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起き上がるという事は簡単そうに見えて、その実、困難な事だ。更に筋肉痛を感じてしまっているのなら、最早目覚める事は不可能。昨日のボートで腕と腰をやられた。普段から運動をしていないツケがやってきたな。
しかし、今は夏休み、しかも私の仕事は冬美ちゃんとの特別学習だけ。時計は午前6時を指し、まだ早朝と言える。つまり、まだ寝てていいし、わざわざ早起きする必要はないという事だ。
そうして、私がもう一度目を閉じようとした矢先、枕元に置いていた携帯に着信が入った。携帯を手に取り、画面を見ると、冬美ちゃんからの電話であった。こんな朝早く、どうしたんだろう?
「……もしもし?」
『あ、先生。なんか辛そうな声だね』
「昨日ので筋肉痛になっちゃって。アハハ……でも、冬美ちゃんの声を聞いて、ちょっと元気が出た」
『ほんと? 私、先生の役に立てた?』
「困っちゃうくらいにね。そうだ。冬美ちゃん、今日は何をしたい?」
『それなんだけど……今日、雨なんだ』
冬美ちゃんに言われ、筋肉痛の痛みを堪えながら起き上がって窓を見てみると、確かに雨が降っていた。それも結構強い雨。風も強いし、台風に近い。
「うわぁ……これじゃあ、今日は行けないかも」
『やっぱりそうだよね……だから』
寝ぼけていたのが覚めてくると、私は違和感を覚えた。雨の音が、鮮明に聴こえている事に。まるで、実際に外にいるような……右耳……携帯……まさか!?
「ね、ねぇ冬美ちゃん!? 今……どこにいるの……!?」
『3階の306』
「ッ!?」
私は携帯を握りしめたまま、玄関へと駆け込んだ。鍵とドアチェーンを外し、ドアを開けた。ドアの前には、冬美ちゃんが立っていた。髪も服も濡れ、寒さで身を震わせながらも携帯を耳に当てたまま、立ち尽くしていた。
「冬美……ちゃん……!」
「先生」
「ッ!? お馬鹿!!!」
「フフ」
冬美ちゃんの純粋な笑顔に、怒りと罪悪感を覚えた。私は冬美ちゃんの腕を掴み、家の中に入れた。靴を脱がして、すぐさま脱衣所へとつれていき、濡れた服を脱がして、冬美ちゃんをバスタオルで包んだ。冬美ちゃんが小柄なお陰で、大人の私が使うバスタオルで隙間なく包み込めている間に、お風呂のスイッチを入れて温め直す。
「すぐ温まるから、少しだけ待ってて」
「うん」
「……後で、お説教だから」
「うん」
「……待っている間、シャワーを浴びましょ。ついでに髪も洗ってあげるから。ほら、来て」
冬美ちゃんの体を包んでいるバスタオルを一度脱がし、バスチェアに座らせた。お湯のシャワーで冬美ちゃんの全身に流した後、シャンプーで髪を泡立たせる。
「目、大丈夫? 痛くない?」
「瞑ってるから」
「そう」
「……初めて」
「え?」
「こうやって誰かに髪を洗ってもらうの、初めて。髪を洗ってもらうのって、なんだか気持ちいいね。なんでだろう?」
「……大切に想っているからよ」
「大切に?」
「髪を洗うとか、耳かきとか、ご飯とか、そういうのを誰かがやってくれるのは、大切な相手の為なの。一種の愛情表現ね」
「先生は私の事が好き?」
「もちろん。だから今日の冬美ちゃんの行動、先生は怒ってるのよ~! うりゃうりゃ!」
「キャハハハ!」
少しだけ乱暴に髪を洗ってみると、冬美ちゃんは頭を左右に動かしながら、楽しそうに笑ってくれた。普段の落ち着いた感じや、時折不穏な雰囲気を見せるけれど、こういう風に笑う彼女を見て、冬美ちゃんも子供なんだと実感する。
十分にシャンプーで髪を洗い、シャワーで泡を流し終えると、お風呂が沸いた音が鳴り出した。
「グッドタイミング! ほら、お風呂湧いたから、入りなさい」
「先生も一緒に入ろうよ」
「……そうね。ついでだし、一緒に入りましょ!」
一度脱衣所に戻り、冬美ちゃんの服と共に自分の服を洗濯機に入れ、スイッチを押す。洗濯機が動くのを確認した後、浴室に戻ると、既に冬美ちゃんは湯船に浸かっていた。
「それじゃ、先生も入るね。少し狭いけど、我慢してね?」
私がそう言うと、冬美ちゃんは私の分のスペースを空けてくれてた。冬美ちゃんと向かい合う形で湯船に入る。膝と膝がくっついてしまうけれど、窮屈という程ではない。
「冬美ちゃん、狭くない?」
「全然。私、体が小さいから平気」
「そっか……ねぇ、冬美ちゃん。どうしてこんな悪天候の中を歩いてきたの?」
「お説教?」
「そうよ。今回の冬美ちゃんの行動は危険な事なのよ? 今日は風も強いし、向かっている途中で怪我をしたかもしれないのよ? 冬美ちゃんが怪我をしたら、悲しむ人がいるのよ?」
「先生は悲しんでくれる?」
「もちろん、当たり前よ。冬美ちゃんは他の人と比べて小さくて細いから、他の人が軽い怪我で済むものが、大きな怪我になってしまうかもしれない。そうなっちゃたら先生、悲しむわ」
「そうなんだ! 嬉しいな!」
「……え?」
笑ってる……心の底から嬉しそうに、冬美ちゃんは笑っている。そんな彼女に、一瞬背筋がゾワッとして、怖いと思ってしまった。
「私が怪我をしたら、先生は今日みたいにしてくれるんでしょ? だったら―――」
「駄目!!!」
冬美ちゃんの言葉を遮るように、私は冬美ちゃんを抱き寄せ、離れないように力強く抱きしめた。
何を言おうとしていたかは容易に想像がつく。そしてそれを言ったら最後、冬美ちゃんは何度もそれを実行してしまう。
何故、特別学習というものを実施したのかが分かった。この子は他の子と比べて、愛に飢えている。物心がつく前にお母さんは亡くなり、唯一血の繋がりがあるお父さんは赤の他人である私に任せた。学校生活を上手く過ごせるようにだとか言っているけれど、結局は私に押し付けたに違いない。
冬美ちゃんは欲している。友達を。恋人を。母親を。父親を。自分に寄り添ってくれる関係の全てを、冬美ちゃんは望んでいるんだ。
「……冬美ちゃん。大切な人を想う時は、悲しい時だけじゃないのよ? 嬉しい時も、楽しい時も、辛い時も、あなたの全てに寄り添うの」
「……そうなんだ……そうだったんだ……」
「……先生がなってあげる。先生が……私が、あなたの全てに。もう寂しい思いには、させないから」
私は決めた。冬美ちゃんの全てになると、私が冬美ちゃんを愛してあげると、自分自身に誓った。私にとって冬美ちゃんは、離せない存在なんだ。
冬美ちゃんの冷えた肌が、温かく感じるようになった。単に湯船で温まったお陰か、冬美さんと私が繋がったからか。
どっちでもいい。今は、この温かさに包まれ、この温かさを包もう。
「……先生」
「ん?」
「……ありがとう」