捨てられた魔王城を,激安リフォームしたら勇者が住みついた
魔王が倒されてから三年.
世界は平和になった.
……ということになっている.
実際には,平和になったせいで仕事を失った人間が山ほどいた.
武器屋は包丁を売るしかなくなり,冒険者ギルドは害獣駆除センターになり,勇者は講演会で「諦めなければ夢は叶う」と話して回っている.
そして私は,魔王城を買った.
「本当に買うのですか,お嬢様」
執事のロイが,廃墟同然の黒い城を見上げながら言った.
空は曇天.
城壁にはツタが絡まり,正門には「この先,呪われます」と古い看板が残っている.
庭には毒沼があり,玄関には骸骨が三体ほど転がっていた.
不動産屋いわく,築八百年.
駅から馬車で二日.
日当たり最悪.
事故物件.
過去に魔王が住んでいたため,近隣住民からの評判も最悪.
その代わり,価格は王都のワンルームより安かった.
「買うわ」
私は契約書にサインした.
「だって,広いもの」
私は伯爵家の三女,メリアナ・フォート.
家を継ぐ予定はない.
政略結婚の予定もない.
美貌で国を動かす予定もない.
あるのは,古い建物を見ると間取りを考えてしまう性癖だけだった.
魔王城は,ひどい状態だった.
謁見の間は天井が抜けている.
地下牢は湿気がすごい.
拷問部屋は用途に困る.
玉座の後ろには,なぜか巨大な闇の祭壇がある.
浴室は三十人同時に入れるが,湯を沸かすと怨霊が出る.
ロイは淡々と言った.
「お嬢様,これは住居ではありません.遺跡です」
「違うわ,可能性よ」
私は袖をまくった.
まず,謁見の間を食堂にした.
玉座は邪魔だったので,脚を切って長椅子にした.
魔王の紋章入りの赤い絨毯は洗濯したら意外とふかふかだった.
壁に並んでいた呪いの肖像画は,表情が暗すぎたので全員に花冠を描き足した.
地下牢はワインセラーにした.
拷問部屋は筋トレ室にした.
元から重そうな鉄球や鎖がたくさんあったので,設備費が浮いた.
毒沼は,専門業者を呼んで浄化した.
すると,中から古代蓮が咲いた.
近所の村人たちが見に来て,勝手に観光地になった.
「お嬢様,入場料を取れます」
「ロイ,あなた有能ね」
「この城に来てから,私の倫理観も少しずつリフォームされています」
三か月後,魔王城は見違えるようになった.
外観はまだ黒い.
尖塔も不気味だ.
夜になると廊下で誰かが泣く声もする.
けれど中は快適だった.
床暖房を入れ,水回りを直し,呪いの結界を防犯設備として再利用した.
問題は,ひとつだけだった.
「メリアナ様」
ある朝,ロイが困った顔で言った.
「玄関に勇者様がいます」
「勇者?」
「はい.三年前に魔王を倒した,あの勇者様です」
玄関に行くと,金髪の青年が立っていた.
世界を救った勇者アレン.
肖像画ではもっと輝いていたが,実物は寝不足の会社員みたいな顔をしていた.
手には剣ではなく,布団袋を持っている.
「すみません」
勇者は頭を下げた.
「ここ,入居者募集してるって聞いたんですけど」
私はロイを見た.
ロイは目をそらした.
「……観光客向けに,空き部屋貸出の広告を出しました」
「勝手に?」
「固定資産税が重すぎまして」
たしかに魔王城は広い.
広いということは,税金は重い.
私は勇者に向き直った.
「お部屋をお探しですか?」
「はい.安くて,静かで,人があまり来ないところがいいです」
「勇者様なのに?」
彼は弱々しく笑った.
「勇者だからです」
その一言で,私は少し黙った.
勇者アレンは,世界を救った.
けれど世界は,救われたあとも彼を放っておかなかった.
毎週のように祝賀会に呼ばれ,知らない貴族に娘を紹介され,商人に名前を貸してくれと言われ,子どもたちに剣を見せてくれとせがまれる.
酒場に行けば奢られ,市場に行けば拝まれ,道端で寝不足の顔をしているだけで「勇者様が憂いておられる」と詩にされた.
「もう,誰も僕を見ない場所に住みたいんです」
勇者はそう言った.
私は魔王城を見上げた.
たしかに,ここなら誰も勇者が住んでいるとは思わない.
普通,勇者は魔王城に帰ってこない.
「家賃は払えますか?」
「講演会の貯金があります」
「掃除当番は?」
「やります」
「夜中に聖剣を振り回しませんか?」
「なるべく」
「なるべく?」
「寝ぼけるとたまに」
私は少し考えた.
「では,北の塔の三階なら空いています」
「ありがとうございます」
こうして,魔王城に勇者が住みついた.
勇者は,意外と普通の人だった.
朝は寝癖をつけて食堂に来る.
パンの耳を残す.
洗濯物を三日ためる.
掃除当番を忘れてロイに怒られる.
聖剣を包丁代わりに使おうとして,私に本気で叱られる.
「これは世界を救った剣でしょう」
「よく切れるので」
「まな板が救われません」
彼はしゅんとした.
それでも,彼はよく働いた.
崩れかけた城壁を直し,重い家具を運び,夜中に出る怨霊の話し相手になった.
怨霊たちは最初こそ「勇者め,憎い」と叫んでいたが,彼が毎晩律儀に相づちを打つので,だんだん悩み相談を始めた.
「昨日,首なし騎士が成仏しました」
ロイが報告した.
「なぜ?」
「勇者様が,三時間かけて職場の愚痴を聞いたそうです」
「首がなくても愚痴はあるのね」
勇者が来てから,魔王城はさらに変わった.
村の子どもたちが遊びに来るようになった.
元魔物のコックが食堂を開いた.
浄化された毒沼の周りには屋台が並んだ.
拷問部屋だった筋トレ室は,なぜか冒険者たちに人気になった.
ある日,王都から使者が来た.
「勇者アレン様をお迎えに上がりました」
使者はぴしりと礼をした.
「来月,王国平和記念式典があります.ぜひ壇上でお言葉を」
勇者は食堂の隅で固まった.
手には洗いかけの皿を持っている.
私は言った.
「本人が望むなら」
使者は目を丸くした.
「望むなら,とは?」
「望まないなら,行きません」
「しかし,勇者様は国民の希望です」
その言葉を聞いた瞬間,勇者の顔から血の気が引いた.
希望.
象徴.
英雄.
救国の光.
きれいな言葉は,ときどき鎖になる.
しかも,言っている側には鎖を持っている自覚がない.
使者は続けた.
「皆が勇者様を待っています」
私は皿を置いた.
「皆,とは誰ですか」
「国民です」
「国民全員に確認を?」
「いえ,しかし」
「では,王宮が待っているのですね」
使者は黙った.
私はにっこり笑った.
「王宮には王宮の都合があります.勇者様には勇者様の生活があります.ここでは,皿洗いの途中で人を連れて行くことを禁止しています」
ロイが後ろでうなずいた.
「当城の規約です」
「そんな規約が?」
「今できました」
使者は困惑して帰っていった.
その夜,勇者は私のところに来た.
「メリアナさん」
「はい」
「僕,式典に行かなくていいんでしょうか」
「行きたいんですか?」
「行きたくないです」
「なら,答えは出ています」
彼はしばらく黙ったあと,小さく笑った.
「世界を救ったときより,皿洗いを休むほうが勇気がいります」
「人間,変なところで難儀ですね」
「本当に」
彼は窓の外を見た.
夜の魔王城は,やっぱり少し不気味だった.
でも,食堂には灯りがあり,厨房からスープの匂いがして,廊下の奥では怨霊が鼻歌を歌っていた.
「ここ,変な場所ですね」
「失礼ですね.私がリフォームした家です」
「だから変なんです」
「退去しますか?」
「しません」
即答だった.
その答えが,少しだけうれしかった.
数日後,王都の新聞に記事が出た.
勇者,魔王城に隠遁か.
伯爵令嬢,勇者を囲い込む.
魔王城,謎の観光地化.
元魔族と人間が同じ食堂で食事.
王宮関係者,困惑.
しばらくして,王宮から正式な調査団が来た.
彼らは城内を見て回り,首をかしげた.
「ここは魔王城だったはずでは?」
「今も魔王城です」
私は答えた.
「ただし,現在は宿泊施設,食堂,観光庭園,筋トレ室,怨霊相談窓口を兼ねています」
「怨霊相談窓口?」
「はい.完全予約制です」
調査団長は頭を抱えた.
そのとき,食堂の扉が開いた.
元魔王軍四天王の一人だった大男が,鍋を持って出てきた.
「メリアナ様,昼のスープができました」
調査団が剣に手をかける.
勇者が立ち上がった.
一瞬,空気が張り詰めた.
英雄と魔族.
三年前なら,戦いが始まっていただろう.
けれど勇者は言った.
「今日,豆のスープですか?」
「はい.勇者様の嫌いな人参も入っています」
「抜いてください」
「好き嫌いは許しません」
「世界は救ったのに?」
「人参からは逃げられません」
食堂に沈黙が落ちた.
そして,調査団長が吹き出した.
それが合図のように,皆が笑った.
勇者も,元四天王も,ロイも,私も.
私はそのとき,ようやく気づいた.
リフォームしたのは,魔王城だけではなかったのかもしれない.
勇者は,英雄という役割から逃げたかった.
元魔族は,敗者という烙印から逃げたかった.
村人たちは,恐怖の記憶を笑い話に変えたかった.
私は,何者にもなれない三女のまま終わりたくなかった.
だから皆,この城に集まった.
世界を救ったあとの世界で,自分の部屋を探していたのだ.
それから一年後,魔王城は正式に改名された.
新しい名前は,「旧魔王城多目的交流施設」.
ロイは「名前に風情がない」と言った.
私もそう思った.
けれど役所の許可を取るには,それが一番通りやすかった.
勇者アレンは,今も北の塔の三階に住んでいる.
たまに王都から招待状が来るが,彼は気が向いたときだけ行く.
行かない日は,食堂で皿を洗っている.
元四天王のスープは評判になり,遠方から客が来るようになった.
怨霊相談窓口は予約三か月待ちになった.
拷問部屋だった筋トレ室では,今日も冒険者たちが悲鳴を上げている.
そして私は,次の改装計画を立てている.
「お嬢様」
ロイが図面を見て言った.
「今度は何を作るおつもりですか」
「図書室よ」
「魔王城に?」
「ええ.勇者の伝記ばかり並べるのではなく,魔王軍の料理本とか,村人の日記とか,怨霊の詩集とか,そういうものを置くの」
ロイは少し考えて,うなずいた.
「悪くありませんね」
「でしょう?」
窓の外では,勇者が子どもたちに剣の振り方を教えていた.
ただし,本物の聖剣ではなく,木の枝で.
元四天王は,その横で焼き芋を売っている.
怨霊たちは,日陰で客の恋愛相談を聞いている.
かつて世界の終わりの象徴だった場所は,今では誰かの日常になっていた.
私は図面の端に,新しい部屋の名前を書き込んだ.
「物語を終えた人たちの部屋」
勇者は勇者のままでもいい.
魔族は魔族のままでもいい.
伯爵令嬢は伯爵令嬢のままでもいい.
ただ,役目が終わったあとも,生きる場所があればいい.
魔王城は,今日も黒くそびえている.
相変わらず見た目は不吉で,夜にはたまに壁がうめく.
けれど玄関には,新しい看板がかかっている.
「空き部屋あり.元英雄・元悪役・元敵役歓迎」
その下に,誰かが小さく落書きしていた.
「ただし,人参からは逃げられません」




