偽りの伴侶
音楽用語につきましては、日本語から感覚的につけています。合わないと感じられましても、見逃していただければと思います。
【悲しみの詠嘆曲】
「お前…なぜマリアを守らなかった…!
しかも自らはほんの少しの怪我を負っただけだなどと…!
マリアが負った傷の分まで私がつけてやるっ!」
そう言うなり、王、ヴァルツは王妃、リサに暴行を加え始めた。
顔を殴り、腹を蹴り、鳩尾に拳を入れる。相手は女だというのに、一切の手加減はなかった。
リサは始終一言の声ももらさずに王から与えられる痛みに堪えた。
「何故お前が無傷なのだ!
お前が、マリアを襲うように仕向けたのだろう…!
お前がそんなやつだともっと早くに知っていたならば、絶対に婚姻を結ばなかった!」
暴行の合間にぶつけられるものはリサをひたすら傷つけるものだった。
リサはそれがマリアー王の側室であり、王が唯一愛する女性ーを守れなかった代償だと、抵抗をせずに受け続けた。
王が満足してリサの体を離したとき、リサの意識はもはやなかった。
王は汚いものを見たかのように綺麗な顔を歪ませ、自らは一本の指もリサに触れずに兵を呼び、リサを牢に閉じ込めさせた。
【つかの間の交声曲】
「リサ、お前を愛してる」
私と陛下は政略結婚だった。私は幼い頃から陛下を愛していたから、政略結婚でも陛下を夫とすることができて嬉しかった。陛下は私を愛そうと努力してくださり、結婚式前夜には愛のお言葉をいただけた。私はその日が人生で最良の日となった。
あの時、この言葉は確かに本物だったのだ。
寝台の上でも、これ以上ない優しさをもって私を愛してくださった。陛下の一卵性双子の弟君であるヴァイツ殿下とも親しくさせていただき、嫁いできて本当に良かったと思った。
ー王がずっと片思いしていた女性が生還してくるまでは。
「リサ!」
「まあ、ヴァイツ様。どうかなされましたか?」
「ああ、今日は君にぴったりの花を見つけたんだ!
いつもすごく綺麗なリサに合う花なんてないって思ってたんだけど、やっと見つけたよ!」
「ヴァイツ様、女性を持ち上げるのがお上手ですわね」
その日も、たわいない毎日の一部だった。
私をいつも褒めてくださるヴァイツ様といつものように会話を交わし、いつものように笑った。
「王妃様!急ぎ、王の間にお越しくださりませ!」
だから、侍女が告げたその言葉も、たいしたことがない用件だと思っていた。
【「サヨナラ」までの前奏曲】
王の間に突如現れたその女性はマリアと名乗った。陛下の乳兄弟で、3年前に陛下をお守りしたときに一時行方がわからなくなっていたが、なんとか祖国にお戻りになられたらしい。
陛下はさぞ懐かしがっておいでだろうと隣の玉座に座っておられる陛下を盗み見た。
見たくは、なかった。
陛下は、今まで見たことがないほど優しいまなざしでその女性を見つめていた。
陛下しか愛したことのない私でもすぐにわかった。陛下は、その女性を愛しておられる。私が再び陛下に愛されることはないということも。いや、私は愛されてなんかいなかった。私と陛下と今までの触れ合いは、全てまやかしだったのだ。
そのときに始めて、私は「夢ならば覚めないで」という言葉の意味を本当に理解した。
たとえ陛下が私を愛してなんていなくても、私がその事実に気づかなかったならば、きっと私は幸せに過ごせただろう。私は愛されてると思い込めたのに。
陛下は我に返るとすぐに、マリア様を側室となさることを宣言した。マリア様を一時的に保護するという名目だとおっしゃったが、きっと陛下は二度とマリア様をお放しにはならないだろう。こんなときに初めて働いた自分の女の勘がひどく憎らしかった。
その夜、私の部屋に陛下が現れた。
「マリアを守れ。それが約束できないなら、お前の祖国は滅ぼす」
私に向けたことのない冷たい目で私を見下ろした陛下を怖ろしいとは思わなかったけれど、悲しかった。私は、それほど陛下に信用されていないのかと。
「全身全霊をかけて、マリア様をお守りします」
それは、私の本音だった。確かにマリア様に嫉妬していたけれど、陛下がそれで幸せになれるのなら、喜んでそのお手伝いをしようと決意していた。祖国を盾に取られずとも、私は何でもする。
陛下を、愛しているのだから。
「頼んだぞ」
それだけを告げた陛下は足早に私の部屋を去っていった。これからマリア様と夜を過ごすことはわかっていたが、引き止めることはできなかった。そんな権限はない上に、きっと私が傍にいても、私自身を見てはいただけないだろうから。
窓から差し込む月の光が、私が独りであることをくっきりと表して、寂しさにぎゅうっと自分の体に腕を巻きつけた。
【変動の狂想曲】
翌日から、陛下がいらっしゃらないときは私はずっとマリア様の傍にいてお守りした。傍から見ればその構図は侍女と主人以外の何物でもなく、私は陰で「側室に仕えるお飾り王妃」と呼ばれるようになった。それは当然、私の耳にも届いたが、その任務を降りるわけにはいかなかった。
「リーサッ!元気ぃ?」
久し振りにお会いしたヴァイツ様はお変わりなくて嬉しかったけれど、私には眩しすぎた。だから、ヴァイツ様には会釈だけをして部屋の前で待機している侍女にお茶の用意を申し付けに行った。
その後、ヴァイツ様はマリア様と何かお話しになっていたようだけれど、すぐにマリア様が大声を出されて大騒ぎになった。
その結果、ヴァイツ様は陛下の命で地方の領主となった。
マリア様は、その知らせを耳にすると、満足そうに微笑んだ。
わたしは、ほんとうにひとりぼっちになった。
それから、数ヶ月。
小春日和となったその日、散歩をしていた私とマリア様は暴漢に襲われた。
私とマリア様の護衛は、あっという間に倒された。
暴漢はマリア様に向かっていった。私は暴漢の1人にハンカチを口に当てられて、気絶させられた。
気がつくと、全ては終わっていた。
【絶望の夜想曲】
牢、は、地獄だった。
私は、兵たちの慰み者にされた。
ある兵から、これは陛下のご命令だと聞かされた。
そして、いつからか、その集団に陛下も混ざるようになった。
ソコマデ、ニクマレテイタナンテ。
私は、人形となろうとした。
けれど、いつも自我を保っていた。
忘れたいのに、忘れられない。
辛い、つらい、ツライ。
もう、何日たったのか分からない。
朝なのか、夜なのか、昼なのか。
地下にあるこの場所では、それさえも。
この頃は、時折絶叫するので、リサの口には猿轡がはめられていた。
息苦しいのにも、もうなれていた。ほとんど、自我を失い、廃人となりかけていた。
そのとき、遠くからカツン、カツン…。と革靴の音が響いた。
兵が、やってきたのだ。
ガチャリ、と鍵を開けられた。
暗闇だから、誰かなんてわからない。
その人物はリサを抱えあげ、猿轡に手をかけた。
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
口が自由になると、リサは体力がなくなるまで、叫び続ける。この日も、同様だった。
「リサ、落ち着いて!
君には何もしない!」
その男は、ヴァイツだった。王妃と側室が入れ替わったといううわさを聞いて、馬を走らせてきた。しかし、ヴァイツが王都についたときにはなにもかもが遅かった。王を問い詰めて地下牢に向かうも、遅すぎた。
リサは、唯一の心の支えだったヴァイツも、分からなくなっていた。身も心も、限界だった。
「ごめん、ごめんね、リサ。君を、もっと早く、こうなる前に救えなくてごめんね」
必死の謝罪も、聞こえない。ヴァイツは、身が切られるような思いであることを決心した。
「リサ、君は永遠に、君が幸せだった数ヶ月を過ごそう。
一旦目を閉じて?…そう、いい子だ。
目がさめたそのときに君の傍にいるのは、ヴァルツ、だから」
ヴァイツは、リサに催眠術をかけた。それは、万が一のときのために家臣から習ったものだった。
ヴァイツはリサを眠らせて、牢を抜け出した。
「で、殿下!そやつは決して死ぬまで牢から出すなとの陛下の厳命でございまして…」
「陛下からは許可をいただいている。こいつは、俺の奴隷にする」
「か、かしこまりましてございます」
ヴァイツは、その日のうちに国を抜け出した。
【永遠の輪舞曲】
目が覚めたリサは、目の前に飛び込んできた人物に抱きついた。
「陛下?陛下でございますか?」
まるで十代の子供であるかのような、無邪気な声だった。
世の中に汚いものなんか、あるはずがないと信じきっている表情を浮かべている。
その少女の目には愛する人しか映っていないのだ。
「私のことは名で呼んでくれないか?リサ」
その男は、世界はその少女が中心で回っていると言わんばかりの溺愛ぶりだ。その少女が目覚めるなり、その言葉とともにたくさんの装飾品やドレスを与えている。
しかし、その少女はプレゼントよりも、その言葉のほうが嬉しかったらしい。
満面の笑みを浮かべてより強く抱きついた。
「嬉しゅうございます!ようやくお許しくださりましたのね?
愛しておりますわ、ヴァルツ様」
「世界で一番愛している。きっとお前を幸せにしよう」
二人は、口付けを何度も交わした。
ヴァイツはその言葉どおり、世界中の良品を買い集め、全てをリサにささげた。
彼が、愛するリサのために。
綺麗なものしかない、温室の中で。