第六話 王子殿下
よくよく考えたら、第一部では戦闘が起きないことが判明……orz
ってことで、今回は戦闘描写も有りです。
難しいですね、やっぱり。
――翌日早朝。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
薄暗く、人影のない板張りの道場の真ん中で、二人の男女が息を弾ませている。
一人は少年。
年は十七。中肉中背。
この年ごろには珍しい、色鮮やかな金の髪と青い瞳。
前合わせの薄墨色に染められた道着を着て、手を腰に当て、弾む息を整えている。
所々が汗に濡れ、少年の肌に張り付き、その鍛えられた筋肉の繊維を浮き上がらせている。
細過ぎず、太過ぎず。
引き締まっていながらも、存在感があり、しかし主張しすぎないだけの量に抑えられている。
絶妙な加減で身につけられた筋肉の鎧は、年不相応の色気を醸し出している。
一人は少女。
年は十六。小柄でやせ気味。
猫背気味のせいか、少年より頭二つは低く見える。
この国では珍しい、白い肌に黒髪と茶色の瞳という組み合わせ。
普段は下している長い黒髪は、今は後頭部で一つに纏められている。所謂、仔馬の尻尾と呼ばれる髪型だ。
板張りの床に腰を下ろし、足を前に放り出して荒い息を整えている。
少年と同じく、薄墨色に染められた道着は、これまた同じように汗に濡れ、肌に張り付き、年不相応に未発展な、しかし女性特有の柔らかなカーブを確かに描く、小さな体躯を浮かび上がらせていた。
「……さぁ、もう一本っ!!」
足を完全に伸ばしたままの姿勢で立ち上がるという、人外な離れ業を苦もなくやってのけた少女が、右手に持った細めの木剣を少年に向け構えた。
「――じゃあ、これで最後にしよう。そろそろ朝食だ」
切っ先を向けられた少年は、静かにそう返すと、右手に持ったやや幅広な木剣の握りを確かめる。
ピンと張りつめた空気の中で、十歩ほどの間合いを開けて向かい合う少年と少女。
少年は、息を吐き、右足を一歩分下げる。
空の左手を軽く握り地面と平行に、正面に突き出して構える。
右手は顎の位置まで上げ、切っ先を正面に向ける。
膝を曲げ、わずかに腰を落とす。
少女は、息を吐き、右足を半歩分下げる。
短剣を模した木剣を左手に持ち、体の正面に構える。
長剣を模した木剣を持つ右手は、力を抜き体の横に下す。
膝を伸ばし、腰を高く保つ。反らさず曲げず、あくまで自然体に。
流れる静寂。
「シッ!!」
一拍の空白の後、先に仕掛けたのは少年の方だった。
歯の間から小さな音を洩らし、裂帛の気合と共に一歩踏み出す。
瞬きをするほどの短い時間。
その次の瞬間には、少年はすでに一刀足の間合いまで迫っていた。
「はあっ!!」
右上方から左下方へ。
斜めに振り下ろされる軌道を、少女は後ろに下がって回避する。
滑るように、姿勢をまったく変えることなく、わずかに一歩分。
少女には布一枚、紙一枚ほど、木剣の切っ先は届かない。
少年は木剣が左に流れる動きを止めることなく、体を回す。
右足を踏み込むと同時に床を蹴り、体を宙に浮かすとそのまま全身を横に寝かせて、一回転。
真上からの斬り下しを放つ。
二閃一対の攻撃。
武器が持つ遠心力を利用した、唯々高い破壊力を求めたが故のその攻撃は、残念ながら少女に届くことは無く、床に剣先がぶつかる前に少年によって止められた。
少女は、またも姿勢はそのままに、わずかに半歩分左に逃れる。
少年は跪いたように着地した姿勢のまま、わずかに顔を上げる。
その目の前には少女の右の木剣が差し出されていた。
「ふっふっふ~♪またわたしの勝ちね~」
朝の日差しが入り、すっかり明るくなった屋敷の東側にある食堂。
汗を拭き、服を着替えた少年と少女は向かい合うように座っている。
少年はいつもと変わらず無表情に。少女はこの上なく上機嫌に。
少女の方は、普段と同じように、今は髪を下ろしている。
「そうだな。剣の腕だけでは、もうクロエには敵わないだろうな」
少年は悔しそうな様子を毛ほども見せずにそう返す。
何も知らない相手なら逆上してもおかしくない態度だが、クロエ(と呼ばれた少女)は彼の性格を理解しているので、あまり気にしてはいない――
「ちょっと!少しは悔しがりなさいよっ!!」
訳でもなかった。
少年は、チラリと目線を向けただけで、特に何か言葉を発するようなことは無く食事を続ける。
それを見た少女は、
「――はぁ、もういいよ。リチャードのばぁ~か……」
若干疲れたような様子で背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
「――クロエ」
「……あによぅ……」
前触れもなく話しかけてきたリチャード(と呼ばれた少年)に対し、クロエは若干機嫌の悪そうな言葉と態度で返答する。
(まだ機嫌直さないとか……。お子ちゃまか……)
リチャードはそう思ったが口には出さず、代わりに別の言葉を紡ぎだした。
「城に行く時間もある、さっさと片付けろ。でなきゃ、俺は先に行くぞ」
こういう時、リチャードは本当に先に行く。
そう言いながらこちらの準備が済むまで待っていたり、先に行くふりをしてどこか別の場所から見ていたりはしない。
それをよく知っているクロエは、手元に僅かばかり残っていたパンを一口で頬張り、残っていたスープで嚥下して、
「――ッわかった。準備してくるから、ちょっと待ってて」
そう言って部屋に駆けていく。
二時間後――。
リチャードとクロエは、エルリア城内の一室、リチャードが昨日話をしていたリチャード三世国王陛下の私室のソファーに隣り合って座っていた。
部屋の主は謁見の予定があるとかで、正午過ぎまで体が空かないらしい。
思えば、何時に来い、と言われていない時点で自分たちには非は無い――リチャードはそう思うことにした。
クロエはと言えば、生来の人見知りを父を亡くした件でこじらせ、人目があるところでは極端に大人しくなる傾向がある。
今回の外出はまさにそうで、家から城までの道はもちろん、城内でも衛士の目はあるわけで、結局この部屋に入って義兄と二人きりになるまで一言も話さず、始終俯いたまま、リチャードの上着の裾を掴んで歩いていた。
リチャードは今日も昨日と同じ、暗い灰色に染められた麻の上下を身に着けている。
麻の服は比較的安価で手に入ることもあり、多くの庶民に愛される素材である。
この色調は、汚れが目立たない――ということもあるが、染料につかわれている植物が、微弱な抗菌作用を持っていることから、冒険者のような『怪我してなんぼ』な職業の人間に愛用されている。
つまりは、国王の居城たるこの場所には甚だ相応しくない訳だが、本人も含めこの場に現れるであろう彼の親しい人間の中に気にする者はいない。
クロエは、薄い黄色に染められた亜麻のワンピースを着ている。
薄い黄色の染料となる植物は、虫よけの成分が含まれていることもあり、多くの庶民がこの色の服を使っている。
亜麻の繊維は麻よりも柔らかく、より高級な衣服につかわれる。
城に招かれるとあって、普段は着ない服を着て精一杯のオメカシをしてきてしまうあたり、クロエは普通な、あるいは常識的な感覚を持っていると言える。
「……ねぇ」
ひざ丈の裾を気にしてか両手を膝に組んで目を伏せたまま、クロエは家を出て初めて口を開いた。
それに対してリチャードは、無表情のまま、目線をクロエに向ける。
「……リチャード陛下って、どんな方?」
クロエは、まだ見たことも、ましてや直接言葉も交わしたことのない相手に、大きな不安を抱いていた。
それに対してリチャードは、
「緊張しなくてもいい。どこにでもいる普通の十七才の少年だ」
部下の前ではちょっと偉そうにしているけどな――と言って、ニヤリと口角を上げる。
その表情に、若干緊張が解けたクロエは、ずっと気になっていたことを聞いてみようと思った。
「アンタと陛下が親しい……っていうか、なんて言うか、そういう仲だってのは知ってるんだけどさ。怒られなかった訳?言葉使いとか、態度とか。仮にも相手は王子様で、今は国王陛下なわけだし」
「どうだろうな?俺もあいつも気にしなかったし。俺はほら、両親が両親だから、貴族だの平民だのって考えは馬鹿馬鹿しいって思ってたし。あいつも、今でこそ国王様とか言われてるけどさ。昔は第二王子で特に期待もされてなかったし。王族って立場も大変だからな、俺と母さんは良い逃げ場だったんじゃないか?」
クロエは、ふぅん、とだけ返したが、内心ではリチャードが割と真剣に考えていたことに驚いた。
「アンタの事だから、その場のノリで……とか言い出すんじゃないかと思ってた」
「それもある」
――スパァンッ
リチャードの後頭部を無言の平手打ちが襲う。
「まったくっ……。あれ?『リチャード陛下が第二王子殿下だった』って話は知ってるけど、そういえばどうしてリチャード陛下が王位に就いたの?第一王子殿下は?」
クロエは自分の疑問を素直に口に出しただけだった。
それをリチャードは、まるでありえないものを見るような目で見つめる。
「な、なによぅ」
リチャードの非難するような視線を感じ、クロエは若干小さくなった。
「いや、この国はおろか、周辺諸国の人間ならだれでも知っていそうなことを聞かれたからな……。そうか、あの頃はお前、引き籠ってたもんな。まぁ、無理もないか」
納得したようにリチャードは話し出す。
「エミリオ――あぁ、リチャード国王陛下が王位に就いたのは四年前だ。先代国王ガイセリック一世陛下が急逝されたのが五年前の春、俺たちの親が罹ったのと同じ流行り病が原因らしい。で、その時、第一王子のアルバート殿下は東部国境砦に視察に行かれていたんだ。彼は先々代レオポルド二世陛下の再来と呼ばれていて、武勇に優れていらっしゃったようだからね」
東部国境砦はエルリエール王国の東端、アテウ連峰のさらに東側に建設されている。
三〇年前の東部諸国の戦乱を収めた功績にと、教会から飛び地を贈られたことがその契機とされている。もっとも、東方諸国側も、海岸線や交易地などの重要な場所は譲ることは無く、与えられたのは、何もない山林地帯だったが。
「知っての通り、アテウの峰を超えるのは難しい。唯一、ある程度安全に通行可能な道であるジャクソン峠も、春にはまだ雪と氷に閉ざされているからね。……採るべき方策はいくつかあった。無理を承知で最短ルートである山越えをするか。夏まで待ってジャクソン峠を越えるか。北か南か、いずれかに回って海路で王国に入るか。アルバート殿下は山越えを選ばれた。他の方法では時間がかかりすぎてしまうからね。一目でもお会いしたかったんだと思うよ」
エルリエール王国の葬儀では、基本的に死者は土葬される。
王族の葬儀では、遺体に特別な防腐処置を施した後、国民が直接別れを告げる機会が設けられるが、時期的に一週間ほどが限度ではないか、と言われていた。
例え直線距離でも、東部国境砦から王都エルリアまで一週間という道のりは、かなり無茶な行軍を、昼夜休みなく続けねばならず、それは事実上不可能と思われていた。通常は二~三週間はかかる道のりである。
「それだけ尊敬していた……とも考えられるけどね。他のルートでは、結局三倍以上の時間がかかるわけだし。ただ、ここで事態は最悪の状況を迎えることになるんだ」
春のジャクソン峠は冬の間に積み重なった、分厚い雪と氷が解け始め、実は一年で一番危ない時期だと言われている。
大きな雪崩が頻発するからだ。
そのジャクソン峠を含む東部国境を監視する〝王国の東の門〟、レルメシェー要塞から、王子到着の連絡がいつまで経っても届かなかったのである。
「王子殿下は優秀な護衛数十名と一緒に山越えを敢行。その後行方不明になった。捜索隊も幾度となく出されたよ。東部国境砦への道だけじゃなく、南北に逸れていても良いように、結構広めに探索したらしい。……でも結局見つからなかった。季節は移り、冬がやってきて、殿下の生存は絶望的になった、少なくとも上層部はそう考えたみたいだね――」
「――それで、それまで内政を切り盛りしてたチャールズが補佐する形で、余が即位したという訳だ」
リチャードの話の途中で部屋の扉を開けたのは、他ならぬこの部屋の主、『若年王』リチャード三世だった。
それを見た二人がソファーから立ち上がり、膝を突こうとするのを国王自らがとめる。
「そのままで良い。ここは余の私室だ。余ら三人だけならば畏まる必要もあるまい」
すると二人は静かに頭を下げ、ソファーへと再び腰を下ろす。
「後でチャールズとレジアス副隊長も来るそうだ。それまで、また少し待ってくれ。余の方ももう少し掛かりそうなのだ、済まぬ」
そう言い残して、国王の少年は再び扉を閉めた。
部屋の中には、微妙な空気だけが残された。




