両想い
「目を開けた時から、私は真っ白で広い部屋にいた。私には、沢山のお父さん役の人がいた。みんな同じ声色と話し方、私に無関心な所も。友達役の子もいた。私とお話して、友達になれなかった子は、大人に腕を引っ張られて……そして、新しい子が友達になろうとしてくる。連れてかれる子の泣き叫ぶ声が嫌で、会うのを拒否してたら、もう新しい子が来なくなった……ある日、私の部屋が赤く光って、酷く怯えた様子の男の人が来た。男の人は私の口に布を当てて、それから私は眠っちゃって……起きたら、ここの施設にいた……一つ変わったのが、外の世界で生活する事になった事。ここには沢山の音や光、人がいた。みんな同じように見えたり聞こえたりするけど、みんな違ってた。役を持っていても、演じてなくて、生きていた。みんな、自由だった……私は、独りだった」
冬美はこれまで自身が体験してきた事、自身の人生を宮田に打ち明けた。変わり映えのしない毎日。外の世界に出ても変わらぬ疎外感。冬美の口から語られた退屈で不自由な人生は、彼女の孤独を表していた。
冬美の想いを聞いていた宮田は、身を寄せる事も、手を差し伸べる事もせず、冬美が語る全てを正面から受け止めていた。
「ここに来て、すぐだった。今度は先生役が出来て、その役は私が決める事になった。沢山の人の写真を見せられてね……その時に、京子さんを知ったの。写真を見た時、今まで感じなかった何かを感じたの。会った事も話した事も無いのに、会いたくなった。話したくなった。学校の体育館で実際に姿を見た時、私は……解放された気がした。閉じていた蓋が溶けて、中に押し込んでいた感情が溢れ出してきたの!」
宮田の姿を初めて目にした時を思い出した冬美は、力が開花される以前の、宮田と過ごしていた時に見せていた純粋な笑顔を浮かべた。子供らしい無邪気で可愛らしい笑顔だった。
「それから、京子さんとお話して、一緒に歩いたり、ボートにも乗ったり、笑ったりして! そしたら、京子さんから私の全てになるって言ってくれた! 嬉しかった……初めて私は独りじゃなくなった……初めて、人の温かさを知った……でも、アイツが奪った! アイツが私から京子さんを!」
冬美は未だ倒れたままのレインズを指差し、怒りを露わにした。
「アイツは京子さんを独り占めした! 私にだけ向けていたはずの想いまでも……だから耐えられなかった。アイツが京子さんの近くにいる事が! だから痛い目に遭わせた!! だから奪い返してやった!!! でも、でも……アイツは、また奪っていった……! 大人だから何よ! 私が子供だから何よ! そんなの関係ないよ! なんで京子さんなの!? 他の人を奪っていってよ! 私には京子さんだけなのに! 京子さんも京子さんだよ! 私の全てになるって言ったのに、嘘にしちゃってさ! 嫌だよ、傷付くよ……寂しいよ……!」
レインズと宮田に自身の想いをぶつけ、冬美の怒りがピークに達した瞬間、胸の内で破裂した悲しみが全身に染み渡り、涙となって目から流れ出した。言葉を口にしようとするが、涙で上手く声が出せず、とめどない涙が流れていくばかりであった。
すると、ここまで何もせずに受け止めていた宮田が、指で冬美の涙を拭い、頬に手を当てた。冬美の頬に当てられた宮田の手の平には心地よい温かさがあり、冬美の悲しみが乾いていく。
「ねぇ、冬美ちゃん。冬美ちゃんは私の事、どんな人だと?」
「ぇ、ぁ、ぅぅ」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「……優しくて、温かくて……少し変な人」
「フフ! 変な人か! 確かにそうかもね!」
「……あと、嘘つき」
「……ごめん。レインズに恋をしていたのは、認める。でも、私は冬美ちゃんも好きなの」
「……そんなのやだ」
「だよね……私は今まで、愛された事はあっても、愛した事はなかったの。愛は向けられるものだと思っていて、愛し方が分からなかった……でも、神様のイタズラか、二人も愛したい人と出会った。一人は可愛らしい子供で、もう一人は大きな子供。どっちかを捨てろと言われたら、どっちも選べない。だから、どっちへの想いを持ったまま、私は冬美ちゃんを選ぶ」
宮田の選んだ答えは、真っ直ぐで優しい眼差しをした人物とは思えぬ程に、クズであった。結局は捨てる決断が出来ず、怖がりながら逃げるようなもの。
だが、それが宮田の本心であった。どちらも捨てられない。どちらも平等に愛している。冬美を選んだ理由は、単にレインズなら独りでも生きていける強さを持っていると思ったからだ。自己中心的な考えではあるが、その臆病で醜い所が人間らしさだ。
「これが私の本音。私はどっちへの想いを持ったまま、冬美ちゃんを選ぶ。それが嫌なら、私の事を嫌いになって。私の事を捨てて」
「……酷いよ」
「そうだね。自分で言っておいて、酷い人間だと思ってる」
「……嫌いになんか、ならないよ。捨てたくない。京子さんがいなくちゃ、私はまた独りになる……だから、私を独りにしないで……!」
「うん。約束する」
「私と一緒に笑って……私と一緒に泣いて……私と一緒に生きて」
「うん。死ぬ時も一緒よ」
「……フフ、死んだ後も、だよ?」
「じゃあその時は、頑張って先生を天国まで導いてね!」
「う~ん、出来るだけ頑張る」
「そこは自信持ってよー!」
冗談を交えながら、改めてお互いの顔を見つめ合うと、二人は笑った。これまで起きた出来事を忘れ去るかのように。
するとそこへ、いつの間にか目を覚ましていたレインズが、笑い声を上げながら二人の空間に割り込んでくる。
「アッハハハ! 楽しそうだな、お前ら!」
「レインズ!?」
「ッ!? お前!」
「おいおいおい! せっかく丸く収まりそうだったのに、なんでそうなる!?」
苦悶の表情を浮かべながらレインズは立ち上がると、ポケットに入れていたタバコを取り出し、口に咥えて火を点けた。
「で? これからどうすんだ、お前ら」
「……レインズ、あなたには悪いけれど、私は冬美ちゃんを―――」
「それは聞いたよ。アタシが言ってるのは、この後の事さ」
「この後って?」
「実はな、アタシには仲間がいて、そいつらがもうすぐそこまで来てる。早くこっから立ち去らないと、死ぬぞ?」
こうしている今も、遠くの方から微かに聴こえる車の音をレインズは耳にしていた。
「死ぬって……!?」
「まぁまぁ、そう青ざめるな宮田。とりあえずどうにかしてお前の家に行け。タンスの二番目の引き出しに逃走用に必要な物が入ってある。万が一と考えて用意してた物だ。それ使って、冬美と逃げるんだ」
「……どうして。アナタは、京子さんの事を―――キャンッ!?」
冬美が言いかけた言葉を言わせない為に、レインズは冬美のおでこにデコピンした。おでこを抑えながら自分を睨む冬美を見て、レインズは笑みを溢すと、冬美の頭に優しく手を置いた。
「あれこれ考えてばっかりじゃ、楽しい事なんかねぇぞ? 好きな人が傍にいる今を大事にしろ。そうすりゃ、大抵の事は楽しいもんさ」
「レインズ……」
「ハッ、なんて顔してんだ宮田。この件が終われば、アタシは日本から離れる予定だったんだ。お前がアタシじゃなくて、冬美を選んでホッとしたよ。ヤリ捨てみたいになっちまうからな」
「なっ!? 何よその言い方!?」
「だから振り向かずに行け。大人なら、一度吐いた言葉を戻すなよ」
「……うん」
宮田は冬美の手を握り、その場から走り去っていった。そんな二人の姿をレインズは見えなくなるまで見送ると、背中から地面に倒れ込んだ。さすがのレインズも、体の限界がきていた。
タバコを吸いながら倒れたままでいると、車がレインズの近くで止まり、運転席から降りてきた黒いコートを着た男がレインズへと近付いてくる。
「こんな所で昼寝か、レインズ」
「フッ。今は朝だぞローグ。ついにジジイになっちまったか?」
「ターゲットはどうした?」
「……殺したよ」
「嘘をつくな。まだお前が子供だった頃からの付き合いだ、俺には通用しないぞ」
「ハァ、融通が利かないジジイだな。救済者を利用しようとする悪は潰した。救済者自身が力を悪用する事も無い」
「何故悪用しないと断言出来る?」
「長い付き合いなら分かってるだろ? 直感だよ」




