第09話 新しい到来
~4月24日 月曜日 10:30 神奈川県 鎌倉 市立総合病院~
一面真っ白の天井、壁、床。行き交うのは白衣姿の看護師達と、パジャマ姿の患者達。それらとすれ違いながら、右手に袋を持って歩く眼鏡を掛けた青年がいた。マウガンのブラックシェル部隊に所属する三都だった。三都が入った大きな部屋は談話室だった。見舞いの人と患者、患者同士が話し合ったり、備え付けられた棚に入った本を取り出して読んだり、手持ちの本を読む人もいた。患者達は、殆どは1~20代の若者達だった。
「トモくーん!」
青年をそう呼ぶ少女の声に反応した智貞は、声の方向から声の主を見付けた。椅子に座り、テーブルには腕を乗せて本を読む青いパジャマ姿の少女だった。赤毛の長髪で、首の付け根の位置にある髪を結って肩に垂らしていた。
「トーモーくーんっ! 久しぶりー!」
三都は相手の子供染みた呼び掛けに呆気に取られながらも、彼女の下へと歩み寄った。少女の名前は篠邑藍奈。三都の幼馴染である。彼女は生まれ付き心臓が弱い為、余り外には出歩けず、数ヶ月に一度は体調を崩して入退院を繰り返している。両親は医療費の為に共働きで面会も多くは無く、暇を見付けては智貞が良く面会に来ていた。智貞は藍奈の隣の椅子に座った。164cmと小柄な智貞だが、篠邑の座高は三都よりも高く、互いに見下ろす、見上げる程の差があった。見下ろす少女は自慢げに青年を見下ろして、彼から肘鉄を脇に受けた。
「――藍奈……大丈夫か?」
「うん、今は容体が安定してるって。それよりさぁ、いっつも思ってたけど、眼鏡何で掛けてるの? 似合ってなぁ~い♪」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら篠邑は三都の眼鏡を人差し指でクイクイと動かし、青年はその手を払い除けた。
「仕方ないだろ、ココじゃあ、知ってる人は俺の事を良くは思ってないから……」
「バレバレだから今更意味無いよ~。それでもトモくんは私を助けてくれたでしょ? 命の恩人だよ」
「お前にそう言ってくれると救われるよ」
「ふっふーん! そうだそうだ、崇めなさい~」
「崇めはしないよ……――大学はどうだ? 通信だっけ?」
「うん。勉強だけだから、他の子たちと一緒にいられる訳じゃないけど、勉強は出来るし、同封されてるパソコンで動画やメールで分からない事とか教えて貰えるから大丈夫だよ。内職も楽しいし」
「おまッ、内職って……まだしてたのかよ……」
「だって、病院や家じゃ何もする事ないんだもん。アルバイトにも行けないし。だったら、家とかでも出来る内職なら簡単でお金も手に入るしね」
「ね、じゃねーって……」
「ところで今日は来て良いの? まだお昼前だよ?」
「今日はマウガンの入隊式で隊長達とか偉い人が出てて、隊員は待機で暇を持て余してる。ちょっとなら出掛けて良いって許可もちゃんと貰ってるよ」
「そ、なら良かった。……入隊式って事は、前、話してくれた人達もいるの?」
「――ああ、夜明とイザナミね」
三都は少女の見舞いに来ると、マウガンでの暮らしを話す。それは任務の事も含まれていた。だがその殆どは職務上、守秘義務があるものばかりな為、話せる内容は何処に行ったか、派遣先の土地はどんな所か、隊員名は伏せた上で、どんな人がいるのかといった、報道機関に取り上げられる範囲での内容に、三都自身が見て聞いて感じた感想を添えたものだった。その中には北海道のファルマコ上陸も含まれていた。
内容は冬の千歳はどんな場所か。一般人の夜明とイザナミという少女を助け、ファルマコによって天涯孤独になった2人は生きる為に互いにマウガンで生きる事を決めた――と、イザナミの正体を伏せて話した。
「そっか~~……会いたいな~、その子達に」
「ああ、時間があれば連れて来てやるよ」
「あー! オッパイ大きいお姉ちゃんとチビお兄ちゃんがラブラブしてるー!」
「アツアツ~!」
突如、後ろから幼く高い大声が轟いた。三都は振り返ると、背後にはアニメのキャラクターが所々にプリントされたパジャマを着た年端もいかない少年少女2人が立っていた。
「このガキ共オォッ!」
「怒ったー!」
「キャー!」
笑顔で二人は逃げると、三都は呆れながらも椅子から立ち上がってその後を追い掛ける。全速力で疾走はしない。早歩き程度、すぐに止まれる速度の駆け足で。相手は子供。言った事は嫌味でも何でもない、子供の無邪気な戯言。
気を引きたいが為、構って欲しいが為の手段。両者共々、今日初めて会った間柄ではないのだから。面会に来る度に近付いてからかってそのまま遊び相手をになる。毎度の事だった。捕まえては空高く掲げて喜ばせ、もう片方は脚にしがみ付く。
本来は篠邑少女に会いに来ていた筈が、何時しか子供達の遊び相手に変わってしまう来訪。三都と子供達、互いが笑顔で遊ぶその姿を、少女は母親の様に見守っていた。
(トモくんは私とずっと一緒にいてくれて、私を見ていてくれた。私や皆を守る為に、人をいっぱい殺したけど、トモくんはトモくんだよ……)
――沿岸沿いとその近くに突出した様にある埋立地の上に建てられた無数の施設群――〝マウガン鎌倉本部〟である。その内の一つである巨大なドーム状の建物の入り口付近には、〝102年 第16回マウガン入隊式〟と書かれてた看板が立て掛けられていた。
ドーム内には中央に500人以上の黒い制服を着て、所々に色鮮やかな頭髪をした新入隊員の男女達が固まって椅子に座っており、その左右を徳多らを始めとした組織の階級の高い者達、隊員の後方には入隊式を見に来た親族達が参列していた。そして新入隊員等の正面にある檀上の上で、台に置かれたマイクに向かって喋る青い髪の青年こそが、マウガン設立者、狐斑一将だった。
「――マウガン新入隊員の諸君の中には、中学から上がった15歳という若者もいれば、士官学校から来た20代過ぎの者もいます。本来マウガンは、対ファルマコの為の即席機関です。そんな組織が20年も続き、若者達が入隊しているのは、未だにファルマコを倒し切れず、次の世代へと敗北のツケが引き継がれ続けてるからです。その間には、数え切れない程の多くの血と涙が流され、命が失われました。
諸君は今日を以てマウガンに一員になりますが、それでも敵を倒せず、次の世代にまた任せなければいけないかもしれません。だが、その為にも今を生き、明日を生きる人々の生命を守らなければいけません。その為にも諸君等には全身全霊を以て励んで頂きたい所存です。何時か訪れるであろう、〝遥か彼方から降り注ぐ災厄の敵〟を迎え撃つ為に……健闘を祈ります」
男はそう告げると、一同は立ち上がって敬礼した。手に職を得る為、周りに誇りたいが為、人々の生命を守る為、国家に貢献したいが為――各々には各々の、十人十色の目的を持っていた。敬礼も、想いと決意を込めて腕を上げる者もいれば、狐斑の言葉とこの瞬間を鬱陶しいと思いつつ、渋々と嫌々とする者も、ただの社交辞令としてする者もいた。
新入隊員の中に混じる1人の少年は、敬礼に対して三つ目の考えを持ってそうした。ファルマコに大切な者を〝3度〟も奪われ、そしてファルマコに立ち向かう事を条件に、少女と共にいる事を許された。彼の心の内にあるのは、ファルマコへの敵意と彼女と共にいたい想いの2つだった。
灰色と紺色のメッシュの髪は、過去の無力な自分への拒絶と力を得た新たな自分になる為の意思表示。金色の瞳は希望と安らを見る為に、絶望と拒絶の感情が生み出す所業を見届ける為の代償。そうまでして人には異質の色彩を頭にし、体内にナノマシンを宿してまで共にしたい想い人は、人型の怪物にして仇敵の同種。
しかし少年にはそこまで思考しなかった。胸の内に広がり占める、蒼天の如く何も無い心に拠り所を浮かばせたかったのだ。故にたった1つの想いが、か細くも一点に目を向けさせ、その比率を逆転させる。掻き消されてしまいそうな程に小さく雲は、故にその存在が周りの蒼天を飲み込み支配する。彼女は雲――光を遮り涼ませ、恵みの雨を、楽しみの雪を、苦悩の雷と雹を降らす存在。
その色彩差が単色の空に楽しさを生み出す。二つある事で境界は生まれ、差異を生み出し、様々な形を生み出す。その名の如く、少年には神にも等しく尊き存在――。4月二20日月曜日、雲井夜明15歳、マウガンに入隊する。
入隊式を終えた夜明は、待ち合わせの場所へ向かっていた。しかし周りは同じ格好をした職員や親族達ばかりで、相手の姿を見分ける事が出来なかった。
「夜明くーん!」
「こっちよー!」
自身を呼ぶ声に反応した夜明は、声のした方向に目を向ける。金色の双眸が捉えたのは2人の女性だった。1人は白いスーツ姿の眼鏡を掛けた女性。隣には小学生程の身長に黒い制服、緑色の長髪を後頭部に纏めた少女だった。夜明は2人の下に歩み寄ると、少女も夜明に歩み寄った。
「イザナミさん、入隊式、お疲れ様です」
「はい! 夜明君もお疲れ様、です!」
「2人共、お疲れ様」
少年少女に歩み寄る女性は由紀だった。若くしてマウガン技術研究開発部副長として局長の大野口の右腕を務める彼女は、今日は夜明とイザナミ、両者の保護者として同伴していた。
「あれから三ヶ月……夜明君もイザナミちゃんも変わったね」
「変わりましたか?」
「ええ。イザナミちゃんは、まだ8歳なのに1週間で喋れる様になって、2ヶ月で小中高の勉強理解して」
「はい! 私、衛生兵って立場ですから、医療の勉強と、後、化学の勉強もしてます。空気や水、地質の
汚染度の計測。それと食べ物の見分け方。それとそれと、外国語の勉強も。まだぁ、英語とフランス語とアラビア語、北京語と福建語としか分からないですけど……」
「母国語合わせて五ヶ国語、中国語は2つも地方の言葉も喋れれば上出来よ。夜明君は?」
「中国語とロシア語……綺麗に喋れませんけど。高校の勉強なんて分かりませんよ……」
「まあ人それぞれ。中卒ってのあるしね。でも1番変わったのは外見ね。髪とか」
見下ろして身体を見る夜明は、八坂井の言葉を聞いて自身の髪の毛の先端を掴んだ。短く整えられた髪は視界には届かず、その色を視認出来なかったが、頭の中で鏡に映る灰色と紺色のメッシュの髪色をした自分の姿が浮かんだ。
「あー……派手になりましたね」
「黄色や赤、青になった人がいるからインパクトは欠けてしまうどね。でも珍しいのよ? ナノマシンで髪の毛が変色してもメッシュだなんて」
「そうなんですか……でも髪の色よりも、ナノマシンを投与してからの丸翌日、頭痛に気持ち悪くて最悪だった事ですね」
「ああ、ナノマシンが肉体の強化をする為に起こるアレね。髪や眼の色が変わっちゃう人はその時の強いストレスとナノマシンの影響で変化しちゃうのよね。人間、色んな食べ物食べてるからその時に僅かに残る色素が元になって変わるそうよ?
だからその人の色で何を食べてたのか分かるのよ。赤い人は肉を多く食べてて、青は青魚。緑の人は野菜――」
「分かりましたのでここまでにしましょう」
鳥海女史の説明がこのままでは収拾がつかなくなると判断した夜明。彼女も我に戻って謝罪した。
「じゃあこの後2人は指定されたブリーフィング室に行って配属先のシジン総隊への挨拶をしてね。総隊の各隊にも合わせて10人程人の入れ替えがあったみたいだから、仲良くするのよ? イザナミちゃんは挨拶する時は苗字の方も言うのよ」
「はい! 出雲って、ちゃんと言います! はい!」
「分かりました」
――沿岸沿いの波止場。コンクリートの地面に置かれた横長のベンチに座る青年は海を眺めていた。
「こんな所で何をされてるのですか? 小斉本総隊長殿」
地位を合わせて名前を呼ばれた青年小斉本は振り返ると、そこには眼鏡を掛けた青年が缶コーヒーを差し出しながら立っていた。小斉本と同じ所属のホワイトファング小隊のスナイパー、神崎だった
「直哉……――そうだな、ボーっとしてた」
「馬鹿かよ」
笑いながら神崎は缶コーヒーを手渡し、ベンチに座って片方の缶の飲み口を空けて中のコーヒーを飲んだ。
「っぷは。あー、もう4月だよ、俺等も今年で22。世間じゃ大学4年生で就活だよ」
「お前、昔の夢は上京して一流企業でバリバリ働くんだっけ?」
「ああ。金が欲しいからな。そういうお前は学校の先生だろ?」
「あ、ああ。そうだったな」
「本当はこんな所で武器持って戦ってるじゃないのにな。3次世界大戦が生まれる前にあったっつうのに、人間馬鹿だよな。人は変わらないなー、22世紀になるってのによ」
「それは人間愚かだからな。丸山の様な誰もが抱く思考が、手段があると極端になる。馬鹿と鋏は使い様だ」
「それも終わりだ。あの新人とロリのファルマコ巨人のおかげでロボットも出来た。後は実戦投入して問題点見付けて洗い直したら発表と同時に量産だろ?」
「年度末にはスポンサーや技術提供を得る為に大々発表したからな。来月にはインドネシアの島1つにいるファルマコ殲滅だ」
「協力プレイでハンティングからSFにシフトチェンジか。終わると思うか? この戦争」
「終わらせるんだよ。一流企業も教師よりもそっちが先だ」
「真面目でらっしゃるね、中学の同級生として、バスケ部部員として尊敬するよ、部長」
「そうかよ。取り敢えずやるぞ」
何時の間にか飲み干した空き缶を、小斉本は握り潰していた。




