合格発表当日
――合格発表当日。
「それじゃ、いってきます」
「おう、お兄ちゃん! そんな心配そうな顔してると、受かるものも落ちちゃうぞ!」
「お前はいちいち一言多いの。んじゃ、いってきます」
もう春は近いというのに、風は冷たい。
閑散とした木々のトンネルをくぐり、俺は駅へと向かった。
手袋をこすり合わせて待っていた穂佳さんは、俺を見つけると手を振ってくれた。それによって、彼女の白いマフラーが揺れる。
「お、おはよう……」
しかし、今日はどうも調子が乗らない、というか、テンションが上がらない。
彼女は普段どおり、明るく笑顔でいるが、それは彼女が余裕だからだ。俺は、はっきりいって自信がない。自己採点でも、ボーダーラインすれすれだった。
やっぱりダメだったんじゃないだろうかという思いは、合格発表が近づくにつれて、どんどん大きくなっていった。実は昨日は、あまりよく眠れていない。
「ん? 何してるの? 早く行こう?」
ボケッと突っ立っている俺に向かって、彼女はまた笑いかけた。
「いや……、さ。不安で胸がドキドキするっていうか、俺何だか、受験本番の時より緊張してるよ……」
「大丈夫だよ! きっと、二人とも受かってるって!」
「とはいっても、なぁ……」
「浩紀くん、大丈夫だよ。だって浩紀くん、すごく頑張ってたもん。きっと浩紀くんも受かってるよ」
「――うん。ありがと。穂佳さんにそういって貰えると嬉しいよ」
まだ心からの笑顔とまではいかないけれども、穂佳さんの言葉で、少し楽になれた気がした。
俺たちが浩陽高校の正門につくと、既にそこら一体はたくさんの人で多い尽くされていた。
さすが県随一の高校の合格発表だけあって、地元のテレビまでいる。ああ、きっと合格した人のインタビューとかするんだろうな……。
そんなとき、ふと周り見渡して気付いたのは、そのたくさんの人の誰もが、それほど心配そうな顔をしていないことだ。
誰もがみんな、自信をもっているわけではないだろう。けれども、ここまできたら、もう信じるしかないのだ。いまさら俺みたいに、うじうじしても仕方がない。それを分かっているから、みんな元気な顔をしているのだろう。
『そんな心配そうな顔してると、受かるものも落ちちゃうぞ!』
真奈の言うことも、一理あるな。
俺は、気を取り直し、そうつぶやいた。
「あ、いよいよだね」
多分学校の先生だろう人が、掲示板に用紙を貼り付け始めた。
途端に、大きな悲鳴にも聞こえるどよめきが起こった。
(お、俺の番号、俺の番号は!! く、ちょっと、押してくんじゃねぇよ!)
焦って見ようとするが、前の人が邪魔で全然見ることが出来ない。精一杯背伸びをしても、上の方がかすかに見えるだけだ。
大きな歓声を上げる人。
腰が抜けたように立ち尽くす人。
くるりと背を向け立ち去ろうとする人。
そんな人たちを押しのけて、俺は前に進んだ。
「……あった」
自分のもった受験票と、掲示板に貼り付けられた紙を何度も見比べる。
ある。間違いない、俺の番号は、この掲示板に書いてある。
俺は、……受かったんだ!
熱いものが込み上げてきた。
この一年間、本当に頑張ってきた。それが、それがやっと報われたんだ。
「おっしゃあー!!」
自然と、喜びが声になってふきだした。
「うわ……、マジ、ホント嬉しいよ! ねぇ、ほの――あれ?」
隣にいたはずの穂佳さんがいないと気付いたのは、声の下からだった。
「いつのまに、どこ行ったんだろ?」
――あ、そうか。こんなところにいたら他の人の迷惑になるもんな、どっか邪魔にならないところによけたんだろう。
俺はそう思って、人だかりの輪から抜け出し、穂佳さんを探した。
穂佳さんは、すぐに見つかった。
「穂佳さん! 俺、受かったよ!」
飼い主の下へ走っていく犬のように、俺は彼女に近づいていった。
「よかったね。おめでとう」
「――え?」
俺は思わず聞き返していた。
彼女の言葉は、まるで彼女じゃないかのように、あまりにも冷たかったから。感情がこもっていないというよりも、何か投げ捨ててしまったかのような、そんな言い方だった。
「あ、うん、ありがとう……」
それでも俺はお礼の言葉を返した。
「私、帰るね」
しかし彼女は、視線を合わせようともせずに言う。
「えっ、で、でも……ちょっと」
なんだ、なんだこの反応は。さっきまで、一緒に来るまでは、あんなに明るく、沈んだ俺のことを励まし続けてくれたじゃないか。
それが、今になって、どうして?
考えたくないと思って抑え込もうとしても、嫌な考えはそれを押しのけて溢れてくる。
言葉を探して戸惑っている俺を一瞥した彼女は、能面のような引きつった笑みを浮かべた。いや、無理やり作り出されたそれは、笑いなんかじゃないことは一目瞭然だった。
「落ちちゃった」
――オチチャッタ。
これは、何て言葉だろう。本当に日本語だったっけ? 宇宙人の言葉じゃないのかな?
まぁ、俺が理解できない言葉だってことは、明らかだよな。
「……なんで?」
彼女の声は震えていた。
「なんで、なんで私、私……!」
下を俯いているせいで顔は良く見えないが、頬をつたう涙が光った。
「どうして!? どうして私が? だって、いつも私の方が模試でも成績が良かった! 内申だっていいはず! それなのに、それなのに……」
「ほ、穂佳さん、落ち着いて……」
感情を爆発させる彼女を少しでも落ち着かせようと、俺は両手を前に出しかけた。しかし、
「――どうして、どうして浩紀くんなんかが受かって、私が落ちなきゃいけないのよ!! そんなの、全然納得できないよ!!」
俺は瞬間、頭が真っ白になった。
何も考えられない、何も考えたくない。
ドウシテ? ナンデ?
「え、ほの……か、さん?」
一瞬ハッとしたような顔を浮かべた彼女だったが、すぐに後ろを向くと、振り返りもせずそのまま走り去ってしまった。後には、呆然と立ち尽くす俺が残された。
励ますことはおろか、声をかけることも、引き止めることも、俺は何もできなかった。茫然自失、まさにこのことだ。
そして、現状を理解しようとすればするほどに、俺の心はズキズキと痛み出す。なんで、こんなに痛いんだ?
それは、考えたくないことだった。けれども時間は、俺に理解を強要してくる。つま先から頭のてっ辺まで、寒気のようなものがはしった。
穂佳さんは、俺を、そんな風に見てたんだ。
いつも俺にアドバイスをくれたり、模試で結果が悪いときも励ましてくれたりしていたのは、そんな風に思ってたからなんだ。
自分の方が優位に立ってるから。そう思ってたから。
そっか。
さぞ、面白かっただろうね。自分を目指して、必死に頑張る俺のことが。
同情すらしてたのかな?
それとも、デキの悪い俺を、ただ、ただ哀れんでた?
それが、今日の出来事で、一気に崩れ去ったんだもんね。
あはは。結果は、俺が受かって、君が落ちた。あっはは。立場が逆転しちゃったね。あはは、こりゃあ、面白い。
――ザマーみろッ!
そんなんだから落ちたんだよ!
自業自得だ! 人をバカにしてるのも、ほどがあるぜ!
あーいい気味。
ホント、ざまぁねえや……。
ざまぁ、ねえや、バカ野郎……。
そう、いい気味だ。いい気味なのに……、それなのに、どうして、――どうしてこんなに苦しんだ?
どうして、視界がぼやけるんだ? どうして、涙が出て来るんだよッ!!
人生最高の日は、一文字変わって最低となった。
俺の気持ちは、ズタボロになった。
家路に着く足が、異常に重かった……。