EPー1
「へぇ、経済学なんて、まだ早いんじゃない?僕達、高校生だよ。」
駅ビルの五階にある大きな本屋で物色しているカガミにサオトメが声をかける。
「某量販店の創立者は四年程経営に付いて学んだらしい。今から始めるくらいが丁度いいだろう。」
「あれ?経営と経済って全然違うんじゃなかったっけ?」
「どうせなら。」
難しそうなタイトルの本を一冊取り出し、ぱらぱらと捲るカガミの目は真剣だ。
「経済という奴を全てを理解してやろうと思ってな。」
「へぇ。すごいや。先は長いね。」
「そういうお前はどうなんだ。」
ちらり、とサオトメに目をやるカガミ。いや、正確にはサオトメが持っている、今日買うのだろう分厚い本をちらりと見る。
「まぁ、情報屋だからね。それこそこの世の全ての情報を手に入れたいんだ。」
世界統計年間。タイトルにはそう書かれていた。
「それこそ高校生の言う事じゃないし、高校生が目を通す物じゃないな。」
「あはは。お互いさま、だね。」
「まぁ、時間は限られてるからな。致し方あるまい。俺も、お前も。」
「そうだね。」
頷きながらサオトメが遠くの本棚を見ると、そこではユージがぱらぱらと雑誌を捲っている。
(わぁお、こんなライフルあんのか。)
コンバットマガジンで銃の特集が組まれていた。興味深くそれを眺めるユージ。
(を、このマグナムかっけぇ。俺も使ってみてぇなぁ。)
頭の中で片手にマグナム、片手にナイフで立ち回る自分を想像するユージ。その姿は彼には格好良く見え、思わず手足が勝手に動く。
「あれ、ユージの奴、またやってるよ。」
「ふん。ほっとけ、あいつの脳は筋肉で出来てるからな。」
「考えるより、先に動いちゃうんだね。」
「・・・考えるよりも先に動く、と言えば。」
少し目を上げてカガミはある人物を思い起こす。
果たして、その人物、一条は。
そこは自分の部屋。
デッキチェアに座りゆらゆらと揺らしながらティーカップの紅茶を飲んでいた。ダージリンで彼女のお気に入りだ。
そして目線の先には壁に貼り付けられたメルカトル図法の世界地図。
(意外と、この国ってちっちゃいのね。)
椅子が揺れ動く度に僅かながら世界は広がったり縮んだりする。それは見る者の尺度によって世界はその姿を変えるという事を暗示しているように一条には思える。
(・・・次は、負けないわ。)
まだ冷めていないダージリンは香ばしく一条の喉を潤した。
何気なく彼女が確認した部屋に吊るされているカレンダーには今日の日付に赤文字で『大学病院』と書かれていて三重の丸が付けられている。
その大学病院、三一二号。主に大きな手術前後の患者が一時的に利用する病室が固まっている中の一つ。
計測器等が並んでいるこじんまりした部屋の中央で医者や両親に囲まれて一人の少女がベッドで上半身を起こしている。
医者はゆっくりとそのベッドの後ろにまわり、彼女の目の回りに巻かれていた包帯をほぐしていく。
一重、二重、三重・・・やがて全ての包帯が取り除かれ、それを医者は側の台に置きながら言った。
「もう大丈夫ですよ、アンドウさん。」
ぱちくりぱちくり、と目を瞬かせる少女、いや、アンドウ。両親が心配そうにアンドウを覗き込むと・・・
「お父さん!お母さん!」
にっこりと笑って、アンドウは視覚の無事を証明して見せる。
「ちょ、やめてよ、お父さん、ってば、もう、お母さんも、とめてって。」
医者がいるのにも関わらずお父さんは泣きながらアンドウに抱き付き、それを見守るお母さんも目から溢れ出る涙をハンカチで抑えている。
「よかった、よかった、心配したんだぞぉ!」
「もう大丈夫、お父さん、心配かけて、ゴメンね。」
自分の胸で泣きじゃくる父親をアンドウはいいこいいこしながら、優しく囁きかけた。
そんな家族を医者は一歩引いた所から微笑ましそうに眺めていた。
同じ病院、今度は一階の診察室。
この医者は小太りで白髪の目立つおじさんだった。淡々と喋るその口調は付き添いの母親の不安を不必要に煽る。
「精密検査の結果が一通り出揃いました。」
「それで・・・どうなんでしょうか。」
診察台ではウメノハラ、将来を嘱望されていた陸上選手が片足を投げ出して憂鬱そうな顔をしている。
(どっちでもいい。どうでもいい。)
「うむ。」
一言置いて医者は二人を見る。
(母親は脚が治りまた前のように走って欲しがっているように見えるが、本人にその意志は見られない。はて、どうしたものか。)
先程のアンドウの回復を見届けた医者もそうだが、医者、という職業はその職業の性質上、多くの分かれ目に立ち会う事になる。
例えば今まで順調だった人生が交通事故などの不慮でかつ唐突の事故等で突然絶望のどん底に突き落とされる分かれ目。
例えば回復する見込みの無い患者に奇跡が起こり体がぴくりと動いたその瞬間。
そういった分かれ目を多く経験する事で、自分の宣告が患者のこの先にどんな影響を与えるかを朧げながら感じられるようになるし、だからこそどんな言葉を使うべきか迷う。
(もしかしたら、もうこの少女は走れないかもしれん。)
走る事が好きになり、走る事で自分を知り、走る事で自分を掴んできた人生。そこにどんな理由や背景があるのかはもちろん医者である先生には分からなかったが、彼女が今までの人生を『走る事』に費やしてきた事はわかっていた。
それは少女を強く支えどんな困難にも耐えさせその成長を心の底から喜べる心をも育んできたはずだ。
だから、『走る』事を失ってしまった少女は脚だけでなく心も完全に失ってしまっている。
思い付いたことをだらだらと書いた結果がこれです。例え気分が乗っていようが章の構成をちゃんと考えないとバランスくずれますね。こういう話が一つのキーワードを繋ぎ目に転々としていく描写は気に入ってます。




