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汝隣人を愛せよ

作者: 如月厄人

  怠い、眠い、つまらない。

  三拍子を揃えた授業を机に突っ伏しながら聞き流す。顔を上げる前は半分がこの状態だったが、今となってはどうなっていることやら。知ったことではないし興味も無い、更に言えば、早く終われ。

  誰が望んでこんな授業を受けたいと思うのだろうか、いや、履修をしたのは確かに自分だが、ここまでつまらない授業だとは一言も聞いていないし、教えてくれなかった。

  というか、教えてくれたとしても必修なので逃げられない。

  糞ったれめ、と毒づく。

  授業終わりまで残り45分。まだ半分。もう半分と言った方が希望が持てるだろうか?最初10分の説明で三分の一の生徒の意識をもっていったこの教授のデスヴォイスにもう一度俺をネバーランドに連れて行ってくれと目覚めたばかりなのに願うばかりだ。

  教室は広いクセに履修している生徒の数が多過ぎて、隣と一つ空けることも叶わない席に目覚めてから突っ伏すこと五分。終わらない。長い、長すぎる。人の話がこれほどつまらないのもある意味この教授の才能なのではないだろうか。

  そんなものかなぐり捨てて今すぐ身投げしろ。

  いけないいけない。仮にも会って二度目の教授に向けて言う言葉ではない。

  じりじりと唸る投影機の真下で、かりかりと何かを書く音が絶えず隣から聞こえてくる。授業のノートの内容だろうか、この授業に中身があったことにも驚きだが、ノートを取り続けられるその精神力を称賛したい。

「…んな下らねえ事して何になるんだか……」

「………?」

  うっかり出た言葉に隣の住人が首を傾げた。黒い髪が垂れ落ちる。しっかり見ていなかったのでわからなかったが、女子だったようだ。しかも見たことがある。あぁ、英語で確か隣に居たな、思い出して安心する。

  もしかしたら話し相手ぐらいにはなってくれるかもしれない。淡い期待を胸に抱きつつも、口から出た言葉は「なんでもないっす」

  よくよく考えてみれば、隣に座っているだけで一言も喋ったことがない。それもそのはず、授業は全て寝ている。教授が起こさなければ、それは暗に寝てていいよ、と許可を出してくれているに等しい。だから寝ている。寝ることをやめないし、やめられない。

  ちらりとノートを盗み見る。

「ノートとっとらんやんけぃ!」

「えっ?!」

  思わず口に出た。起きている半分の目が集まる。教授も見てる。こっちみんな、見ないで下さい。何でもしますから。

  ん?今何でもするって言ったよね?そう突っ込んでくれる友人達も今は夢の国、ネズミどもと戯れて帰ってこない。玉手箱でもくれてやろうか。

「静かに寝てる分には良いんだけど、喋るんなら外出てね」

「…うす」

  公認です。睡眠は公認です。さぁ皆さん寝ましょう。共に夢の国へ旅立つのです。

  そんな事より、まずは隣に謝らねば、と横目で見ると、隣人はクスクスと笑っていた。視線に気付くと、ノートにサラサラと何かを書き込み、こちらに寄せた。

『びっくりしちゃった』

  そのままとんとん、とノートをタップする。書いていいよ、ということだろうか。

『ごめん』

  短く書くと、隣人は首を振る。

『英語の時も隣だったよね』

『そうだね。気づいてた?』

『ううん、今気づいた。寝てたし、顔見えなかったから』

  確かに、と納得して、そういえばと話を切り出す。

『さっき何書いてたの?』

  よく見ていなかったが、文字では無かったのでとりあえず突っ込んでしまったのがさっきの状況だった。もしもそれがノートに必要なファクターであったなら、それも重ねて謝らなければならない。

  …どうみても必要な絵とは思えない程稚拙であったとしてもだ。

  隣人は少し躊躇った後で、少しノートを引っ込めた。

『恥ずかしいからだめ』

  頬を染めて、先程とは逆にノートをこちらには寄せてこない。そそられる。マジマジと顔を眺める。眉に掛かる髪が電光を反射する。長いまつ毛を備えた瞳は少し伏せられたまま他所を向き、白い肌を紅葉が染める。綺麗な顔立ちだ。だからこそ、この胸の底から湧き出る嗜虐心を止めることが難しくなる。視線を送ることをやめられない、視線を感じている様子はある。それでいい、それだけでいい。見られているということは、それだけで羞恥を煽る。

  紅葉がりんごになった。まだ視線は止まらない。口許が弛む。楽しい、愉しいぞこれ。新しい遊びを覚えた幼稚園児よろしくにやけた顔のまま視線を送ることをやめない。

  視線に耐えるのが難しくなったのか、観念したようにため息を吐いて、ノートをこちらに差し出してきた。そんな物は今はどうでもいい、変わらず視線を送る。はたからこの二人を見たらどう映るだろうか。顔を赤らめる女生徒をにやけ面で見続ける変態の図か。なるほど、それはいただけない。これからの人生がアルティメットになる。

  そう気付いたところで素直にノートを受け取り、ページを戻す。

「………」

  絶句。

  いや、もう、なんて言うか、言葉に出来ない。あんなラブソングのような切なさではない。本能的に恐怖を感じる絵だった。なんだろうこれ、いや本当にわからない、クリーチャー?クリーチャーなのこれ、なんか食ってるよ?人?

  生唾を飲む。

  あれ、もしかして触れちゃいけない人だった?

『だからやだって言ったのに』

  隅っこに書き添えられた言葉にふかぶかーと頭を下げた。いや、すいません、これは完全にこちらに非があります。

「顔は可愛いのになぁ…」

  人間得意不得意があるものだ。

  そそくさとまた隅っこに書き加えられた。

『よく平気で言えるね』

  何か言ったかなと考える前に思い当たる。実際、可愛いものは可愛いというべきだ。

『そう思ったからな』

『もしかして、チャラい?』

  げんなりした顔で隣人の顔を見る。

『チャラかったらもうアドレス交換もしてるだろうよ』

『それ、交換したいって事?』

『そうではないけど』

  またチラリと横目に見る。

『男受けする要素は揃ってると思う』

  黒ロングの艶のある髪に、パッチリとした瞳、綺麗な肌に、薄い化粧、話しやすいその性格。あれ、今めっちゃいい人と話してるんじゃ…。

『君は、どう思う?』

『どうって?』

『付き合いたいって思う?』

  チャンスか、それとも…。

  せめぎ合う天使と悪魔。チャンスなのか思わせぶりなだけなのかはっきりしろよ!

  それってどう言う意味?なんて聞けば冷めるのはわかりきっている。さてどうするべきか。

  だがしかし、欲望には逆らわない。今の彼の心を占めていたのは、大きな嗜虐心。自分に素直になるのは後回しだ。

『付き合いたい人でもいるの?』

  質問を質問で返すのも悪いが、この方が確実に、オモシロイ。隣人はやはり恥ずかしそうに頷いた。ほほぉ、いい事だ。そうでなくてはならない。

『なんかいじめっ子みたいだね』

  みたい、ではなく、正にそうなのだ。今はこの可愛げな隣人をいじり倒したい。そんな欲望を遮る様に、教授の授業終了の声がかかる。残念そうな顔をした目先に、ノートをかざされる。

『英語の時もよろしくね』

  笑顔で手を振り、隣人は隣人では無くなってしまった。夢の国から帰還した仲間がゾンビが如く彼の肩に手を掛ける。

「なに今の可愛い子、ウチのガッコにあんなの居たっけ」

「居たからここに居たんだろ」

  どうやら本格的に玉手箱でも用意しなければならないようだ。ボケた頭で若い姿もつり合うまい。彼は荷物をまとめて立ち上がる。続々と夢の国から帰還したゾンビ達が曲がった腰の痛みを訴えている。

  あんなに長いと感じた授業も、今では遠い昔に感じられる。

「随分と仲良くしてたじゃん、なんて子?」

「さぁ、名前も聞いてないな。偶然席が隣だっただけだし」

  例え知ったとしてもお前らには絶対教えない。

  獲物を見つけた虎の様な心持ちで次の授業に向かう。今日は英語がある。それまではゆっくりと待とう。




「英語圏の人々の間で一番信者が多いキリスト教、その原点に立っているのはキリストその人。皆さんも知っているとおり、汝隣人を愛せよ、というのはキリストの言葉ですね。それでは本日は…」

  教授の謎の前説から授業が始まる。汝隣人を愛せよ、素晴らしい言葉だ。汝隣人を虐げよ(愛せよ)。なんと、俺は彼女を愛していたのか、そうかそうか、それならばこの心も納得だ。

「んなわけあるかーい…」

「………」

  くすくすと隣から聞こえてくる。隣人は相変わらず愛らしい姿でそこにいた。

『君って独り言多いね』

『脳内会議が盛んなんだよ』

『何の会議してたの?』

  迷う。素直に答えていいものか。

『ひみつー』

  まぁいい訳がない。誤解を生むどころか折角授業を楽しめるタネをみすみす潰してしまう事になる。隣人は少し頬を膨らませる。なんだこいつ、計算してるのか。その計算に乗るほど愚かではないにせよ、何かと勘違いさせられそうなものだ。

『けちー』

  反則、イエロー、その言葉遣いは今はしちゃダメです。顔がニヤけるのを抑えられない。そっぽを向けば負けな気がする。

『そういうところはやっぱ可愛いと思う』

  一転攻勢、なるか、ならないか、隣人の顔を伺う。顔は赤らめているものの、まだ転がった様子はない。均衡。やるじゃないか、なかなか楽しめそうだ。

  お互いに若干の赤み、にやけ面。一体何を張り合っているのかわからないが、とりあえず楽しいからオッケー。

『やっぱり君ってチャラいよ』

『そういうのも君だけだよ』

  そう言えば、答えていないことが一つあった。

『俺は君と付き合ってみたいとおもうよ』

  隣人はペンを落とした。慌てて拾い上げる顔はもはやリンゴを通り越してタコの様だ。そして肩を一発はたかれる。痛い。こちらの痛みなど全く考慮されていない力加減だ。

『バーカ!!』

  達筆ですね。殴り書きがページの半分を埋める。

  転がった。確かに転がった。攻勢、出れるぞ。

『だって聞いてきたじゃん』

  口元を隠して俯く隣人。小さく頷くも、今返ってくるとは思っていなかったと見える。恥ずかしがっているその姿が堪らない。素晴らしい、そそられる。ぼそぼそと、そうだけど、そうだけど!と聞こえてくる。いいねその反応。

『からかってるでしょ』

  小さく頷いた。でも、そろそろ素直になってもいい頃だ。

『多少は』

  続ける。

『でも正直そう思う』

  顔を赤らめたままに、小さく書き記す。

『すき』

  目を疑う。おいおい待ってくれ、俺たちは今日初めて口を合わせたんだぜ。心の中が津波で崩れていく。そのまま、引き寄せられて行く。

  目が合う。

  口が渇く。

  惹かれる。

  魔法の言葉。その一言は人を狂わせる。固めてきたものを全てぶち壊して行く。

『ダメかな』

  首を振る、そんなわけがない。天使が勝っちまったよ、悪魔虐殺だ。

『俺でいいの』

  逆に不安になる。

  頷いた。

  口が、動く。

 《ウ・ソ》

  GodはDieした。

  なんだよこれ魔王強すぎぃ…。落胆のため息すら出てこない。考えてみればそうなのだ、自分にこんな美人が似合う訳もなく、こんな美人が自分と付き合おうと思うこと自体思い上がりも甚だしいことなのだ。

  はぁぁ…、長いため息が出る。ノートにまた新しく炭が乗る。

『本気にしちゃった?』

  そらそうよ、こんな可愛い子にそう言われちゃ、勘違いしない方が無理というものだ。頷いて苦笑いした。攻勢どころか轟沈だ。

『ずりぃ顔しやがる』

『そうかな』

  首を傾げる。それがずるいと言うのに…、もうわかってやってるだろ。

『そうだよ』

  隣人は考えるそぶりを見せた後で、さらさらと書いていく。

『でも嬉しかったし恥ずかしかった』

  狙ってやってたのだから、そうでなくては困る。むしろノーダメージだったのなら、ここまで打ちひしがれることもなかったであろう。攻めれる、そう思わされたことが、一番の敗因なのかもしれない。

『私も君と付き合ってみたいかな』

  また罠か、オーバーキルは勘弁してほしいものだ。

『ご冗談を』

  隣人は黒板を見て、その文字をノートに写してみせる。

『Love your neighbor』

  汝隣人を愛せよ、突然に出た言葉に、首を傾げてしまう。隣人は薄く笑って、書き足した。

『君が愛してくれるなら、私も同じだけ愛するよ』

  一度上がった脈拍はとどまることを知らない。破裂しそうな勢いの心音が福音に聞こえる。あかん、復活した、神生き返った。イエスなの?そうなの?

『だから、俺でいい、じゃなくて、君がいいって言わせてね』

  悟る。

  イエス様、愛すべき隣人は小悪魔通り越して魔王クラスだったよ。


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