32 雲翳
旅程は順調に進み、後数日で王都に着くことが出来そうだ。前日にはミールにも、手紙で到着予定日を知らせたところであった。
辺りに生えている木の種類が変わりだし植生が変わり始めているようなのだが、その日は今朝から空を雲が覆っており、森の中がが薄暗く沈んでしまっていてこれまでと似たような景色となってしまっている。雨は降っていないため歩きやすいが、すっきりしない天気にこれ以上天候が悪化しないことを思わず祈ってしまう。
そんな中、街道を歩くタスクとイオの間を普段と変わらず風が通り抜ける。
すると風に紛れるように、不意に背筋が寒くなるような闇の魔物の気配が駆け抜けた。それも、感覚からして既に見えていてもおかしくないほど近い距離からだ。
「魔物⁈」
2人ははっとすると同時に身構えた。これほど近づいていたにもかかわらず、魔物の気配に気がつけなかった事に驚きを隠せない。
剣に手を掛けながら前後に伸びる道と薄暗い森を見回すと、森の中からはっきりとした気配が伝わってきた。それも気配は道の左右から感じられ、魔物はどうやら2体いるようだ。
気配のあった森へ目を凝らしていると、何処からか金属がぶつかるような音が聞こえてきた。音のした方へ目を向けると、木陰の中で黒い塊がまるで下から積み上がるようにして形を成してゆく。
「あれって…」
タスクは僅かな間に姿を現した魔物の黒い姿に言葉を失った。
その魔物は2本の足で歩き、金属の擦れる音を立てながら向かってくる。道を挟んだ反対側の森からも、同じような金属がぶつかる音が聞こえてきた。直ぐに確認をすると、反対側の森の中にも同じように黒い塊が下から積み上がるようにして魔物が姿を現していた。
魔物が一歩近づく毎にはっきりとしてきたその姿は、薄暗がりの少ない光を反射する頭から足まで全身を金属で覆われた甲冑のようだった。初めて見る人の形をしたその姿に、2人は思わず後退りする。
「あれって、魔物だよな?人なのか?」
「わからない。けど、魔物なのは確か…」
イオが首を振って答えているところへ、2体の魔物が次々に飛び上がり数メートルはあった距離を一気に飛び越えると手にしていた剣を振り下ろしてきた。2人が急いで駆け出しその場から離れると、地面を剣が叩く鈍い音が辺りに響く。
木陰から出てきたその姿は、頭の上からつま先まで黒ずんだ甲冑に覆われており、細長く隙間が開いた目元や関節の合間からは甲冑とは違う黒が覗くがその正体まではわからない。そして、剣で叩きつけた地面がへこむ程の勢いで剣を振ったのにも関わらず、まるで何事も無かったかのように感情のこもらない動きで体を起こすとそのまま剣を構え直した。
はっとしたタスクが直ぐに動くと、その横を鋭く剣を突き出した魔物が素早く通り抜ける。
「今のは…!」
魔物が見せた動きは、驚くほどの跳躍と強烈な一撃。さらには目にも留まらぬほどの素早い突進と、それは明らかに人間のものではなかった。間一髪で攻撃を躱したタスクは、直ぐさま剣を抜くと魔物に向かって駆け出した。
もう一体の魔物もイオに向かって同じように攻撃を仕掛けていたが、イオも上手く躱したようだ。そのもう一体の魔物は、そのままイオに注意を向けている。
タスクが近づくとそれに気がついた先ほどの魔物が振り向き、掲げた剣を勢いよく振り下ろしてきた。それを予期していたタスクは横へ避けて剣を躱すと、魔物の首元目がけて剣を横へ振った。しかし、魔物も反す刀でタスクの剣を振り払うと、再び剣を振り下ろしてきた。タスクも、そのまま剣で攻撃を受けようかと考えたが、直ぐに思い直し急いでその場から後退して距離を取る。僅かに掛かりそうになる魔物の剣を咄嗟に剣で払い、なんとか軌道を逸すことができた。
さらに後退し距離をとりながら、タスクは衝撃で痺れる手に力を入れ剣を握り直した。
「あんなの受けたら、完全に押し負ける!」
魔物が振り下ろした剣の先を見ると、衝撃で地面が僅かにへこんでいる。
タスクは直ぐに体勢を整えると、剣を振り下ろした魔物が上体を起こす前に駆け出した。数歩の間に加速すると、踏切りに力を込め風と共に上空へ舞い上がる。魔物の真上へ飛び上がると、それに気がついた魔物が遅れて上を向くところへ剣を振り下ろした。
金属がぶつかり合う大きな音が響き、それとほぼ同時に地面に突風がぶつかる鈍い音がし地面の砂が巻き上げられ砂埃が舞った。
タスクは腕に力を込めながら、目の前の魔物の様子に思わず眉間に皺を寄せる。魔物はタスクの剣が掛かる直前で自らの剣を持ち上げ、まるで木の葉を躱すかのように軽々と攻撃を受け止めていた。不意打ちであっても、風の力を使った勢いのある重い一撃も魔物には全く意味をなさないようだ。
タスクはすぐに後方へ飛び降りたが、魔物がそこへ素早く近づき横から剣を振り抜いた。
地面に足が付いた直後に魔物の剣が迫ったタスクは、咄嗟に剣で受け止めようとしたが堪えきれず、まるで打ち出されるように弾き飛ばされてしまった。地面に背後から倒れ勢いよく転がったタスクは、なんとか体勢を変えて地面に足をつくと衝撃を堪えた。体が痛む中、強く剣を握る。普通の剣であれば、攻撃を受けた時点で粉々になっていたかもしれない。
すると、剣を手放さないように握り直したタスクへ向かって魔物が走り出し、勢いよく地面を蹴る姿が目に入った。タスクは素早く身を翻しその場から離れ、重い音をたて振り下ろされた魔物の剣を躱すと直ぐに魔物へと向き直った。タスクが肩で息をする中、その周囲を緩やかに風が囲む。
「…集中…」
タスクは小さく呟くと、こちらを向いた魔物へ向かって駆け出した。
距離を詰めたタスクは、魔物が剣を振り上げた懐へ飛び込んだ。その瞬間、タスクの目には魔物が次にどのように動くのか、まるで決められた道筋が出来上がっているかのように見てとることができた。
その道筋をすり抜けたタスクは素早く剣を振り上げ、一瞬にして魔物の後方へ切り抜ける。タスクが魔物へ向き直る中、少し離れたとこで金属の塊が地面に落ちる音が響く。肩から先の片腕が無くなりバランスを崩した魔物は、よろけた体を立て直そうと足を踏みかえる。タスクは、魔物が立て直すよりも先に素早く駆け出した。
タスクは腕が無くなり遮る物がなくなった魔物の側面へ移動すると、胸元の闇の気配が1番強い所へ向けて剣を振った。風と共に鋭く振られた剣は、甲冑を砕き胸元に大きな穴を空けた。勢いよく切り抜けたタスクが後方を振り返ると、体が傾いた魔物はそのまま動く事なく固っまたように倒れていく。あっという間に倒れていった魔物は、金属がいくつも落ちるような大きな音をたてて地面に転がった。
乱れた呼吸を整えながら動きがないか様子を見ていると、斬られた所から甲冑が徐々に透き通り始めた。それと同時に、タスクの背筋には言いようのない寒気が広がった。斬られた胴体と離れた所に転がる腕からは、切り口から血が流れることも中にいるかもしれない体が覗くことも無く、ただただ真っ暗な空間が広がっていた。そして、血が流れる代わりのように黒い靄のようなものが僅かに立ち昇っては宙に消えていく。
何がどうなっているのか気になるが、それよりも先にとイオの様子を確認すると、離れた所で剣を握るイオと倒れている魔物の姿が見えた。イオの様子からして、魔物とは決着がついた後のようだ。
タスクはほっと息をつくと、崩れるようにその場にしゃがみこんでしまった。ふと自分の手に目を移し、どこかぎこちなく広げられた手のひらを見ていると思わず深い息が溢れる。
改めて手のひらを握るタスクの側を、穏やかな風が吹き抜けていった。
今回と次の話で、1章はひとまず締めになります。
次回もよろしくお願いします。




