あなたの花になりたい
「あんたさえ、あんたさえいなければ!!」
――あぁ、またこの夢か。
半ば辟易した気持ちでわたしは目の前の光景を見ていた。なんてことない、前世の記憶。……死を乗り越えてでもわたしに永遠に絡みつく、一生の後悔。
前世のわたしの手に握られた、小型の拳銃。わたしはそれを、目の前に立つもう一人の少女に向けている。途方もない怨嗟が心の中を渦巻いて、今すぐにでもこいつを殺してしまえ、と囁く。
「……ごめんね、――」
――そう、あなたはそういう人間だった。
憎しみを一身に向けられても、目の前の少女は困ったように笑うばかりで。あろうことか謝罪の言葉を口にしながら――自分が持っていた拳銃をこめかみに当てた。
「は、何、して」
「……もう、――を苦しませたくないから」
目の前の少女は目を閉じる。こうなることは運命だとでも言うように。諦めにも似た表情で。
――待って。
その言葉が出るよりも先に、銃声が響いた。
※
「……」
鬱屈とした気持ちを抱えたまま、わたしは通学路を歩いていた。
今朝見た夢は幼いころから何度も見ている夢だ。何度も見すぎてもう何回目かも忘れた。そのくらいの頻度で夢に出てきてはわたしを苦しめ続けている。
――まるで自分への戒めのようだ。
苦笑いを浮かべながらわたしは腕時計に視線を落とした。時計の針は午前八時を回ったところだ。これなら余裕で朝のホームルームに間に合うだろう。何度も見ているとは言え、夢を見た後の寝覚めの悪さには未だに慣れない。
だってそうでしょう。……大切だった人が、目の前で自殺する夢なんて見て。
そう、わたしは口では憎まれ口を叩きながらもあの子が大切だった。
とても穏やかな子だった。いつも優しい笑みを浮かべていて、わたしがどんなに困らせるようなことを言っても笑って許してくれる懐の深い少女だった。そんな彼女はいつも人に囲まれていて、ひだまりのような居心地の良さがあった。……だから、許せなかった。
いや、許せなかったのはわたし自身だ。わたしは前世では殺し屋まがいの仕事に就いていて、どんなにこの手を真っ赤な花で彩ろうと構いやしなかった。人を遠ざけて生きていたのに、あの子は容赦なくひだまりの中へ手を引いてくれた。……それが、わたしにはひどく恐ろしかった。
あの暖かさを知ってしまったら、もう元には戻れない。そんな恐怖がわたしの足を絡めとり――次第に憎しみへと羽化していった。
本当はわかっていた。わたしもあの子を大切に想っていたんだって。けれど認めてしまったら後戻りできない。そんな葛藤に苛まれていた時に、あの子を殺すよう上から命令が下った。……結局わたしはあの子を目の前で失ってしまったわけだが。
(こんな記憶を持っていたところで何も変わらないのに)
それでも前世の記憶はわたしの心に尾を引いていた。本当に大切なものを見失ってしまい、最終的にすべて失う。そんな恐怖心から、わたしは誰にも心を開けずにいた。
……わたしの本当の望みは何なんだろう。
自分の席に着きながら窓の外に目を向ける。今にも雨が降り出しそうなほど陰った雲が空を覆っていた。
※
昼休みになり、わたしは一人で弁当を食べるため中庭に向かっていた。梅雨が近づいてきている今頃はいつ雨が降り出すかわからない、という理由で中庭で昼食をとる生徒は少ない。一人静かな時間を過ごすにはうってつけな場所、というわけだ。
朝の曇り空はどこへ行ったのやら、昼になると青空の下穏やかな風が吹いていた。さぁ……という音とともにそよ風が木の葉を巻き上げていく。
「良い風」
自然とわたしの顔も綻ぶ。まだ夏本番ではないとは言え、すでに初夏に突入している時期だ。湿気と肌を突き刺す日差しから避けるように、わたしは中庭で一番立派な木の下に腰を下ろして昼食をとり始めた。
「あ、場所とられちゃった」
ドクン。
どこからか聞こえてきた声に、わたしの心臓は大きく跳ねた。
「こんにちは。……えっと、先輩ですよね?」
記憶と同じ、穏やかな笑み。柔らかそうな栗色の髪をローテールにして結んだ、一年生の証である赤いリボンを付けた少女がわたしの視線の先に立っていた。
「あなた、は」
「わたしですか? わたしは一年の森花菜芽って言います」
よろしくお願いします、先輩。と森さんは微笑んだ。森さんの手にはお弁当らしき物がある。彼女もわたしと同じで、中庭でご飯を食べに来たのだろう。……なんたる偶然、と思うと同時にわたしは頭を抱えたくなった。
「先輩?」
「あ……ごめんね、何でもない」
何も言えずにいたわたしを心配するように、森さんはわたしの顔を覗き込んだ。記憶の中のあの子と同じ顔を間近で見てしまい、思わずたじろぐがそんなわたしの動揺を意に介さないで森さんは続ける。
「先輩はなんてお名前なんですか?」
「……わたし?」
「やだなぁ、わたしの目の前にいる先輩以外誰に聞いてるって言うんですか。わたしは自己紹介したのに先輩はしないなんて不公平でしょ?」
「……それもそうだね。わたしは夕立陽果梨。二年生だよ」
「夕立先輩ですね、よろしくお願いします! 夕立先輩もお昼ですか?」
「うん、そう。ここは静かだから」
「あー、わかります。ここ人少なくて静かにご飯食べるには最適なんですよね~」
人懐こい笑みを浮かべて森さんは遠慮なくわたしの隣に腰掛けた。ぎょっとするわたしに気づいているのかいないのか、そのまま森さんは話を続ける。
「これも何かの縁ですし、お昼ご一緒しても良いですか?」
「……静かにご飯を食べたくてここに来たんじゃないの?」
「そんな揚げ足取るようなこと言わないでくださいよ~。一人で食べるのも楽で良いですけど、どうせなら誰かと食べたいじゃないですか」
「……」
わたしが何の反応も示さないのを良いことに、森さんはお邪魔しますね、と断りを入れてからお弁当の包みを開いた。いただきます、と手を合わせて森さんもまた自身のお弁当に手を付け始める。
「夕立先輩はいつもここでご飯食べてるんですか?」
「まぁ……。この時期はそうだね」
「この時期?」
「時期によって食べる場所を変えてるの。今の時期は中庭が人少なくて――」
そこまで話してハッとした。急に言葉を切ったわたしを訝しむように森さんが見つめてくる。
「先輩?」
「その……こんな話聞いてて楽しい?」
「え?」
「わたしの話、つまらないでしょ? 校舎のここが人少なくてご飯食べやすいとか……わたしでも面白くないと思う」
「え、なんでですか? 十分面白いですよ?」
森さんの返答に、思わずわたしは彼女を怪訝な顔で見てしまう。しかしそんなことはお構いなしと言わんばかりに森さんは続ける。
「先輩の着眼点と観察力すごいなって思いますし。わたしには真似できなさそう」
「そうかな……」
「じゃあ先輩。先輩はこの木を見てどう思います?」
「この木……?」
森さんはわたしたちに木陰を提供してくれている大樹に手を添えた。……この木を見てどう思うか、か。
「……スナイパーが隠れてそう?」
「……スナイパー?」
「うん。幹も枝もしっかりしてる木だから人一人登って葉っぱの中に隠れてもびくともしなさそうだよね。おまけに葉も密集してるからそう簡単に外から姿も見えなさそうだし。それに――……って、なんで笑ってるの?」
わたしが真剣に考えを話していると、森さんは声もあげずに肩を震わせていた。顔を見なくても笑っているのは伝わってくる。
「いやだって、スナイパーが隠れてそうって……ふっ、映画でもないのに……くっ、あーだめだ! あっはははは!」
森さんは堪えていた笑いを爆発させ、思い切り笑い始めた。……まさかここまで笑われるとは。こっちは真剣に考えてあげたっていうのに。
「はー……笑った笑った」
「満足した?」
「はい、それはもう。……あーおっかし。やっぱり夕立先輩って面白い人ですね」
「わたしが?」
「はい。そうじゃなきゃこんなに笑わないですよ」
「そうかな……」
「ね、先輩さえ良ければまたお話してくれませんか?」
「え?」
突然の提案に目を丸くしていれば、森さんは変わらずにこにこと笑っていた。
「ダメですか?」
「いや……ダメ、じゃ、ない、けど……」
「じゃあオッケーってことですね! 良かった~」
「いやそういうわけじゃ――」
「あ、わたし次の授業の準備あるので行きますね!」
またお話しましょー! と言い残し、森さんは素早く片付けて去っていった。一人残されたわたしは大きなため息を吐くことしかできなかった。
※
それからというもの、森さんは毎日のように昼休みになると中庭に来た。わたしがそれとなく友人と食べるよう促しても、大丈夫です! と押し切られてしまい結局一緒にお昼を食べている。
「なんでこんなことに……?」
こっちはまだ頭が混乱中だというのに。
前世で大切にしていたあの子とそっくりな彼女。そんな存在と話をしながら食事をしているのだ。気持ちの整理がなかなかつかなくても仕方ないと思う。
「……はぁ」
わたしはため息を吐くと、軽く準備運動し、いつもお下げにしてまとめている黒髪をポニーテールにしてまとめてから鏡の前に立った。日課のダンスの練習をするためだ。
別にプロを目指しているわけではない。けど幼いころから続けている習慣のため、こうして一日のどこかにダンスをする時間を入れないと落ち着かないのだ。
いつもかけている、推しの配信者の歌を流しながら軽く体を動かす。無心になって踊れば自然と雑念は晴れて行った。
「……ふぅ、こんなもので良いか」
ふと、音楽を止めようとした時。歌声が何か気にかかった。
「……この声、どこかで……?」
今かけていたのは推しがデビューしてから間もなくにあげていた歌だ。動画のキャプションに「まだまだ練習中なので暖かい目で見守ってください!」と書かれている。
名前に目をやる。「Hana」。ありふれた名前だが、わたしの頭にはある可能性が浮かんで仕方なかった。
※
「ねぇ、花菜芽」
「何ですか? 陽果梨先輩」
名前で呼び合うのが定着するほど、花菜芽とは短くない時間を共有してきた。今となっては大抵のことは気軽に話せるが、それでも今日尋ねようとしていることは人によっては触れられたくない領域に入るものだ。わたしは本当に尋ねるか迷ったけど、こっちをきらきらした目で見つめる花菜芽に負けてスマホの画面を見せた。
「これって、もしかして花菜芽だったりする?」
「!」
わたしが見せたのはHanaのチャンネル画面。見せた途端に花菜芽の目は見開かれ、動きを止める。
「……やっぱりそうなんだ」
その反応が何よりも雄弁に物語っていた。わたしはいきなりネットでの活動を特定するような真似をしたことを花菜芽に謝ろうと口を開いたが、わたしより先に花菜芽がポツリと呟いた。
「わたし、会いたい人がいたんです」
「……会いたい人?」
突然変わった話の方向についていけないが、ひとまず花菜芽の話を聞くことにした。
「先輩は、前世って信じますか」
ドクン。
花菜芽に初めて会った時のように心臓が跳ねる。
「わたしは信じてます。……笑われるかもしれませんが」
そう言う花菜芽の瞳は寂しそうに揺れている。
「前世で、わたしのことを助けてくれた人。その人のことをずっと探していたんです」
「……前世で、花菜芽を助けた人?」
そんな人がいたのか。前世の花菜芽の交友関係は広かったからそんな人間がいてもおかしくはないけれども。
「わたし、その人に殺されそうになったんです」
バクバク、バクバクと心臓が跳ね続ける。
「その人はわたしが憎くて仕方ないって言ってました。……けど、わたしはその人のことをどうしても嫌いになれなかった。だから、その人の手を汚させるくらいなら……って、自分を殺そうとしたんです」
「……」
「でも、その人はわたしのこめかみと拳銃の間に手を滑り込ませて銃弾を受け止めたんです。……ボロボロ泣きながら。『どうしても嫌いになれない』って言って」
「え……?」
わたしが夢に見た光景とは違う。だけど、花菜芽の言うことの方が正しく感じられた。なぜなら、今のわたしの頭を過る映像が彼女の話と一致していたからだ。
『あんたさえいなければ!!』
たしかに前世のわたしはそう叫んでいた。拳銃をあの子に向けるところまで一緒。あの子が拳銃を自分のこめかみに当てるところも一緒だ。……けれど、そこから先が違った。
――わたしは、あの子を助けられたのだ。
銃弾を自分の手で受け止めて。血が流れ続ける手で必死に引き金を引いて、自分を殺した。――それが、正しい記憶。わたしの本当の最期だったのだ。
「その人はわたしの声を綺麗だって褒めてくれました。……だから思ったんです。わたしの声を発信し続ければその人が見つけてくれるんじゃないかって」
ね、先輩? と花菜芽は微笑む。でもわたしは花菜芽の微笑みを直視できなかった。
「あはは、先輩すんごい泣いてる」
滲む視界を振りはらうように涙を拭い続ける。そんなわたしに、花菜芽は寄り添ってくれた。
「ごめん、花菜芽……! わた、わたしは……!」
「良いんだよ、陽果梨。どんな結末であれ、あなたはわたしを守ってくれた」
未だ涙を止められずにいるわたしの体を抱きしめ、花菜芽は背中を擦る。
「ありがとう、陽果梨。……やっぱり、あなたはわたしの光だよ」
※
カチ。
暗闇の中で一人佇む花菜芽は、スマホの画面をタップした。カウントするアプリを起動していたようで、彼女がタップしたのに合わせ数字が一つ増える。画面には『555』と表示されていた。
「……これで、五百五十五回目か」
いつもの穏やかな笑みを削げ落とした花菜芽は壁に飾った写真に目をやった。そこには陽果梨と二人で撮った写真が貼られている。
「今度こそ、守ってみせる」
ボロボロのノートを乱雑に開く。そこには様々な文章が黒いボールペンで書かれ、上から赤いバツ印が描かれていた。
『552回目、事故を起こすトラックを爆破。しかしタイヤが吹き飛び彼女に直撃。失敗』
『553回目、372回目で彼女を溺死させた湖から遠ざけることには成功。しかし目を離した隙にフェンスが倒れ彼女に直撃。失敗』
『554回目、最悪の結末。失敗失敗失敗失敗失敗失敗……』
これまでに繰り返した事象の結末。それらはすべて失敗に終わってきた。
「絶対に、守る。……絶対に――!!」
花菜芽の瞳に強い光が宿る。――今度こそ、大切なものを手放さないために。
活動報告に補足説明載っけます。




