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アメリカ侵略史(後)

《第二次世界大戦後の世界》

 第二次世界大戦が終わっても支那大陸では戦争が続きます。国民党と中国共産党が支那大陸の覇権を争いました。第二次世界大戦中、あれほど大規模かつ全面的に蒋介石の国民党政府を支援していたアメリカですが、国共内戦の段階になると容赦なく蒋介石を見捨て、中国共産党に支那大陸をゆだねてしまいます。その結果、支那大陸の巨大な人口が共産化しました。アメリカの容共政策の終点です。この後、アメリカの容共政策は反共へと大転換します。

 日本の敗戦後、朝鮮半島は北緯三十八度線で分割され、北朝鮮をソ連が統治し、南朝鮮をアメリカが統治していました。しかし、一九五〇年、北朝鮮軍がソ連と中国の支援を得て、南朝鮮へと進撃を開始しました。朝鮮戦争です。アメリカは連合国軍を編成して対抗します。朝鮮戦争は足掛け四年にわたって続き、第二次世界大戦の戦災を免れていた朝鮮半島を戦火で焼き尽くしました。結局、一九五三年に北緯三十八度線で停戦となりました。元の木阿弥です。

 第二次世界大戦の前後で発生した最も大きな世界的変化は共産化です。第二次大戦前、共産主義国といえばソビエト連邦しかありませんでした。それが、戦後になると共産主義国は二十三ヶ国へと急増します。しかもソビエト連邦は周辺諸国を併合して拡大していました。共産主義の支配下で暮らすこととなった人々の総計は四億七千万人に達しました。また、アメリカ支配下の民主主義陣営といわれる国々にも共産党が設立されました。

 この急激な世界の共産化はルーズベルト大統領によってもたらされたものです。ソビエト連邦の南辺にあって共産主義に対する防波堤となっていたドイツと日本をアメリカが完膚なきまでに壊滅させたため、共産主義が一挙に世界に拡散してしまいました。その世界共産化を推進した人物こそルーズベルト大統領です。

 ルーズベルト大統領はソ連との世界分割を考えていたのかもしれません。過去にはスペインとポルトガルがトルデシリャス条約によって世界分割した例があります。民主主義と共産主義というイデオロギーに名を借りて世界を分割し、その支配権を確立して世界を米ソで牛耳ろうとしたようです。

 実際、世界は米ソ冷戦となり、事実上の世界分割状態となりました。米ソは互いに軍事的均衡をとりあい、軍拡が続きます。この軍拡は、第二次世界大戦の特需で膨れ上がったアメリカの軍需産業界にとって好都合でした。さらに、核戦争の危機をマスコミが煽ることでアメリカ政府の軍事予算は増加し、アメリカ軍事産業界にとって理想的な状態が完成しました。

 民主主義も共産主義も単なる看板です。その実質は資本家の金儲けです。軍需産業界の利権です。まさに奴隷商人的拝金主義者による資本主義がアメリカの正体です。この正体を隠すためのプロパガンダとして、民主主義や自由主義といったイデオロギーが巧妙に利用されました。

 第二次世界大戦までは熱烈にソビエト連邦を支援し、共産主義勢力の拡大に手を貸したアメリカですが、巨大な共産圏ができあがり、米ソ冷戦状態が完成すると態度を豹変させて反共主義へと転換します。トルーマン大統領は共産主義封じ込め政策を発表し、西側諸国に対する大々的な援助を開始します。アメリカ国内では赤狩りが行われ、共産主義の拡散を脅威だとする「ドミノ理論」が盛んに論じられるようになります。こうしたアメリカの政策転換に世界は振り回されました。

 トルーマン大統領は次の言葉を残したとされています。

「猿を虚実の自由という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。そして、スポーツ、スクリーン、セックスを解放させる。これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは当然のことである。そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって我々は収穫を得続けるだろう。これは、戦勝国の権限である」

 いかにも奴隷商人らしい人種差別意識を丸出しにしたトルーマンの言葉は、日本人のことを指して猿と言っています。実際、戦後日本はこの言葉どおりのことをされました。しかしながら、同じことが西側諸国の国民の身の上にも起きており、さらにいえば、アメリカ国民とて例外ではありません。唯一の例外があるとすれば、それは資本家とその傀儡政治家だけのように思われます。トルーマンは、アメリカの本質を馬鹿正直に暴露したといえます。


《アイゼンハワー大統領の退任演説》

 アイゼンハワーは第二次世界大戦の英雄です。ノルマンディー上陸作戦を指揮したことで知られています。根っからの軍人だったアイゼンハワーは政治に無関心でしたが、戦後、周囲に説得されて共和党から大統領選挙に出馬し、当選します。

 アイゼンハワーは軍人上がりだけに戦争の悲惨さを知っており、その任期中、戦争に対して抑制的でした。当時、インドシナ半島では独立戦争が勃発しており、ベトナムとフランスが戦っていました。アイゼンハワーはフランスに軍需物資を送って支援しました。これは共産主義封じ込め政策の一環です。しかし、フランス軍はベトナム軍に敗北し、降伏します。すると、インドシナに介入すべきだとの意見がアメリカ政府内に浮上しました。ベトナムに対して小型原子爆弾を使用すべきだとする意見、フィリピン基地から戦略爆撃機を飛ばしてベトナムを絨毯爆撃すべきだとする意見などが声高に主張されました。しかし、アイゼンハワー大統領はこれらの意見を却下し、フランス軍のインドシナ半島からの撤退を見守りました。ただ、南ベトナムに対する支援は実施しました。また、中東で戦争が起こった際、これに介入しようとする英仏両国をアイゼンハワー大統領が抑え込み、戦争の拡大を抑止したこともありました。

 そんなアイゼンハワー大統領は、退任演説において重要な発言をします。一部を抜粋します。

「軍隊組織は、平和を維持するために重要な要素です。我々の武力は即時対応能力を持つべきです。それでこそ敵の攻撃を抑止できるからです。今日のアメリカ軍は、かつてのアメリカ軍とはいささか様相を異にしています。

 先の大戦までアメリカには軍需に特化した企業は存在しませんでした。民間企業が必要に応じて兵器を生産しました。しかし、こうした即製的な非常時対応に国家の防衛をゆだねることは危険です。我々は軍需産業を確立せざるを得ません。すでに三百五十万人の労働者が軍需産業に直接雇用されています。アメリカ政府は、毎年、アメリカの全企業から得る税収以上の金額を軍事予算に使っています。

 莫大な軍隊組織と巨大な軍需産業の結合体を、アメリカはかつて経験したことがありません。この軍産複合体は経済や政治や、精神にさえ影響を及ぼしており、その影響力はすべての市町村、州政府、連邦政府に及んでいます。我々は、軍産複合体の必要性を認識せねばなりません。しかし、この軍産複合体によってもたらされる深刻な暗黒面に対する理解を見落としてはなりません。我々の日々の努力や生活の糧や人生を含む社会構造そのものに関係しているからです。

 政府の評議会に対する軍産複合体のあらゆる不当な干渉を我々は排除しなければなりません。場違いな力が圧倒的に強まる可能性が存在しており、その可能性は将来にわたって永続するでしょう。我々の自由や民主的プロセスを軍産複合体の重圧から守るべきです。妥協してはなりません。巨大な軍産複合体と我々の平和的手続きとを共存させるためには、市民の警戒と良識が不可欠です。それでこそ安全保障と自由が発展するでしょう。」

 アイゼンハワー大統領は、婉曲的な表現ながら、巨大な軍産複合体の存在に言及し、その政治的影響力が強まっていることに警鐘を鳴らしました。このアイゼンハワー演説は、ジェファーソン・デイビスの警句と並んで重要なものといえます。しかし、アイゼンハワーの警告もむなしく、アメリカはプロパガンダと陰謀によって恒常的に戦争を勃発させ続ける戦争国家でありつづけます。


《キューバ危機》

 カリブ海の島国キューバは長いあいだスペインの植民地でした。そのキューバで独立運動が盛んになり、ついにスペインに対する独立戦争がはじまります。一八九八年、キューバ独立軍がまさにキューバを解放しようとする頃、アメリカがキューバ独立戦争に介入します。キューバに派遣されたアメリカ軍の戦艦メイン号は、ハバナ停泊中に爆発し、沈没しました。原因は不明でした。しかし、アメリカはスペインの仕業であると決めつけ、スペインに宣戦布告しました。米西戦争です。スペインの敗北後、キューバはアメリカの保護国となります。

 一九〇二年にキューバ共和国が成立し、形ばかりの独立を果たします。しかし、アメリカの内政干渉権と基地設置権とを認めさせられており、実質的にキューバはアメリカの属国でした。戦後日本とよく似ています。

 キューバの主要産業である製糖業などがアメリカ企業に独占されたため、キューバ国民の不満が高まり、内政は不安定になりました。幾度かの政変の後、一九五二年、バチスタのクーデターが成功してバチスタ政権が成立します。バチスタ政権はアメリカと癒着して利権をむさぼり、アメリカの傀儡となりました。

 こうしたキューバの現状を憂えたカストロは長いゲリラ闘争を経て、一九五九年にキューバ革命を達成します。カストロは、アメリカとの友好関係を保つと表明し、アメリカを訪問します。しかし、アイゼンハワー大統領は公式会談をキャンセルしました。カストロのことを共産主義者だと認識していたからです。カストロはニクソン副大統領と会談しますが、会談は不和のうちに終わりました。アメリカは、その反共主義からカストロを拒絶したわけです。

 アメリカは、さらに、亡命キューバ人部隊によるカストロ暗殺計画を推進します。一方、アメリカに冷遇されたカストロは怒り、アメリカ企業が保有していた農地を接収し、ソビエト連邦に接近していきます。

 一九六〇年一月、アメリカ大統領はアイゼンハワーからケネディに代わっていました。ケネディ大統領は、前政権が準備した亡命キューバ人部隊によるクーデター作戦の実施を許可します。しかし、この作戦は失敗に終わりました。ピッグス湾事件です。ケネディ大統領は「西半球における共産主義者とは交渉の余地がない」と宣言しました。ルーズベルト時代とは正反対の宣言です。これに対してキューバのカストロは、先のキューバ革命は社会主義革命だったと宣言し、両国の関係はいっそう悪化しました。

 この時期、ソビエト連邦は有人宇宙飛行を成功させて宇宙開発でアメリカをリードしていました。しかし、東ベルリンから西ベルリンへの人材流失や、欧州及びトルコのアメリカ軍ミサイル基地に痛痒を感じていました。ソ連のフルシチョフ書記長は、アメリカへの対抗措置として、キューバと密約してキューバに核ミサイルを配備する作戦を実施します。同時に、ベルリンの壁の建設を開始しました。

 アメリカは、ソ連によるキューバへの核ミサイル持ち込みに気づきませんでしたが、一九六二年十月、偵察飛行の結果、キューバ内にソ連の中距離弾道ミサイルが持ち込まれている事実を把握します。このため米ソ間の緊張が極度に高まりました。キューバ危機です。アメリカは海上封鎖を宣言し、ソ連船籍の貨物船を臨検する態勢をとります。ここでフルシチョフ書記長があくまでもキューバへの核ミサイル持ち込みを強行していたら、米ソの核戦争が勃発していたかもしれません。しかし、当時、核兵器の性能においてアメリカ軍が優越していたこと、また、アメリカがトルコのミサイル基地を撤去すると確約したことから、フルシチョフ書記長は妥協し、キューバからミサイルを撤去するとラジオ放送で表明し、危機を回避しました。

 一九六三年十一月二十二日、ケネディ大統領はダラスで暗殺されます。犯人は逮捕されますが、その犯人がマフィアに殺されてしまい、真相が不明となりました。調査委員会が設置され、報告書が作成されますが、謎が多く、真相は闇の中です。事件後の混乱ぶりは、真珠湾事件のときとよく似ています。そして、アメリカ政府は事件の関係書類を封印してしまいます。

 長い年月を経て、二〇二五年、二期目の大統領に就任したトランプは、ケネディ暗殺事件に関する資料を公開しました。これによって真相が解明されるのか否か、いまだ結論は出ていません。いずれにせよ、アメリカでは大統領でさえ暗殺され、その死の真相が政府によって隠蔽されます。アメリカが陰謀国家であることは疑いようがありません。


《ベトナム戦争》

 ベトナムは長くフランスの植民地でした。フランス領インドという意味で仏印と呼ばれました。大東亜戦争時に日本軍が仏印に進駐し、フランスから支配権を剥奪し、一九四五年にベトナム帝国が樹立され、独立します。しかし、その五か月後にハノイ・クーデターが発生し、ベトナム民主共和国という共産主義国家となります。これが北ベトナムです。 日本の敗戦後、フランスはベトナムを再び植民地にしようと図り、北ベトナムと戦争になります。第一次インドシナ戦争です。戦いは長引きました。一九四九年、フランスが南ベトナムにベトナム国という傀儡国家を樹立させたため、ベトナムは南北に分断されました。第一次インドシナ戦争は、一九五四年にようやく終わります。戦争に敗れたフランス軍は降伏し、ベトナムから撤退することになりました。

 ここに間接介入したのはアメリカです。アイゼンハワー大統領は、北ベトナムに対する直接攻撃こそしなかったものの、南ベトナムに軍需物資を送り、軍事顧問団を派遣しました。他国同士の戦争に介入して戦争を買って出るというのは、いかにも戦争国家アメリカらしい行動です。軍産複合体の意向にアイゼンハワー大統領は逆らえなかったようです。一九五九年、アメリカ軍の軍事顧問団は千名になっていました。

 ケネディ大統領は、ベトナムへの介入を強め、軍事顧問団を一万六千名に増強して事実上の正規軍に格上げするとともに、クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤の使用を許可しました。しかしながら、南ベトナムの傀儡政権は腐敗しており、政策的に失敗をつづけ、アメリカ軍の支援は有効に機能しませんでした。

 ケネディ大統領暗殺後に副大統領から昇格したジョンソン大統領は、軍事顧問団の規模を二万人程度に維持しました。一九六四年八月二日、トンキン湾事件が発生します。北ベトナム海軍の魚雷艇がアメリカ海軍の駆逐艦を南ベトナム軍の駆逐艦と誤認し、これに魚雷攻撃を加えたというものです。これは事実でした。しかし、八月四日にも北ベトナム軍艦艇がアメリカ軍艦艇を攻撃した、というのはアメリカが得意とする捏造でした。しかし、この捏造が発覚するのは数年後のことです。捏造されたトンキン湾事件を理由として、ジョンソン大統領は連邦議会に戦争権限を求め、上下両院はこれを承認しました。こうしてアメリカ軍の本格的な軍事介入が始まり、同年中に十八万四千名のアメリカ軍地上部隊が南ベトナムに派遣されました。

 以後、ベトナム戦争の様相は激化していきます。冷戦構造が背景にあったため北ベトナムはソ連、中国、北朝鮮などから支援を受けました。南ベトナムはアメリカ、韓国、オーストラリアなどから支援されていました。戦場では、民間人の虐殺、強姦、戦略爆撃機による無差別大量爆撃など、お定まりの戦争犯罪が発生したほか、枯葉剤の大量散布による生態系や人体への被害が発生しました。

 一九六七年に入るとアメリカ国内の各地でベトナム戦争に対する反戦デモが起こるようになります。この点が従来の戦争とは大きく異なっていました。アメリカ政府のプロパガンダによってアメリカ国民を熱狂と偏見と虚偽の坩堝に落とし込み、そうすることで国内世論を制御して戦争を繰り返してきたアメリカ政府ですが、ベトナム戦争に関しては国内プロパガンダが破綻しました。その理由はよくわかりません。ドミノ理論があまりにバカバカしかったのか、第二次大戦後も長く続く戦争にアメリカ国民がうんざりしたのか、アメリカ国内で盛んになっていた公民権運動の影響なのか。一説では、悲惨な戦場の映像がテレビ報道を通じてお茶の間へと直接的に届いたからではないかと言われています。つねにアメリカ政府の走狗となってプロパガンダに協力してきたメディアが、ベトナム戦争においては反戦に傾斜したことが従来との大きな相違点です。いずれにせよ、アメリカ政府が戦争を継続するうえで最大の難関になるのはアメリカの国内世論だということがわかります。

 同年十一月、ケネディ政権の国防長官に就任して以来ずっとベトナム戦争を推進してきたマクナマラ国防長官が辞意を表明しました。勝利の見込みが立たなかったためです。

 一九六八年になるとアメリカ国内の反戦運動がさらなる高まりを見せました。この反戦運動は、ベトナムのアメリカ軍将兵の士気を低下させ、厭戦気分を高めました。その結果、アメリカ軍の士気は奮わず、脱走兵が出るまでになりました。この時期、ベトナムに展開したアメリカ軍は五十万を超える大軍でしたが、その戦闘力は向上しませんでした。

 同年、マクナマラ国防長官は辞任し、ジョンソン大統領は北爆の停止と自身の大統領選挙不出馬を表明するとともに、北ベトナム政府に対して停戦交渉の開始を呼びかけました。

 一九六九年一月、ニクソン大統領が就任します。ニクソン大統領はベトナム派遣軍の削減を実施するとともに、キッシンジャー補佐官をして北ベトナムとの停戦交渉にあたらせます。しかし、停戦交渉は長引きます。大東亜戦争の停戦に日本が苦労したように、アメリカも停戦に手間取ります。

 一九七〇年、戦争が拡大しました。北ベトナム軍がカンボジアに侵攻したからです。アメリカ軍も敵の兵站ルート遮断のためカンボジアに侵攻しました。

 一九七一年、アメリカ軍は、北ベトナムの兵站ルートを遮断するためラオスに侵攻しました。かつて日本軍が援蒋ルートを遮断するために南下していったように、アメリカ軍も北ベトナムの支援ルートであるホーチミン・ルートの遮断を試み、戦域を拡大させていきました。しかし、アメリカ軍のこの作戦は失敗に終わります。

 北ベトナムとの停戦交渉が難航したためアメリカは中国に接近します。ニクソン大統領はキッシンジャー補佐官を秘密裏に中国へ派遣し、交渉させました。北ベトナムの支援国たる中国を懐柔して北ベトナムに圧力をかけさせ、ベトナム戦争の停戦を実現させようとしたわけです。

 一九七一年七月、ニクソン大統領は中国を訪問すると発表しました。これには世界中が驚きました。アメリカは共産主義の脅威を理由にしてベトナム戦争を戦っているのに、中国共産党に接近したからです。ニクソン・ショックです。

 一九七二年、ニクソン大統領は中国を訪問します。アメリカは、中国を懐柔して北ベトナムを孤立させる一方、北爆を再開して軍事的圧力をかけました。再開された北爆は大々的な無差別絨毯爆撃でした。延べ一万五千機の爆撃機を集中運用して六万トンの爆弾を投下したほか、北ベトナムの主要港湾を封鎖しました。さらに、北ベトナムの主要都市であるハノイとハイフォンを標的とし、戦略爆撃機百五十機を七百回出撃させ、夜間絨毯爆撃を実施しました。このため、ホーチミン・ルートは遮断され、北ベトナム軍は大きな損害を被りました。

 北ベトナム政府は継戦が困難になったと判断し、やむなくアメリカとの停戦交渉に応じます。北ベトナムは、アメリカに接近した中国を裏切り者と断じ、以後はソ連に接近します。

 アメリカと北ベトナムは、一九七二年秋からパリで秘密交渉を開始し、一九七三年一月、パリ和平協定に調印します。ニクソン大統領はベトナム戦争の終結を宣言し、アメリカ軍はベトナムから完全に撤退します。

 以後、アメリカは南ベトナムへの支援を一切やめました。また、パリ協定で約束された南北ベトナム統一総選挙を実施するよう南北ベトナム政府に働きかけることもしませんでした。さらに、パリ協定に違反して北ベトナムが戦争を再開して南ベトナムに侵攻したときも無関心を通しました。こうしたアメリカの協定違反は、かつてワシントン条約を成立させておきながら、その遵守に不熱心だった事例と符合します。

 ベトナム戦争は、アメリカの敗北で終わりました。敗北とは言えないまでも完全な失敗です。勝っていれば得意満面に戦犯裁判を実施したに違いないアメリカですが、負けたときは何もしません。もしやれば、ジョンソン、ニクソン、マクナマラ、ウエストモーランドなどは死刑だったはずです。しかし、まことに自分勝手なもので、負けた時には責任者の追及すらアメリカはしません。

 一九七五年三月、北ベトナム軍は南北統一を目指して南下しました。すでに南ベトナム軍には満足な戦力がなく、一方的に敗退しました。南ベトナムはアメリカに支援を要請しますが、アメリカはこれを見捨てます。かつて対日戦争中には熱心に蒋介石を支援したにもかかわらず、国共内戦の段階になると蒋介石を見捨てた態度と同じです。ベトナム戦争は、核保有国同士の直接的な戦争がなくなった時代の代理戦争の元型となりました。


《中東紛争》

 第一次世界大戦時、イギリスは戦いを有利に進めるため、パレスチナにおけるユダヤ国家建設を認めるとユダヤ人に約束しました。同時に、イギリスはパレスチナ人にも独立を認めると約束していました。イギリスの二枚舌です。

 第一次大戦後の一九二〇年、パレスチナはイギリスの委任統治領になりました。イギリスの委任統治は一九四八年まで続きますが、この間、多くのユダヤ人がパレスチナに移民したため、パレスチナ人とユダヤ人との間に争いが起こりました。パレスチナ人はパレスチナ国家の独立を主張し、ユダヤ人はユダヤ国家の建設を主張します。イギリスは両者を調停しようと試みますが、そもそも紛争の原因がイギリスの二枚舌外交にありましたので説得力がなく、ついにイギリスはパレスチナの委任統治を終了します。紛争の調停を放棄したわけです。すると、ユダヤ人は即座にイスラエル独立宣言を行いました。そのわずか数分後にイスラエルを国家承認したのはアメリカでした。以後、アメリカは経済、外交、軍事などあらゆる面でイスラエルを全面支援します。

 イスラエルが独立宣言した翌日、イスラエル建国に反対するアラブ諸国が戦端を開き、第一次中東戦争となりました。この戦争は、アメリカの支援を受けたイスラエルが勝利しました。戦争は、ほぼ一ヶ月という短期間で終結したものの、およそ十万人のパレスチナ難民が発生しました。

 イスラエル建国に端を発する中東紛争は、一九五六年の第二次中東戦争、一九六七年の第三次中東戦争、一九七三年の第四次中東戦争とつづきます。その後、連合国とアメリカは、イスラエルとパレスチナの紛争を収拾すべく外交努力を幾度も試みますが、中東紛争はやむことなく現在に至るまで続いています。

 アメリカの異常なまでのイスラエルへの肩入れは、例によってアメリカの軍産複合体が戦争の種を拾っているだけのように見えます。実際、イスラエルが存在する限り、中東に紛争は絶えず、軍需物資が売れ続けます。しかし、ことイスラエルに関しては、それ以上の何かがあるようです。ケネディ大統領は次のように発言しています。

「アメリカはイスラエルと特別な関係を築いている。かつて、そして今も、英国とそうであるように」

 アメリカは、インディアンを虐殺し、フィリピンを植民地とし、戦後日本を植民地のように扱い、蒋介石を見捨て、南ベトナムを見捨てましたが、イスラエルだけはまるで母親が嬰児を育てるように支援しています。その姿勢は、ときとして小国イスラエルが大国アメリカを支配しているかのようでさえあります。

 アメリカは、建国当時のアメリカの姿をイスラエルに投影しているのかもしれません。そして、イスラエルを発展させることは、アメリカの侵略史を正当化させることと同義であると考えているようです。アメリカの膨張は、インディアンやスペインやメキシコや日本やベトナムにとっては大災害でしたが、同じように、イスラエルの膨張はパレスチナやアラブ諸国にとっては大災厄です。しかしながら、それでもアメリカはイスラエルを第二のアメリカとして成長させるべく支援を続ける決意のようです。そうである限り、中東紛争は続くこととなるでしょう。


《対日通商交渉》

 第二次世界大戦末期、アメリカ軍は日本本土の諸都市に無差別爆撃をくりかえし、多くの都市を文字どおりの焦土にしました。つづく占領期には日本の法制度を改変し、日本の産業界に制限を加えました。アメリカの占領政策は日本弱体化を目的としていました。したがって、アメリカは日本が早期に復興できるとは予想していませんでした。

 ところが、戦争と占領を生き抜いた日本人は驚異的な努力で戦後復興を成し遂げ、高度経済成長を達成します。事態を予想していなかったアメリカは、日本の経済成長を奇跡と呼びました。あれだけ痛めつけ、枷をはめたにもかかわらず、成長したからです。

 日本の経済成長により、アメリカの対日貿易赤字が増大し、一九七〇年代に入るとアメリカの大きな政治課題となります。以後、日米間の通商摩擦を解消するために協議がくりかえされることとなります。アメリカは日本に対して譲歩を強要しつづけます。イスラエルに対する態度とは大違いです。

 一九七二年、日米繊維交渉がまとまります。アメリカは、日本の繊維産業界に自主規制させることに成功しました。日本は、アメリカ向けの繊維輸出を中止することになりました。自主規制というのは例によってプロパガンダ用語です。本当のところはアメリカが日本を恫喝して強要したのですが、これを自主規制と言わせたわけです。戦後日本には防衛権と外交権が事実上ありません。だからアメリカの恫喝には従うほかありません。

 一九七七年から始まった日米牛肉オレンジ交渉では、やはりアメリカの要求が通ります。日本は譲歩を強要され、市場を開放させられます。アメリカは、アメリカ産のオレンジと牛肉を日本に輸出できることになりました。打撃を受けたのは日本の農業です。盛んだった温州ミカンの栽培は激減し、国産牛肉も高級和牛に特化して細々と生き残ることとなりました。

 日米自動車問題はアメリカにとって大きな政治課題でした。自動車産業はアメリカの主要産業のひとつだからです。しかし、性能の優れた日本車がアメリカ市場に浸透し、アメリカ自動車産業界の不振となり、解雇される労働者が増えて不満がたまり、さらには大きな貿易赤字の原因となっていました。

 一九八一年、アメリカは日本に対して自主規制を強要します。アメリカの自動車産業界は、日本市場で自動車を販売するための努力や工夫をほとんどせず、すべてを日本の非関税障壁のせいだと言い張りました。日本の自動車産業界は、二百万台を越える規模の自主規制を課されます。また、日本は、アメリカ車を日本に普及させる施策の実行を約束させられました。

 一九八五年九月、先進五ヶ国財務大臣・中央銀行総裁会議が行われ、プラザ合意が成立します。アメリカの対日貿易赤字解消のために円高ドル安に為替を誘導することが決められました。すべてはアメリカの思いのままであり、日本は言われるままに合意させられました。

 一九八〇年代から九〇年代にかけては、エレクトロニクス製品、家電製品、半導体、オペレーティング・システム、スーパーコンピュータなどが日米通商交渉の対象となりました。ここでもアメリカの要求ばかりがまかり通り、日本は一方的に市場開放などを約束させられました。

 アメリカの通商政策は、「自由化」と呼称されていますが、あくまでも日本弱体化です。犠牲になるのはいつも日本です。アメリカは、日本の経済力さえ敵と認識しています。アメリカの言う「自由化」とは、「アメリカが自由にする」という意味です。日本の市場をアメリカ企業に開放させ、関税を撤廃させ、アメリカ企業に儲けさせることがアメリカの言う「自由化」です。そうすることでアメリカの産業を保護し、成長させようとします。国益を追求するのは国家として当然の行為ではあります。しかし、アメリカのやり方はあまりに理不尽です。日本はアメリカの要求を拒絶できず、一方的に自国産業に制約を課し、自国市場をアメリカに解放するほかありません。これが属国の現実です。まったくの不平等協定であり、対等な通商交渉とはいえません。日本は、事実上、関税自主権を持っていませんし、自国産業を保護することさえできません。このことからわかるように、アメリカの言う「自由」とは、あくまでも「アメリカの自由」であって、「日本の不自由」と「日本の弱体化」を意味します。


 アメリカの軍産複合体は、アメリカの政界や官界に介入して軍事費を上げさせ、戦争を起こさせ、軍事産業界の利益を獲得してきました。その成功を見たアメリカの各産業界は、当然、軍産複合体の手法を模倣しました。政治家や官僚を買収し、アメリカ政府を自由に操って自分たちの産業界に有利になるようにアメリカ政府をして通商交渉させました。まさに資本絶対主義です。アメリカでは「小さな政府」が良いとされますが、これは政府が小さければ買収しやすいからに他なりません。防衛自主権を持たない日本は、アメリカにとって格好の交渉の標的です。日本にとっては理不尽なことばかりですが、それを押し通すのが覇権国家アメリカです。

 日本だけではなく、世界中の国々がアメリカとの通商交渉で譲歩させられており、それこそがアメリカ覇権の証明です。こうしたアメリカの態度を見ていると、アメリカは根源的に差別主義であることがわかります。差別主義というよりも、さらに根深い差別的な本能によって行動するのがアメリカです。その因ってきたるところを過去にさかのぼって求めれば、奴隷商人に行き着きます。


《食糧侵略》

 広大な大陸を国土とするアメリカは農業大国です。食糧は石油と並んで重要な戦略物資であり、食糧供給力は軍事力と並んで重要な安全保障の要素です。したがって、アメリカは農業政策を重視し、多額の補助金によって自国の農業を保護しています。アメリカ産農産物の価格競争力が強いのは、アメリカの農業が大規模だからではなく、アメリカ政府から多額の補助金が農家に配られているからです。自国の農業を保護し、食料自給率を保ちつつ、余剰農産物を周辺国に押し売りしてアメリカへの依存度を高めさせる。これがアメリカの安全保障政策です。アメリカは軍事力や経済力で世界覇権を確立しても満足せず、食糧供給力による世界覇権の確立をも目指しています。

 その方法は、まず通商交渉により貿易の「自由化」を主張し、これを相手国に呑ませます。「自由化」とは、アメリカの自由であり、相手国の不自由です。そして、関税を下げさせてアメリカ産農産物を輸入させます。食糧をアメリカに依存させるのです。そうなれば相手国はアメリカに何も文句を言えなくなります。

 アメリカの農業は大規模であるとともに大量の化学肥料と農薬を使用します。これが土壌の質を低下させます。同時に食糧の残留農薬という問題が生まれます。加えて、農産物を輸送船で移送する際には大量の防腐剤や防カビ剤が使用されます。こうした薬剤による人体への悪影響が発生しています。しかし、そんなことにはアメリカ政府もアメリカの農民も無関心です。金儲けだけが関心事であり、外国人のことなど家畜ほどにしか考えていません。もし、外国人が病気になったら、さらに薬品を売りつけて儲けようと考えているのがアメリカです。

 農産物はナマモノですから保存には限度があります。食糧供給力を増やせば増やすほど余剰食糧が増えてしまいます。その保管には莫大な経費が掛かりますし、最悪の場合には廃棄しなければなりません。この問題を解決するためにアメリカ政府と穀物メジャーおよび食肉メジャーは結託し、通商交渉を通じて余剰食糧を相手国に売りつけています。関税交渉で相手国の関税を低く抑え、相手国の市場を解放させます。アメリカのいう貿易の自由化です。これは、あくまでも「アメリカが自由に貿易する」という意味です。

 アメリカから食糧輸入を強制された国々は、食糧に余剰を生じてしまいますから、その分だけ自国農業に減反を強いることになります。食料自給率が低下し、アメリカへの依存度が増していきます。わかっていても覇権国家アメリカには逆らえません。逆らってみたところで陰謀やプロパガンダや戦争によって、結局、アメリカの思いどおりにさせられてしまいます。

 一九五四年にアメリカで成立した農産物貿易促進援助法は、別名、余剰農産物処理法と呼ばれます。第二次世界大戦中とその直後、戦争のために多くの国々で食糧が不足しました。これを補ったのは戦場にならなかったアメリカの農業です。アメリカ農業は急成長しました。ところが、戦災から各国が復興するとアメリカで農産物が余るという問題が発生しました。余った農産物の一部は廃棄されましたが、保管にさえ莫大な費用がかかり、大問題となりました。そこで余剰農産物処理法がつくられました。

 その影響をまともに受けた日本は、アメリカ産農産物を大量に輸入させられることとなりました。主に小麦と脱脂粉乳が輸入されました。輸入農産物は大型貨物船に積まれ、長い時間をかけて輸送されます。この間のカビ発生を防止するため大量の防カビ剤が使用されています。その危険な小麦と脱脂粉乳の処理に困った日本政府は、驚くべきことに、これを学校給食に使用します。おいしくもない脱脂粉乳と食パンを強制されたのは未来の日本を担うべき日本の児童生徒たちでした。

 同じ頃、日本にはまともな食糧政策がありました。一九五七年、日本政府は食糧増産のために八郎潟という日本第二の面積を有する湖沼の干拓事業に着手しました。一九六七年には入植がはじまりました。巨費を投じて干拓し、広大な水田を造成し、多くの入植者を集めて推進されていた米の増産事業は、一九七〇年から減反へと方針転換されます。このバカバカしい事態は、アメリカからの圧力によって生じたものです。アメリカ産農産物を輸入させられるため、米の減反をせざるを得なくなったのです。

 同じような事態が捕鯨にも及びます。一九七〇年代以降、世界的な規模で捕鯨反対運動が起こりました。クジラを保護しろと訴える議論が起こり、過激な反捕鯨団体が捕鯨船の操業を妨害し、国際捕鯨委員会が反捕鯨政策に傾斜しました。この不可解な世界的潮流は、捕鯨国に捕鯨を禁止させ、その分だけアメリカ産食肉を輸出しようとする食肉メジャーのプロパガンダでした。

 アメリカの食糧安全保障のために世界各国の食文化が破壊されるとともに、各国の食料自給率が低下して、国家的危機に曝される事態になっています。食糧を輸入に頼っていると、いざ世界的食糧不足になった時、いくら金を積んでも食糧を買えないという事態が発生します。食糧が投機対象になるからです。

このような食糧侵略によってアメリカだけが安全になり、アメリカ以外の国々は危険に曝され続けるという世界構造になっています。まさにアメリカ専制政治です。「自由と民主主義」はプロパガンダに過ぎません。


《ソビエト崩壊》

 「アメリカを再び偉大にしよう」というキャッチフレーズで大統領選挙を戦ったレーガンが大統領に就任したのは一九八一年一月です。

 翌年三月、レーガン大統領は戦略防衛構想を発表します。アフガニスタンに侵攻しつづけていたソビエト連邦を「悪の帝国」と呼び、ソ連を打倒するためにレーザー兵器を研究開発し、ソ連の核ミサイルを無力化して打倒するという構想でした。そして、そのために莫大な研究開発費が軍事予算として計上されました。軍産複合体を満足させるために、冷戦を言い訳として軍事費を増額したわけです。

 「悪の帝国」と名指しされたソビエト連邦は、対抗するために軍事兵器の開発に力を入れ、米ソ間の軍拡競争となりました。しかしながら、数年後、ソビエト連邦の経済は軍事予算の負担に耐え切れなくなります。

 アメリカの民主主義がプロパガンダにすぎなかったのと同様、ソビエト連邦の共産主義もプロパガンダに過ぎませんでした。粛清によって多くの国民を強制収容所に収監し、奴隷的無賃労働をさせて経済を回していただけの独裁国家でした。そのソ連がアメリカとの軍拡競争で青息吐息となりました。

 一九八五年、ソ連書記長となったゴルバチョフはペレストロイカ(再建)を政策とし、ソ連国内の旧制度を変え、従来よりも自由度の高い社会制度を新設しました。その一環としてグラスノスチ(情報公開)が実施され、謎だったソ連の国内事情が西側諸国に伝わるとともに、西側諸国の実情がソ連国民にも伝わりました。アメリカの経済的繁栄を見たソビエト国民は驚嘆し、アメリカへの憧れを強くします。このためレーガン大統領がソ連を訪問した際にはソビエト国民から大喝采を浴びることになりました。

 ゴルバチョフ書記長はアメリカとの緊張緩和に取り組み、軍拡競争を緩和させることに成功しました。冷戦の終結です。しかしながら、グラスノスチによって西側諸国の経済発展を目の当たりにし、またソビエト共産党のプロパガンダから覚醒してしまったソビエト国民は、ソビエト共産党への信頼を失い、ソ連の内政が混乱に向かいます。

 ソ連の動揺を見た東欧諸国では民主化運動が起こります。東欧諸国の民主化運動をゴルバチョフ書記長は静観しました。このため東欧諸国の民主化運動が過激化し、反共革命へと発展します。一九八九年にはドイツでベルリンの壁が崩壊します。以後、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキアなどで非共産党国家が成立します。そして、一九九一年、ソビエト連邦を構成していた共和国が次々と連邦脱退を宣言し、ソビエト連邦が崩壊します。

 ソビエト連邦のあっけないほどの崩壊は、政治におけるプロパガンダの重要性を物語っています。情報公開によって長年にわたるソビエト共産党のプロパガンダが嘘であった事実にソ連国民が気づいたことから崩壊が始まりました。

 ソ連の崩壊をアメリカは必ずしも歓迎しなかったようです。軍事費を増大させる理由を失ったからです。また、情報公開から始まったソ連の崩壊は、アメリカにとって対岸の火事ではありません。アメリカの民主主義は、実のところ、プロパガンダにすぎません。西側諸国では選挙が実施され、国民有権者が代表を選出しています。だから、民主主義だと国民は安心しています。しかし、ここが落とし穴です。アメリカでは、選挙で選ばれた政治家たちは、国民の民意をくみとることはせず、巨大資本に買収され、巨大企業の利益のために動きます。政官学産の間で人材を交流させて複合体を形成し、利益追求に走ります。

 日本も例外ではありません。選挙が行われてはいるものの、選出された政治家たちは国民の民意には沿わず、ひたすらアメリカの要求を聞き続けます。まれに国益を追求する政治家が現れると、不可解なスキャンダルによって失脚していきます。田中角栄が典型例といえますが、アメリカの陰謀です。

 選挙は、民主主義を偽装するためのプロパガンダ・イベントでしかありません。しかし、多くの西側諸国の国民は、いまだこの事実に気づいていません。アメリカ政府や軍産複合体にしてみれば、気づかせてはなりません。その意味では、早くプロパガンダに気づいた東側諸国民のほうが幸運であって、西側諸国民の不幸こそが、いまなお続いていると言えなくもありません。アメリカは、アメリカ国民や西側諸国民がこうした事実に気づかぬよう、いっそうプロパガンダに血道を上げることになりました。


《ワシントン・コンセンサス》

 一九八九年、ジョン・ウィリアムソンという経済学者がワシントン・コンセンサスという概念を発表しました。経済学的帰結のような体裁で発表されましたが、これは必ずしも経済学の結論ではありません。巨大資本がいかにして周辺諸国に介入し、その資産を奪い、儲けるかという方法論を述べたものであり、その本質を隠すために経済学的な装飾が施されているだけです。その内容は、誰もが聞きかじったことのある用語に集約できます。小さな政府、規制緩和、市場原理、民営化、財政赤字縮小、政府支出削減、金利自由化、競争原理などです。

 アメリカは、このワシントン・コンセンサスに基づいて政策を進め、西側諸国にも同政策を強要しました。これこそグローバリズムの正体です。日本においても竹中平蔵をはじめとする政治家、評論家、マスコミ関係者がお決まりのキャッチフレーズでワシントン・コンセンサスのプロパガンダを推進し、実際の政策にも採用しました。小泉純一郎総理大臣以降の日本政府の政策は、すべてがワシントン・コンセンサスに沿うものです。結果、日本は「失われた三十年」という経済の大衰退に陥りました。これは当然のことです。アメリカの資本家に国民資産を明け渡したからです。「民営化」とは巨大資本家による「私物化」だからです。日本だけでなく、世界各国で同じことが起こりました。


《湾岸戦争》

 第一次世界大戦後にオスマントルコ帝国が崩壊すると、中東地域は国際連盟の委任統治領となり、イギリスとフランスが統治することになりました。英仏は勝手に国境線を引き、新生国家を誕生させました。これが後に紛争の種となります。具体的には、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、ヨルダンといった国々は国境について相互に紛争を抱えました。

 一九七二年、アメリカはベトナムからの撤退を開始していました。南ベトナムに売れるはずだった武器が売れなくなったため、アメリカ政府は武器の販路開拓に動きます。目を付けたのは潤沢なオイル・マネーを有するアラブの産油国です。同年、ニクソン大統領がイランを訪問したのは、このためでした。アメリカはイラン、サウジアラビアなどの産油国に武器を売ることができました。

 一九七九年、イランでイスラム革命が発生します。このためイラン国内は混乱します。隣国のイラクは、その隙をついてイランに攻め込みます。こうしてイラン・イラク戦争が始まりました。イラクのフセイン大統領は、短期間で勝負がつくと踏んでいましたが、戦争は長引きます。この間、アメリカの武器が売れました。

 八年も続いたイラン・イラク戦争が終わった時、イラクは多額の負債を抱えていました。負債の中にはクウェートに対するものもありました。しかも、石油価格が下落したため返済の目途が立ちませんでした。イラクとしては石油価格を上昇させたいところでしたが、クウェートは石油を増産していました。これを苦々しく思ったフセイン大統領は、一九九〇年九月、イラク軍をクウェートに侵攻させ、全土を占領させます。クウェートは日本の四国よりも一回り狭い小国ですから、占領は早々に完了しました。

 小国クウェートには戦う力がありませんでした。そこでプロパガンダを実施します。クウェート駐米大使の娘を使い、身分を偽らせ、アメリカ連邦議会内で虚偽の証言をさせます。お膳立てをしたのはアメリカの広告会社です。

 一九九〇年十月十日、クウェートから訪米したナイラという少女(実際はクウェート駐米大使の娘)がアメリカ連邦議会内で証言しました。

「わたしは十二人の女性とともにアッラダン病院でボランティアをしていました。わたしが最年少のボランティアで他の女性達は二十から三十歳でした。イラク軍兵士が銃を持って、病院内に押し入るのを目にしました。保育器から新生児を取り出し、冷たい床に新生児を放り出し、死なせてしまいました。怖かったです」

 泣きながら証言する少女ナイラの姿は大々的に報道され、アメリカだけでなく世界の世論に大きな影響を与えます。見事な演技でした。クウェートのプロパガンダは成功し、連合国においてイラクに対する武力行使が容認されます。アメリカ軍を中心とする多国籍軍が編成され、サウジアラビアに展開しました。多国籍軍は圧倒的な戦力でイラク軍をクウェートから駆逐しました。戦闘は、一九九一年二月末に終了しました。

 湾岸戦争は、クウェートとアメリカが画策したものです。プロパガンダによって戦争を正当化した典型例です。多国籍軍にはイラクの首都まで侵攻する余力が十分にありましたが、ブッシュ大統領は早期に戦争を終結させました。湾岸戦争の戦費一兆七千億円を捻出させられたのは日本政府です。


《中国の経済大国化》

 中華人民共和国は、一九四九年に建国された共産党一党独裁国家です。支那大陸には実に長い歴史があるとはいえ、中国の歴史は百年にも満たない極めて短いものです。しかも、共産主義によって支那大陸の歴史伝統が否定されてしまいました。

 中国は連合国の常任理事国であり、核保有国でもありますが、経済的には開発途上国でした。毛沢東の産業政策はことごとく失敗し、文化大革命などによって内政が混乱したからです。

 一九七二年、ベトナム戦争の終結を望むニクソン大統領は、ベトナムを支援していた中国を訪問します。これ以後、中国は資本主義国に接近し始めます。毛沢東の死後、数年を経て、一九七八年に中国の実権を握った鄧小平は改革開放を唱え、経済政策に力を注ぎます。共産主義体制を維持しつつ、市場経済を導入し、西側諸国の企業を誘致していきます。

 一九八〇年代後半から二○○〇年にかけて、西側諸国の企業がこぞって中国に進出しました。この異常なまでの中国進出ブームは、中国の外資優遇政策とともに、アメリカによる誘導がありました。アメリカのコンサルタントが大挙して日本に押し寄せ、日本企業に対して盛んに中国進出の利点を説いて回りました。共産主義に対する警戒感を訴える論評もありましたが、「経済成長すれば中国は民主化する」というプロパガンダが盛んに流されました。多くの日本企業がブームに乗り、安価な労働力と巨大市場をめざして中国に進出しました。そのあげく技術を盗まれ、資産を剥ぎ取られる結果となりました。

 こうして中国は経済を急成長させ、二〇一〇年には世界第二位の経済大国となります。中国の驚異的な高度経済成長は、明らかに外資主導によるものであり、内需主導で戦後に経済復興を成し遂げた日本とは異なるものです。結果として、日本は自国企業と自国経済を弱体化させただけでなく、経済成長に伴って強大化した中国人民解放軍の軍事力に怯えることとなりました。

 経済的に脆弱だった中国を世界第二位の経済大国に成長させたアメリカの意図は、ひとつには日本弱体化という既定の戦略だったと考えられます。つまり、米中で日本を包囲する戦略です。実際、軍事力を強大化させた中国共産党は、ウイグル、チベット、モンゴル、南シナ海への侵略を推進しましたが、アメリカはこれを黙認しました。日本は米中によって嬲られる立場に陥りました。

 そして、もうひとつ、戦争国家アメリカに特有の戦略があります。この頃、すでにソビエト連邦は崩壊しており、アメリカに敵対しうる国家がありませんでした。将来の戦争のために、つまり武器を売って軍産複合体が儲けるために、アメリカは敢えて敵国を育てたと言えます。つまり、戦争の種まきです。これは冗談ではありません。たとえば、第二次世界大戦においてアメリカは全力でソビエト連邦を支援しましたが、戦後の冷戦期には対立し、やがて軍拡競争をしかけ、ついにソ連を崩壊させました。第二次世界大戦前、ナチス党によるドイツの経済復興を支援したのはアメリカ資本でしたが、第二次世界大戦では完膚なきまでにドイツを叩きました。日露戦争までアメリカは日本の友好国でしたが、その後、敵対的になり、第二次世界大戦で日本を叩きました。

 巨大な軍事産業を抱えるアメリカは戦争をつくり続ける必要があります。だから、アメリカの軍産複合体は、まず敵国を育てておいて、将来的に戦争するという長期戦略をとっています。驚天動地の戦略です。各国に隔絶した軍事力を有するアメリカならでは採用し得ない戦略です。将来、アメリカは極東で戦争を起こすつもりです。米中はともに核保有国ですから直接的な戦争は起こり得ません。したがって、台湾、韓国、日本が中国と戦わされ、これら三国をアメリカが支援するという形態になるでしょう。


《イラク戦争》

 一九九一年の湾岸戦争後、連合国決議によってイラクは大量破壊兵器の保持を禁止されました。イラクは、連合国の査察団を受け入れていましたが、一九九八年以後、イラクは査察団の受け入れを拒否しました。このため緊張が高まります。

 二〇〇一年九月十一日、アメリカで同時多発テロが発生します。イスラム過激派のテロリストが複数の航空機をハイジャックし、世界貿易センタービルや国防総省に自爆攻撃を実施した事件です。テレビでは貿易センタービルに突入する航空機の映像が繰り返し流されました。多数のアメリカ国民が死傷しました。

 この大規模なテロ事件については不可解な点が多く、過去のアメリカの歴史に照らして考えると、アメリカによる戦争発起のための陰謀だった疑いが濃厚です。とはいえ、真相はいまだ不明なままです。テロの首謀者は、テロ組織アルカイーダの指導者ビンラディンとされました。そして、アルカイーダを支援しているのはアフガニスタンだとされました。ブッシュ・ジュニア大統領は、「テロとの戦い」を宣言し、早くも十月、アフガニスタンへの侵攻を開始します。

 二〇〇二年一月、ブッシュ・ジュニア大統領は一般教書演説において、イラン、イラク、北朝鮮の三国をテロ支援国家とし、「悪の枢軸」であると非難しました。まるでフランクリン・ルーズベルトが日独伊三国を全体主義国と決めつけて非難したプロパガンダの前例に酷似しています。

 アメリカのプロパガンダは世界の世論となり、連合国の査察を拒否しているイラクに非難が集まります。そして、イラクが大量破壊兵器を保有しているという疑惑が強まります。ただ、決定的な証拠はどこにもありませんでした。アメリカとイギリスは武力行使に踏み切るべきだとし、連合国の決議を求めます。しかし、イラクが大量破壊兵器を保有しているという決定的な証拠が無かったため連合国の決議は得られませんでした。

 二〇〇三年三月、米英両国はイラクへの武力行使に踏み切ります。米英軍の兵力は三十万であり、ハイテク兵器で武装されていました。開戦と同時にイラクの制空権を把握した米英軍は、陸上部隊を侵攻させ、迅速にイラクの要衝を占領し、五月一日に戦闘終結を宣言します。

 イラク占領後、米英軍は大量破壊兵器を探索しますが、ついに見つけることができませんでした。また、イラクの占領統治はうまく進まず、イラク国民の反発が強まり、さらには反米武装勢力が米英軍を攻撃するまでになり、米英軍将兵の損害が増えました。

 後になって判明したことですが、イラクには大量破壊兵器は存在しませんでした。そして、イラクが大量破壊兵器を保有しているという情報操作がアメリカによって行われていました。

 イラクより先にアフガニスタンに侵攻していた米英軍も同じような状況に苦しんでいました。侵攻はしたものの、統治がうまくいきませんでした。結局、アメリカ軍は、アフガニスタンとイラクで戦争をし、両国を占領したものの占領政策には失敗し、両国の治安を悪化させたまま、撤退します。イラクからの撤退は二〇一一年、アフガニスタンからの撤退は二〇二一年でした。

 ブッシュ・ジュニア大統領の戦争は失敗に終わりました。いかにもアメリカらしい戦争でした。戦争発起のための陰謀により自国民を犠牲にし、テロ組織を犯人だと決めつけ、大量破壊兵器をイラクが所有していると決めつけ、大々的なプロパガンダで世論を誘導し、虚偽に満ちた大統領演説を繰り返して戦争を正当化しました。ブッシュ・ジュニア大統領はフランクリン・ルーズベルト大統領を模倣したようです。戦争は失敗でした。それでも軍産複合体にとっては大きな利益となりました。


《アラブの春》

 リビアは、イタリアの植民地でしたが一九五一年にリビア王国として独立しました。 しかし、一九六九年、青年将校によるクーデターが発生し、王制が終わります。リビアの権力を掌握したのはカダフィ大佐です。

 カダフィ大佐は、その後、長く独裁を続けます。その治世は、オイル・マネーを国民に還元する善政でした。カダフィ大佐はアラブ民族主義を掲げていましたので、イスラエルとは対立していました。このためアメリカとの関係が悪化します。レーガン大統領はカダフィ大佐を「中東の狂犬」と評しました。以後、圧倒的な西側のプロパガンダによって悪の独裁者というイメージが形成されていきます。アメリカはリビアをテロ支援国家に指定し、制裁します。このためカダフィ大佐は、オイル・マネーで西側諸国から武器を購入するなどして融和姿勢をとるようになりました。

 ところが、二〇〇九年九月、カダフィ大佐は連合国総会においてアメリカ批判の演説をぶちます。十五分の持ち時間を延長し、九十分もの長い演説を行いました。このなかでカダフィ大佐はケネディ大統領暗殺の理由に触れました。

「ケネディ大統領がイスラエルのディモナ原子力発電所に核爆弾があるかどうか調べるために査察を行うことを決めたということだ」

 また、後に発生するコロナ・ウイルス騒動を予言するようなことを発言しました。

「彼らは自らウイルスを作り出し、解毒剤を売りつけるだろう。その後、彼らはすでに治療法を持っているにもかかわらず、治療法を見つけるのに時間がかかったふりをするだろう。ウイルスは軍事兵器、生物科学兵器として使われるだろう。ワクチンは西側諸国のビジネスだ。資本主義企業が利益を得る目的だ。許せない。医療品は全て無料にするべきだ。そうすればウイルスとワクチンは蔓延しない」

 さらに、カダフィ大佐は日本にも言及します。

「日本は意思を持った国とは思えない。アメリカ軍が駐留し、植民地のようだ。侮辱的な事で、通常の国のあり方ではない。アメリカに追随してばかりいる。もっと自由な意思を持たないといけない」

 この翌年から、奇妙なことに、リビアをはじめとする北アフリカから中東にかけての国々で革命騒ぎが同時多発的に発生します。

 二〇一〇年から二〇一二年にかけて、チュニジア、モロッコ、アルジェリア、リビア、エジプト、スーダン、南スーダン、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、イエメン、オマーン、クウェートにおいて反政府活動が活発化し、革命騒動となりました。インターネットによる情報の伝達が革命波及の原因だとされています。これによって長年の独裁政権が民主化されたとされ、この同時多発革命は「アラブの春」と呼称されました。

 しかし、反政府運動がこれほど多くの国々で、かつ同時期に発生するのは極めて不自然です。しかも不可解なことに、親米国家のサウジアラビアとアラブ首長国連邦には革命騒ぎが起きませんでした。そもそも、「アラブの春」という呼称の胡散臭さはどうでしょう。プロパガンダ臭が紛々としています。そして、革命騒ぎの結果として出来上がった新政権は、ことごとくアメリカの傀儡政権であり、その治世は独裁政権よりも腐敗しており、再び反政府運動が起き、内乱状態となりました。そのため、これらの国々では生活難から多くの難民が発生し、その難民の多くが地中海を渡って欧州へ流入する結果となりました。

 奇妙な符合ですが、この頃、欧州では多文化共生というイデオロギーが蔓延しており、英仏独など欧州諸国政府は、これらの難民を大歓迎して迎え入れました。しかし、あまりに多くの難民を短期間に受け入れたため欧州諸国の治安が乱れ、大混乱を生じる結果となりました。ダグラス・マレーというジャーナリストは、この現象を「欧州の奇妙な死」と呼びました。

 北アフリカと中東諸国の革命騒ぎから欧州への大量難民流入という一連の出来事は、アメリカのプロパガンダと陰謀の結果だと考えられます。「多文化共生」、「多様性」という意味不明の標語が乱発され、それが正しいことのように欧州諸国民は洗脳されていましたが、社会が大きく混乱し、治安が極度に悪化したため、その欺瞞にようやく気づきます。そして、最近では、欧州諸国で保守的な政党が支持を得つつあります。


《プーチン大統領の演説》

 一九九一年にソビエト連邦が崩壊した後、ソ連の構成国は独立しました。ロシアはロシア共和国となり、選挙の結果、エリツィンが大統領に就任しました。エリツィン大統領は資本主義的な経済政策を採用し、経済の自由化と財政健全化を推進しました。しかし、財政均衡を実現するために金融を引き締め、産業界への補助金や福祉支出などを大幅に削減したため、ロシア国民の貯蓄と資産が目減りし、ソ連時代の生活水準が崩壊してしまいます。ロシア政府は、国際通貨基金をはじめとする国際機関の助言に従って急進的な経済改革による完全な資本主義の導入を図り、ワシントン・コンセンサスどおりに狂ったような民営化を推進しました。このためロシアの資産や資源がアメリカ資本に奪われ、ロシア経済が破綻してしまいます。一九九二年、ロシア経済は前年比二千五百十パーセントというハイパーインフレーションを引き起こし、国内総生産は五十パーセントも減少しました。失業者が激増し、所得が劇的に減少し、平均寿命が極端に短くなりました。

 一九九九年十二月、エリツィン大統領が辞任し、プーチンが大統領代行となりました。プーチンは「強いロシア」を標榜し、時に強権を発動しつつ、混乱したロシアを立て直し、失われつつあった主権を回復させます。六十九年つづいた共産党支配を終わらせ、ロシアの歴史と伝統を復活させました。

 プーチン大統領は確かに独裁者です。プーチン大統領がロシアの権力を握って既に二十年以上が経過しています。ただ、ロシアの国益を第一に考え、民意をくみとる独裁者のようです。ロシア国民はプーチン大統領を支持しています。

 政党政治を行い、選挙を実施しているアメリカですが、選ばれた政治家は巨大資本や軍需産業界や製薬業界や穀物メジャーやバイオ産業界の傀儡として国家権力を振り回しているだけで、決してアメリカ国民の民意をくみとってはいません。民主主義は見せかけであり、実質は資本絶対主義です。そして、そのアメリカの支配下にある西側諸国も政党政治を行い、選挙を実施してはいますが、選ばれた政治家たちは国民の民意を無視し、アメリカの意向に従っています。これは民主主義ではありません。アメリカ専横政治です。そのようなアメリカ支配下の西側諸国は、共同してロシアに対して圧力をかけるようになりました。

 アメリカは、二〇一四年からウクライナに介入し、政権を転覆して傀儡政権を成立させ、プロパガンダで反ロシア世論を拡散させました。そして、北大西洋条約機構を東方に拡大させました。アメリカは、ロシアに対して北大西洋条約機構を東方拡大することはないとくりかえし約束していたにも関わらず、その約束を反故にしました。約束しておいて、それを破るのはアメリカの常套手段です。

 二〇二二年二月、プーチン大統領は、アメリカと北大西洋条約機構に抗議するためウクライナに侵攻します。ウクライナ戦争です。開戦から間もない九月、プーチン大統領は演説しました。この中でプーチン大統領はアメリカをはじめとする西側諸国について自身の認識を述べています。長文になりますが一部を引用します。

「ソビエト崩壊後、西側世界は、我々を永遠に西側に従属させると決めた。一九九一年当時、ロシアが混乱から二度と立ち直れず、やがて自壊していくことを西側は期待していた。確かにロシアはそうなりかけた。九〇年代のことを覚えている。恐ろしい九〇年代、空腹で寒く、絶望的だった。しかし、ロシアは倒れずに再生し、強くなり、ふたたび世界で高い地位を占めるようになった。西側は、ロシアを攻撃して弱体化させ、崩壊させ、国家を細分化して国民を互いに反目させ、困窮と絶滅においやるチャンスを常にうかがってきた。世界の中に、広大な領土と豊かな自然と資源を有し、決して他人の言いなりになろうとしない国民が存在するという偉大な国があることに、西側はどうしても我慢がならないのだ。

 西側は、新植民地主義体制を維持するためなら何でもする。この体制の下で西側は、ドルの力と技術の専横により世界に寄生し、世界を略奪し、人類から真の年貢をかき集め、覇権への地代という不労所得の源泉を獲得してきた。この地代を維持することが、西側にとって最重要かつ本質的で打算的な動機なのである。

 国家から完全に主権を喪失させることが彼らの利益にかなう。独立国家の伝統的価値観や独自文化を侵略し、技術開発の中心地を台無しにし、一方的な国際統合プロセスを押しつけ、新たな世界通貨を流通させようとしている。これらすべては主権喪失の企てである。あらゆる国がアメリカに自国の主権を明け渡すことこそが、西側にとってきわめて重要なのだ。

 一部の国々の支配層は、自主的にそうすることに同意し、自主的に奴隷となることに同意する。買収されたり脅迫されたりする国もある。そして、思いどおりにならない場合、その国は国家全体が破壊され、後に残るのは人道的破局と惨禍、廃虚、何百万人の死、テロリストの群雄割拠、社会的災害、保護領化、植民地化、あるいは半植民地化である。西側にとっては、自分たちの利益さえ確保できればいいのである。

 あらためて強調したいのは、西側諸国がロシアに仕掛けているハイブリッド戦争の本当の理由は、彼らの欲望と権力欲にあるということだ。彼らは、我々に自由を与えるのではなく、我々を植民地にしたいのだ。対等な協力ではなく略奪をやろうとしているのだ。我々を自由な社会ではなく、魂のない奴隷の集まりとしたいのだ。

 彼らにとって直接的な脅威となっているのは、我々の思想や哲学である。だからこそ、我々の哲学者を抹殺しようとする。ロシアの文化や芸術は彼らに危険を感じさせるから、これを禁じようとするのだ。我々の発展と繁栄もまた、彼らの脅威となる。彼らにとってロシアはまったく不要である。ロシアを必要としているのは我々なのだ。

 思い出して欲しい。彼らの世界支配の野望は、これまで何度もわが国民の勇敢さと強靭さによって打ち砕かれてきた。ロシアはいつまでもロシアであり続ける。これからも我々は自分たちの価値観と祖国を守る。

 西側は、すべての悪事が目こぼしされ、免罪されると期待している。実際のところ、これまで全く咎められずに済んできた。戦略的安全保障協定はごみ箱行きとなり、首脳レベルで到達したはずの合意は反故にされた。北大西洋条約機構を東方に拡大しないという固い約束も、汚い欺瞞だった。弾道弾迎撃ミサイル制限条約や中距離核戦力全廃条約は、こじつけの口実だったのであり、一方的に破棄された。

 それなのに、彼らは西側がルールに従って秩序を維持していると言い張る。この大嘘はいったい何だ。そのルールとやらを誰が見たのか。誰が承認したのか。こんなものは全くの戯言であり、完全な欺瞞だ。ダブルスタンダード、いやトリプルスタンダードだ。馬鹿にしている。

 ロシアは千年の歴史を持つ大国であり、文明国である。西側のデタラメでインチキなルールの下で生きようとは思わない。

 国境不可侵の原則を踏みにじったのは西側だ。誰が自決権を持ち、誰が持たないのか、誰が自決に値しないかを、西側は自分たちの裁量で勝手に決めている。いかなる根拠でそれを決めるのか、誰からその権限を与えられたのか、それはわからない。勝手にそう決めているだけだ。

 だからこそ西側は、クリミアやセバストポリ、ドネツク、ルガンスク、ザポロジエ、ヘルソンの人々の選択に激しい怒りを抱くのだ。ロシア国民の選択を評価する道徳的権利は西側にはない。民主主義の自由について口にする権利すら西側にはない。現在もないし、過去にもなかった。

 西側のエリートは、国家主権だけなく国際法をも否定している。彼らの覇権には、明らかに全体主義的、専制的、アパルトヘイト的性質がある。

 あつかましくも、西側は世界を二分している。西側エリートの奴隷となった文明国と、それ以外の国々とに。そして、奴隷とならない国々に対して『ならず者国家』や『独裁政権』という偽のレッテルを貼り付ける。

 今に始まったことではなく、西側のエリートは、今も昔も変わらず植民地主義者のままだ。差別をして、世界の人々を一級とそれ以下に分けているのだ。

 我々はこれまでも、これからも、こうした政治的民族主義と人種差別主義を決して認めない。今日、世界中に広がるルソフォビア(ロシア嫌い)が、レイシズムでなければ何だというのか。

 西側が自分たちの文明、すなわち新自由主義的文化こそが世界全体の明白な模範だと信じて疑わないのは、レイシズム以外の何ものでもない。『こちら側につかない者は敵だ』という西側の考えは奇妙にすら聞こえる。

 西側のエリートは、自分たちが犯した歴史的な罪科、例えば植民地時代の搾取のような罪科についての悔悟さえ、他者に押し付けようとしている。西側が犯した歴史的な罪科について反省しないばかりか、その責任を他者に押し付け、謝罪させようとしている。

 西側は思い出すべきだろう。植民地政策の始まりは中世にさかのぼる。そして世界的な奴隷貿易、アメリカでのインディアン虐殺、インドやアフリカの搾取、イギリスやフランスによる対中国侵略の契機となるアヘン戦争へと続く。アヘン戦争の結果、中国はアヘン貿易のために開港を強いられた。

 西側は、人々をみな麻薬漬けにし、土地と資源を奪うために民族全体を殲滅し、まるで獣のように人間狩りをしたのだ。これは人間の本質そのもの、真実、自由、正義に反する行為だ。

 一方、我々は、わが国こそが二十世紀に反植民地運動を率いてきたことを誇りに思う。この運動は世界の多くの人々に発展の機会を与え、貧困や不平等を減らし、飢餓や疾病に打ち勝つことを可能にした。

 強調しておきたいのは、何世紀にもわたるルソフォビア、つまり、西側エリートがロシアに向けるあからさまな敵意の原因のひとつは、我々が植民地支配の時代にも搾取されることを拒絶し、ヨーロッパ人に相互利益のための貿易を行わせたからだ。

 これを成し遂げられたのは、ロシアが強力な中央集権国家であり、ロシア正教、イスラム教、ユダヤ教、仏教の偉大な道徳観をもち、万人に開かれたロシア文化をもち、それらがロシア語の上に発展し、強化されてきたからだ。

 よく知られた話だが、ロシアへの干渉はたびたび計画された。十七世紀初頭の動乱時代や一九一七年(ロシア革命)以降の激動の時期、ロシアに干渉する西側の試みは失敗した。それでも二十世紀末、ソビエトが崩壊した頃、西側はロシアの富にありつくことができた。当時、我々を友人とかパートナーと呼びながら、実際にはロシアを植民地として扱い、さまざまな悪巧みによって何兆ドルという資産をロシア国外に持ち出した。我々は、このことを決して忘れない。一切、忘れていない。

 西側諸国は何世紀にもわたり、西側が周辺諸国に自由と民主主義をもたらしたと言い続けてきた。何もかも正反対だ。西側がもたらしたのは民主主義ではなく抑圧と搾取、自由ではなく奴隷化と暴力だった。一極集中の世界秩序そのものが本質的に反民主的かつ不自由である。西側の主張は嘘と偽善だ。

 アメリカは、世界で唯一、二度にわたって核兵器を使用し、広島と長崎を壊滅させた。 思い出してほしい。第二次世界大戦中、アメリカはイギリスとともに、いかなる軍事的必要性もないのに、ドレスデン、ハンブルク、ケルンのほか、数々のドイツの都市を廃虚にした。これは見せしめのために行われた。繰り返すが、軍事的必要性はなかった。目的はただひとつ、威嚇だ。日本への原爆投下もまた同様で、わが国、そして全世界を威嚇することが目的だった。

 アメリカは、朝鮮半島とベトナムでナパーム弾と化学兵器による残虐な絨毯爆撃を実施し、人々の記憶に恐ろしい傷痕を残した。

 今日、ドイツや日本、韓国、その他の国々はアメリカによって事実上、占領されている。その上で皮肉にも、アメリカはこれらの国々を同盟国と呼ぶ。このような同盟関係があるものか。同盟国の指導者たちは監視され、首脳の執務室だけでなく住居にまで盗聴器が仕掛けられている。こんなことは全世界が知っている。これこそ本物の恥辱だ。仕掛ける側にとっても、奴隷のように黙って従順に受け入れる側にとっても恥辱である。

 アメリカは、奴隷に対する乱暴で侮辱的な怒鳴り声を『ヨーロッパ大西洋の結束』と呼び、ウクライナなどで実施している生物兵器の開発や人体実験を高尚な医学研究と呼んでいる。

 みずからの破壊的な政策と戦争と強奪により、アメリカは現在の大規模な移民の流れを誘発した。何百万もの人々が、困窮や虐待に耐え、何千人もの死者を出しながら、ヨーロッパの国々を目指している。

 『世界最貧国への食糧援助』という口実のもと、ウクライナから穀物が輸出されている。この穀物はどこに向かっているか。すべてヨーロッパの国々に運ばれている。わずか五パーセントだけが貧困国に向かった。いつものペテンとあからさまな欺瞞だ。

 要するにアメリカのエリートは、競争相手を弱らせ、国民国家を破壊するために、こうした人々の悲劇を利用している。これはヨーロッパにも関わることで、フランス、イタリア、スペイン、その他の何世紀にも及ぶ歴史を有する国々のアイデンティティーに関わることだ。

 アメリカは次々と新たな対ロシア制裁を求め、ヨーロッパの政治家の大多数はこれに従っている。アメリカは欧州連合に対してロシア産の各種資源を輸入するなと圧力をかけている。そして、このことがヨーロッパの産業の衰退につながっている。将来、アメリカがヨーロッパ市場を手中に収めるであろうことを、ヨーロッパの政治家たちは十分理解しているのだ。もはや、これは奴隷根性ですらなく、自国民に対する直接的な裏切りである。

 しかし、アングロサクソンは制裁だけでは飽き足らず、バルト海の海底を通る国際ガスパイプライン『ノルドストリーム』の爆破という破壊工作へと踏みだした。信じられないが、これは事実だ。ヨーロッパ全体のエネルギー・インフラの破壊に着手したのだ。これにより恩恵を受けるのはどの国か、誰の目にも明らかだ。そして、恩恵を受ける国が実行したと考えるのは、当然のことだ。

 アメリカの専制は、武力の上に成り立っている。時にはきれいに包装され、時には何の包装もないが、本質は同じ拳の法則だ。そのためにこそ世界各地に何百という軍事基地を展開し、維持し、北大西洋条約機構を拡大し、米英豪三国軍事同盟や、これに類する新たな軍事同盟を結成しようとしている。

 ワシントン、ソウル、東京をつなぐ軍事的、政治的な連携を強化する動きも活発である。一方、真の戦略的主権を有する国や、主権を持とうとする国で、西側の覇権に挑戦できる国は、自動的に敵としてカウントされる。

 まさにこうした原則の上に、完全支配だけを求めるアメリカと北大西洋条約機構の軍事ドクトリンが構築されている。西側のエリートは、平和を追求すると言いながら、戦争抑止を語りながら、新植民地主義的計画を偽善的に提示している。

 こうした口先の口実は次から次へと移り変わっていくが、本質的に意味するところはひとつである。いかなる主権国をも崩すということだ。

 すでにロシア、中国、イランの抑止については聞こえてきているが、アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、中東諸国も対象になっていると思う。そして現時点でアメリカのパートナー、同盟国である国々さえ同じことだ。

 気に食わなければ同盟国に対しても、あちこちの銀行や会社に制裁を科すのは知られた事実である。そういう習慣だし、この習慣はもっと広がるだろう。我々のすぐ隣にある独立国家共同体の諸国を含め、すべてがアメリカの照準に入っている。

 同時に、明らかに西側は、なお希望的観測にしがみついている。ロシアに対する制裁の電撃戦を始めることで全世界を再び指揮下におけるだろうと考えたのだ。しかし、この虹色の展望を聞いて興奮したのは、極度の政治的マゾヒストか、型破りな国際関係の信奉者だけである。

 多くの国々はアメリカに敬礼するのを拒み、ロシアとの協力という合理的な道を選んでいる。西側は、明らかに、各国から反発を受けると予想していなかった。型どおりに行動し、すべてを力ずくで、恐喝と賄賂で奪うのに慣れきっている。まるで化石のように過去に凝り固まっている。こうしたやり方が永遠に通用すると自らを納得させている。

 アメリカのこの過信は、自分たちだけが例外だという悪名高い特権意識からきている。さらに驚くべきことに、西側の情報操作が顕著である。度を超えた攻撃的プロパガンダを使い、神話や幻想、フェイクの大海原に真実を沈めてしまい、ゲッベルスのように夢中になって嘘をつく。嘘が信じがたいものであればあるほど、人々は簡単に信じてしまう。この原則に従って西側は動いている。

 しかし、印刷したドルやユーロを人々に食べさせることはできない。紙を食べさせることはできないし、西側のソーシャル・ネットワークのなかで膨れ上がったバーチャル投資では家を暖めることさえできない。わたしが話していることはすべて大事なことだ。いま言ったことも大事だ。紙を食べさせることはできない。食糧が必要だ。膨れ上がった投資で誰の家も暖めることはできない。エネルギーこそが必要だ。

 結果、ヨーロッパの政治家は、自分たちの同胞に対し、食べる量を減らし、風呂に入る回数を減らし、家では暖かい服を着るよう説得する羽目になった。一方、『そもそも、なぜそんなことをするのか』と、ごく当然の疑問を呈した者は、ただちに敵、過激派、急進派と見なされてしまう。西側は、ロシアを指さして諸悪の根源だと言う。これもまた嘘だ。

 特に言っておきたいこと、強調したいことがある。西側のエリートには、世界の食糧とエネルギーの危機に対する建設的な解決策を模索するつもりがどうやらなさそうだ。そう考える根拠が十分にある。この危機は、ウクライナ、ドンバスで我々の特別軍事作戦が始まるずっと前から、西側が長年とってきた政策の結果として、まさに彼らの責任で生じたのである。彼らには、不公平や不平等の問題を解決するつもりがないのだ。ほかの常套手段をとるのではないかと、わたしは懸念している。

 ここで思い出すべきは、西側が二十世紀初頭の苦境を第一次世界大戦によって脱したという事実だ。アメリカは第二次世界大戦の儲けで大恐慌の後遺症を完全に乗り越え、世界最大の経済大国となり、基軸通貨としてのドルの力を世界中に押しつけることができた。

 そして、一九八〇年代の危機において、西側は崩壊前後のソビエトの遺産と資源を横領することで危機を切り抜けた。これは事実だ。

 今もなお西側は、矛盾の絡み合う状態から抜け出すため、自主的な発展路線を選択するロシアやその他の国々を何とかして解体し、他国の富を略奪して自国の負債を穴埋めしようと企んでいる。それがうまくいかなければ、世界的な崩壊を引き起こし、すべてをそのせいにするだろう。『戦争ですべてご破算』といういつもの法則を使うかもしれない。ロシアは国際社会に対する責任を自覚し、頭に血がのぼった西側の人々を正気に戻そうと努めている。

 現在の新植民地主義の仕組みが最終的に破滅することは明らかだ。その本当の仕掛け人たちは、最後までこの仕組みにしがみつくだろう。彼らには、この略奪と恫喝のシステム以外には、世界に差し出せるものがなにもないのだ。

 要するに何十億もの人々、人類の大半が持つ自由と正義、自分の将来を自分で決めるという自然権を、彼らは意にも介していないということだ。今や、倫理規範、宗教、家族を根本から否定する方向に踏み出してしまった。

 とても単純な疑問に自分たちで答えよう。今こそわたしは、先ほど話した事柄に戻りたい。すべての国民に問いたい。このホールにいる皆さんだけでなく、すべてのロシア国民に問いたい。我々はまさかここ、わが国ロシアにおいて、母親や父親ではなく、『親一号』、『親二号』、『親三号』を欲しいと思うだろうか。もはや、すっかりおかしくなっていないか。我々の学校の低学年から、堕落と絶滅につながる倒錯、すなわち男女とは別の第三のジェンダーがあると子どもに信じさせ、性転換手術を勧めることを誰が望むだろうか。

 我々は自分たちの国と自分たちの子どもたちのために、こんなことを望んでいるだろうか。我々にとっては、まったくもって受け入れ難い。我々にはもっと別の、自分たちの未来がある。

 繰り返すが、西側エリートの独裁は、西側諸国の国民を含め、あらゆる国々をねらっている。これはすべての人々への挑戦だ」

 プーチン大統領の演説は、いささか独善的ではありますが、ロシアの立場から見たアメリカと西側諸国の実像を如実に表現しています。欲を言えば、ソビエト連邦の実像についても語ってほしかったところです。とはいえ、深い洞察と確かな歴史観とロシアの価値観が語られています。プーチン大統領は、アメリカ資本によって蚕食されて衰亡の危機に瀕していたロシアを窮状から救ったという自身の立場から、アメリカの本質と西側社会の実態を鋭く突いています。戦後日本に対する痛烈な皮肉も含んでいます。

 プーチン大統領の演説は世界の現実を語っています。プロパガンダに満ちた歴代アメリカ大統領の演説とは大いに異なるものです。これほどの大演説を行える政治家は、残念ながら戦後日本には皆無です。

戦後日本に暮らしていると、生まれた時からアメリカによるプロパガンダの波状攻撃に曝されているため、本当のアメリカの姿が見えません。加えて、西側諸国では言論が統制されているので、プーチン大統領のように本質を突いた発言をすることは不可能です。アメリカと対峙しているロシアのプーチン大統領にこそ、アメリカと西側社会の薄汚く残忍で貪欲な正体が見えているようです。


《アメリカの正体》

 ここまで、アメリカのプロパガンダを可能な限り排してアメリカの歴史を振り返りました。そこから見えてくるアメリカの正体は、プロパガンダ国家であり、戦争国家であり、陰謀国家であり、拝金主義国家であり、世界を植民地化しつつある侵略国家であり、国家の上に資本家が君臨する異形の資本絶対主義国家であり、人種差別意識を濃厚に有する覇権国家です。アメリカは「自由と民主主義」の国ではありません。「自由と民主主義」は単なるプロパガンダです。アメリカの本質は、奴隷商人的拝金主義であり、資本絶対主義です。アメリカ資本は、利益追求のためにアメリカ政府を道具のように使いまわしています。軍産複合体の金儲けのためにアメリカ政府は戦争や紛争をつくりつづけます。穀物メジャーや食肉メジャーや製薬業界や自動車産業界が儲けるために、アメリカ政府は通商協議で常に相手国に譲歩を迫ります。

 アメリカの紐帯は、憲法でもなければ人権宣言でもありません。アメリカの紐帯は、プロパガンダと衆愚によって構成されています。メディアがプロパガンダを拡散し、アメリカ国民を衆愚化し、熱狂と偏見と虚偽をつくりだし、アメリカによるすべての侵略行為を正当化します。アメリカによる虐殺、陰謀、戦争などは、すべて「自由と民主主義」の美名によって正当化されますが、すべてはプロパガンダに過ぎません。その本質は貪欲な利益追求です。その本質を隠すプロパガンダが「自由と民主主義」です。この本質に、アメリカ国民も西側諸国の国民も気づいていません。ごくまれに気づいた人々も存在しますが、それらの人々の言論は統制され、制限され、広がることはありません。むろん日本も例外ではありません。

 アメリカの言う自由とは、あくまでも「アメリカの自由」です。アメリカの言う「自由化」とは、「他国をアメリカの自由にする」という意味です。アメリカの言う「民主化」とは、「他国をアメリカの植民地にする」という意味です。

 アメリカの主要産業は軍事産業です。軍事産業界は資本力で政治家を買収し、アメリカ政府をあやつり、世界各地で恒常的に戦争をつくります。そうやって武器を売っています。これにならって穀物メジャー、食肉メジャー、製薬業界、自動車業界も同じ手法でアメリカ政府をあやつり、通商交渉を通じて世界各国の内政に介入することで利益を収奪しています。つまり、アメリカでは政道も吏道も地に堕ちています。

 そんなアメリカ政治による被害は西側諸国に広がっています。なかでも典型的な例が戦後日本です。戦争末期の無差別絨毯爆撃で徹底的に破壊され、占領政策で洗脳され、弱体化させられた戦後日本は、アメリカ製の防衛装備を購入させられ、農業破壊の減反を強制され、高濃度残留農薬を含むアメリカ産農産物を輸入させられ、アメリカ製の医薬品を大量に摂取させられ、捕鯨を非難されて制限させられ、主要産業だったエレクトロニクス産業や家電産業を衰退させられ、国営企業の民営化を強制され、国民が享受すべき利潤を収奪され、効果の定かならぬ怪しげなワクチンを家畜だけでなく人間にまで接種させられ、自然を破壊する再生エネルギー政策を推進させられ、狂ったようなマイノリティ政策と移民政策をやらされています。

「アメリカが日本を守る」

 というのはプロパガンダであり、支配のための方便にすぎません。アメリカが日本を守るために核兵器を使用することはあり得ません。アメリカには日本を守る義務がありません。アメリカが蒋介石や南ベトナムを見捨てた事実を忘れてはなりません。

 アメリカは中国と北朝鮮には核保有を許しましたが、日本には決して許しません。アメリカは中国を経済大国に変貌させ、中国人民解放軍を強大化させました。そして、中国によるチベット、ウイグル、モンゴル、南シナ海への侵略を黙認しました。つまり、アメリカは中国や北朝鮮と連合して日本を包囲しています。歴史捏造による反日プロパガンダは米英中韓北の各国によって共同推進されています。連合国憲章にある敵国条項は活きています。アメリカの対日政策は一貫して日本弱体化です。

 西側世界はすべて覇権国家アメリカの圧政下にあります。それが第二次世界大戦後の世界の現実です。それを「自由主義」と思わされています。なんという皮肉でしょう。

 二十世紀の世界は、疑いようもなく大混乱の時代でした。奴隷商人たちがアメリカという国家を形成し、しかもその国家が急激な成長を遂げて世界最大の軍事力と経済力を得てしまい、世界覇権を確立してしまいました。アメリカという怪物が誕生し、成長してしまいました。時を同じくしてソビエト連邦という共産主義の怪物までが誕生しました。幸いにして共産主義の怪物は消滅しましたが、アメリカという怪物はなお活発な生命力を維持しています。

 もはやアメリカは世界最強の軍事大国であり、経済大国であり、金融大国であり、食糧大国であり、エネルギー大国です。恐れるものは何もないはずです。しかし、そのアメリカが臆病なロバのように恐れているものがあります。それは歴史修正主義です。アメリカのアキレス腱はプロパガンダです。プロパガンダが機能する限り、アメリカは安泰です。しかし、歴史修正によってアメリカの政治プロパガンダがすべて虚偽であったと世界の人々に理解され、一時の熱狂にすぎなかったと理解され、単なる偏見だったと理解されたとき、アメリカの世界覇権は崩壊するかもしれません。それどころかアメリカ合衆国が内部崩壊するかもしれません。

 アメリカには自覚があるようです。ソビエト連邦の崩壊が情報公開グラスノスチから始まった事実を、アメリカは知悉しています。だからこそ歴史修正主義を恐れています。歴史の浅いアメリカは、いまだかつて歴史修正主義の洗礼を受けたことがありません。将来、歴史修正が起こった時にはアメリカが大きく変わるでしょう。

 ちなみに中国、韓国、北朝鮮の三国も歴史修正主義を恐れています。この点でアメリカと同じ穴の狢です。中国、韓国、北朝鮮は、アメリカによる捏造歴史つまり極東裁判史観を国家の正統性の基礎にしています。したがって、歴史が修正されてしまうと正統性を失うこととなります。だからこそ、反日プロパガンダを執拗に繰り返しているわけです。中国、韓国、北朝鮮にとって反日プロパガンダは国家の正統性を守る手段です。それだけに必死です。決して甘く考えることはできません。


《アメリカ覇権の弊害》

 アメリカは戦争国家です。アメリカが存在する限り、戦争はなくなりません。戦争のための陰謀とプロパガンダが蔓延ります。そして、真実は隠蔽されてしまいます。

 アメリカは奴隷商人的な資本絶対主義の国です。金がすべての成金国家です。世界中に拝金主義が蔓延り、道徳が廃れます。戦争は金儲けのための戦争になりました。大義名分などありません。騎士道も武士道もありません。医療も製薬も金儲けの手段に成り下がりました。薬害が絶えることはありません。有害と分かっている医薬品や接種する必要ないワクチンを医師が患者に勧めます。医道は廃れました。アメリカの穀物メジャーや食肉メジャーが利益を得るために、各国の食文化が破壊され、地場の農業が衰退させられています。食品には多くの有害な残留農薬や防カビ剤が加えられています。遺伝子も組み替えられています。農業道徳も商道も地に堕ちました。ジャーナリズムはプロパガンダの拡散機関に過ぎません。学術会でさえ大企業から提供される研究費に迎合するプロパガンダに堕落しました。教育機関さえアメリカ史観とアメリカ的価値観のプロパガンダ機関になりました。オリンピックや万国博覧会も金儲けのイベントになりました。「今だけ、金だけ、自分だけ」というのはアメリカのライフ・スタイルです。目の前の金銭を追いかけているだけです。

 奴隷商人は無賃労働者を欲します。奴隷が使えなくなると、安価な非正規労働者や移民労働者を使います。移民労働者を迎え入れるために「アメリカン・ドリーム」というプロパガンダが使われました。そして、女性をさえ家庭から引き離し、安価な労働力にしました。「女性の社会進出」というプロパガンダが使われました。雇用制度が改悪され、正社員と専業主婦の立場が劣悪化させられました。むろん、低賃金労働者の生活環境はもっと劣悪です。他方、法人税減税や株主配当の増配などにより資本家の利益のみが最大化されました。

 アメリカの資本家は、本来なら金銭とは無縁のはずのものさえ金銭に換えてしまいます。「地球が温暖化している」というプロパガンダを拡散させ、二酸化炭素を罪悪視させ、効率の悪い太陽光発電や風力発電を推進させて利権化し、自然破壊を促進し、二酸化炭素排出権という権利を市場で売買させる仕組みを構築しました。

 世界中の国々が、過去とは比較にならないほどに改変させられました。アメリカの戦争、陰謀、プロパガンダによってです。つまり、世界は巨大資本家たちの市場にされてしまいました。戦後日本は、アメリカ覇権の弊害をもっとも強く被ってしまった国のひとつです。

 アメリカによる世界支配は決して良好なものではありません。戦争は絶えないし、国家間の対立も絶えず、むしろ戦争や紛争がアメリカによって次から次へと生み出されています。環境も悪化しています。アメリカによる搾取が続き、周辺国はその被害に辟易しています。狂ったようなイデオロギーが拡散され、狂ったような自滅的政策が世界各国政府によって推進されています。そこには自由もなければ民主主義もありません。あるのは虚偽と偏見と熱狂だけです。アメリカに巣食う巨大資本だけが肥太っていくのがアメリカ支配下の世界です。この事実に世界の人々が一刻も早く気付く必要があります。

 アメリカ合衆国は、数限りないプロパガンダと陰謀と戦争と虐殺と差別をくりかえし、数多くの悪事を働いてきた侵略国家です。しかし、戦後日本では「アメリカが悪い」とは誰も言いません。言えなくなっています。言えなくさせられています。大東亜戦争末期における日本国民の大虐殺、占領期における日本国民への大虐待と洗脳によって、日本人はすっかり調教され、飼いならされてしまいました。その実態を次章以下で検証します。


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