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月光の影

 月への出入り口は、クレーターの表面を特殊な偽装装置が取り付けられた防護壁によって守られている。

 月の内部はさながら脳細胞のように、大小さまざまな国を内包した球体と通路が張り巡らされている。

 その中でも月の中心にあるひときわ巨大な球体は月界の中心部であり、建物の構造も重力を無視したような設計の未来的なものや芸術的なものと、設計者の個性が並び輝く大都市だ。

 その大都市に、巨大な大聖堂のような建物がそびえ立っている。

 そこは月界の政治を担う建物。

 名を『政法殿(せいほうでん)』と言う。


 ※

 

 『国を守ることとは、動くことである。語り継ぐだけの守りとは、即ち偽善である』

 

 街の上空に浮かぶホログラムには、左目を髪で隠し、一目見て高圧的で冷酷な人だと思わせる女性が映っていて高らかに演説をしている。

 彼女の名は『神無(かんな)』。

 月界で最も高位の役職、三月皇(さんげつおう)の立場に座す者であり、月界の実質的な支配者だ。

 

 『此度(こたび)の制度改革にて、私は約束通り国を蝕む他国より忍び込んだ国盗りを企てていた間者たちを一斉に取り締まった。しかし、この日を迎えるまでに、我が国は多大なる損失を被った。

 何故か? それは他ならぬ間者たちの工作が実を結んでも尚、お前たちは真実を口でしか語らず、行動に移らなかったからだ』

 

 赤紫色の目で画面前にいる民衆に粛々と。それでいて抑揚をつけて語りかけ、心を徐々に掴んでいく。

 演説に所々で反発の声が上がるものの、一部の国民が鬱陶しそうに見ているだけで、それ以外は目を逸らすことなく神無の演説を聞いている。熱心というよりは、完全に術中にはまった様でもある。

 

 『世界の景気低迷による生活の確保から始まり、社会が抵抗運動への忌避に走った結果、身を捨てる行動は世界から悪とみなされ、冷笑されることとなった。逆に、真実を黙々と語り継ぐということは美徳と見なされ、お前たちはそれに専念した結果、我が国はますます間者に蝕まれることとなった。

 さながらそれは、火事の現場を目の前にしながら火元の原因を周りに説くような、滑稽を通り越して愚かの極みともいえる姿であった。

 そこに国を思う保守の力が垣間見れたか? 地道に真実を伝え周り、地盤を固めていく保守の速さが、間者の工作に回る速さを上回ったことがあっただろうか?』

 

 事実を言う。ただそれだけで過去を知る国民のくすぶっていた心は洗われ、救われるような錯覚に捉われていく。

 反発の声を上げる者を、月界を侵略しつつあったかつての間者たちと次第に重ねさせていく。

 国民の心をいとも簡単に掴み、操作させていく話し方は魔力を伴う能力によるものではなく、彼女の天性の才能だ。

 

 『真実なんか誰だって知っているのだ。今の月界の技術ならば、古今東西あらゆる真実は包み隠さず片手間で、秒を待たずして知れるのだから。そんな当たり前の事実を見過ごし、愚か者の集いとタカを括ったお前たち。

 真実が世界に広がるまでに、一体どれほど世界は荒らされた? 真実が世界に広がるまでに、一体どれほどの損害を我々は被った?

 動くことを捨て、多くの者は享楽に逃げ、戦うことを怠け、残りは電子交流の場で地道に真実を教え回るだけだった。

 誰一人として行動に移さず、戦わない。

 分かりきっていた脅威に、分かりきっていた静かなる侵略に、お前たちは気付いていながらそれを見逃した。その結果が、工作員が我が物顔で表舞台を歩き、緩やかに国が死に向かっていった混迷の世だったのだ。

 あれが悲劇と言わずして何と言うか。

 あの世の中を生み出したのはひとえに前期の政権連中のせいと言い切れぬ。戦うことを怠けたお前たちの罪でもある。

 最早電子の世界で、口頭で、真実を語り継ぐことが美徳と言われた保守思考は、腐り果てた過去のまやかしだ。今こそ我らは動かなければならない』

 

 演説がヒートアップしていき、国民の心が神無に掌握されたことに気づく者は誰もいない。

 ある者は声を出すのを堪えつつ感動に震え、ある者は涙を流していた。反発していた者ですら、中には神無の言葉に心を動かされ、寝返る者もいる。

 ましてや国民が長きに渡って求めてきた思想信条の持ち主が三月皇ともなれば、疑う者こそ異分子として排除される。

 

 『この日は終わりではなく、新たな始まりだ。

 今日の訣別をもって、間者たちの母国は躍起となり、秘密裏の国盗り工作活動は活発化するだろう。そこに旧来の保守のやり方は通じない。戦わざるを得ない時が、今まさに目の前に来ているのだ。

 恐怖なき戦いはない。痛みを伴わない戦いはない。しかしその先に待つのは絶対的なる安寧である。我々はやられるだけの人形ではない。今こそ我々は戦うのだ。そして、世界に宣戦するのだ。

 やられるだけの時代は、もう終わったのだと。次は我々が仕返す番だと。

 私は戦うぞ。どんなに傷つこうとも。どんなに血を流そうとも、私は最後まで戦ってみせる。腐敗したかつての時代を二度と作らせないために。

 月神、輝夜がいた時代に生み出された負の歴史を、二度と作らせないために』

 

 国民の感情はいよいよピークを迎えた。

 演説の中に含まれた一つだけの嘘に疑いを持つ者は誰もいない。反対の声は歓声の前にかき消され、口を閉じざるを得なくなる。

 映像が切り替わり、ガラス玉のような檻が映された。中には老若男女がすし詰め状態で収監されていた。

 すると国民は、一斉に収監されている天月人に向かって「売国奴」「国賊」「侵略者」と、あらん限りの罵声を投げつけた。誰一人として捕われた天月人を思う者はいない。

 再び神無が映されると、かざした手に黒と紫色の光が集いだし、一振りの金色の大剣へと姿を変えた。

 

『この日、この瞬間をもって、我々は支配からの枷を解き、陰湿にして悪辣なる国盗りを企てた国への反撃を宣誓する。

 世界よ、刮目せよ。これはお前たちが見下し、蔑み、踏みにじって来た我らの怒りの(こえ)。我らとお前たちの、訣別を表する裁きの光である』

 

 神無の大剣を黒と赤の雷が渦巻き、眩いほどの輝きを放つ金色を塗りつぶす。

 剣が天月人が収監されているガラス玉に向けられると、赤黒い光が切っ先へと集約して爆ぜた。

 途端に船の警笛を更に野太く大きくしたような、体の内部さえ震わせる低音が月界に轟いた。

 赤黒く太い光線は大勢の天月人を収監したガラス玉を瞬時に飲み込み、チリ一つ残すことなく焼き尽くす。

 地上では大歓声が上がり、新たな時代が幕を開けたということが支持、不支持の垣根を超えて世界中の国民に感じ取られた。

 その様子を、車内で見守っていた少年は首筋を伝う汗の冷たさで我に返る。

 

「本当に撃った……。奴は本当に戦争をしたいのか?」

 

 体を覆い隠すほどに長い、トンビコートのような服を着た少年の名は『(さく)』。まだ十五にも届かぬ少年は、月界の警備軍を率いる最年少の総隊長である。

 そんな彼が車で向かう先は、月界の国立図書館。彼の立場を使い、月界でも限られた者しか知り得ないある最高ランクの機密情報を見に行くのだ。

 その情報とは輝夜のことである。

 正直なところ、彼は神無を支持していない。むしろ危険視さえしている。が、一から十まで全てが支持出来ないという訳ではない。共感が出来るものもあるため、彼は複雑な心中であった。

 だがそれも、先の公開処刑で全て帳消しとなった。

 それでなくても国民の生活を広く見渡せば、月界の現実を感じざるを得ない。

 会社に向かう人。登校する学生。休日を過ごす人など、道を行き交う人々の種類は地球とそう変わらない。

 しかし決定的に違うのは、街の一定間隔で武装した警備兵が街中で常に眼を光らせていることだろう。そのために、人々は常に緊張した面持ちである。

 広場では劇を披露するところもあり、見物人の群れができているところもあった。

 それだけ見ればのどかなように見えなくもないが、見物人に紛れて警備兵がいることを見れば劇の内容は大方予想がついてしまう。

 それは神無の、現政権が作り出している徹底した恐怖政治を暗に批判しているものだ。

 この世界では個人、集団問わず、直球な政権批判は秩序の保安という名目で老若男女問わず容赦なく粛清される。

 デモや集会に対しては言わずもがな。活動前の準備段階ですら、どこから聞きつけたのか警備兵が拠点へ駆けつけて暴力的に取り締まる。

 リーダー格たる人物は、よくて二十年ほどの禁錮。運が悪ければ前述の通り粛清される。

 そんな徹底した独裁政治を繰り広げる神無が狡猾で強力なのは本人の実力や、神無の支持者が非常に多いということだけではない。

 その代表的な例が、広場で行われている劇のように、批判をほのめかす表現が粛清の対象ではないことである。これがくせ者なのだ。

 アウトとセーフの境界線は、国民はもとより警備軍総隊長の朔ですら分からない。

 なまじ表現と言論、思想の自由が認められているのに、常に警備兵たちが眼を光らせているから国民は絶えず怯えた生活を送っている。しかし神無の横暴には密かに抵抗するディストピアな世界が、今の月界なのだ。

 そんな朔を含めた不支持派はここ最近、三月皇より高い高次の座。月神の権威復活を望むようになってきているのだ。

 月神には輝夜と彼女の生みの親である父『天源(てんげん)』と母『月魄(げっぱく)』の三人。

 しかし天源と月魄は、輝夜が引き起こした事件によって行方不明となってしまった。

 その事件とは、輝夜の暴走によって月界の国民が億単位で失われた凄惨な事件のことだ。

 土台許されるような話ではなかったが、つい最近になってその事件は意図的に導かれたものだという噂が、まことしやかに囁かれるようになった。

 朔も初めの内は単なる根も葉もない噂話と気にも留めなかったが、日に日に信憑性が強まる中身が匿名の者によって逐一公開されていくと、彼も信じざるを得なくなった。

 しかし更なる確証が欲しいという知識への渇望に従い、朔は今に至るのである。

 月界の国立図書館は、少しくぼんだ台形の建物から緑色のヒマワリの種の形をした独創的な造形をしている。

 おおよそ図書館とは思えない豪勢な装飾に彩られたエントランスに着くと、車を護衛に任せて朔は一人で図書館に入っていった。

 開放的なまでに広々としたロビーは天井からの黄金色に輝く照明で、風情のある落ち着いた空間になっている。

 鏡のように磨かれた大理石の床。インテリアとして生えている木。高級ホテルのロビーと言ったほうが正しいくらいに豪勢な作りのロビーの一角に、朔は脇目も振らず歩いていった。


 「月界警備軍総隊長、朔です」


 「お待ちしておりました、朔様。ご公務ご苦労様です」


 「特級機密情報を扱う場所に行くには、こうでもしないと、行けませんからね」


 「やや。朔様も、見た目に似合わず小ずるい方だ」


 地球でいうスーツに身をまとった男性は軽いやり取りを交わすと、「さて」と言ってデスクに照らされたボタンの一つを軽く押した。

 図書館の全体が青い立体映像となって浮かび、男性は慣れた手つきで操作をすると「では行きましょう」と言って二人はロビーを後にした。

 二人が向かう先には、いかにも特別そうな金でできた扉がある。

 二羽のクジャクが羽を伸ばしている模様が彫られた扉の付近には、二つのラピスラズリで出来た球体。

 全方位監視装置が二人が近づくにつれて青い光を二人に集中し始める。

 機械だけではなく、その付近にも厳選を重ねた屈強な体つきの、装甲を見に纏った警備兵が十人。ネズミ一匹見逃すまいと目を光らせていた。

 ラピスラズリの球体に挟まれる位置で立ち止まると、朔は愛刀を警備員に渡し、トンビコートを脱いだ。

 細身の体つきながらも、凛とした表情の朔は機械と人の手による二重のボディチェックを受けると、警備の一人から翡翠の腕輪を手に取って説明を受ける。


 「魔力を感知すると、非殺傷性の電気を発する腕輪です。疑ぐるようで申し訳ありませんが、こればかりは朔様でも当院での規則に従っていただきます」


 「構いませんよ」


 「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは今より二時間です。二時間以内の退出は認めますが、それ以上は一切の例外なく退出していただきます。

 なお、室内にも無人監視装置が常時起動していますが、こちらもご理解のほど、よろしくお願いします」


 説明が終わると、目の前で金の扉が重厚な音を立てて開き朔は二人の警備と男性に見送られながら上っていった。 

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