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絶望のバレンタインデー

 「好きです、……付き合ってください」

 冷たい風が心に染み渡る、2月14日の帰り道のこと。

 赤く火照った頬、希望と不安に押さえつけられた心臓に自分を保てなくなりそうだ。

 彼はどう答えてくれるのだろう。

 顔を上げることもできなかった。

 「ありがとう。でも、ごめん。」

 その言葉に私は固まってしまった。何も考えることもできずにただただ硬直していた。

 そんな私に彼はこう続けた。

 「君のこと、その……タイプじゃない、かな」

 タイプじゃない。その鋭利な言葉に私の心は崩れ去ってしまった。しかも申し訳なく言われたのがまた一層強く突き刺さる。

 彼が帰った後も私はその場に立ち竦んでいた。すっかり冷え込んでしまった心に追い打ちをかけるかのように2月の風が吹き込んでゆく。

 何がいけなかったのだろう。

 どうして断られてしまったのか?



 彼との出会いは1年生の冬だった。

 提出物を職員室まで届けなくちゃいけなくて、クラス全員分のノートを運んでいる時のことだった。

 冬だというのに廊下を走り回る男子、教室よりも寒いはずの廊下で道を塞ぎながら喋る女子。

 私にとっては全て障害物にすぎないそれらを避けながら歩いていた。

 だが、一瞬の気の緩みなのかある障害物を避けきれなかった。廊下の角、まさに死角と呼ばれるその場所に現れた男子に私の肩が勢いよくぶつかり、バランスを崩したノート達はたちまち床に落ちていった。

 「わりぃ、急いでんだ」

 全く謝る気のないその言葉に呆れ、悔しながらもノートを拾い上げる。

 『廊下を走るな』など、ここではそんな言葉さえ通用しない。私の知ってる限りでは、小学生の頃は真面目で先生の言うことも素直に聞いていた人が、中学生になって一変してしまったのだ。

 好き勝手に行動し、先生の言うことさえも聞かない。

 こんな人たちとあと2年も生活しなければいけないと思うと、溜息しか出なくなる。

 いやでも、肩あたりまで積まれたノートを一人で運ぼうとしたのも悪かったのかもしれない。それなら聖依(せい)に手伝ってもらえば良かったとそう思い始めたところで、もう一つの手がノートへと伸びていた。

 「あ、ありがとうございます」

 この学校で拾い物を手伝ってもらうなんて思ってもいなかったし多分どこかの先生だろうと、ふと顔を上げると思ってもいない顔に驚いた。

 思わずあっと声を上げてしまいそうだった。

 拾ってくれたのは顔も名前も知らない男の子。けれど、よくいる男子という感じでもなく、クールな感じで整った顔立ちをしていた。

 その時はあまりに突然の出来事でわからなかったけど、確かにあれは"一目惚れ"だったはずだ。

 男友達はいたものの、恋愛対象としてみることのなかった私が、手助けしてくれた見知らぬ男子に魅かれてしまうなんて……

 無意識に熱くなってしまい、下を向くが、ノートは既に拾い終わっていて、下を向く理由がなかった。

 「これ、どうするの? どこかに運ぶなら手伝うよ」

 声を聞いただけでなく、その言葉にさえ心は反応していた。男子にここまで優しくしてもらったことがなかった私は対応しきれないでいた。

 でも、このまま何も言わなかったら、彼も困るだろうし、それっきりになってしまいそうだ。

 「えっと、職員室に持っていかなくちゃいけなくて……」

 その言葉は片言でちゃんと伝わっているか心配だった。

 「そっか、じゃあ手伝うよ」

 そんな心配をよそに手伝うと言ってくれたのだが、これ以上迷惑をかけるわけにもいかないし、そこまでしてもらうと申し訳なくなってしまう。

 「え、えと……大丈夫です。ありがとうございました」

 お礼を言いそそくさとその場を離れようとした。そんな私に彼は少し焦るような口調で名前を聞いてきたのだ。

 なぜ?私の名前を聞く理由を知りたかった。たまたまノートを拾っている私を手伝い、名前を聞くだなんて……

 いや、この状況でなぜ私の名前を知りたいんですか? なんて冷たいセリフを言ってしまったら、それこそ今後彼と出会う機会が著しく減ってしまう。今でさえ運命かなにかのはずなのに。

 「押原(おしはら) 希優(きゆう)です」

 自分の名前を言うのがこんなに恥ずかしく思えたのは初めてだった。

 一目合った時のからのドキドキにそろそろ苦しくなってくる。

 「で、では……」

 早くここから立ち去りたいという気持ちが足を動かし、彼の名前を聞くこともなく職員室へと向かった。

 これが彼との初めての出会いだった。



 彼とは翌年同じクラスになり、彼の名前が甲斐(かい) 翔哉(しょうや) であることを知った。彼には挨拶もかかさず、毎日のように話しかけ、いつも彼の前では笑顔を欠かさずにいた。彼も、私の行動をシカトすることもなかったし、話にも付き合ってくれた。周りに気付かれないように2人で帰ったこともあった。その時間は私にとってとても幸せだった。

 なのに……

 今更思い出に浸ったところで、未来が変わるわけでもないし、現実を受け入れるしかないのだけど、やっぱり胸が苦しくなる。

 あの言葉に心を(えぐ)られてしまいそうだ。

 あぁ、もういっそ構わない。このまま私を……


 「優ちゃん! 」

 後ろから私を呼ぶ声がする。中学生になってもまだこの呼び方をするのは彼女だけだ。

 ごめん、ダメだったよ。いつも応援してくれて、私のそばに居てくれたのに。

 私は振り返ることさえ出来なかった。彼女への言葉さえ、この凍りついた心にはなかったのだ。

 「優ちゃん、しっかりして! 手もすごく冷たい……。今すぐうちの家行こう。温かい飲み物あげるから……! 」

 動かない私にそう言って、そのまま手を引いて連れていく。私を動かすその手は決して温かくなかった。

多分、なかなか帰ってこない私を探していたのだろう。こんな寒い中を。


 彼女の名前は 西牧(にしまき) 聖依(せい)

 小学生からの幼馴染みで、私の一番の親友だ。茶髪のショートヘアで、赤縁メガネの女の子。成績優秀で、勉強事でいつも助けてもらっている。私がお礼を言うといつも"困った時はお互い様"と言うのだ。私 聖依を助けた憶えなんてないはずなのに。


 聖依の家は暖房がよく効いていて、それだけで冷え切った身体を温め落ち着かせてくれた。

 いや、それ以上に聖依の優しさが私の心と身体を温めてくれたのだろう。

 そっと温かいココアを差し出し、今こたつ入れたから少し待ってねと、私の為に尽くしてくれた。

 「ごめんね、聖依」

 だんだん温まってきた心からでた最初の言葉がこれだった。申し訳ないという聖依への気持ちと自分の情けなさからでた言葉だった。

 「大丈夫」

 いつもとは違う、その一言を聖依は私に言った。疑問も否定も見えないその言葉にすこしばかりの安心と恐怖を抱いた。

 足元に温かさが伝わってきて、ようやく身体のほうは落ち着きを取り戻していた。

たが、心の中では冷たい言葉が何度も繰り返される。

 "タイプじゃない"

 私は落ち着けなかった。(うつむ)いたまま、じっと胸を抑え、この出来事をどこかへ消し去りたい気持ちと(つっか)えるようなモヤモヤした気持ちが私を包んでた。

 あんなこと言われてまだ未練があるのか?

 もういっそ記憶ごと消し去りたいんじゃないか?

 それができなくても、心の奥底にしまい込んでもう出れないようにしてしまいたい。


 いつの間にか涙が流れていた。声を荒げることもなく苦しくなることもなく、ただ無意識に頬を伝って零れ落ちれゆく。

 こたつ布団に染み渡る悲しみは次第に範囲を広げていった。自分の家の物じゃないのに、我慢しようとしても、止まらなかった。

 「泣きたい時は思いっきり泣くのがいいんだよ。気にしなくていいから」

 聖依のその言葉で心につっかえていたものが外れ、悲しみは大粒となって溢れ出した。

 そして次第に心が軽くなっていった。


 より一層冷たくなった空はもう黒の世界へと変わり始めていた。私を覆い尽くさんとするそれは刻一刻と迫っていた。

 「じゃあね聖依、また明日」

 あの圧迫された時間をずっと、親友に助けてもらっていたのだ。また同じ心境に陥るわけにはいかない。

 「うん、また明日。気をつけて帰ってね」

 聖依の口調からして、今も私を心配している様子だった。いつもは言わない(こと)まで付け足すほどに。

 私は、もう心配いらないという(こと)を表情で示し、聖依の家を後にした。

 空は次第に黒色を染めていき、家に着く頃にはもうその作業を終えていた。

 今日はもう寝よう。

 鍵を開け、ほかの部屋に注目することなく、自分の部屋へ駆け込む。

 今日は家族も外食で居ないし、帰ってきたところで寝ていると察してくれれば、起こしにくることもないだろう。

 おやすみ……

 制服のまま身体はベッドへ吸い寄せられ、そのまま目を閉じる。結局、夜中に起きることもなく、朝までぐっすりだった。時計を確認すると、7時を少し過ぎたところだった。

 いつも朝起きる時間。どんな時間に寝たとしても、この時間に起こす、見事なまでに完成された私の中の時計はどんな状況でも狂うことはなかった。

 本当は行きたくない。もう1日くらい寝ていたかったけれども、ずるずる気持ちを引きずっていられない。

 なにしろ聖依には明日と言っていたので休むわけにはいかない。

 気持ち切り替えて、行こう。

 そう心身に言い聞かせ、朝支度を済まして家を出る。

 「いってきます」


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