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受験前夜(一)

 俺の青春は、一人の女の子抜きには絶対に語れない。

 そのとき、彼女は俺の原動力であり、憧れであり、すべてであった。

 俺がその人、前田穂佳(まえだ ほのか)と出会ったのは、桜のつぼみが膨らみ始めた、ちょうど今ごろの季節だった。



 ―― 昇華の果てに、春が来る ――




「いよいよ、か……」


 春という言葉から思い浮かべることは何だろう。

 やはり、満開に咲き乱れる桜。そして、その下で胸を躍らせ歩く入学式。ピカピカのランドセルを背負った小学生。初めて身にまとう真新しい制服を着た中学生。一層大人らしくなった高校生。

 誰もが、新しい自分の生活に期待を膨らませることだろう。

 けれども、無条件に心躍る入学式を迎えられるのは中学生まで。それ以外は、受験という戦争に勝ったものだけが、その華やかな自分の門出を祝えるのだ。


 というわけで、明日に迫った入試という魔物を倒すべく、俺は最後の仕上げに取り掛かっている。

 数学の公式よし。英語の単語よし。苦手な社会も精一杯、頑張った。……国語はよう分からんが、何とかなるだろう。後は休み時間に見直す用の、特別ノートをカバンにしまえば準備完了だ。


 俺はカバンのチャックを閉めると、誰に言うでもなくそう呟いた。

 やるべきことはすべてやったと思った。やれることはすべてやったと思った。中三の最初と比べたら、相当力が付いたことは自分でも実感できる。

 それでも、まだ遣り残したことがあるのではないかと、モヤモヤと掴み所がない不安は消えない。


 俺、緊張しているんだな。

 まぁ、たった一日で自分の人生が左右される、忌々しい受験に緊張しない奴の方がおかしいだろう。

 ついに明日だ。そう考えると、何だか体が熱くたぎる。いや……というか、やっぱり、まだ遣り残したことがたくさんある気がしてきた。ちょ、ちょっと心配になってきたぞ……。

 ――いやいや。俺は精一杯やった。今すべきことは、今日は早めに寝て、明日に備えて体調を万全にすることだ。うん、そうだ、それしかない!


 俺はあふれ出しそうな不安をぎゅっと胸の中に押し込めて、ベッドにもぐりこんだ。

 思えば、この一年は長かった。

 だが、それも明日ですべて終わる。後は自分のやってきたことを精一杯ぶつけるだけだ!

「おし!」

 顔を両手で叩いて気合を入れると、俺は瞼をつぶり、深い眠りについた。



「おー兄ぃちゃーん!」

 深い、眠りについた。

「ねぇ、お兄ちゃんってば!」

 ……ついた、はずだった。


真奈(まな)!! お前、人が寝てるとこに何しにきやがった!!」

「お、やっと起きたね。おし、お兄ちゃん、一緒に三国無双やろう」


 目を開けると、そこには俺の顔を面白そうに覗き込んでいる妹の姿があった。まぁ妹というよりは、うなじが見えるくらい短めに揃えられたボーイッシュな髪形と、手を付けられていない眉とで、女っぽい弟といった方が適切かもしれない。

 とはいえ、まだ小学六年生。大人になる頃には、きっとおしとやかな美人さんに育ってくれるだろうと思ったりもしたり――ってそうじゃない。


「ふざけるな! お前、俺が明日入試だってこと知ってるだろうがッ!」

「そーりゃそうだけどさ、まだ8時だよ? まだまだ夜はこれからじゃないですか! さ、いざ戦場へ!」

「俺は嫌でも明日モノホンの戦場に行くの! 分かったら、さっさとこっから立ち去れ!」

「えーひどいよぉ。だって最近、お兄ちゃん全然遊んでくれないじゃん! ステージが難しくて、一人じゃクリアできないんだよ?」

「知るか! とにかく俺はもう寝るの!」


 これ以上言っても無駄だと思った俺は、布団を頭から被り、物言わぬ地蔵になった。


「もう! 大体お兄ちゃんがランク上げて、県トップの浩陽高校にするからいけないんじゃない。一つランク下の成城高校なら余裕だったのに――」


「こら真奈! お兄ちゃんは明日早いんだから、あんたも早くお風呂入って寝なさい!」


 突然降り注がれた言葉に、真奈は飛び退き、俺は飛び起きる。見れば、両手を腰にあて、きつい表情で睨む母さんが立っていた。

 これには真奈も、さすがに諦めてくれたようだ。あてつけがましく頬をぷぅと膨らませると、足音をわざと大きくしながら出て行った。


「まったく、あの子はしょうがないねぇ。それじゃ浩紀、明日は頑張るんだよ」

「あ――、うん。頑張るよ、ありがとう」

 俺がそういうと、母さんも、優しく笑いかけて出て行った。


 ふぅ。それにしても真奈のやつ。あいつが高校受験のときは、俺も散々邪魔してやるから覚えとけよ。


 ……まぁ、とはいえ、俺が高校のランク上げた本当の理由なんて、本当に笑えるもんなんだけどな。




 俺は中学に入り、一人の女の子と出会った。名前は前田穂佳。俺の苗字が宮下なので、その子とは隣の席になった。

 律儀に肩ほどの長さに切り揃えられた黒髪。校則どおり膝下までに合わせられたスカート丈。そして飾り気のない持ち物とで、初見の印象は、どちらかというと地味だった。けれども、彼女のはにかんだ笑みは、小動物なんかを見てほのぼのとする時のような、そんな穏やかな気持ちにさせてくれた。

 そしてまぁ、展開としてはありきたりだが、俺はその子を好きになった。きっかけというのは今でも思い出せない。学校のことで他愛もない話をしたり、係の仕事を一緒にするなどしているうちに、「気付いたころには好きになっていた」、という表現が正しい気がする。だから好きになった瞬間というものは、そもそも存在しなかったと思う。

 二年のクラス替えで離れ離れになった時のショック、三年のクラス替えのときにまた同じクラスに、そして偶然とはこのことか、またもや隣の席になったときの喜びは、今でも覚えている。

 彼女は一年のときから成績優秀で、テストでもいつも90点以上の高得点をマークしていた。一方俺はというと、平均よりは上かなってくらいで、せいぜい「中の上」という言葉が似合うくらいだった。



 そんな俺が県トップの浩楊高校を目指すことにしたのは、三年に上がり、まだ数ヶ月しか経っていないある日のことだ。

 受験学年ということで、その日は朝から進路希望の用紙を提出することになっていた。


『浩紀くんはどこの高校志望?』

 穂佳さんが、俺の席に寄ってきてそう声をかけた。


『え、あ、俺は……。穂佳さんは、やっぱ浩陽なの?』

『うん! 浩陽はさ、私服も大丈夫じゃん! そこがいいなって』

『あはは。何だか動機が不純だねぇ』

『えー、そんなことないよ。――で、浩紀くんは?』

『あ、うん。俺も浩陽がいいとは思っているんだけどね。やっぱ俺の学力じゃきつい、っていうか』

『そんなことないよ! 今から頑張れば十分間に合うって。……それに、さ』


『え?』


『浩陽って、浩紀くんの"浩"って字が付いてるじゃん。これって、何だかすごくない? 浩紀くん、絶対浩陽受けた方がいいって』

『えぇ!? そ、そりゃまた、不純な動機だなぁ……』

『もう、私は真面目だよ? ――それに、私も浩紀くんが浩陽だったら嬉しいもん』


『えっ!?』


 そ、それって、まさか、まさかひょっとして、ひょっとするとですか!!

 俺のことを好きだから、高校でも一緒にいたいって、そういうことなんですか!!

 それで、学園祭の仕事も一緒にやっちゃったりして、終わった後にイイムードになっちゃって、それで、それで、――おおおぉぉ、マジですかぁ!? 神様ありがとうッ! 今まで信じていませんでしたが、今はメチャクチャ感謝してますよ!!



『やっぱり浩紀くん、大切な"友達"だからさ。一緒の高校いけたら嬉しいよ』


 俺の妄想モードは、彼女の一言で突然のグランドフィナーレ。――神様、やっぱり信じません。


 はぁ……。そういうことですか。「友達として」ですね。ええ、ええ、分かっていましたとも。そんなに人生、上手くいくなんてことありませんよね。

 ていうか、今俺、こんな朝っぱらの教室でフられたんじゃないんですか? 俺の二年の片思いが、こんなところで終わっちゃったんですか……?


 ――いや、いやいやいやいや。これはチャンスだ。このまま違う高校に行ってしまっては、ますます疎遠になってしまう。ここで同じ高校を目指すことにすれば、一緒に勉強しようという口実も使えるし、これは、これは逆にチャンスですよ!


『うん、決めた! 俺も浩陽目指すよ』

『お〜さすが! 一緒に頑張ろうね!』



 俺はその後、彼女の「一緒に頑張ろう!」だけを頼りに、ここまで頑張ってきた。学校の先生に「今のままではきついんじゃないのか」と言われたときや、模試でなかなか点数が取れなかったときも、彼女の言葉を羅針盤にして頑張ってきた。

 そうして、今、俺はここにいる。長く、終わりが見えなかった航海も、ついに終わりを迎えようとしているのだ。





「春といったら桜、そしてその下を歩く入学式。入学式といったら、やはり受験……」


 原案は去年書いたものですが、時期はずれになったので今まで倉庫の隅で眠っておりました(笑)

 読者の皆さんも、少なからずこんな経験あったのではないでしょうか?


 3000字程度ずつで投稿、全部で5話くらいになる予定です。

 今しばらく、この物語にお付き合い下さいませ――。

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