選択
真っ白で広い空間、オレンジ色の液体に満ちたカプセルが並ぶ部屋。カプセルの中で目を動かす異質な赤子の欠片を千田は愛おしく眺めていた。
「犯罪、不正、不況、死。目につかない所にいても目にしてしまう。同情せずとも同情せずにはいられない。それが、大人という生き物だ。子供はどうだ? 子供は自己中心的だ。全てが自分を中心に回っていると本気で信じている。だから将来に希望を見る。だから夢を持つ。子供には、世界の醜さなど見えてはいないのだよ。私はそんな子供が、子供の目が愛おしい……分かるかね、アキラ君」
部屋の入り口の前に立つアキラに、千田は気味の悪い笑みを浮かべながら問いかけた。アキラは右手で眼鏡の位置を直すと、この研究所に収容している冬美の経過報告を語り始める。
「現在、実験対象は極めて落ち着いています。ですが、未だ部屋に入れた者はいません。一緒に転移してきた宮田京子以外は」
「そうか……まぁ、ひとまずは順調と言うべきか。君が出向いても駄目そうかね? 役とはいえ、君はあの子の父親だ。それに、あの子がこの研究所に転移したのも、君が緊急時にと教え込んだ甲斐があったからだろ?」
「今のあの子には、宮田京子以外の人間を受け入れない。僕が出向いても、殺されるだけでしょう」
「頼みの綱は宮田先生か……彼女の容態は?」
「依然として眠ったままですね。恐らく、あの子が眠らせているのでしょう。唯一繋がりを持った人間ですからね」
「そうか。それじゃあ、先生が目を覚ましたら報告してくれ。気長に待つとしようじゃないか」
「はい。それでは、失礼します」
アキラは千田に頭を下げ、部屋から出ていった。様々な実験室がある通路を歩いていき、エレベーターを使用して最下層へと下りていく。
最下層の歩く度に道の先の照明が点く通路を進んでいき、その奥にある扉をカードキーを使用して開き、中へ入る。
その部屋は正面の壁が特殊なガラスで作られており、向こう側からこちら側が見えない作りになっていた。アキラはガラス壁の前に立ち、向こう側の部屋の様子を観察する。
向こう側の部屋には何も無い真っ白な部屋となっており、その中心に純白の翼を生やした冬美が、眠り続ける宮田を抱いて目を閉じていた。
三日前、どこからともなく、まるで最初からそこにいたかのように冬美はこの部屋の中にいた。天使のような姿に変異した冬美を調べようと何人かの研究員が部屋の中に足を踏み入れたが、誰も二歩目を踏む事は出来なかった。
「アキラさん、お疲れ様です」
部屋の様子を観察していたアキラのもとへ、一人の女性が二人分のコーヒーを手に近付いてきた。彼女の名前はシズネ。千田が所有する研究室の研究員であり、アキラの部下でもある。
アキラはシズネからコーヒーを受け取り、一口飲んだ。そのコーヒーの味は、苦さの中に甘さがある味だった。
味覚の無いアキラにとって、シズネが淹れたコーヒーだけは味があるように思えた。ここへ来たのも、冬美の観察を建前として、シズネのコーヒーを飲む為である。
「あの二人の様子は?」
「変わりありませんね。ずっとあのままです。食事や娯楽を与えようとしても、すぐ破壊されるか、形そのものが変えられちゃって」
そう言ってシズネがポケットから出した物は、毛布のような感触があるルービックキューブのような見た目をした物であった。
「それ、元はぬいぐるみだったんですよ? サイズもちょっと大きめだったのに、手の平サイズにまでされちゃって。結構可愛いぬいぐるみだったのに……」
「どうやって形を変異させていた?」
「手の平で触れただけです。その際、瞳の色が黄金に変わっていました」
「黄金の瞳か。千田局長の好みに当てはまってるな」
「設計者の一人ですもの。特殊な瞳になるように、あの子を作ったのでしょう。異常性癖者ですよ、千田局長って」
「何か変化があれば、すぐに連絡をくれ。僕は彼女に会いに行ってくる」
「……アキラさんって、金髪の女性がタイプなんですか?」
「人形に心なんて無いよ」
「私にはありますよ」
「そうか。なら大切にしろ」
アキラは残っていたコーヒーを飲み干し、カップをシズネに渡して出ていった。
「……ポンコツ」
一人残されたシズネは、アキラが口を付けた部分に口を付けながら、アキラへの想いを呟いた。
最下層を後にしたアキラは、研究員達が肥溜めと呼ぶ空間へと来ていた。ここには、実験で廃棄処分となった物が捨てられ、かつて人だった塊も捨てられている。腐敗臭が漂うこの空間は、常人であれば僅か1分程度の時間で正気を失い、やがて死に至る恐れがあり、立ち入る際は厳重な装備で入る必要がある。
アキラは平然とした様子で肥溜めへと入っていき、椅子に縛り付けているレインズの前に立った。
「おはようございます」
「……」
アキラが声を掛けても、レインズは俯いたままであった。アキラはレインズの顎を掴み、無理矢理顔を上げてみると、レインズは表情は死人のようになっていた。少しだけ開いているレインズの口の中に指を入れてみると、微かだが、呼吸はしているようだった。
「限界が近いようですね。まぁ、無理もない。むしろよく生きているほうだ。三日もここで飲まず食わず、この異臭に包まれているのだから」
アキラが憐れむような表情でレインズを見下ろしていると、口の中に入れていた指を噛まれてしまう。非常に弱い力で噛まれた為、歯形が残る事はなかったが、意識は残っているようだ。
すると、アキラはレインズの後ろ側に行き、レインズの手を拘束していた手錠を外した。外した手錠を投げ捨てると、アキラは再びレインズの前に立つ。
「僕の仲間を殺したのは、君だね?」
「……」
「君に仲間は?」
「……」
「宮田京子は、この施設の最下層にいる」
「っ!?」
「手錠は外した。君は自由の身となり、選択をする事が出来る。ここから逃げ出すも良し。宮田京子を取り戻しに行っても良い。ただし、この肥溜めから一歩外に出た瞬間、僕らは君を殺しに行く……待っているよ」
そう言い残し、アキラは肥溜めから出ていった。




