第五話 家族2
薄暗い中、その部屋は、カチャカチャと食器と食器が当たる音が時折するくらいで、あとは無音と無言が支配していた。
大きな木のテーブルに並べられた四人分の料理。
四人の男女は、二人づつに分かれてそれぞれ向かい合う。
入口に近い方に少年と少女。向かって奥にそれぞれの父と母。
その場は剣呑な気配と、重苦しい空気が張りつめていた。
原因は様々あるが、大本はと言えば、やはりリチャードなのだろう。
マリアは――彼らが家族になってからは常日頃のことだが――自分を放置したことから、拗ねてしまっている。
クロエは、乙女の寝室に無断で侵入し、自分の寝姿を観賞した挙句、昼寝を邪魔した――だけでなく、自分が慌てている様子を傍からニヤニヤと眺めている様は、馬鹿にされたようで、子ども扱いされているようで、乙女心と矜持をひどく傷つけられたことから、不機嫌オーラ全開でいる。
そしてもう一人の同席者――
――名をアルベール・ケント。
リチャードの実父にして、元一流の冒険者。現在はエリーズ剣術道場師範代として、日々優秀な弟子たちの指導に邁進する、肩書通りの脳筋族だ。
背格好はリチャードとほぼ同じようなものだ。縦も、横も。
レジアスのような、威圧するための筋肉とは違い、必要なものを必要十分なだけ詰め込んだ、凝縮された筋肉は、大きく盛り上がることは無く、それでいて数多くの実戦を潜り抜けたが故のある種の威圧感をまとっていた。
揺れる油皿の小さな炎では分かりにくいが、髪は薄茶色で眼は薄い青。年はそろそろ四〇の大台に乗りかかる筈だが、その肉体にも表情にも、衰えをまるで感じさせない。
髪の色は、幼いころは息子と同じように金色だったのだが、年を経るにつれ、色がくすんでいった。
もっとも、これはアルベール個人に限ったことではなく、色素の薄い髪を持つ者は皆そうなるらしい。
むしろ十七にもなって、輝くような金色の髪をしているリチャードの方が、珍しい部類に入るだろう。
彼が機嫌が悪い理由は、今日の夕餉が好物ではないから……ではない。
今は亡き親友の妻とその忘れ形見が作ってくれた食事を、アルベールは彼女らと暮らすようになって三年、一度もパン一屑、スープ一滴とて残したことは無い。
もっと単純な理由。それは、彼女ら二人が機嫌が悪いから。
それは彼にとって必要十分な理由だった。
だからと言って、リチャードは気にしない。
日常的に、訓練と称して剣呑な殺気を放ってくる父親と、鍛練と称して死地を見せる近衛隊副隊長に鍛えられた少年の胆力は並ではない。
少なくとも、この程度の気まずさで食事を疎かにするほど、貧弱ではない。
「――クロエ」
「…………」
不意にリチャードは少女に呼びかけた。
気まずさに耐えかねて――ではない。そもそも彼にそんな殊勝な心がけを期待しても意味はない。
少女は返答しない代わりに、自分の左側――リチャードの座る方に少しだけ目線をやる。
その視線はまるで「さぁ、どう申し開きをする気?」とでも言いたげに。
しかしながら、その期待をリチャードは簡単に裏切る。
「明日、城に呼ばれたぞ。お前も一緒に来いとさ」
「「「…………」」」
言うことは終わりだとばかりに、次の料理に手を伸ばす少年と、ポカンと口を開けて停止する他三人。
しばし時が止まる。
「そうか……魔王が、復活するか……」
我を取り戻した後、リチャードに一通り説明させ、なんとか納得したアルベールはそう呟いた。
女性陣二人も事態を把握したようで、少し俯き気味に、彼ら彼女らの未来について考えているようだった。
この家に暮らす四人は、リチャードが現国王と親しくしていることも、魔王の存在についても――市井に流れるお伽話ではない――正しい認識を持っていた。
彼ら家族の縁を繋いでいるのは、父親同士である。
クロエの父、英雄アルフォンス・スルールとアルベール・ケントは冒険者仲間で親友でもあった。
知る人ぞ知る英雄アルフォンスと、貴族の令嬢と半ば駆け落ち同然に結ばれた市井の注目の的アルベールは、荒くれ者の多い冒険者の間でも、ひどく目立っていた。
アルフォンスは、駆け出し時代にいくつかの村を野盗から救い、そこを襲う野盗団の首領を打ち倒したことで、甚だ不本意ながら、大層な、その実、彼ほど似合うものはいないであろう称号を賜っていた。
彼らは互いにそれぞれの力を認め合い、背中を預けあう友になった。
その後、互いの家に子供が生まれ、共に冒険者家業を引退。
王都に居を構え、剣術道場を開き、多くの弟子を育てる毎日を始めた。
元々腕自慢であった彼らに教えを乞うものは多く、順調に道場は拡大していった。
五年前のことだ。
原因不明の病が流行り、この王都でも多くの死者が出た。
子供や老人だけでなく、働き盛りの、病気とは無縁に近い若者も病にかかり、命を落として行った。
その状況は多くの人間――特に医療に詳しい『教会』関係者に疑問を抱かせたが、結局元凶は解決されず仕舞い。高熱で極端に体力が下がり、別の病気に侵されたのでは……という意見が、結局のところ大勢を占めることになった。
クロエの父アルフォンスと、リチャードの母ミリアムもまた、この病にかかり、数日間高熱に苦しんだのちに命を落とした。やはり原因は不明のまま。
以来、クロエは塞ぎ込んで部屋に閉じこもり、母マリアもまたしばらくの間その大輪のような笑顔に影が差すようになっていた。
一方、冒険者家業が長いアルベールと、冒険者となるための訓練を始めていたリチャードは、それぞれに悲しみながらも、大切な人の死を乗り越えられるだけの覚悟があった。
彼女らの様子に特に心を痛めたのは、父アルベールだった。
それぞれに、最愛の伴侶を失った者同士、アルベールとマリアが結ばれるのにさほど時間はかからなかった。
本来の輝くような笑顔を取り戻したマリアだったが、クロエは固く心を閉ざしたままだった。
クロエを癒したのはリチャードだった。
彼は何かをしたわけではない。
ただ傍にいただけ。
話しかけるでもなく、何かをさせようとするでもなく。
ただ鬱々と日々を過ごすクロエの傍に居て、静かな時を過ごしていた。
クロエは不思議な気持ちだった。
悲しかった。寂しかった。
周りはその悲しみを乗り越えて前に進めと追い立てる。
でも、リチャードだけは違った。
そのままでも良いと、言ってくれているような気がした。
それが甘えだと彼女は知っていた。
知っていて、それを受け入れた。
もしかしたら、彼もクロエに甘えていたのかもしれない。
それから、クロエは以前の調子を取り戻したように見えた。
ただ、元々ひどい人見知りの気があり、これ以降、それがさらに酷くなってしまったようで、家族以外とは挨拶はおろか目線を合わせようとすらしないようになってしまった。
それでも、暗い部屋から出てきて、多少なりとも普通の生活を送れるようになった娘に、アルベールもマリアも喜んだ。
「準備はしておかないとな」
「そんな、アルベール……」
少しでも前向きに考えようとする父と、まだ心の整理がつかない母。
どちらの心情も理解できるクロエは、ただ静かに待っている。
「タイミングとしては悪くない。今は夏でもなく冬でもないし。クロエは結婚していない。今日話があったのもそういう理由があるのだろう」
エルリエール王国は、男女とも十六才を迎えると成人として扱われ、所帯を持つことを許される。
クロエは明日で成人する。
身重では儀式に臨むのは難しいという判断も、もちろんあったことは事実だ。
「お前もようやく日々の訓練の成果を生かせるな。しっかり励めよ」
「――分かっているさ、親父」
元冒険者の父と、現役冒険者若手有望株の息子。
幼いころからの訓練の日々を思い出し、若干鬱になりつつあるリチャードをよそに、信頼と少しばかりの不安を浮かべた視線を送るアルベール。
「旅の準備を整えておけ」
静かに放たれたアルベールの言葉に、コクリと頷くリチャードとクロエだった。




