第05話 咆哮を引き連れて
~1月7日 水曜日 14:57 日本 北海道 千歳市~
――移動を開始して30分が立った。三都、夜明、少女の3名は、9階建てのマンションの屋上の手すり際に座っていた。事前に周囲と遠くを確認して、安全な移動ルートを確保する為だ。しかし、三都が幾ら望遠鏡で探せど探せど、ファルマコはいなかった。
「どうですか……」
「ファルマコいないな……殲滅したのかな……?」
双眼鏡で顔を少し出しながら辺りを見渡す三都は双眼鏡をしまってしゃがみ込む。夜明は問い掛けた。
「動けないんですか?」
「ああ、どうにも静か過ぎる。三百匹っていう少ない数じゃあ仕方ないかもしれないけど、信号弾が上がってないって事はファルマコはまだ倒し切ってないって事だし。散らばってるのかね……うーん……」
顎に手を当てて考え込む三都を尻目に、夜明は背筋を伸ばして手すりから顔を出す。見渡す限りは雪を被って白化粧された建物の群れだけが見えた。
その静けさは、白い巨蟲によって引き起こされたと言えど、怪物が暴れまわっている等と思えなかった。
「……避難所は安全なんですか?」
「地下シェルターあるからなー……あとは……まあ、目印。実を言うとそんな安全性を言うと絶対かって言うと不安残るのが現状。絶対守れたら人間追い詰められてないんだよな、言っちゃあなんだけど。まあ安心しろ。絶対守ってやるから」
「はぁ」
「あうー」
「期待されてねー」
寒いせいなのか、それとも本当に頼りに出来ないのか、夜明は抜けた声で答えた。寒空の下に出て早30分。布で身体を覆ってはいるが防寒性は無い布では限度があった。口周りは寒さで固まり、顔や手といった肌の出ている部分は冷風で張り固まって感覚が無い。
意識も段々と薄れていき、眠気が込み上げて瞼に伸し掛かって来た。その時、背にした町中から突如爆発音が鳴り響いた。
「「!?」」
爆音で消えかけた思考が一気に呼び起こされた両者は背後を振り返った。目の前に広がっていたのは、降雪の中で立ち上る夜明は目を細めて、三都は双眼鏡で、200m先の煙の上がる町中を見下ろした。
雪と土煙の煙幕が晴れて、それはいた。
「クマァー……」
嫌々な溜め息交じりの声でそう言ったのは三都。呟く様に見入る青年の横で、裸眼ながらも、夜明は目を細めながらピントを合わせて輪郭を捉えた。丸く大きな身体付きは、北海道在住の夜明には見慣れた大型肉食動物、熊そのもの――に近かった。
まずその表面。ツキノワグマの様な毛深い黒い体毛ではない。まず青い。哺乳類としては有り得ない色で全身が染まっていて、陶器の様な鈍く無機質で、それでいて滑らかな外殻に包まれたその姿は、明らかに異質な生き物と分からせる。
そして問題なのはその大きさ。熊は町の中のビルの間にいる。高所という観測位置だったとしても、とてもじゃないが200m先で裸眼で分かる訳がない程がないのだ。それ程までにその熊に酷似した怪物は巨大だったのだ。
「〝四式〟か……7~8m位か、もっと。くぁぁ~~、マジかよ」
文句を吐き捨てた三都は双眼鏡から目を離してコートに手を掛けた。内側にはトイレットペーパーの芯よりも短い赤、青、緑といった色鮮やかな筒が何本か取り付けられていた。
「それは?」
「信号弾」
〝信号弾とは、文字通り信号を送る為の弾であり、発射後、空気中で光の玉となる。その姿から別名〝彩光弾〟とも呼ばれ、通信手段が確立してなかった時代や状況で、広範囲に、または遠距離からの通信をする為に用いられる道具である。
三都は腰から中折式の信号拳銃を取り出してh字状に変形させ、露わになった砲身に赤い弾丸を装填する。その最中、その様子を見ていた夜明だが、腕の中にいる少女が別方向を見ている事に気付いた。夜明は少女と同じ方向に顔を向けると、熊はこちらを見ていた。
「ッ!」
「――耳塞いでおけよ」
そう言うと青年は拳銃を掲げて引き金を引く。夜明は両耳を両手で塞ぎ、緑髪の少女に覆い被さったその直後、爆音が轟き木霊した。
天高く煙を上げて昇る信号弾は、白く濁る寒空の下で赤い閃光を放った。続けて爆音、赤い閃光の下へと向かって信号弾は上昇し、発火。黄色の光が空を漂った。
「よし、気付かれる前に逃げるぞ」
「もう気付いてる!」
「ああ!?」
三都は目線をファルマコの方へと向けると、彼方にいる熊型ファルマコは地響きと共に夜明達目掛けて迫って来た。三都は立て掛けたライフルを腰にある金具に取り付けて、少女と夜明を片腕ずつ担ぎ上げた。
「うわっ」
「ああうっ」
「しっかり掴まっ――」
動き出そうとするその瞬間、突如建物が大きく軋み揺れ動いた。響く轟音と揺れに智貞はバランスを崩してしゃがみ込み、膝を付く。夜明と緑髪の少女は青年の腕から抜け落ちて雪の上に落ちた。後ろから鈍く低い唸り声が響いた。
「早ッ!!」
振り返った先にいたのは、白い息を吐いてこちらを見る巨大な熊の顔だった。巨大な獣の顔のすぐ横で大樹の如き前右脚が影と共に屋上へと振りかざされる。前足の尖った爪が屋上のコンクリートの地面に食い込んで建物を叩き割る。
それを足掛かりにファルマコはよじ登り、顔を近づけていく。迫る顔はそれだけで恐怖を与えて夜明を硬直させる。寒さもあるが、獣の唸り声と少年を見るその異様な目によって、蛇に睨まれた蛙の様に封じられていたのだった。
恐怖で寒さも時間も何もかもが感じられなくなる夜明だったが、微かなそれは感じ取った。
(……温かい……)
我に返させたそれは温もり。微かな熱。その熱は、自身の左手から感じ取った。左手を目で追うと、そこにあったのは小さい白い、少女の手だった。
《――だけど君は絶対守る、絶対だ》
《まあ安心しろ。絶対守ってやるから》
2人の青年の声が頭に過った。少女と目と目が合う。
「……室島さん…………お願いします、自分に力を、力を……貸してッ」
少女はただ微笑んだ。――重なる手が灼熱の様に熱くなる。左手から何かが入り込んで、身体の中を這う様に突き進んで全身に行き渡る。蒸気が少女の身体から噴き出て夜明を包み込む。
その一方で三都はライフルをクマ型ファルマコに照準を合わせていると――。
「うおおおおおおあああああぁぁぁぁぁァァァッッ!!!!」
突如後ろから蒸気が噴き出たと同時に響く怒声と振動で動きが止まる三都。舞い上がる雪が波の様に身体へと伸し掛かる。
咄嗟で腕で顔を庇い、すぐに雪を払い除けて視界を確保すると、目の前にあったのは屋上に這い上がろうとする青い巨熊。――その大きな顔の頬に一撃を叩き込む白く巨大な存在だった。
「さっきの……!?」
それは先程の戦闘で見た全長5m以上はあろう白い巨人。大樹の如く太く長い剛腕の先の拳が熊型ファルマコの頬を打ち砕く。打ち飛ばされたファルマコは背中から落ちて雪と重く響く地響きの様な落下音が広まった。立ち尽くす白い巨人は振り返って口を開いた。
「食い止めます。他の人達と合流してください」
「馬鹿野郎ッ!!! 何勝手に飛び出してんだ!?」
少年と少女の勝手な行動に激怒する智貞は、横に立つ巨人を怒鳴り付けた。しかし巨人は耳を貸さず、ノシノシと建物の歪んだ手摺りの近くまで歩み寄り、マンションから飛び降りた。三都も後を追って雪の上を走り見下ろすと、瓦礫が飛び散る道路の上で巨人と巨熊が対峙していた。
「今すぐ戻って――……ッ!」
呼び掛けようとするも、背後からの気配を感じて振り返る。そこにいたのは。歪な複眼を持った巨大な昆虫が数匹、後方からよじ登って来ていた。
「信号弾に釣られて来たのか……あいつら放っておく訳にもいかねーし……ああ!! こちらブラックシェル7! 目標を発見したがファルマコと交戦中。規模は四式クマ型数一と二式多数。四式は目標と応戦しており離脱は不可能、至急応援を求む!」
広範囲への通常回線での無線通信。本来ならばファルマコを呼び寄せてしまう。だが、町一つ蹂躙出来る程の力を持つ四式を巨人一人が勝てると思っていない三都は、多少は危険を顧みてもマウガンの兵と北海道在中の軍の支援を呼んで四式撃破を確実にする事が賢明だと判断した。
腰に装着したライフルを構えて怪物達へと引き金を引いた。爆音と共に放たれた弾丸は、怪物の外殻を穿って赤く染めていく。穿たれる怪物達。その後ろから這い登る怪物達。続々と続々と。
「いなかったのに何処から出て来るんだよ、こな畜生め!!」
三都は銃に添えた左手を離して、コートの胸ポケットから手榴弾を取り出して、群れの方へと投げ付けると同時に別の建物の屋根へと向かって飛び移った。
その直後に爆発が起こり、山の様に積み重なったファルマコ達は足場ごと吹き飛んで、昇り掛けのファルマコ達と衝突して次々に雪の上へと落ちていった。
「二人共、生き残れ……頼むからッ」