楕円の光にかざした。
『承認確認中』の文字の下に、五つの歯車が回っている。
そして画面が青色に切り替わり『承認確認』と表示されると、後方から厚さは優に二十センチはあろうかという重々しいコンテナが出てきた。
超が付くほどのハイテクセキュリティーコンテナの中で厳重に厳重を重ねたロックをかけられて眠っていたデータは、空気が抜ける音をたてながら重々しく開いた。
中のデータを一つ展開させると、中に記録されていたのは音声記録だった。
記録日時は竹取物語でいうなら、五人の公達が至宝を探している真っただ中の時期だ。
耳をすましてみるとスズムシやキリギリスの合奏が鮮明に聞こえてくる中で、音声記録が始まった。
『巫界。いや、今は輝夜。と言うべきか。久しさよりも、今は嘆く他にない。親である私に刃向かい、穢れた地球に堕としたにもかかわらず、穢れた地でぬくぬくと育ち、穢れた人間たちに囲まれ。挙句、私が名付けた神聖な名前に、糞と痰を塗ったような名前を付けられて、平然と生きているとは。
いくら我が子でも、これほど耐え難き侮辱はない。お前は一体どこで道を間違ったのだ?』
一瞬、男の声を聞いた朔は、全てが停止したようにぼうっとしていた次には、身体に強い電流を流されたように衝撃が走った。
そんな中で、朔の予想を裏付けるように輝夜の返答が返ってくる。
『道を間違えた? 私は正解だったと、日に日に実感する限りです。私を人としてではなく、政治の道具として。権威の象徴として、私に神聖な名前をくれたお父様。
私はここに、はっきりと明言します。貴方が唱えた、至高人種論は、間違いだということを』
朔の額から汗がとめどなく流れ落ちる。
巫界という名前は知らなくても、至高人種論を知らない者は月界にいない。そして、それを唱えた者もまた、この月界で知らない者はいるはずがない。
それは他ならぬ月神『天源』だ。
彼が語った内容も読んで字の如く「天月人こそが、全宇宙で至高の人種である」というもの。
この論を高らかに唱えた当時は、月界中の全国民から絶賛されていた。
しかし、ただ一人。真っ向から異を唱えた少女がいた。
月界が揺れんばかりの批判、中身のない中傷、脅迫の嵐を一身に受けながらも彼女は自らの主張を声高に唱え続けた。
再三の警告を無視して天源の逆鱗に触れた少女は、彼の能力によって赤子に一時的に退化させられ、地球に落とされた。
天月人にとっては死刑よりも重い刑罰である地球への追放をかけられた上に、月神に異を唱えた名もなき少女は『堕人』として人々に蔑まされていた。
その少女が通話相手へ確かに『お父様』と言い、対する天源も少女に『我が子』と言った。
それが意味することは、地球に堕とされた少女が天源の娘であるということだ。
(そんなバカな……。輝夜さんが、墜人の正体が、月神の娘? ならばあの人種論に異を唱えたのが。あの事件を引き起こしたのが、月神の身内ということになるじゃないか!)
朔の動揺をよそに記録は続く。
『確かに地球の人にも、下卑な者はいます。ですが、天月人にも似た者は数多くいました。天月人と人間の違いなぞ、能力の有る無し。片手で数える程度の身体の特徴。たったこれだけでした』
『……巫界……。一体どこまで私に泥を投げつける』
『事実を言っているだけです。お父様は机上で人というものを浮かべ、偏見の評を付けてあの演説をした。
ただの一度だって、地球で人と接したことのない貴方が空想で描いたものを、さも本当だったと言わんばかりに。これほど滑稽なものはありません』
『巫界、これ以上言うならば、お前とは勘当する。お前を天月人とも見なさん』
『本望です。私を物として見るお父様と月界で生きるより、私を人として見てくれる地球で生きるほうが私は本望です』
言いきった巫界こと輝夜は、天源の怒声を聞くより前に通信を切った。
しかし集音機能だけは機能しており、竹取の翁と思わしき老人の声が『輝夜よ、どうしたのだ?』と言いながら近づいてくる。
それに対して輝夜は、『なんでもないよ。じーじ』と晴れ晴れとした声で返した。輝夜はこの時点で、すでに地球で生きる覚悟でいたのだろう。
しかし、月界ではそんな易々と済むはずがない。
地球に堕とされた者の正体が月神の娘ともなれば、天源の立場は根底から揺らぎ、月界での大混乱が起きることは火を見るよりも明らかだった。
しかも、このまま輝夜が地球で生きることとなれば、月という近くて遠い異世界に他の生命体がいるという事実が発覚してしまう。
その時の危機感を裏づけするように、当時の天源の側近が残したログにはある種の焦燥感をにじませている。
【巫界が地球で生きることを望んだことは、我々はもとより、天源様としても予想外なことだった。
巫界は、月界の技術を応用する知識があると聞いた。そんな彼女が地球人に、我々天月人の存在を知らしめ、月界の技術を教えれば、我々の予想より千年ほど早く彼らは宇宙に行けるだろう。
無論、ただの人間に我々が負けるはずもないが、巫界が加わるとなると話が大きく変わる。彼女の知識ではなく、彼女の能力だ。
甚大なまでの手間と費用などの損失は避けられないし、最悪我々の想定を覆す可能性もある】
彼らが後に起きる災禍の凄惨さを暗喩しているように、輝夜の存在が大きいことを記録していた。
だが、当時の月界では輝夜のことはすでに『墜人』として笑いの種にされており、一人として危機感を抱いているものはいなかった。
無策に回収しようとすれば、国民の不信が噴出することは明確。
月神という立場を保守し、国家への不信を生ませることなく輝夜を回収するために、天源が企てた作戦はこれらの記録が全て特急機密情報として扱われる理由たり得ることを裏付けるものだった。
それは、輝夜が地球へ追放される前に機密の軍事情報を盗み、地球で反逆を企てているというものだった。
輝夜が一方的な悪とみなされるように仕組まれた、悪意の内容に朔の表情が歪む。
身内以外は誰も素性を知らない名もなき少女が、身分をわきまえず月神にたてついて地球に追放された。
『墜人』の烙印を押されている存在には、ぬれ衣をつけても怪しむ者はいない。
それは天源が、月神という最高権力者の立場にいるからこそ確信できたことでもあった。
かくして、天源のシナリオを完璧にするための工作が密かに始まった。
奪取されたという機密情報を、一部は破壊し、一部は地球へと送信した。
無論、それらの工作に関わったのは、天源の元に集う精鋭たち。
短期間で綿密に作られたシナリオは、完成と同時に風に乗って人から人へ。油の上を伝う火のように、瞬く間に月界へ広まった。
墜人の烙印を押されただけでは飽き足らず、国家の機密情報を持ち逃げし、地球から反逆を企てる大罪人。
輝夜への非難が響き渡る月界は、天源の描いたとおりの図面となった。
月界の水面下で対立している保守と改革勢力でも、月神から告げられた非常事態━━という名のシナリオ━━となれば、勢力の垣根をなくすくらいに効果的だ。
国民はもちろん、ことの重さに目を向けた政治家に軍人たちから、早期の回収と処罰を望む声で満ち満ちていた。
しかし回収にあたっては、天源は二の足を踏ませて国民を焦らしていた。
何故二の足を踏んでいたのか? その真の理由は、黙殺を貫いていた天源の妻『月魄』の反抗だった。
記録の中で綴られている真実に、朔は周りで絶えず動き回る監視装置なぞ眼中にないほどに集中して読み続ける。
【月魄様が、ここにきて天源様に反抗した。今更、ということもあるし、何故? という声が現場であふれている。
詳細は我々のところまでは届かないが、聞くところによると、事と状況によっては、月魄様を監禁するやもしれぬ。という噂を聞いた。
だが、今の我々は、すでに回収作戦に大半の兵を費やしている。それに、天源様からの声が出るまで我々は動けない。天源様はどうなさるつもりなのだろうか?】
兵士のログはそこで終わっていた。
朔がチラリとコンテナの方へ目を向けると、まだ未開封のログがいくつか積まれている。
ここにきた時点で、すでに後戻りはできない。
そうは理解しつつも、それ以上を知ったら、とんでもないことになるかもしれない。
そんな警鐘と拮抗が心中で鳴り響いているように緊張した面持ちの朔がとった行動は、ログを取り出し、真実を知ることだった。




