帰宅~報告
「ただいま……」
家の扉を開けると、待ち構えていたかのように母さんと妹が飛び出してきた。
「お兄ちゃんお帰り!」
「お帰り浩紀」
俺はそれに無言で答え、靴を脱ぎ捨てる。
「お兄ちゃん! それで、どうだっ……」
途中まで言いかけた真奈は、俺の表情を見るなり即座に言葉を切った。
答える気力もないというように、俺は黙って自分の部屋に向かう。
「……浩紀、あんまり気にしちゃだめよ」
「お、お兄ちゃん! あのね、お兄ちゃんが滑り止めで受かった成城にね、私の友達のお姉さんが行ってるんだけどさ、成城ってすごくいいらしいよ! 学校に購買があってね、そこのパンがすごくおいしいんだって!」
……こいつら、完全に勘違いしてるな。
まぁ、今の俺の顔と態度を見てれば誰でもそう思うだろうが。
「俺、受かったから」
「「えっ?!」」
母さんと妹は、口を開けたままお互いの顔を見合わせた。
それだけ言うと、俺は自室のドアを閉めた。
俺は着替える気力もなく、制服のままベッドに倒れこむ。体を少しでも動かすのが億劫だ。
それでも何とか寝返りを打って天井を見上げると、
『どうして浩紀くんなんかが受かって、私が――』
あの言葉が、何度も何度も頭に浮かんでくる。
振り払っても、振り払ってもその言葉が俺に圧し掛かってくる。
――あはは。それにしても。俺、一体何をしていたんだろう。
この一年。穂佳さんと同じ高校に行きたい、それだけの思いで頑張ってきた。
彼女が好きだから。
その好きって思いだけで。
けどそれは、いろんな意味で裏切られた。
俺は彼女に、あんな風に見られていたんだ。
所詮、その程度だったんだ。
一緒に浩陽を目指す仲間だって、せめてそう思ってくれていると、そう信じていた。
だからこそ、ここまで頑張れたのに。俺は、一体、何のために頑張ってたんだ?
そりゃあ、県トップの進学校に受かったんだ。この一年が無駄だったなんて思わない。
けれども、俺が本当に欲しかったものは、そんなもんじゃないんだ。
それが手に入らなくなった今、俺は、浩陽に行く意味なんてあるんだろうか。
気付けば、また涙が溢れていた。
本当はこの涙は、嬉し涙になるはずだったのに。
「『どうして、浩紀くんなんかが』……か」
「チュンチュンチュン。チュンチュンチュン」
「ん……う……」
携帯に手を伸ばして、電源のボタンを押す。すると、いつも目覚ましに指定してある『鳥のさえずり』は消え、部屋に静けさが戻る。
今、何時だ?
携帯の時計に目をやると、時刻は6時。昨日まで、学校に行く前の6時から7時までを勉強に当てていたため、こんな時間に目覚ましが鳴っているのだ。
もう、勉強する必要はないのに。
合格発表の日から、二日が過ぎていた。その間もずっと、俺の気持ちは沈んだままだった。合格したというのに異常に落ち込んでいる俺のことを、家族はまったく理解できないという感じだった。けれども俺の深刻さは分かってくれたみたいで、そのことについて何も聞いてはこなかった。
今日は、結果を学校に報告しに行く日だ。
受かった者は午前中に、落ちた者は午後に。合格者と不合格者を会わせないための配慮なのだろうが、結局、午前中に行かなかった人が不合格だということはすぐに分かる。
「俺、受かったんだよな」
もう一度あの日のことを考える。確かに、俺の番号はそこにあった。何度も、何度も見比べたし、間違いはない。俺は受かったんだ。
だから、俺が行くのは午前中。そこで、他の合格した連中といろいろ話す。
でもそこに、彼女は、いない。
ホントはあまり、行きたくなんかない。
俺はきっと、他のみんなのように、楽しい顔はできないから。
多分俺は、午後に行く連中と同じような顔しかできないから。
俺、受かったのにな。
どうしてこんなに悲しいんだろうか。
「行きたく、ないな……」
案の定、合格の余韻を残したままの友達に囲まれ、俺は一人疎外感をうけるハメになった。
他のやつらが嬉しそうに話しかけてくるのが、正直ウザかった。
「いやぁ、でもホント。受かるときって、受かるもんなんだな」
友達の一人が言っている。
「ホントホント。でも、そういえばさ。前田さん、ダメだったみたいじゃないか」
「え、マジで? うわー、あんな頭よかったのに落ちちゃったんだ」
「受験ってホント分からないもんだよな。前田さんみたいに頭いい子が落ちて、それでなんと、浩紀なんかが受かっちゃうんだからな」
「いえてるー。三年になる前は俺らと同じ成城志望だったのに、いっちょうまえに、浩陽だもんなぁ……」
それまでは何を言われても、「そうだな」とか、「うんうん」とかで合わせていた俺も、「浩紀なんかが」という言葉によって、抑えていた感情が一気に吐き出された。
「――悪かったな」
不機嫌さがありありと込められた言葉に、友達は怪訝な顔をした。
「あ、いや、そういう意味じゃ……」
「じゃあどういう意味だよッ!!」
意図せず俺の声は荒々しくなる。
ダメだ。ダメだ、こんなところで怒ったところで、何にもならない。
けれど、頭でいくら分かっていても、込み上げる感情は収まらない。
「悪かったな。そうだよ。俺より成績が良かった穂佳さんは落ちて、俺は受かったよ。悪かったな!」
唖然として俺のことを見つめる級友たち。
豹変した俺にクラス中の視線が突き刺さる。
「浩紀、お前、なに、ムキなってんだよ」
俺はそんな視線に耐えられなくなって、教室を飛び出した。
――分かってる。俺が悪い。
けれども、この気持ち、どこにぶつければいいんだ?
どうやって抑えればいいんだよ!!
走る視界が、急激にぼやけ始めた。
次にはもう、目じりにたくさんの涙が溜っていた。