どういうことだ
短い話です。気軽にお楽しみください。
「いつもより遅くなったなぁ」
家路を急ぐ足をさらに速めて俺はひとりごとを言った。
最近太陽が出ているのを見ていない気がする。普段は気にも留めないことに気が付いてしまって顔をしかめながら大通りを歩いていると、前方からガヤガヤとにぎやかな声が近づいてくる。
見ると歩道を埋め尽くすように広がって歩く酔っ払いの群れ。邪魔だろ!と 叫びだしそうになった気持ちを慌てて落ち着かせる。
俺はしぶしぶ彼らとバッティングしないようにいつもとは違う路地へ入ることにした。またすぐ左へ行けばいいんだから。そう軽く考えて道を右折する。
街灯もなくなり一気に真っ暗な道に入った。「えっ? 」思わず漏らした自分の声が左右の建物に反響する。どういうことだ? 明らかにおかしい。しんと静まり返っている。
大通りから一本外れただけでこんなに静かになるだろうか。驚いて後ろを振り返ると、レンガの壁が今来た道を閉ざしてしまっている。
そんなわけない、角を曲がってから数歩も進んでないんだから。
混乱する思考と不安を振り切るかのように家があるだろう方向に歩き出す。靴が石畳を踏みしめてカツカツと足音が鳴る。
他に音がないせいか異様に大きく聞こえる足音は意図してないのにどんどん速くなっていく。次第に心臓の音まで大きく聞こえ始め胃の辺りがムカムカする。
歩き続けていくと左右の視界を塞いでいた建物が唐突に消えた。それに合わせて狭く反響していた足音が響かなくなる。
心細さに歩調の乱れた足音が一歩一歩コツンと鳴る。鳴ったそばから周囲の闇に溶け込んでいく。
月明かりに目が慣れてきたのかぼんやりと周囲が確認できるようになってきた。どうやら円形の広場のような場所に出たみたいだ。こんなところにこんな場所があるはずはない。全面石畳の広場。俺はその隅で呆然と立ち尽くす。
恐怖に突き動かされ、好奇心に誘われた俺は抗うことができずに広場の中央に向かって歩みを進める。すると一歩踏み出した途端、違和感に気付く。
足音がしなくなっている。
不思議に思って数歩戻る。しかし足音はしない。
さっきと地面の感覚は変わらないのに音だけがしない。不思議に思って強く足元を踏みしめる。
「どういうことだ? 」俺は声を発したと思ったが何も聞こえなかった。沈黙が耳を支配している。過呼吸になりそうなほど呼吸が速くなる。するとすぐ近くで大きな音が鳴った。
——バリバリ
——ゴキッ
骨や肉をむさぼるような音。なにか大きな生き物が丸ごと食べられているみたいな。その後、誰かがのどから絞り出したような絶叫。確実にそこにいる。巨大なばけものの呼吸の音。
——ピシャッ
俺は弾かれたように飛び上がり、広場から今歩いてきた路地に駆け戻った。ガチガチと鳴っているはずの奥歯も、石畳を駆け抜けているはずの足の音も聞こえない。声は恐ろしさのあまりのどにつかえてしまっている。
走り出す直前に何か液体が垂れるような音を聞いた気がして嫌な想像が頭から離れない。
何なんだここは。ある程度走ってさっきのレンガ壁の行き止まりのところまで戻ってきた。今は何の音もしないことが幸いしているように感じる。少なくともさっき何かをかじっていたばけものに音で位置がバレることはなさそうだ。
息を殺して物陰に身をひそめる。すると遠くから人の声が聞こえてきた。
「誰かいるのか? 」
この状況で大声を出すなんてバカなのか。そう思うと同時にここにいるのは自分一人じゃなかったんだという安堵で涙が出そうになってきた。
あの声の主は化け物の存在をまだ知らないのかもしれない。俺と同じく急にこの場所にやってきたばかりなのかも。どうにかして合流しなければ。協力すれば帰り道も見つかるかもしれない。
レンガの壁を左へ折れる道の存在に気付きさらに進む。声はこちら側から聞こえた気がした。周りを確認しながら道の端を進む。
すると突然前方から誰かがわざとらしく足を踏み鳴らし歩いてくる音が聞こえた。俺は先ほどの声の主が来ると期待し、急いで道を進む。しかし一向に相手の姿が見えない。何か嫌な予感がして立ち止まった。
正面から足音だけが近づいてくる。何度も立ち止まりながら。それでも姿は見えてこない。音はすぐ目の前まで来ている。ゆっくりと確実に。もうあと数歩先にいる。その誰かがついに自分とぶつかりそうになる。
おどろいて数歩後ずさる。咄嗟に声を上げると”わっ”と自分の声が響き渡った。
声が出たぞ! 嬉しさとまだ近くに何かがいる不安で口の端が引きつって息が漏れる。混乱しながら惰性で道を進む。わからないことだらけでめまいがした。さっきの足音が誰かを呼ぶ声を上げていたのだろうか? そう感じて後ろを振り返る。
——タタタッ
こちらに駆け寄るような音が背後から聞こえて俺は立ち止まる。なんだ? 向こうはこちらに気付いたのか? 立ち止まって振返った。少したっても何も起きない。この奇妙な現象から離れたくてまた歩き出す。後ろが気になって何度も振り返りつつ、やっとの思いで歩を進めた。少し歩くと背後の足音も向こうへ向かって歩き出した。ただゆっくり迷いなく夜の闇の向こうへ消えていく。
何なんだよ! 足音が遠のくにつれていら立ってきた俺は地団駄を踏むように歩く。相変わらずならない足音。構わず進むと十字路に差し掛かった。
——ガチャ
左手から扉が開く音。広場に戻る方向の道。その一番広場に近い家、その扉が開いている。俺は今度こそ誰か人がいるように感じた。空きっぱなしの扉に吸い寄せられるように歩いていく。
「誰かいるのか?」
そう呼び掛けてみたがまた声が出ない。いや……
背筋を冷たい汗が流れ落ちる。嫌な予感がする。
扉の前に立った俺はこれまでのことを思いだそうとしたが、扉の中から聞こえた獣のようなうなり声に目の前が霞んだ。扉の中には何もいない。反射的に後ずさっている自分に気付いた。意図せずに広場の入り口に差し掛かった。
——タッタッタッ
一本隣の路地から足音だけが近づいてくる。
俺はこれから起こることを察してしまって足が地面に縫い付けられたように動けない。ズボンを生暖かい感覚が伝う。それに気づいて身じろぎをした拍子に液体が石畳に勢いよく落ちる。
肩越しに何者かの生暖かい吐息と強烈な獣臭を感じて俺はのどから叫び声を絞り出そうとする。予想通り、何も聞こえなかった。
最期、広場にぽつりと声が響いた。
「どういうことだ? 」
最期まで読んでいただきありがとうございました。




