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釣り部

作者: 夜猫

 ようやく梅雨が明け、これから夏真っ盛りだ。

 もう大部暑い。

 夏服の半袖から出る肌を容赦なくジリジリと太陽が焼く。

 放課後の釣り部の活動として、今日も綾香といつもの防波堤にやって来た。


 目の前に伸びる防波堤を見渡し俺は声を張り上げた。

「ヨーシ! 今日もいっぺー釣っから!」

 すかさず、綾香の突っ込みが入る。

「とか言ってて昨日も釣れてねーし!」

 それを受けて返す。

「昨日もおとといも実は釣れてねーし!」

 綾香がまた突っ込む。

「おとといは日曜だし! うっける~」

 と、ケラケラ笑う。

 いつものやり取りだ。


 防波堤の末端の灯台に向かう途中、いつも居る釣り爺に声をかける。

「どっすかー?」

 釣り爺は微動だにしない。

 釣り爺のバケツを見ると、毎度のように何も居ない。

「どーもしたー」

 型通りのいつもの挨拶を返す。

 先客への挨拶は釣り人のマナーだ。


 末端の灯台に着くと、俺は釣り竿を伸ばした。

 その間、綾香はバッグから風向きを見て一畳程のレジャーシートを引く。

 リールからテグスを伸ばし竿に取り付けられているリングに通す。

 テグスの先にフック付きの'さるかん'と呼ばれる金具が付いている、そこに仕掛けを取り付ける。

 針の先に、エサの代わりにワームと呼ばれるゴム製の疑似餌を取り付けた。

 綾香はレジャーシートがめくれないように座って、オレが座るスペースを手で押さえている。

 一通り仕掛けを確認する。

「よいしょ」

 綾香の隣に座ると、右手でリールのロックを外すと手で押さえ、竿を振りかぶって前方に振る。

 その瞬間、手で押さえてたテグスを解き放つ。

 シャーーっとテグスがリールから伸びる音がし、おもりが放物線を描くとポチャンという音とともに海に飲み込まれた。

 しばらく待ち、おもりが海底に着きリールからのラインが伸びなくなったのを確認すると、リールを巻く。

 二度三度しゃくりつつリールを巻き、海底に着いたおもりと竿先との間に渡るラインが一直線になるようにテンションを保つ。

 最後に竿先に当たりが着たら判るように釣鈴を取り付けた。

 もう一度リールを巻き、竿を岸壁の傍らに置いた。


「ふーー」

 溜息を付く。

 もう当たりが来るまで他にする事はなくなった。

 綾香と二人、夏の夕方の海を前に座る。

 防波堤は日中の熱をまだ持ち暑く、海からキラキラとした反射まぶしい。

 目の前を港から出る漁船がエンジン音を響かせ通り過ぎる。

 漁船が通った後に、船からの波がザッパンザッパンと防波堤に打ち付けた。

 見るともなしに竿から伸びるラインを見続ける。


「こうちゃん、おぎにり」

 綾香が銀紙に包まれたおぎにりを一個差し出す。

「おー」

 受け取ると銀紙を剥き、頬ばった。

 塩味が効いてて旨い。

 綾香が水筒から取り外した蓋に麦茶を注ぎ渡してくれる。

「こうちゃん、お茶」

「うん」

 受け取り、おにぎりでいっぱいになった口に流し込む。

 清涼がおにぎりを解きほぐし喉を潤す。

 もう一口、おにぎりを頬ばる。

 綾香がいつも夕飯までにお腹が空くだろうからとおにぎりを作って来てくれる。

 毎日食べなれた味だがなかなか旨い。


 おにぎりを食べ終わると、大部落ち着いた。

 ざっぱん……ざっぱん……という潮騒の音だけが聞こえる。

 たまに竿をしゃくって、リールを巻いてみるが当たりは来てない。

 海猫がニャーニャー鳴いている。

「釣れんなー……」

 一人グチる。

「うん」

 綾香が膝を抱えて海を見る。


 綾香と二人、こうして並んで海を見続けて一年とちょっとになる。

 発端はオレが綾香を釣り部に誘った事にあった。

 高校に晴れて入学し、一年生として何らかの部活動に所属しなければならなかった。

 しかし、何だかオレは運動部に入り、放課後皆と汗を流すという事がうまく受け入れられなかった。

 適当な文化部に入り、帰宅部という手もあったが、籍だけ置いて何もしないという事に違和感を感じた。

 いろいろな部活を見て歩いたが、どうも馴染めそうな部活はなかった。

 オレは父ちゃんが漁師という事もあり、釣りをする部という事で「釣り部」の設立を申請した。

 顧問は担任にお願いをする事にした。


「んで、と、そのー釣り部とやらの活動方針と部の信条みたいなもんはー……、一体何なのかね?」

 担任が、煎餅を食いながら皺枯れ声で尋ねる。

 もう五十歳はとうに過ぎたと思われる白髪頭に太ブチの眼鏡。

 年季の入ったズボンと茶のチョッキにサンダル。

 典型的なベテラン先生だ。

 一個食うか? と差し出される。

 手でいらいないすと抑制する。

「はぁ。魚を釣る事す。信条みたいなもんは、魚、釣って食べる事すかねー……」

 そうとしか言いようがないのでオレはそう答えた。

「いかんなー。それじゃ無理だー。しかもお前一人だろ? 五人以上居なきゃ部としては認められんよー」

 茶を飲みながら却下された。

「残念だなー。うん。オレはこういうの嫌いじゃないよ? 顧問もいいよ? でもこれじゃぁさすがに無理さなー。いかんがなー」

 あまり残念そうじゃない。

 担任はしばらく腕を組み天井を仰ぎ見る。

「さて、と。困ったな。……いっそどっかの部とくっついたらどうだ」

「……意味がちょっと」

「釣り柔道部とか、釣り写真部とか、よ」

「……ぃやっす」

 一人だけその部に吸収されたら、たぶんもう釣りは無理のような気がした。

「さて……」

 担任はまた腕組して思案のあげく、一つの提案をくれた。

「ぅーーん……同好会というのもありだ」

「あー。それでいいっす」

 即決だった。

「ただしだ、二人以上だ。お前だけじゃ無理だ。もう一人連れて来な。あ、それと同好会は顧問と予算つかんからなーー」

 そう担任に提案され、かくして釣り部のもう一人の部員探しが始まった。


 もう四月も半ばだ、大抵の同級生は所属する部活をそれぞれ決めて、届け出を提出し、部活にも顔を出している。

 これから部活に所属していない人を探すというのは相当な困難を伴う。

 オレは片っぱしから声をかけてみた。

 しかし皆希望する部活動があり、まだ届け出を出していない者も、釣り部の説明をするとあっさりと断わられた。

 もうほぼ同級生の全てに声をかけたと言ってよい。


 そんな中、休み時間に一人窓際に座る同級生に声をかけてみた。

 つまらなそうにボーっと外を見ている。

 それが綾香だった。

 サラサラの髪と、大きな目、全体的に小さくて可愛いかった。

 しかしどことなく物憂げな雰囲気だ。

 なんか吹奏楽とかやってそうだなー。とも思ったが、もう声をかけ尽くしてたオレはダメ元で声をかけてみた。

 釣り部の説明をしてみる。

「というわけで、もう一人必要なんよ」

 綾香が興味を示した。

「ぇ……釣り?」

「う……ん」

「釣り? ……だけ?」

 うむと頷く。

「他には?」

「テニス部はテニスだけさー。野球部は野球だけ。釣り部も釣りだけさね」

 そう答えると、綾香は何かを考えていた様だが

「ええよ」

 と答えてくれた。

 オレはまさかの反応に驚いたが、綾香の気が変わらないうちに、ともかくすぐに担任に報告に向かった。


 綾香を紹介する。

「釣り部じゃなく、同好会メンバの綾香す」

「綾香す」

 ペコリと綾香が頭を下げる。

 担任は、口をぽかんと開け、綾香に質問した。

 茶を一口すする。

「どんな事すんのか、お前わかってんのか?」

「釣りって言ってましたー」

 それ以上でも、それ以下でもない。

 担任は頭を振り、オレ達二人を眼鏡越しに上目使いで恨めしそうに見た。

「……わかった。後で手続きしよう。それと言わなかったがな、同好会でも部室を使わせる事ができる」

 それは思わぬ良い話だ。

 予想だにしなかったラッキーな事と云えた。

「部室を割り当てる事はできるが、いかんせん部活動の部室が優先だ。そうだな、旧校舎二階奥のどっか空いてたはずだ。使え」

 そう言い、クルリと向きを変えデスク上の書類に目を落とした。

 どうすればいいのかわからず傍らに立っていると、手だけフラフラ動かし、シッシッという仕草をした。

「あーりがとーーございましたー」

 二人で挨拶をし、こうして釣り部(同好会)が出来たのだった。


 まずは、幽霊が出るという噂の旧校舎二階奥の物置のような部室を、二人で掃除するところからだった。

 その後、備品を適当に調達し、部室っぽい雰囲気にはなった。

 備品は机と椅子だけだったが、画用紙に「 釣り部(同好会) Σ゜lllllE 」と書いた。

 綾香が空いたスペースに釣竿とへたくそな魚の絵を書き入れ、入口に画鋲で止めた。

 まぁこれで釣り部の部室は完成した。


 春・夏・秋は適当に部室で過ごしたり、防波堤で釣りをしたりして過ごした。

 しかし綾香は、釣り部には入ったが釣りには興味ないという事で、マネージャーという名目でオレに付いて来るだけだった。

 困ったのは冬だった。

 冬の寒い時期は海風が冷たく厳しい、防波堤に行き二人で鼻水垂らしながら釣りをしたが一日で断念した。

 自主練として、校舎裏の池で投げ釣りをしていた所、用務員さんに追い払われたりもした。

 あれから一年が過ぎ、お互い二年生になり、二度目の夏を迎えた。

 ちなみに現在まで、まだ釣れた事はない。


 また漁船が一艘港を出て行く。

 竿を引き寄せ、一、二度しゃくるとリールを巻く。

 リールを巻いている間、釣鈴が振動でシャンシャンと鳴るが釣れているわけではない。

 リールを巻き切り、エサが付いてる事を確認する。

 もう一度竿を振りかぶり仕掛けを投げると、遠くでポチャンと音がし、海に飲み込まれる。

 リールを巻き、ラインのテンションを張り、傍らに竿を置いた。

 また静かな時間が過ぎる。


 一度はこの海から魚を釣り上げて、綾香に食わしてあげたいと思う。

 父ちゃんみたく沖に出られれば、でかいの捕れるかもしれない。

 しかし防波堤ではなかなか難しい。

 小物でもいいから一度でも釣れてくれればと思う。

 でも、なかなか釣れないもんだ、釣り爺が釣り上げてるのも見た事がない。


 綾香を見ると夕陽がオレンジ色に綾香を染めている。

 黙って膝を抱えてジッと海を見ている。

 風が出てきたようだ。

 サラサラと風が綾香の髪を揺らし通り過ぎる。

「こうちゃん、あのね……」

「おう」

「うん……あたしね」

 何かいつもと違う深刻な雰囲気だ。

 なんだろ?


 そのときだった、竿の先がククッと動いた、竿の先に取り付けた釣鈴がシャリリンと音がする。

 当たりだ!

 手に竿を持ち、一度しゃくる。

 竿を通して、ビクククという魚の動きを感じる。

「綾香、来た! 来たぞ! おい!」

「え! 何! 何か来たの!?」

「だからオメー魚来たっつーの!」

「え?」

 綾香にしても一年以上釣れなかったのだ、まさか魚が釣れるとは思わなかったのだろう。

 リールを巻くが、重い、下手したら途中でテグスが切れてしまいそうだ。

 テンションをあまり張らないように少しずつ注意しながら巻く。

 凄い引きだ。少しラインを出してテンションを弱める。

「オメー釣り爺からタモ借りて来い! 早く! 魚すくうやつだ!」

「あ。うんわかったー!」

 綾香が慌てて釣り爺の元に駆け出す。

 ラインに注意しながらリールを巻く。

 綾香を見ると、何かを叫びながら釣り爺に駆け寄っている。

 釣り爺と何事か会話を交わすと、手ぶらでダッシュして向かって来る。

「こーちゃーーん! あのねーー!」

 走りながら手を上げて声を張り上げる綾香の声が聞こえる。

 何だ?

「はぁー!? なにぃぃーー?」

 見てると、足を絡めてバタリとこけた。

 あ。

 綾香は、立ち上がるとすぐにまた駆け出した。

 ようやくオレの元に着く。

 肩で息をしている。

「ハァハァハァ……あのねハァハァ……ないってー!」

 息も絶え絶えだ。

「そっかー……」

 やはりあのじじいも持ってないか。

 そういや、声かけたとき持ってなさそうだった。


 オレは大部、落ち着いて来た。

 これは長期戦になる。

 魚が力を使い果たし弱まるまで、だましだましラインを巻いて行くしかなさそうだ。

 綾香を見ると、こっちを真剣に見ている。

「綾香オメー膝ケガしてんぞ」

 右膝が擦れて血が滲んでいる。

 オレは左手で竿を持つと、腰をかがめて綾香の右膝を手で払ってやった。

 ペシペシと膝を手で打つ音がする。

「あ。ホントだ」

 自分で腰をかがめ膝を払い始めた。

「後ろ向け」

 綾香がそのままの姿勢で後ろを向く。

 制服の背中からスカートの尻と裾にかけて手で払ってやる。

 特に擦ったほころびとかなさそうだ。

「前向け」

 綾香が前を向く。

 前から制服を見、スカートまで見るが特に問題なさそうだ。

「制服とか大丈夫そうだ。こすってねーな」

「うん」

「お前、手ー大丈夫か?」

 綾香が手を見る。

 右手の親指の根元が少し擦れて血が滲んではいるが大きくこすってはいない。

「痛くねーか?」

「ん。大丈夫」

 そう言うと、綾香は手の平を払い、こっちを見ている。

 少し魚の動きが鈍ってきたようだ。


「ちょっと竿持ってみっか?」

 オレは右手に持ち変えると竿を綾香に突き出した。

 綾香が両手で竿をおずおずと受け取る。

「いいか。手ぇー離すなよ。ちゃんと持て」

 そう言い、綾香が竿を掴んだのを見ると右手を離した。

「わ! 凄い、ビクビクしてるー!」

「だろ、大きいだろ」

 両手で掴み体の中心で持っている。

 そのとき魚が底へ潜ろうと、ラインを引いた。グググと竿がしなる。

「きゃ!」

 綾香が腰を落とし、落とすまいと竿を強く握る。

 オレはすかさず綾香の後ろに回ると両腕を肩越しに伸ばし、釣竿を握った。

 二人で竿を握る。

 綾香の背中がオレの胸の中にあった。

「でけーなー、この海の主だな!」

 綾香が竿を持ったまま振り返る。

「えー! この海の主ー! って太平洋じゃん!」

「……だなー……」

 魚はまた少し動きが緩慢になった。

「もう、大丈夫だ」

 そう声をかけた。

「うん」

 ゆっくり握ってた手を離すとオレの右腕の下をくぐり、体を横に逃がした。

「どうよ?」

「すごいねー!」

 綾香も魚が引く感触に興奮しているようだ。


 だましだましラインを引くうち、魚影が見えてきた。

 赤いのがゆらゆらと見える。

 二人で岸壁の上からのぞき込む。

「おい! 鯛だぞ!」

 綾香を見ると、手を岸壁に付き、じーっと身を乗り出して見ている。

 さて、ここからが勝負だ。

 下手に暴れられたらテグスが切れてしまう。

 海面からの岸壁の高さはおよそ二メートルだ。

 オレはなるべく一度の竿の振り上げで、目の前に鯛が持ち上がるようにラインの長さを調節した。

 ヨシ!

 グッと竿を持ち上げる、ビチビチと動きながら鮮やかな赤色した鯛がその姿を現す。

 岸壁の高さより上がったのを見て、すぐに体の向きを変え、鯛を岸壁の上に置いた。


 やった! 三十センチ超えだ。大きい!

「綾香やったぞ!」

 これで綾香に旨い魚を食わしてやれる。

 今までのおにぎりとお茶の分も返してやれる。

「お前おっきーねー」

 しゃがんで、つんつんと指で鯛をつつく。

 ビチビチと鯛が暴れ、慌てて手を引っ込める。

 釣り爺を見るとこっちを見ている。

 どうやら今の様子を見ていたようだ。

 大きく手を振り返すと、手を上げて応えてくれた。


 魚拓は後として、まずは記念撮影だ。

「おい、綾香写メ、写メ」

 ポケットから携帯を取り出すと、カメラモードにして綾香に渡す。

 制服が汚れないように両手で持ち直立不動で立つ。

「撮るよー! ハイ!」

 ピロリロリ~ン♪

 という電子音がし、瞬間を記録する。

「どうだ?」

 画像を見せてもらう。良い具合だ。


「ヨシもう一枚だ、お前、横から一緒に撮ってくれ」

 綾香がオレの右に並ぶと右手に携帯を持ち体から引き離す。

 クッと顔をオレの肩に乗せ、そして左手でピースをする。

 綾香の甘い髪の匂いが鼻腔をくすぐる。

 ピロリロリ~ン♪

「どうだ?」

 オレが鯛を両手に持ち、綾香が脇でニコリと笑いピースをしている。

 二人並んだ笑顔が記録された。


「ヨシ交代交代、今度お前持て」

 綾香に鯛を渡そうと、両手で鯛を差し出す。

「あ。あたし、いい」

 綾香は受け取ろうとうはしない。

「なんでさ?」

「いい」

 うーん、記念なんだが。手が臭くなったり、制服が汚れる事を気にしているのだろうか。

「じゃさ、お前そこのシートに横になれよ」

「え?」

 レジャーシートに向かい、おずおずと腰を下ろし仰向けになった。

 その横に鯛を置く。

「顔の大きさと比較して、大きさわかっぺ。な」

 携帯を構え、綾香と鯛が一緒に入るように綾香の足元から構える。

 そのとき、風が吹き、フワリと綾香のスカートを巻き上げた。

 スカートが捲くれて落ち着き、薄いピンクのパンティーが右足だけ露わになる。

 綾香は気付いていない。

「んじゃ、ピース。はいピーースっ!」

 仰向けになったまま、ニコっとキメ顔で笑い綾香が顔の横に両手でピースを作る。

 ピロリロリ~ン♪

 画像が表示される。

 夕陽の中、仰向けでパンモロのまま、鯛とニコリと笑ってピースをする綾香が表示された。

 老人と海という小説があるが、鯛と女子高生というタイトルが付きそうな写真だ。


「じゃ帰っか」

 鯛をどうやって持ち帰ろうか考える。

 鯛を見ると口をパクパクし、たまにまだ跳ねる。

「あのさ。逃がしてあげない?」

「ゑ?」

 オレは隣に座る綾香を見やる。冗談を言ってる感じではない。

「ぃゃおまえ、そら食うだろ。オレおまえに食わせたくて、それにおにぎりもらってたし……」

 綾香がキッと睨み、立ち上がる。

「いい! おにぎりとかもいいから!」

 急に怒り出した。わけがわからない。

「逃がして!」

 強い口調だ。


 そのとき、オレは綾香がこの鯛を釣る直前に何か言おうとしていた事を思い出した。

 今、この場で綾香を怒らせて帰らせてしまったら、何か大事な事を聞き逃すような気がした。

 たぶんそのまま、綾香から今日オレに言いたかった言葉はもう聞けないだろう。

 オレはばぁちゃんとの事を思い出していた。

 ばぁちゃんが入院してたとき、オレに何かを話したがってた。

 でも、オレはばぁちゃんが日に日に悪くなっていく事を信じたくなくて。

 その言葉を聞いたらもう会えなくなるよなうな気がして。

「ばぁちゃん大丈夫だから。元気になるから」

 そうばぁちゃんに言って、取り合わなかった。

 ばぁちゃん……。


 ばぁちゃんはその後、しばらくして退院した。

 今も元気だ。

 あのとき、ばぁちゃんが何をオレに伝えたかったのか、結局聞けず終いだった。

 何を言いたかったのか、あの後ばあちゃんに聞いたが教えてはくれなかった。

 後悔が心に残った。

 人の言葉は、話す人と、聞く人の間にタイミングがある。

 その瞬間に立ち会ったとき、それを逃すともう後はない。

 また後悔はしたくなかった。

 綾香が何をオレに言いたいのかはわからない。

 もしかしたらそれほど大した事じゃない、ただの笑い話かもしれない。

 でも、今この場から綾香が居なくなったら、明日はその話しを聞く機会はもう来ないだろう。

「わかった」

 頷き綾香を見ると、綾香もコクリと頷いた。


 鯛を海に放ろうと両手で鯛を持ち、腕を海に向けて勢いを付けて突き出す。

 が、惜しい。

 もう一度、腕を海に向けて勢いを付けて突き出す。

 しかし、これだけのサイズまぁなかなかない。

 また、腕を引く。

「何してん?」

 綾香の冷たい声が聞こえる。

「や、勢いつけて、と」

 ドブン……。

 鯛が手から海に滑り落ちる。

 岸壁の上から見ていると、しばらくそのまま動かなかったが、すぐに尾ひれを動かし、海底へと姿を消した。


 ふー……溜息が出る。

「帰るか」

 釣竿をしまい。綾香がレジャーシートを折りたたむ。

 一通り辺りを見て、何も忘れ物がない事を確認する。

 もう大部風も出て来て、陽も沈んだ。

 あと少しで辺りは暗くなるだろう。

 灯台が点灯し緑の明かりが目立つようになってきた。

「あのさ」

 綾香の前に立つ。

 綾香が無言でこっちを見る。

「うん……。お前、鯛釣る前に何か言いたい事あったんじゃねーのか? 何か話し途中だったし」

 綾香がうつむいた。

「ぁ……うん」

「何さ」

 それとなく促す。

「うん…………」

 しばらく何か考えてる様子だ。

 サーっと風が通り過ぎ、綾香の髪を揺らす。

 髪を押さえるとオレを見上げた。

「あんね。あたし、今のままがいいんだー。このままズーッとこのままがいいんだー」

 そしてうつむいた。

「一年のとき……高校入っても中学から一緒のやつに……いじめらててさ……」

 綾香の声に振るえが混じる。

「でも、どうしようもいかんし、どうしたらいいんかもわからんし……。そんときにあんたに声かけられたんよ。もうなんか訳わからんかったけど良かったんよ」

 もう完全に陽は沈み、最後の残照が辺りを紫色に染めている。

「それから……いつも楽しかった。嬉しかったんさ。やっとあたし自分の居場所ができたんよ」

 綾香が顔を上げた。目から一筋の光る跡が顎まで伸びている。

「あんな……あんな! あたしこうちゃんの事」

 いかん!

 オレは咄嗟に綾香を胸の中に掻き抱いた。

 それ以上言わせたらいけないと思った。

 綾香の言葉が途切れる。


 もう大部暗くなり灯台の明かりが辺りを照らしている。

 オレは綾香の両腕を持ち胸から引き離した。

「綾香。あのな」

 声をかけると綾香はオレを真っ直ぐに見た。

「綾香。オレ、お前の事、オレ前から好きだったんよ。ずーっと前から好きだった」

 綾香の目を見る。

「だからな……オレと…………付き合ってくれんか」

 綾香は真っ直ぐオレを見たまま頷いた。

「あたしもさ」

 オレの胸に顔をうずめると、泣き出した。

 ひくっ……ひくっ、という綾香の嗚咽だけが聞こえる。


 オレは肩に手を置くと綾香を胸から引き離した。

 目が交わる。

 綾香が目を閉じた。

 オレは綾香の唇にそっと自分の唇を重ねた。

 辺りは岸壁に打ち付ける潮騒の音だけだった。

 そして、またゆっくり胸の中に抱きしめた。

 綾香のオレの背中に回した手に、力がこもるのを感じる。

 灯台の明かりが二人を照らしていた。


 どれだけこうしていただろう。

 チャリチャリリリという音が辺りに響き渡る。

 辺りを見ると釣り爺の竿に当たりが来た音だった。

「帰るか」

 綾香を見ると、こくりと頷く。

 歩き出すと、足をかばうように引きずっている。

「痛いか?」

「うん。なんか痛くなって来たんさ」

「そか」

 そういうとオレは綾香の前に背を向けしゃがんだ。

「乗りなよ」

 少しのためらいの後、背中に綾香の体のぬくもりを感じる。

 立ち上がり、綾香の両膝を両脇でかかえて体勢を整え歩き始めた。

 右肩に綾香の顔と匂いを感じた。

 後ろ手に回した手で綾香の尻を持ち上げてみる。

「へんなとこ触んなや!」

 頭をこずかれた。

「おまえオッペーけっこうあんだな」

 背中をゆする。

「変態や」

 そう言い、ギューっと綾香が首に回した腕に力を込めて体を押し付けてきた。

「苦しいって」

 だけど、綾香は力を緩めなかった。

 少しそのまま歩き、二人揃って釣り爺に挨拶する。

「さいならー」

 釣り爺は大物と格闘したまま手を上げて応えてくれた。


 その日の夜、綾香に写メのデータをメールで送った。

「パンツ見えとろうが!」

 怒りのメールを貰った。


 翌日の放課後、写メで撮った画像をPCで印刷した、手の平サイズの写真三枚を綾香に渡した。

 そして、さらに印刷しておいた二人で鯛を挟んで写ってる一枚の写真を、二年生でも同じ担任に、一応活動報告という事で渡す。

 担任は目を細め、いい写真だ。と、しきりに言い、デスクの脇に置いた。

 鯛が良いという意味だと思うが、どうだったんだろうか。

 そしてもう一枚、大きくA4サイズまで引き伸ばした二人で鯛を挟んで写ってる写真を、部室の中に飾ったのだった。

 まずは、釣り部の大きな釣果の一つと言える。


 さてこれから夏休みだ。

 綾香と遠くに行ってみようかと、バイトと旅行先の相談中だ。


 (終わり)


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