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【3月某日】

4月から新入社員として、株式会社クライシスに入社する彼は、東京都内近郊の某所に両親とで暮らしている。


名前は五十嵐くんだ。


我々取材班は、指定された日時に彼の自宅へと向かい、玄関前のブザーを押す。

安そうな家だ。


すると五十嵐くん本人であろう人物が、玄関のドアを開けて現れた。



Q.おはようございます。五十嵐くんですか?


「はい、五十嵐です。

本日はよろしくお願いします。

とりあえず上がって下さい。」


我々はさっそく彼に招き入れられ、自宅へとおじゃまする。

狭い家だ。


そして我々はリビングのテーブルに案内され、お茶を用意してもらう。

安そうなお茶だ。


我々はそんなことを思いながら、椅子に座って五十嵐くんの家の様子を観察する。

ボロアパートって感じだ。


すると、あるものが目に入った。



それは、流し台の後ろにセロテープで貼ってあった。


[節水]と縦に大きく殴り書きされた1枚の紙だった。


紙はクシャクシャで、今にもはがれそうな状態で貼ってある。


他の取材班もそれを見つけたのだろうか。


我々はその光景がシュール過ぎて、飲んでいたお茶を吹きそうになってしまった。


[節水]


そのシュールさは、一般家庭にあるレベルのものを、大いに凌駕した破壊力を持っている。


だが我々は取材に来たことを思い出す。


今にも口に含んでいるお茶を吹きそうになるが、我々はなんとか堪え取材に専念する。



Q.内定おめでとうございます。就職難を乗り切った学生が、新入社員として成長していく過程を取材させていただきますが?


「あっ、はい!

こんな自分で良かったら是非取材しちゃってください。

ランダムで自分が取材対象に選ばれるなんて、頑張って新入社員のカッコイイ姿見せなきゃですね!」


五十嵐くんは明るく答える。


その表情は、社会人として大いに成長していきたいという意欲が溢れんばかりだった。


我々はあくまでも、新入社員の成長をリアルに追っていくノンフィクションノベルを制作するための取材だと、事前に彼に告げている。


忘れてはならない。

我々の真の目的は、株式会社クライシスのリアルなブラックさを取材し、ノンフィクションノベル〈What is Real?〉を制作することにある。


だから、あなたが入社するブラック企業、株式会社クライシスのリアルなブラックさを取材させて欲しいとは、断じて彼に言ってはならない。


そんなことを言ったら、彼は入社を断わってしまい取材にならない。

繰り返すが、我々はアホではない。


そんな中、[節水]と縦に大きく殴り書きされた紙が風にゆられる。


クシャクシャな紙が風にゆられることにより、シュールな光景がより一層シュールさを増す。


[節水]


それを見ていた取材班の1人が口に手をあて、吹き出すのを必死に堪えている。


しかたがないので、テーブルの下から手を伸ばして足をひねった。



Q.まずはクライシスの内定に至るまでの経緯や、会社概要なんかを教えてもらえませんか?


「はい。まず内定をもらったのが大学4年の5月ですね。

機械メーカーの営業職です。

従業員70名程度の中小企業です。

30社程受けてやっともらえた唯一の内定だったんです。」



Q.面接の様子やこれからの予定は?


「面接内容・雰囲気は至って普通だと感じました。

内定通知がきた時は心の底から喜びましたね。

それで10月に内定式。

今は、会社からの課題もこなして4月に入社予定。

そんな感じです。」


幾多の面接に挑んできた彼の説明はとても流暢だった。


しかし、30社受けて唯一の内定先が実はブラック企業だなんて知ったら、彼は一体どんな顔をするのだろうか。


我々はクライシスがブラック企業だと言ってあげたいが、仕事が絡んでいるので言えない。

ごめんね。



Q.内定式はどうでしたか?


「そうですね。

初めて同期と顔合わせをして、お昼を食べました。

同期は自分含めて男4人で、営業職2・技術職2っていう割合でした。

その中で1人個性的な営業の同期がいて、つい笑っちゃいました。」



Q.個性的な同期とは?


「その同期は内定式の待合室で待ってる時に現れ、最初はちょっと目を疑いましたね。

ヤッ!ヤンキーかよ!って。

明らかに見た目がイカツイ感じでした。

なんかスゲーのきたなって。」


我々取材班はその話しを聞いて何かを察知した。


営業の同期にヤンキー?


彼いわく、そのヤンキー同期は、見るからにヤンキーだったという。


またそのヤンキー同期は、式の帰りにコネ入社ということをほのめかしたらしい。


取材班の書記は、これはブラックな臭いがすると思い、多めに手帳にメモを取る。



Q.内定式で社員の方々とお話しはされましたか?


「もちろん話しました。

皆さんとてもニコニコしていて、良い人達だなと思いましたね。

印象はアットホームな会社ってとこでしょうか。」


社員はニコニコしていたと語る彼もまた笑顔だ。


アットホームな会社…か。


我々取材班は、クライシスの実情を事前調査で色々知ってしまっている。


なので、彼が微笑ましく話すのに合わせて、良い会社みたいですねと、何も知らない程で相づちを打つ。


取材のためだ。

彼には悪いが真実は言えない。


「…あっ、内定式でお昼に会社の弁当を食べたんですけど、とてもおいしかったです!」



Q.では、後は残された学生生活を満喫するだけですか?


「えぇ。もう1ヶ月しかないですけど、とことん楽しもうかなぁっと。

社会人になるのは不安ですけどワクワクですね。

それに実を言うと、クライシスは市場シェア率80%なんです。」



Q.優良企業なのでは?


「優良企業ですよ絶対!

正直、まったり昼寝付きルート営業ごちそうさまです!って感じです。

自分が行く会社が自慢気なところもありますね。」



Q.不安はありますか?


「不安はありますけど、やる気はもっとあるんで大丈夫です。

ヤンキー同期も話せば良いヤツだと思います。

入社までに会社のイベントとかがないのは残念ですが。」


……。


我々取材班は、意気込んで次々に会社を褒めたたえる彼を黙って見ていた。

ブラック企業なんだけどね。


一方で我々は、もうすぐブラック企業、クライシスのリアルなブラックさが垣間見れるのかと思っていた。


ノンフィクションノベル〈What is Real?〉の制作に向け、我々は彼を犠牲にしながらも、リアルな取材をしていくこととなる。


だが一体彼はどうなっていk…。


「ゔぁくしゅい〜っ!」


彼が勢い良くクシャミをすると、彼の背後にある[節水]と殴り書きされた紙がはがれた。


そして風になびいて彼の頭に被さる。


我々は爆笑した。


だが、彼がブラック企業に入社してしまうのが分かっていたので、何とも言えない心境だったことは確かだ。


彼は後に、優良企業だと思っていたのに騙され、もはやクライシスに入社してしまったこと自体が大きな間違いだったと、我々に語ることとなる。

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