冒険譚のプロローグ
「んーーーっ! 最高っー! りふれーっしゅ」
と気の抜けた声が聞こえるのは都会から少し離れた町、文明レベルは元いた世界よりはるかに劣る。
気の抜けた声の主は僕ではない。
女性だ。
その田舎町はいわゆる温泉街。
そして僕は日本人、いや元日本人の中小itのプログラマーとかエンジニアとかそんな職業だった人間だ。
it企業のエンジニア、プログラマーの職業病といえば精神病と相場は決まっている。
そして例に漏れず、僕もその1人だ。
抑うつと診断されはしたものの正直言って本当に抑うつなのかは怪しいところだ。
なにせいきなり元気になって飲み歩いて散財しと思ったら、次の日には体が動かなくなったりしたのだから。
そんでもって、いきなり元気になり夕方ごろから飲み歩きに飲み歩き、散財した。
そんな、ある日元気な状態から徐々に体が動かなくなり始めて、全てを終わりにしようと思い始めた。
そして、いつどんなタイミングだったのかは言わないがキッチンにあった漂白剤やら何やらかんやらを飲んだりした。
そのままこの世界へ来ている。
まぁ、あれだけ飲んではいけないモノを飲んだのだ。
きっと向こうの僕の体はもう生命活動を終えているだろう。
後悔といえば、家族や友人になんの連絡もなく命を絶ったこと。
仕事に関して、職場に関しては全く後悔がない。
確か遺書は残してきたが、内容は職場の上司の不正やその証拠となる録音データや胸ポケットに忍ばせていたスマートホンで動画を撮影していたから、あの会社は今頃もみ消しているのか裁判やっているのか慌てふためいているのだろう。
そんなわけで僕の人生はかなり若く、苦しい人生で終わりを告げた。
今はこうして異世界の温泉街の湯船に浸かっている。
ちなみに家族旅行というわけではない。
視察のようだ。
いや、視察といっても小旅行程度のものだろう。
どうやら僕はそれなりの貴族の家庭の跡取りとして生まれたらしい。
んでもって、この温泉街は父親つまりは当主が国王陛下から新しく下賜された領地らしい。
なんでも隣国との紛争か何かで功績を挙げたことと、紛争での負傷者の治療のために紛争地帯近くに医師団を派遣し、国に貢献したことの褒賞らしい。
らしいというのは小耳にはさんだ程度の情報だからだ。
なにせ今の僕は子供、複雑な貴族社会のあれやこれやはあまり情報は入ってこない。
が何となく察することはできる。
功績を立てた父に褒賞を出すことに反発する貴族連中の意見もあってか、もともとの領地のすぐ隣にあり、跡継ぎも居ないという理由で褒賞として与えられた。
きっと、いわゆる男の嫉妬というやつなのだろう。
どこの世界にも醜い嫉妬というものは存在するようだ。
父に功績をこれ以上立てさせたくない連中は戦地から離れたこの場所を新たに領地として与えて隠居でもさせようと目論んでいる。
のかどうかは中央のこと、つまり王都のことなので知らないが。
父親も少しはやり手なようで、これ以上嫉妬を買うまい、面倒ごとに巻き込まれたりしないようにと大人しく領地を受け取り退散したらしい。
そして母親はというと役得とばかりに僕を抱き抱えて温泉に浸かっている。
そして僕はまだ子供も子供だ。
この世界の母の腕に抱かれて家族風呂に使っている。
「いい領地もらったわねー」
とまたしても気の抜けた声の主である母は父に話しかける。
そんな母の言葉に父は答える。
「観光や息抜きにはいい領地だ。戦争の褒賞としてはどうかと思うが」
どうせ一国の君主、国王陛下のことだ。褒賞として与えられる領地がどんな場所なのか、書類上でしか確認していないか、家臣に言われるがままに与えたかのどちらかだろう。
きっとそんな感じだろうが、そんな話をすると陛下や騎士団の耳にでも入ると不敬と言われるだろう。
そしてそんな僕は中身はまだ外出できるくらいの年齢になった子供、赤ちゃんを卒業したくらいだ。
中身は大人。そんな人間が家族風呂とはいえ、まだ若い母の素肌を見て良いものなのか疑問に思う。
まぁ、実の母なのだ。欲情などしない。
そんなことを考えながら僕はまだ片言のこの世界の言葉で母に伝える。
「暑い。お風呂。出る」
そう伝えると我が家のメイドが僕を温泉のお湯の中から抱き抱え、体を拭いてくれる。
見目麗しいメイドの女性だ。
ただし、それなりに黒歴史があると聞いている。
「なんだか冬でもないのに急にお湯が冷たくなって来たわね。私もそろそろ出ようかしら」
母もそう言いながら湯船を出た。
一度目の人生に終わりを告げた僕は心の中を整理した。
忙しい毎日、自分が何者なのかさえ分からなくなるほどの激務。
なんのために働くのかと聞かれたら、間違いなく金と言っただろう。
何せ金のことでも考えていなければやっていられない程なのだから。
別にエンジニアになりたかったわけじゃない。プログラムを書きたかったわけじゃない。 モノづくりがしたくないのかというとそういう訳でもない。
ただ満たしたいのだ。好奇心を。
知りたいのだ。仕組みを。
知った上で試したいのだ。技術を。
ただそれだけなんだ。
未知のものがあれば知りたい。それがなんなのか。
知ったのなら利用したい。技術として。
知れば知るほどに深く探究したくなる。
知ったのなら利用したくなる。
それがきっと俺なんだ。
だから、僕の知りたい知識はプログラムだけじゃない。全てを知りたいのだ。
知った上で利用したいのだ、技術として。
だからこそ興味がある。この世界に。
見たこともない物だらけのこの世界に。
魔力という未知なる力のあふれるこの世界に興味がわかないわけがない。
元技術者でもあり1人の探究者として。
そして全てを知り、全てを技術として使えるようになったのならそれは最早、私は神だろう。
そう、これは俺が神になるための物語のプロローグ。
だったらいいな。