第一話 目指すは川
という訳で、第二章です。
相変わらずの亀進行、亀更新ですが、よろしくお願いします。
緑の草原地帯を歩く男女。
しっかりとした足取りで南に向かって歩いている。
日は高く上り、間もなく彼らの正面にやってくる。
「……で?ここがどこだか分かったの?」
腰まで届く長い黒髪を、後頭部で一つに纏めた、所謂仔馬の尻尾と呼ばれる髪型の少女――クロエ・スルールが、訊ねた。
彼女の背には、彼女の小柄な上半身よりも遥かに大きく膨らんだ背嚢が背負われているが、やや前傾姿勢を採っているだけで、余り苦しそうには見えない。
「あぁ。多分、北ゴルトリン大陸。それもそこそこ北の方だろうな」
目にかかるくらいの鮮やかな金髪の少年――リチャード・ケントが答える。
彼の背にある背嚢は、隣を歩く少女よりも一回りは大きく、重量はそれなり以上の物があると推測されるのだが、額に汗一つ浮かべることなく、平然と歩いている。
元々、表情筋の動きが活発でない所為もあるが、それ以上に、この旅では自分が力仕事を積極的に負うためにと、予め(やや過剰に)鍛えておいたのが幸いしていると言える。
「……?結構詳しくない?なんで分かるの?」
少女のこの言葉に、少年は若干呆れた。
「よくそれで冒険者になれたな……。天体運行から位置を割り出す技術は必須科目だったろう?」
昼間は太陽を、夜は星を見て、自分の現在位置や方角を知る技術は、街を離れる上では必要不可欠なものだ。
不満げに俯いてぶつくさ文句を言っている少女も、登録前の研修で、座学・実地の両方で先輩冒険者から講義を受けているはずだ。
リチャードは、溜息を一つ吐くと、クロエに説明を始める。
なんだかんだ言って、クロエにだけは結構甘いのである。
「……俺たちは、日の出を左手に歩いてきた。つまり、今は南に向かっているってことだ。――影を見てみろ」
二人は足を止め、自分の背後を見やる。
「影は後ろ――つまり、北側にある。これはつまり、ここが赤道よりも北側に位置していることになる。さらに、俺たちは正午頃に儀式を行い、飛ばされたら日の出の時刻だった。これは、儀式場――エルリアよりも西側に来たことになる。以上の二点から、ここは北ゴルトリン大陸だと断定できる」
「じゃあ、『そこそこ北の方』ってのは?」
「太陽の高さだ。この時期で、もう昼も近いってのに、随分と低い。エルリアより少し北……ってところだと思う」
なるほど……と納得している様子を見ると、どうやら知識そのものを忘れているようなことは無いらしい。
赤道というのは、この世界の最大周径の場所を表す言葉で、世界の回転軸――自転軸に対して垂直に、南北の極地から等距離の場所を結んだ線である。
太陽からの熱と光をこの世界の何処よりも与えられるが故に、この世界の何処よりも暑い場所である。
その語源は、世界初の球形世界図の南北の中心線が『赤線』で塗られていたことに由来する。
「東西までは流石に分からないな……。近くに町か村があればいいんだが……」
「う~ん……。人の気配、しないよね」
日も随分と傾き、西の空が橙色に染まり始めた頃。
二人は目指していた川にたどり着いた。
「うわぁ~……広っ!!それに、結構きれいな水じゃない!!」
その川は、流れはゆったりとしていてそれほど速くはなく、東から西へと流れている。
川幅は十パーチはあるだろうか。
川岸近くの深さは腰の高さほど。中央がどれほどかは分からないが。
それでいて、岸近くでは、川底がハッキリと見えるほどに透明度が高い。
これなら、そのまま口にしても問題はないのではないだろうか。
「一先ず休憩だな。今日はここらで野宿だ」
「了解っ!!」
二人は背嚢を下ろすと、野営の準備を始める。
リチャードの背負っていた方から、二人の寝床になるテントを引っ張り出している。折りたたまれた金属の骨組みと、防水加工された布を取出し、二人で手際よく組み立てていく。
「でもさぁ……なんでこの辺、人がいないんだろうね。ここっていい土地だと思うんだけどなぁ」
山も無く、森も無い開けた草原。水のきれいな川もある。
人が定住するのには十分な好条件を備えているはずの土地なのに、集落一つ見当たらないのは、不思議でしょうがない。
「…………」
リチャードは動かしていた手をピタリと止め、眼を閉じてジッとしている。
「……?」
「………………」
「……ちょっとっ!!聞いてんの!?」
それに焦れたクロエが大きな声を上げた、その時。生き物の気配が近づいていることに気付いた。
「――なんでこの辺りに集落がないかって?」
――ぐるるるるるるるるるっ
――ハッハッハッハッハッハッ
――ヴゥ~~~~ッ
「こいつらの縄張りだからじゃないのか?」
現れたのは、十頭ほどのオオカミの群れ。
ハクギンオオカミと呼ばれる彼らは、名の通りの白銀色の体毛に覆われ、全身は人の背丈ほどまで成長し、多くの個体で群れを作り効率的に獲物を狩る、野生の狩人。
森でも平地でも発揮される、彼らの高い敏捷性と攻撃性、何より群れで襲ってくる為に、旅人の死亡原因トップ3入りは固いだろう。
「ちょっ!!やばくない!?」
「落ち着け。ちょっとデカいが、オオカミであることには変わらん」
エルリエール王国には、彼らのような大型のオオカミはいなかった。
彼らよりもより森に適応していて、一回り小型化していたからだ。
開いた口から除く鋭い犬歯や、ジリジリと近づいてくる足先の鈍い光を放つ爪、なにより、自分の知っているオオカミよりもずっと大きな彼らの体つきを見て、すっかり顔色を青くしているクロエと、それを見ながら平然としているリチャード。
この辺は、果たして経験の差なのか、感性の差なのか……。
「構えろっ!!」
リチャードの声に反応して、体が勝手に動いてくれる。
クロエは、日々の鍛錬にほんの少し感謝した。そして、その辛さを思い出して、ちょっと泣きそうになった。
クロエは右手に細剣を、左手に短剣を構えている。
細剣は『刺突剣』とも呼ばれる、切断力よりも貫通力に特化するように作られた武器で、根本の幅は二ディジット程。刀身の長さは一キュビット半。先端に行くほど細くなり、刀身中央の両面に凹みが刻まれているのは、強度と貫通力を強化するための加工だ。
短剣は『慈悲の短剣』とも呼ばれる、こちらも貫通力に特化した武器である。もっとも、長さが二パームと短すぎるため、攻撃力を期待して持つ武器ではない。折れやすい細剣の盾代わりとして、左手に持たれることの多い武器だ。
リチャードは、中途半端な長さの剣を、右手に構えている。
彼の武器は、何もかもが中途半端に見える。長さは一キュビット。短剣よりも長く、長剣よりも短い。幅は一パーム。斧よりも細く、剣よりも太い。重さを生かす武器でも長さを生かす武器でもない。『剣闘士の剣』と呼ばれる、はるか昔、剣奴(戦闘用奴隷)達が使ったとされる両刃の武器だ。
手の中で弄ぶように、剣先をクルクルと回す。
二人の武器には、どれも銘がない。
全て、ちょっと大きな街の武器屋に行けば、普通に売っているような量産品だ。
手入れの簡易さと、壊れた際の再入手の容易さを考えて、一品物にしなかった、という理由がある。
二人は背中合わせに立つ。
「――来るぞッ」
オオカミたちは利口だ。
一斉に飛びかかったりはしない。
円を描くように二人を取り囲み、じりじりとその半径を狭めていく。
一跳びで首元に届く距離まで近づいて、ジッと機を狙う。
一瞬の隙を狙う。
クロエは、視界の右端で、黒い影が動いたように感じた。
そして、つい、視線をそちらに向けてしまったのだ。
彼らはその隙を見逃さない。
――グルァアアアアアアアアッ!!
一頭が飛び出し、それを合図に周りのオオカミたちも二人に襲いかかる。
「しまッ……!!」
「……チィッ!!」
跳びかかってきた相手の眉間に、確実に剣を突き刺していくクロエ。
剣の遠心力を利用して、脚を、首を飛ばしていくリチャード。
二人は、互いに正面を入れ替わり、クルクルと回るように戦いを続ける。
数を半分ほどに減らしたオオカミ達は、再び距離を取るように離れた。
今は、周囲を取り囲むのではなく、二人の西側に集まっている。
「……なんとかなりそうね」
血煙と生臭いにおいの立ち込める中、少し息を乱してクロエが呟く。
「……おかしい」
それをリチャードが遮る。
「なにが?」
「この程度なら、その辺の村人でもなんとかなるはずだ。ここに人が来ない理由にはならない。多分、もっと厄介なのがいる筈だ」
オオカミよりも厄介なもの――。
果てしなく嫌な予感しかしない。
「や、やめてよ……。ホントに来ちゃったらどうすんの……」
その言葉は最後まで言えなかった。
目の前のオオカミ達の様子がおかしい。
ピンと立っていた耳は折れ、白銀の尻尾は垂れ下がっている。
そして、二人の後ろからは、重く、大きな足音が聞こえてくる。
――グウウゥゥゥッ
低いうなり声。
それにまず反応したのはオオカミ達だった。
彼らは、倒れた仲間たちを置いて、一目散に駆けていく。樹の生い茂った丘のような場所が根城らしい。
一方。
旅人の二人は、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、黒い毛をした大きな獣だった。
「「――川熊ッ!!」」




