収容所
この街では平穏な日々が続いている。経済的にも潤っており、人々は仲良く支え合いながら暮らしていた。
だがそんな街に突然不幸が訪れた。隣国の軍隊が押し寄せ、圧倒的な武力によって街は占領されてしまったのである。住民たちは収容所に閉じ込められて不自由を余儀なくされた。
捕らえられた住民の中でも敵の兵士たちからの扱いはまちまちだった。体が弱いなど働けない者は真っ先に殺された。反対に体力がある者は強い権限を与えられ、自分の仲間であったはずの住民を監視する側に回ることができた。自分たちだけで数多くの住民たちを監視するのは無理があると思った兵士たちは、住民同士で支配と被支配の関係を築かせることにしたのである。
また体が強くなくても、政治力のある者は生き残ることができた。仲間を密告したり、兵士たちに気に入られるよう取り入った者は支配者の立場に立つことができた。そこまでには一握りの人間しかなれなかったが、その立場さえ手に入れれば身の安全は保証されたも同じであった。
ミルラは街で一番といわれていたほどの人格者である。笑顔を絶やさず気遣いを忘れない性格は、老若男女から支持を集めていた。そんな彼は収容所内で日夜仲間たちを励まし続けた。
「とにかく生き残ろう。希望を捨ててはいけない」
ミルラの友達であるシャークもそれに賛同した。
「そうだ。いつか助かる日が来る」
こうやって彼らは、どうなるか分からない明日への希望を紡ぎながら日々を過ごした。
ある日銃を持った兵士が彼らのもとへ来た。
「ネルはいるか?」
「はい。ここに」
ネルはミルラやシャークと同い年の若者である。
「貴様は我々への悪口を言っているらしいな。よって銃殺刑に処す」
空気を真っ二つに切り裂くような衝撃が走った。
「誤解です。私はそんなことは言っておりません」
ネルは必死に弁解しようとした。
「俺たちはいつもこいつと一緒にいますが、そんなことは聞いたことがありません。取り下げてください」
シャークも相手の目を見つめて訴えかけたが、結果は無駄であった。ネルは翌日銃殺刑となった。
「どうしてネルがあんなことに。この中の誰かが密告したんだ。そうじゃないとあり得ないじゃないか」
シャークは犯人探しをするように仲間たちに目を向けた。その目は正気を失っているようであった。
「落ち着くんだ。仲間を疑ってはいけない」
とミルラが戒めるように告げて、シャークは一旦口をつぐんだ。
それでもシャークの中でその疑惑が消えたわけではなかった。こんな非日常的な環境では、人間は正常ではいられなくなる。自分の保身のためにネルを売った人間があの中にいるのではなかろうか、そんなことを考えながら廊下を下を向いて歩いていた。
その時だった。
「いつも悪いな。お前にいろいろと仲間のことを調べさせて」
「いえ結構です。なんなりとお申し付けください」
そんな兵士と住民の会話が聞こえた。シャークは身を潜めながら耳を傾けた。
「ネルのことはよく教えてくれた。これであいつらへの見せしめになっただろう。第二のネルが現れたらすぐに伝えたまえ」
「かしこまりました」
と暗い顔で頷いていたのは、なんと友であるミルラであった。
シャークはミルラがこちらへ来るのを待ち構えて、目の前に来た途端に胸ぐらを掴んだ。
「裏切り者が。すべて聞いていたぞ。お前だったんだな。お前が⋯」
言葉が続かなかった。一緒に歩んできた仲間同士だったはずのミルラがネルを死に至らしてるなんて、シャークは涙を抑えるのに必死だった。
「聞かれていたのか。ならば仕方ないな。その通りだ」
「なぜそんなことをするんだ?」
「決まっているだろ。生き残るためだよ」
そのありきたりな解答にシャークは絶句した。たしかに人は自分の安全が第一だという。そういう本能を持った生き物なのかもしれない。だが目の前のこの男は、街で一番の人格者といわれた男なのである。常に他者のことを思いやり、そのために動けることを美徳としていた人間なのである。
「僕はたしかに人格者だったかもしれないよ。だがそれは平凡な日常の中においてのことさ。ここではそんなことを言っていられない。」
「お前は卑怯者だ。人格者なんかじゃない。人間というのはいかなる時でも正しさ、誇りを失ってはいけないんだ。むしろこういう時にこそ、その人間の真価が出るというものさ」
「いい加減にしろ。それ以上言うと君のことも密告するぞ。僕が黒だといえば兵士たちはそう判断する。それから今後僕が密告をしているということは誰にもばらさないことだ。ばらせばその時も君を密告する。いいね?」
「好きにしろ」
それだけ言ってシャークは踵を返した。もうこのかつての友と話を続ける気は失せてしまった。
それからミルラは兵士たちの信頼を得ていき、ついにシャークたちを監視する側の立場に立った。もう彼は前のように人格者として振る舞うことはなくなり、横柄にして独裁者らしい振る舞いを常とした。そしてシャークたちを労働者としてこき使い、自分に逆らう人間は密告して死刑とした。
それから2ヶ月ほど経って、街は自国の部隊によって解放されることとなった。それに伴い収容所内でもクーデターが起き、数で勝る住民たちは兵士たちに襲いかかった。兵士たちは全員殺されるか逃げるかを余儀なくされた。
シャークたちが武器を持って兵士たちが残っていないか探していると、扉の向こうで息がするのが聞こえた。そこに隠れていたのはミルラであった。
「こいつも今となっては奴らの手先だ。ネルをはじめ何人かはこいつの手で殺された。同じ目に合わせなければ気がすまない」
1人の男がそう言うと、
「そうだ」
と皆がこだまするように賛同した。誰しもが彼のことを憎んでいた。彼への憎しみはむしろ兵士たちに対してより強かった。人間にとって最も汚らしいのは、露骨な悪よりも偽善的な悪であるかもしれない。兵士たちは最初から自分たちを敵としてここへやってきたが、ミルラはそうではない。もともと仲間であった自分たちを裏切って敵に売り渡したのだ。その方がシャークたちにとってはやるせない気持ちになるのも無理はなかった。
「待て。もう戦いは終わるんだ。こいつのことも」
許してやっていいんじゃないか、とシャークは続けようとした。だが目の前の彼らの目はそんな言葉を到底聞いてくれそうにはなかった。
シャークは黙り込んだ。その瞬間だった。躊躇もせず一人の男がミルラへ向かって銃を撃ち込んだ。それに何人かが続いた。重苦しい空気が一瞬支配したが、やがて1人が
「解放万歳」
と叫ぶと全員がそれに続いた。平凡な日常が戻ってきた。