犠牲
夢の中から引き寄せる程の香ばしいコーヒーの匂いで、レインズは目を覚ました。自分が寝ているソファの前にある机の上には、自分の分と思わしきコーヒーが湯気を立てて置かれている。体を起こし、カップに手を伸ばした時、ソファとテーブルの間にシズネが座っているのに気付いた。
「おー、ようやく起きた。10時間も眠ってましたよー。全身怪我だらけなのに、よく眠れるね。あ、そのコーヒー飲んでいいよ」
まるで気の知れた友達の相手をするように、シズネは膝に乗せているパソコンを操作しながらレインズに言った。レインズはシズネの距離感の近さに違和感を覚えつつも、深くは考えずコーヒーを手に取り、ソファの上で胡坐をかきながらコーヒーを飲んだ。コーヒーの味は苦味の奥深くに甘さが隠れている飲みやすいコーヒーであったが、口の中の傷が刺激され、本来感じるはずの味よりも痛みの方がハッキリとしていた。
「……沁みるな」
「そう? 私のコーヒーを飲んだのアキラさんだけだったから自身が無かったけど、安心した」
「宮田と冬美に変化は?」
「無いね。まるでお花畑にいるみたいよ。真面目に観察している私が馬鹿みたい」
「そうか……それにしても、よく平然としてられるな。アタシはお前を殺そうとしたんだぞ?」
「あなたって面白いもの。ここまで大勢殺してきたのに、私がいる前で呑気に寝ちゃってさ。その自由奔放さが気に入ったのよ。野良犬を拾う人の気持ちが分かったかも」
「そうか。拾ってもらったついでに、何か食い物ないか? 三日も食ってないんだ」
「レンジでチンする食べ物が冷蔵庫に入ってるから、食べていいよ」
レインズはコーヒーを飲み干すと、首の骨を鳴らしながら冷蔵庫の前に行く。冷蔵庫を開けると、中には包装された弁当が積まれてあり、適当に一つ取って、隣にあるレンジで温めた。温めた弁当の包装を開き、ペースト状の何かをスプーンで食べる。味は無いが、空腹が満たされていく。
レインズは弁当を食べながらシズネのデスクの上に座り、向こう側の宮田達の様子を眺めた。宮田は依然として目覚めず、冬美の腕の中で眠り続けている。
「なぁ、冬美って一体何なんだ?」
「それは何者かって意味で? だとしたら、そうね……人間をベースにした神様ってとこね。人の外見、精神、存在自体を変える力を持つように作られてる。人の思考を理解する為に、学校生活を送る予定だったはずだったのだけど、見て分かる通り、あの先生にゾッコンになっちゃった」
「主導権を宮田に奪われた訳か」
「誰にも心を開かなかったのよ? まぁ、私達の下心が筒抜けだったんでしょうね。それに比べ、あの先生は良い人だったみたいね。あんなにベッタリするなんて」
二人が宮田達の様子を眺めていると、冬美の目がゆっくりと閉じていった。ただ目を閉じただけであるが、それは明らかな変化であった。今まで写真のように変わらぬ様子だった冬美が、突然眠りに落ちたのだ。
シズネがその変化に気付いた時には、既にレインズが動いていた。レインズは持っていた弁当を投げ捨て、拳銃を手に扉の前へと飛んでいく。
「ちょ、ちょっと!? 拳銃なんか持ってどうするの!?」
「冬美を殺せば万事解決するだろ!」
「そりゃそうかもだけど、せめて後学の為のデータを―――って、行っちゃったよ……」
レインズは向こう側の部屋に入ると、手慣れた手付きで拳銃に弾が込められているかを確認しながら、冬美のもとへ近付いていく。拳銃の弾は8発。至近距離からの発砲であれば、確実に殺せる数だ。レインズは迷うことなく銃口を冬美のこめかみに当て、引き金に指をかけた。
引き金を引く瞬間、ある異変に気付く。その異変とは、冬美の頬から全身にかけて、菌糸のような細い線が光っていた。
その線を目で追っていくと、冬美の手を握っている宮田の手に繋がっていた。宮田の顔を見ると、冬美と同様、菌糸のような細い線が光っている。
(なんだ、これ……まずい、撃つな! 撃てば、宮田も死ぬ……!)
レインズはこの線が何を意味するかは理解していなかったが、直感が自身に警告を告げた。レインズの経験上、直感が自分自身に警告を告げる時、それは選択を迫る時であった。
(どうする……冬美が眠っている今、殺すなら今がチャンスだ。だがこの引き金を引いて、宮田と繋がっているこの線が、二人の感覚をリンクしているとしたら……死ぬのは、二人共だ)
選択を迷っていると、二人の頬に走る線は徐々に広がり始めていた。確固たる意志で拳銃を握った手は震え、心臓の脈打つ音が体の内から鳴り響く。
そうして、レインズは選択した。レインズは冬美のこめかみから銃口を離し、拳銃で冬美の後頭部を叩いた。叩かれた冬美は叫び声を上げながら目を覚まし、背中の翼でレインズを吹っ飛ばした。
床を転がっていき、まるで上空から水の上に落ちた時のような痛みを感じながら顔を上げると、恐ろしい表情を浮かべた冬美が目を見開いてレインズを見下ろしていた。
「ハ、ハハ……寝起きにしては、随分インパクトのある一発だったな……」
「またアナタなの? もう諦めて。京子さんはアナタじゃなく、私を選んだんだよ?」
「選ばせた、だろ? 大体お前は宮田の生徒なんだからな? 生徒と先生が恋愛しちゃ駄目なのは、どこの国でも―――」
「うるさい!!!」
冬美は自身の翼を振り上げ、ゴルフのようにレインズを吹き飛ばす。宙を飛んでいったレインズは壁に激突して床に落ちると、脇腹を刺されているような感覚を覚えた。今の一撃で、レインズの肋骨が砕け、中の臓器に骨が突き刺さってしまっていた。内から這い上がってくる血が口から溢れ、息をするだけでも激痛が走る。
だが、レインズは表情を歪めず、激痛を伴いながら笑い声を上げた。圧倒的に力で勝っている冬美であったが、血を噴き出しながら笑うレインズに、恐ろしさを覚えてしまう。冬美が自分に対して恐怖の感情を抱いたのを見抜くと、レインズはゆっくりと冬美へと近付いていく。
「どうした? ん?」
「ヒッ!?」
レインズが一歩近づく度に、冬美は後退していく。その先には倒れている宮田がいた。しかし、目の前のレインズから目を離せない冬美は宮田の姿は眼中に無く、捉えていたのはレインズだけであった。
「ガキのお前に教えてやるよ。人をぶっ飛ばす時はな、ぶっ飛ばされる覚悟を持たなきゃならないんだ。今からその身に叩き込んでやるよ!!!」
「嫌だ!!! 来ないでぇ!!!」
レインズが駆け出した瞬間、冬美は恐ろしさから身を屈んでしまう。
(今だ!!!)
レインズは冬美が視界を閉ざしている一瞬の隙に、宮田を抱きかかえ、出口へと走り出した。いつまでも痛みが来ない事に違和感を覚えた冬美が顔を上げて見たのは、レインズが宮田を抱いて部屋から出る瞬間であった。
「ぁ……ぁぁ、アアァァァァァ!!!」
自分がレインズに対して怯えてしまった事、宮田を奪われてしまった事、それらが怒りとなって冬美に力を宿した。みるみる内に骨格が変わり、もはや人間とは思えない巨大な異形と化した。
異形に変わり果てた冬美の姿に目を輝かせるシズネを置いて、宮田を抱えたレインズはこの施設からの脱出を目指す。




