1ー4
「それで、何か私達の世界の事思い出せたの。オコゼ。」
長谷川 → ハセ(ここまでが皆) → ハゼ → オコゼ(人類から魚類へと進化していく四段活用)
ここは長谷川の部屋、一人暮らし用のアパートの一室。ベッドに偉そうに座り脚を組んでいる一条が長谷川に問いかけると、その一条の前にあるちゃぶ台の向こう側であぐらをかいてる長谷川は首を振った。
「まだ、何も。言っただけで全部なんだ。それ以上はどうしても、無理。いて!」
その内容の無い答えに苛立った一条が空き缶を投げ付け、それが長谷川の額に直撃する。
「まったく、ホント、使えないわねぇ。いい?私たちは向こうの世界が本当の居るべき世界、なの。まさかずっとこっちに居るわけじゃあるまいし。とっとと思い出しなさいよね。」
「でも、帰ればきっと思い出せる。何も今すぐに思い出す必要は無いだろう?」
せっついてくる一条の剣幕を正論でかわす長谷川。
事実その一、一条も長谷川と同じ世界の人間である。
事実その二、長谷川は自分の世界の記憶をほとんど失っている。
二つ目の事実は裏返せば一条は自分の世界の事をきちんと覚えている、という事だ。おいおい語るが、基本的に『願いの女神像』に願掛けしてこっちの世界に来た人間が元の世界の記憶を失う事はない。
「だからそう焦らせんなよ。」
と、追い討ちで一条に釘を刺す長谷川。
しかし、そうは言うものの長谷川も自分の世界の事を思い出し切れない自分に多少の焦りは感じていた。『願いの女神像』に関する三つの事柄、『願い』『条件』『制約』は覚えているので実務的な問題はほとんど無いと言っていい。
でも、気になるのは自分の世界の記憶よりもこっちの世界での思い出の方が多く深く積み重なってきている、という感覚だった。このままではろくに覚えていない向こうの世界よりも愛着も愛情もあるこっちの世界の方で生きていたい、と、本末転倒な事を思い始めてしまうんじゃないか、という不安。
必死の思いで辿り着いた『願いの女神像』。そこでの願いを叶える事が長谷川に取って一番大事な事なのははっきりしていた。しかし所詮それは理論での『はっきり』。せり上がってくる感情の『一番大事』とは相容れる事が無い。
「だっからあんたはバカハセオコゼなのよ。まぁ、あんな曖昧な願いするようじゃ、百回死んでもバカは治らないでしょーけど、ね。」
さっき空き缶をぶつけられ痛む額をさすりながら長谷川は自分の願いを思い出す。
『奇跡が起こる』
その、たった七文字の願い。それは余りにも漠然としていて、しかし、限りなく強力な願いだった。
「仕方ねーだろう。その願いに行き着くまでの事を思い出せないんだから。」
長谷川の毒付きを一条はフン、と鼻で笑った。
「それじゃー、女神さまもあんな無理難題申しつけるワケよ。」
呆れ顔の一条に長谷川は返す言葉も無く残り二つの決め事、女神さまの申し付けを思い出す。
長谷川の願いに対して女神が設定した条件は『仲間のメダルが全て重なる』、なのにその制約は『誰が仲間かを覚えていない』だった。
明らかに矛盾する設定、望むが故に奪われる希望。女神はほとんどの『条件』と『制約』を、その者の『願い』と相反し矛盾するように設定する、と言われている。それを乗り越えてこそ叶う願い、と解釈する人もいれば、女神の性悪な意地悪、と皮肉を言う人もいる。
長谷川は今の所そのどちらとも思っていなかった。
『仲間を覚えていない』という制約は大きな副作用を長谷川に引き起こした。長谷川を襲ったのは仲間の名前を忘れてる、だとか、仲間の顔を忘れてる、だとか、そういうピンポイントな記憶喪失などでは無かった。仲間に関係する事全部、ざっくりと削り取られていたのだ。
自分が生きてきた事は覚えている。自分がどんな性格でどんな人間に育ち、どんな事をしてきたかは覚えている。
国を支配する王族達、それに取り入って自分たちの反映の為に長谷川達を苦しめている一家、そして立ち上がった長谷川達。長谷川、達。そういう粗筋的な事はしっかりと覚えているのに、その細部や具体的な事をほとんど忘れてしまっている。仲間と共に行った作戦、最初に出会った日の事、それから長谷川達を苦しめた一家の名前すらも。
残っている記憶と言えば、一人で射撃の練習をした時の事、一人で作戦室で作戦を練った時の事、一人で外の瓦礫の中で焚き火でソーセージを焼いて食べた時の事、作戦から帰ってくる皆の為に料理を作った時の事、など。そういう思っているよりも一人ぼっちの印象が自分の世界というものに付いて回る。寂しい、というイメージ。しかし、寂しさどころか皆に対する信頼と一人じゃないと思っている長谷川の気持ちの記憶。思い出せる事実とは違う感情の記憶は奇妙な違和感を長谷川に感じさせる。
「ん?」
ちょっと考えに耽りぼーっとしていた長谷川に向かって、すっ、と一条が雑誌を差し出した。
外側に丸められている経済系の週刊誌で、そのページの四分の一程を二十代の女性の写真が占めている。高そうなスーツ、眼鏡、艶のある肌に屈託の無い笑顔。そう、自分が人生の勝利者である事を疑っていないように見える笑顔。
「今度のターゲットよ。」
「なになに。」
受け取りながら長谷川がそれを読むと、ここ数年で急成長を遂げた量販店、『シュリーズ』の社長である写真の女性の経歴と業績が書かれている。
「ふーん。あの店なら僕らもよく使うよ。便利でいいよね。安いのがさらにいい。」
「三億円。」
長谷川の言葉には興味を示さず一条が自分の言葉を続ける。
「三億円貯める事が『条件』、なの。だからそれを阻止して。」
「『願い』は?」
「向こうの世界の私たちの国の消滅。」
「なるほど。」
ぽん、と長谷川は持っていた冊子をちゃぶ台の上に放り出す。
「僕達の国は、こっちの世界のこの国の通貨にして、三億の値打ち、ってわけだ。」
長谷川の皮肉に、にやり、と一条が楽しそうな笑みを見せ、その言葉の続きを引き受ける。
「高いのかしら、ね。それとも。安いのかしら、ね。」
ちゃぶ台の上に広げられた週刊誌の中で、高そうなスーツに身を包み眼鏡をかけたその知的な女性はすべてを見通しているかのような目で二人を見ていた。
性格設定を細かくせずに書き始めたので長谷川も一条も話し方やキャラに個性が出てません。どの程度の個性をキャラに持たせるかって未だわからずにいます。元の世界での独り感の表現は良かったかな。でもこの辺りをどこまで詳細に書くべきか迷ったのを覚えてます。