『夕凪のグラデーション』
四国の小さな港町。坂道を下れば瀬戸内海が見えるこの場所で、藤見美柑と元木啓馬は、物心ついた頃から「セット」で育った。
かつては、繋いだ手のひらの温もりが二人の地図だった。けれど高校生になった今、その地図はあまりにも複雑に書き換えられてしまった。弓道部で凛と弦を引く美柑と、サッカー部のエースとして泥にまみれる啓馬。お互いを知りすぎているからこそ、言葉はいつもすれ違い、不器用なトゲとなって空中で弾ける。
「……今日、当たってたな」
「……啓馬こそ、シュート外してたでしょ」
部活帰りの駅前、自動販売機の前で交わすのは、いつもそんな刺々しい言葉だけ。本当は「お疲れ様」と微笑み合い、昔みたいに肩を並べて歩きたいのに。
そんなある日の放課後。二人は掃除当番で一緒になった。
校舎裏のゴミ置き場へ向かう、わずか数分の道のり。美柑が抱えた大きなゴミ袋の端が、するりと手から滑り落ちそうになった時、啓馬の大きな手がそれを支えた。
「貸せよ。俺が持つ」
少しだけ重なった指先。美柑は反射的に手を引っ込めたが、啓馬はゴミ袋を抱えたまま、校舎の影で足を止めた。
「美柑」
「……何」
啓馬がこちらを見下ろす。サッカーで焼けた肌に、夕陽が溶けている。
「俺ら、昔みたいに……こうして並んで歩くのも、なんか変だよな」
「……変だよ」
美柑は勇気を振り絞って呟いた。喉の奥に溜まっていた、氷のような意地悪さを溶かして。
「手を繋ぐ勇気もないし。あんたが遠くに行っちゃいそうで、私、わざと意地悪言っちゃうの」
言ってから、美柑は顔が燃えるように熱くなるのを感じた。啓馬は一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、すぐに照れくさそうに目を逸らし、ポツリとこぼした。
「……何だよ、それ。俺だって、お前が他の誰かと笑ってるところ見ると、練習に集中できなくなるんだよ」
沈黙が落ちる。さっきまであんなに遠く感じた二人の距離は、今の言葉一つで、昔繋いでいた手と手の間隔まで戻っていた。
「……帰るか」
「うん」
ゴミを捨て終えた帰り道。二人の間に、まだ手は繋がれていない。
でも、ふとした瞬間に袖と袖が触れ合う距離。夕暮れが町を群青色へ染め上げていく中で、美柑はそっと、啓馬の歩幅に合わせて歩を進めた。
それは、繋いでいたあの頃の「当たり前」よりも、ずっと特別で、ずっと甘い予感がする夜の始まりだった。




