【退職日】
我々取材班は、彼の最後の出勤と、最後のリアルなブラックさを取材するため、朝一でクライシスへと向かう。
すると、クライシスの社内掲示板前に北村の愛人がいた。
愛人はニコニコしながら1枚の紙を張った。
退職 12月某日
営業部 五十嵐
紙にはそう書かれていた。
愛人は紙を貼り終えると、出勤してきた他の社員とコソコソ話しながらニコニコしている。
朝っぱらからそんなブラックな光景を横目に、我々はクライシス営業部へと向かう。
我々が営業部に着くと、なんだかそこには平穏な空気が漂っていた。
おたけびクラッシュも聞こえない。
帝王系上司の緒方・ドラミちゃん・五十嵐くん。
営業部には3人しかいなかった。
他の社員達は全員出張みたいだ。
Q.今日が最後の出勤ですね?
「えぇ…。
最後の出勤なんですが、まだ色々とエネルギーを使わなければならないんです。
安定剤さんの力を借りながらやり切ります。」
どうやら退職日が翌日となったことで、彼の残務は自動的に北村に引き継がれるみたいだが、挨拶回りという一仕事があるという。
彼は午前中を使って自分のデスクを整理し、北村のデスクに引き継ぎ関連の資料をいれ始める。
Q.北村が今までめんどくさがって放置してた仕事を見事押し付き返しましたね?
「はい。
元に戻してやったって感じです。
今まで散々木原とタッグ組んで嘲笑されてきたんで、ホントは100倍くらいにして返してやりたいですが…。」
彼はもう最後だからなのだろうか。
彼が吐く言葉に、少しトゲがあるような気がした。
Q.今の気持ちは?
「これでもうヤツらに会わなくて良いと思うと、心が休まる感じがします。
ですが、短い間にも関わらず、ここまで色々やられてきたことを思うと、同時にものすごくいたたまれない気持ちになります。」
Q.いたたまれない気持ちとは?
「確実にトラウマになりそうな…そんな感じですね。
できれば全て記憶から消したいです。」
彼は北村に引き渡す資料を整理しながら、今までに彼の五感で感じた全てのことを我々に語ってくれた。
……。
我々はそこで全ての事実を知る。
ブラック企業。
我々は素直にそう感じた。
この話しはノンフィクションノベル〈What is Real?〉に盛り込もうと思う。
~12時~
昼休みとなる。
彼は一通りデスクの整理が済んだようなので、食堂へと向かう。
食堂は相変わらずの様子だ。
無言で前を向いて会社の弁当を食べるのもこれが最後。
周りではいつも通り、誰とも口を聞かずに黙って弁当を食らう社員達が溢れている。
彼は弁当のフタを開け、適当にオカズをつまむが、すぐにフタを閉じた。
そしてお茶で薬を飲む。
彼は名残惜しむこともなく、さっさと営業部へと戻る。
Q.オフィスに誰もいませんね?
「平和って感じですね。
まだ皆ダークな弁当タイムですよ。
それにしても、退職日に四天王達が出張で良かったです。」
彼は昼休みで誰もいない営業部のデスクで黄昏れている。
彼は今何を思うのだろうか。
~午後4時~
五十嵐くんはデスクの掃除や、備品の返却、退職関連の書類手続きをした後、最後のシメである挨拶回りへ行くため席を立った。
Q.挨拶回りとは?
「今までお世話になった人達にお礼しに行くって感じです。
とりあえず重役の人達は全員ですね。
後は他部署で関わった人達等…。」
そう言うと、彼は足を前へ進めた。
~総務・人事・経理部~
彼が最初に向かったのは総務・人事・経理部だ。
我々はそこで、営業部とはまた違った異様な雰囲気を感じ取った。
Q.なんかスゴイですね?
「はい…。
ここで挨拶するのが1番嫌だと思ったんで、最初に来ることにしました。」
我々は、赤鬼部長達もいないのに、彼が安定剤さんに頼る意味がここでやっと分かった。
空気が重過ぎる。
何かがおかしい。
それにここも営業部同様、新入社員が全員1年程で消える、過酷なサバイバル部署らしい。
彼はそんな部署の前に立った。
とりあえず総務・人事・経理は、お金を取り扱うので、関係者以外入ることはできない。
なので彼は、入口前で全員に聞こえるよう退職の挨拶をし、一礼する。
「ありがとうございました!」
彼の言葉がシーンとしたオフィスに響き渡る。
……。
総務・人事・経理の社員達は、声を発した彼を一瞬見るが、またパソコンの画面と睨めっこを始める。
退職者に構ってる暇はないと言わんばかりに、仕事という名のサバイバルな戦いに全員必死みたいだ。
『お疲れ様!』
そこに満面の笑みで言葉をかける1人の社員がいた。
Q.あの人は誰ですか?
「森の妖精です。」
彼は我々に森の妖精のことを語る。
森の妖精って…えっ?
確かに森にいそうな妖精には見える。
森の妖精は、クライシスの総務の30年戦士だ。
幾多のサバイバルを勝ち抜いてきただけあって、その性格はブラックさを極めている。
あの四天王達でさえ、森の妖精を嫌っている程だ。
森の妖精はブラックなクライシスで30年も勤めているので、とことん人のイジメ方を熟知してるみたいだ。
あの北村でさえも森の妖精の餌食になっている。
森の妖精が総務・人事・経理の邪悪な空気を生み出してるといっても過言ではない。
森の妖精が彼に言った『お疲れ様!』は、明らかに人の不幸は蜜の味といった感じだった。
そんなブラックさを彼は喰らいながら、足早に次の挨拶回りへと向う。
~メンテナンス部~
機械音がガチャガチャとしている。
彼は機械をイジる1人1人に挨拶をしていく。
彼いわく、メンテナンス部は奇跡的に良い人達の集まりだという。
『営業はツラかったべ。
大卒でいきなり来るところじゃねぇよ。
なんかヒドイことされた?』
メンテナンス部の人達から、そんな温かい言葉を彼はもらっていた。
しかし、メンテナンス部の仕事の負担は劣悪だという。
ちゃんと栄養と睡眠を取ってるのかという人達がたくさんいる。
メンテナンス部は、会社のゴミ処理係みたいなものらしい。
扱いがヒドイ。
深夜残業なんかあって当然だ。
するとまた、彼は1人のメンテナンス部の人に挨拶をする。
「今日で辞めるんですよ。」
『あっ、そうなの!?
俺も今年で契約切れだからなぁ……。』
どうやらその人は契約社員だったみたいだ。
社会は世知辛い。
そんなことを彼は思ったに違いない。
そんなメンテナンス部の挨拶回りを終え、技術・開発部へと彼は向う。
~技術・開発部~
メーカーなだけあって、技術・開発部の社員は多い。
営業部と比べると、全く持って普通の部署だそうだ。
そんな技術・開発部で彼は挨拶回りをして行く。
『あの部長訴えちゃえよ。』
『まぁ営業部で働いてたなら同情するよ。』
『あそこは自分だったら人間的に無理かもね。』
短い間だったが、お世話になった人達に挨拶をする。
彼は予想もしなかった程に、同情の言葉をもらった。
そして技術職の同期2人にも挨拶をする。
彼らは最後に熱い握手をしてくれた。
Q.皆さん立派で優しい方々ですね?
「そうですね。
もはや技術・開発部に配属されたかったですよ…。」
彼はなぜこういう人達が自分の上司や同期ではなかったのかと、叫びたい気持ちを堪えているように見えた。
そんな技術・開発部も後にする。
~品質管理部~
彼は品質管理部前のドアの入口に立っていた。
Q.どうしたんですか?
「いえ……。
ここに行くのは気が引けるというか、恐ろしいんです。
ここは考えないように挨拶回りしてました…。」
彼は行くか行かないかを躊躇していた。
品質管理部。
我々は、彼が異常なまでに躊躇するので、このドアの向こうに何があるのかが気になった。
Q.何で躊躇するんですか?
「このドアの向こうは闇です。
果てしない闇です。
人間の毛皮を着た獣が住み着いています。」
彼はしばらく考える。
Q.以前何かあったんですか?
「えぇ…。
ここの8割方の社員は、胸にグサッと刺さる言葉を浴びせてきます。
分からないことを質問するんですが、そんなの知らねぇ的な感じで、めちゃくちゃな暴言吐かれます……。」
彼はその時の記憶がフラッシュバックしたのだろうか。
ドアの前から一歩距離を置く。
Q.行くのやめますか?
「体が行くなと言ってます。
何回か勇気を出して行ったことありますが、営業部より劣悪な空気が漂ってますね…。
ここは8人同時退職という奇跡の記録を持つ部署です。
もちろん新入社員なんか一瞬で消えます。
1回暴言があまりにもヒドくて、暴言受けた後方針状態になり、しばらく周りの声が耳に入らないことがありました……。」
我々はその話しを聞いて、ここは彼が行ってはいけないと素直に思った。
退職にも関わらず、余計なブラックさを体感してトラウマがより増してしまうかもしれない。
だが我々としては、リアルなブラックさを取材するためには行って欲しいとは思うが。
品質管理部。
彼は挨拶しに行くのだろうか。
……。
すると、彼は神妙な面持ちでバッと後ろを振り返った。
!?
そしてすかさず営業部へと走り出して行く。
やるな、五十嵐!
~16時30分~
後30分でクライシスともおさらばだ。
彼はもう挨拶回りで疲労しているみたいだ。
まったりとしている社長にも挨拶をし、まったりとした言葉を社長からもらった。
今さらだか、社長は会社の天皇みたいなもので、おたけびクラッシュを聞いてもビビって何もしない。
社長室には毎日お菓子のカスが散乱していた。
ありがとう社長。
後は会社を去るだけだ。
そんな時、営業事務のドラミちゃんが彼に言った。
『部長達には挨拶したの?』
我々はその言葉を聞いてハッとした。
彼も同様にハッとし、まさかここに来て、出張でいない四天王達にも挨拶をしなければならないのかと、ドキッとしていた。
『ちゃんと電話しなきゃダメだよ。』
ドラミ…。
ここにきてブラック精神を発揮させるとは、なかなかやり手だ。
ドラミちゃんが何も言わなければ、忘れたことにして済んだものを。
一応ドラミちゃんは良心から言ったかもしれないが、つくづく自分の周りにはブラックな連中が多いと、彼は嘆きたい顔をしていた。
彼はドラミちゃんがグチグチとうるさいので、出張でいない四天王達の携帯に電話する。
気が重そうだ。
安田
『おれにラーメンおごってから辞めろよ!』
北村
『引き継ぎの資料ちゃんとできたのけ?』
木原
『何かあったら俺に連絡しろ!なぁ!?』
中川さん
『メンテナンス作業ではありがとう。』
岡本さん
『次はまともな会社行くんだよ。』
赤鬼部長
『ただ今、電話に出ることができません。』
彼は残り30分の中で電話を済ませた。
安田は腹が減ってたのか。
ラーメンおごれしか言わなかった。
北村は最後までストイックだった。
引き継ぎのことばかり話された。
木原は未だに自分が辞める要因に含まれてないと思っていた。
誰が木原に連絡するのだろうか。
中川さんとは良く一緒にメンテナンス作業をしてたので、色々感謝された。
岡本さんは最後まで励ましの言葉をかけてくれた。
赤鬼部長は電話が繋がらなくてで助かった。
もうめんどくさかったので、そのまま電話を切った。
~17時~
定時のチャイムが鳴る。
時間だ。
彼は立ち上がり、キレイさっぱりとしたデスクを眺める。
何も悔いはない。
あるはずがない。
そして営業部にいる緒方とドラミちゃんに一礼し、入口のドアをくぐって会社を去って行く。
我々はふと会社を見上げた。
建物が見下している。
とりあえず、約8ヶ月に及ぶ彼のクライシスでの日々が終わった。
彼はいつもの道を通って最寄駅へと向かう。
その後ろ姿は、我々に何か言いたげな気がした。
だが我々はあえて何も質問しない。
心の中はきっと混沌としているはずだからだ。
明日も社会は動き続ける。
彼が何もしていなくても動き続ける。
会社からは逃げられる。
だが社会からは逃げられない。
そういうふうに世の中はできている。
そしてまた、ブラック企業も在り続ける。
彼が牽制しようとも在り続ける。
会社は選べる。
だがブラックかどうかは入るまで分からない。
そういうふうにブラック企業は存在している。
そんなブラック企業は、人が働き続けるのを困難にしor拒絶し、社員という身ぐるみをはがして社会に叩き出す。
血も涙もない企業である。
今日もどこかで社員という身ぐるみをはがし、ブラック企業は笑っているのかもしれない。
それにブラック企業は、ブラックな人間達が作り上げていることを、我々は取材を通して深く知った。
ブラックな人間達にとっては天国かもしれないが。
あなたがもし、ブラック企業に入社してしまったら、心をブラックに染めてでも働き続けるのだろうか。
……。
そして何も質問せずにいた我々だったが、彼の方から突然我々に話しかけてきた。
「新入社員のリアルな成長を追っていく取材だったのに、こんな形になってすみません。」
彼は我々に謝る。
しかし謝る必要はない。
我々は君のおかげで充分にブラック企業を取材できたのだから。
ノンフィクションノベル〈What is Real?〉は、君なくして制作することができなかった。
君か過ごした約8ヶ月は、我々が決して無駄にはしない。
我々はブラック企業の実態を、絶対に世に公表してみせる。
すると、彼は最後にこんなことを言った。
その言葉を最後に残し、彼は我々の前から去って行く。
その最後の言葉をもって、ノンフィクションノベル〈What is Real?〉は本当に完結することとなる。
「でも…。」
でも?
「でも…。
それでも育ちました。」
育った?
「ブラック企業でも、ウブ毛程度くらいは育ったと思います。」
?
「一言で言うなら…」
「ブラック企業で…」
「ブラック企業で育った俺!」
END