6ー1
街の繁華街を少し外れた路地にそのバーの看板は小さく出ていた。
「Snowdrop」
(スノードロップ、希望、ね。人に贈れば『あなたの死を望みます』、か。)
木材の落ち着いた作りの看板の文字を見ながら、長谷川はこっちの世界に来た時に興味を持った花言葉という風習を思い出す。サオトメがよく、『花の名前が小説とか詩とかに出てきたら、ね、その花言葉をまず考えなくちゃ。そうしないと、意味なんて浮かんでこないよ。』と言っていた。
ちりんちりん
少し重めの扉を引き開けると金属製の鈴の甲高い音が響く。
中は照明が暗めで二個程のテーブル席と後はカウンター、そしてカウンターの奥にはバーテンと、その後ろに瓶が並べられた棚。その大人な雰囲気の中に背伸びした気分になり長谷川は一歩、踏み入る。
同じような暗い部屋でアンドウの素肌を眺めた時も、どきどきした。レディ・ピエロと文字通り命をかけて戦った時も、どきどきした。そういう体験を繰り返してる長谷川でも、やっぱりこうやって大人の世界の片鱗に触れると再びどきどきする。それらは同じように『大人な世界』かもしれなかったが、どれもが違う『大人な世界』だった。
子供のやる事をどれも『子供の世界』と一括りにして小馬鹿にしてしまうのとは百八十度違った感じ方がそこにはあった。
「おい、ここぁ子供の来る所じゃねーぞ。」
カウンターで飲んでいたスーツ姿だがひどい無精髭と無造作な髪型の男性が野太い声を出す。手に持っているグラスは琥珀色の液体で満ちていて男の顔も赤く目付きも険しく、すでに大分飲んでいる事が長谷川でもわかる。
ぎぃー、と音がして扉が閉まる。
「タニグチさんですね。一条の仲間の長谷川です。」
「お前がハセガワか。まぁ、座れ。」
言われるままに長谷川は隣に座る。座りながら、バーテンを見る。
この世界で良く見るバーテンの服を着ていたが、胸元までの長い髪、胸の膨らみ、腰のくびれ、そして大きな腰とが女性である事を表現している。問題はその顔だった。
仮面を付けていたのだ。
レディ・ピエロは半々の色の道化の仮面を付けていたが、このバーテンは真っ白で口と目だけしか書かれていない、まるで着色前のような仮面を付けている。
(仮面、ってのが流行ってんのかな。)
確かに長谷川たち向こうの世界の人間はこっちの世界でなにか向こうの世界的な活動をしようとするなら、自分を隠したくなる。そういう時に仮面という手段は一般的なのかもしれない。
「悪気はねーんだ。一つは人払い、もう一つは、こいつぁ、すげぇ恥ずかしがり屋、なのさ。」
長谷川がじっと仮面を見ていたから、だろう。タニグチが軽口を叩く。
「そうなんですか。」
もしかしたら十歳は年上かもしれない、それも酔っている男相手に長谷川も言葉を選ぶ。
「一条なんかとつるんでていーんかよ、お前は。あ、こいつにいつもの、やってくれ。」
「ちょ、待ってください、僕は飲みません。」
「バカ。誰が酒やるっつったよ。コーラだよ、コーラ。」
一つ頷いたバーテンがグラスに黒い液体を注ぎ、長谷川の前に出す。安心してそれを持った長谷川がさっきの質問に答える。
「一条は、大事な仲間です。これからも、ずっと一緒に戦います。」
「ふぅん。お前がそう言うんだったら、いいけど、よ。」
そして、一口コーラを飲んだ。
はずだった。が・・・
ぶはぁ!
長谷川は盛大にそれを吹き出す。
「ぎゃはははは!!!!」
「ちょ、これ醤油じゃないっすか!」
タニグチはそれを見てまるで子供のように笑い転げ、咳き込む長谷川にバーテンが水を差しだしまき散らした醤油を拭き始める。
どん、どん、と大人の手で長谷川の背中を叩きながらタニグチは、
「まぁ、挨拶だ、これで緊張も取れたろ、がっちがちじゃ話もろくにできねーからなぁ。」
と笑いながら釈明する。
(どう考えてもただの悪ふざけだろ!ったく、ひでぇ大人につかまっちまったなぁ。)
悪態を心の中で付きながらも、確かに少し緊張がほぐれた事は感じる長谷川。
(いや、騙されたらダメだ、ただこの人は面白くてやってるだけだ!)
静かに後始末をしているバーテンのその仮面の笑みも、その向こうにある本人の笑みを表現してるようにさえ思えてしまう。
「で、なんだっけ。あ、レディ・ピエロとやりあってこてんぱに負けたんだっけ。コーラとオレンジジュースだったら、どっちがいい?」
(しっかも、どストレート説明、かよ。)
「オレンジジュースで、お願いします。はい、レディ・ピエロに勝てませんでした。だから、タニグチさんに武器をお願いしたいんです。」
「あいつとやりあってよく生き残ったなぁ。まぁ、でも、ってこた、あいつが手を抜いてるって事だな。」
(いちいち癪に障る言い方するなぁ、この人。)
喋るタニグチの口は酒臭い。
「こっちも、一条も本気でしたし、向こうも本気でした。知ってるんですか、レディ・ピエロを。」
「いんや、知らんよ。」
「じゃぁなんで手を抜いてる、ってわかるんです。」
長谷川を小馬鹿にするように鼻で笑うタニグチ。
「俺ぁ、酒飲みだが、それ以前に情報屋だ。見たことなくてもわかんだよ、んなこたぁ。なぁ、悪魔の物語り書き、さん。」
(胡散臭せー。大丈夫なのかよ、こんな人頼って。)
「そうなんですか。」
「お前はなんでここにいる?」
「え?それは一条に言われて」
「違う。そういう意味じゃねぇ。・・・お前はなんでこの世界に居る?」
突然の質問が長谷川の心の中の今までとは違った部分をかき混ぜる。
「・・・願いの女神に、お願い事をしたから、です。」
「なんで願いをした?」
「それは・・・願いがあったから、です。」
成り行きで。そんな考えも長谷川の頭に浮かんだが、あの場所で願いシステムの事を知りながら願いをしたのも事実だった。
タニグチが空になったグラスを掲げるとバーテンがおかわりを注ぐ。それから布とそれに乗っけられた小さなバスケットを置いた。中にはナッツが入っている。
そんな無言のやりとりの間もタニグチは話を続けた。
「その願いってのは、向こうの世界、俺達の世界じゃ叶えられなかったのか?」
「え?」
「だから、こっち来て苦労しなきゃ叶わない願いなのかよ、って聞いてんだ。」
「そ、それは・・・」
「・・すまん。別に責めてるワケじゃねぇんだ。ただ、よ。願いの女神、ってのは、俺達の願いをダシにただ楽しんでるだけなんじゃねぇかって思ってて、よ。」
「どういう意味です?」
長谷川の願い、仲間達と皆で幸せに暮らしたい。その単純な願いは向こうの日常で言葉にすれば『奇跡が起きる』になる。だから、長谷川はそう『願った』。
しかし、当然ながら世界は初めから長谷川に与えられたものだったし、願いシステムも長谷川からしてみれば最初からそこにあったもの、だった。だからそれそのものに付いて考えてみる事は無かった。物語りは考えるが物語りというものそのものに付いては考えない。そんな感覚に近い。
だから、その盲点を付いたようなタニグチの言葉に長谷川は興味を引かれる。
「ん?言ったとおりの意味、だ。願いの女神は『願い』をした人間に、その願いが難しければ難しい程、難儀な『条件』と『制約』を与える。」
長谷川の頭に知ってる人間の『条件』と『制約』が浮かぶ。
「でも、な。それは本質じゃない。そういう言い方は正しくない、って言えるな。」
合間にぽりぽりとナッツを噛んだりそれをウィスキーで流し込んだりしながらタニグチは続ける。
「願いの女神は、必ず願いに矛盾する『条件』と『制約』を設定する。俺は、『恋人と結婚したい』って願った。俺達は身分の違う二人で、な。結婚どころか会うのも難しかった。だから、そう願った。そしたら、な。とんでもねぇ『条件』と『制約』が付いてきやがった。俺ぁ、願わねぇほぉがよかった、って思ったね。こっちの世界で目覚めた時、よぉ。」
バーだとか、アンドウのシーン(キャバクラっぽい雰囲気)とかもそうですが、ラノベとか対象読者が若い場合にどれくらい書いていいものか、書けばよろこばれるのか、わかりかねてしまいます。あと、長谷川がどきどきする感じはちょっと書けてよかったかなと思ってます。




