所詮わたしは四天王の中でも最弱
ある、爽やかな風が吹く快晴の日のこと。
「メイベルさまー」
パタパタと小動物が飛んでいる。コウモリのようでコウモリでないそれは、ネズミから羽が生えた、なんとも紛らわしい魔物。名をセバスチャンと言う。
セバスチャンは、主を探して魔王城をあちこち飛び回っていた。居室区画を行ったり来たり、回廊をぐるぐるしたりしてから、中庭に出たところでようやく主を見付けた。
彼の主、メイベルは、白いつば広の帽子を被り、中庭の隅でしゃがみ込んでいた。何やら鼻歌まじりに袖カバーをした腕を動かしている。
「虫さん、虫さん、お逃げなさい。でないと滅却、虐殺、皆殺し~」
「メイベルさま、探しましたよ」
「あらセバスチャン」
振り返ったメイベルは、栗色の髪をピンと尖った耳に掛けた。
「何をしてらっしゃるんで?」
「え。草むしり」
メイベルがあっけらかんと答えるので、セバスチャンは、ひえぇ、と大袈裟に騒いだ。
「魔王軍四天王のお一人であるメイベルさまが、お手ずからそんな雑務をなさらなくとも! もっと下の者に任せておけばよろしいのでは?」
「そうやってみんながみんな他人任せにするからお庭が雑草だらけになるの。それにわたしがしたいからしてるだけよ。折角のお天気だし、新しいお帽子も作ってもらったし……どお? 似合わない?」
メイベルの頭には大きな角が生えているから、帽子は特注したものしか被れない。それはもうお似合いで、とセバスチャンはヘコヘコ飛んだ。
「そういう訳で忙しいから邪魔しないでね」
「あ、はい。お疲れ様でございます……じゃなくてですね! 緊急ですよ! なんと魔王さまからのお呼び立てです!」
メイベルは、えぇ、とあからさまに嫌な顔をした。立ち上がって腰を反らすと背骨がパキパキ鳴った。
「どうせ、おトイレにヒーター付きのウォシュレットを設置したいとか、エスプレッソマシーンが欲しいとか、いつものわがままでしょ? 放っておこうよ」
「そんな生活水準を高めたいくらいで四天王を呼んだりしませんよ!」
「そうだぞメイベル」
そこへ、ザッ、といきなり現れたのは黒衣の騎士だ。騎士の背中にはカラスのような翼が生えている。
「あら、闇の翼ギルゴじゃない。どうしたの闇の翼ギルゴ? あなたも魔王さまに呼ばれたの闇の翼ギルゴ?」
「ああ、俺もお呼び立てを受けてな……あと二つ名を連呼するな。恥ずかしい」
ギルゴは赤面した。
「わざわざ四天王に招集をかけたのだ。そんなタワマン暮らしに憧れる小市民のようなお気持ちではあるまい」
「それはそうかもね。じゃあわたしは遅れるとお伝えしてくれる? 草むしりで忙しいの」
「草むしりだと? ドラゴンの血を引く者が、なんと手ぬるい事を……そんなものは、こうすればよいのだ」
ギルゴは手を翳す。すると掌から放たれた炎が雑草を焼き払った。
「あー!」
「どうだ。一本一本手に掛けなくとも、こうして全て焼き尽くしてしまえば――」
「何してるのよ、このバカの翼ギルゴ! これじゃ根っこが残るじゃない!」
メイベルはギルゴに詰め寄った。
「ちゃんと一本ずつ引っこ抜かないと根が残ってまた生えてくるのよ! そういう手抜きをするからいつまでも人類を根絶やしにできないのよ、このアホの翼ギルゴ!」
メイベルの言い分は胸に突き刺さるものがあって、う、とギルゴは呻く。
もういい、とメイベルは頬を膨らませた。
「さっさと魔王さまのところへ行きましょ」
玉座の間。手狭な魔王城を圧迫する巨大な部屋である。奥行きはともかく無駄に横の空間も取ってある。出入り口から続く赤いカーペットの左右には燭台が並ぶ。一日に消費する蝋燭は六十本。土地だけでなく経費も圧迫していた。
カーペットの先の玉座に鎮座するのは、少年だ。白いシャツに短パンをサスペンダーで吊っている。膝下まである靴下を穿いた脚を組み、頬杖を突いている。彼こそが魔王だ。
「やっと来たか、闇の翼ギルゴ、メイベル。他の者はどうした」
「剛腕のドーダンは頭痛により病欠、冷たき瞳ジャジルは結婚記念日につき有給中でございます」
「ホワイト体制が仇となったか……まあよいわ。今回は二人であたってもらおう」
「何にですか? ウォシュレットの設置は業者を呼んだ方が……」
「違う」
魔王は目をギラリと輝かせる。
「今日、勇者が来る」
「な、なんと! それは確かな情報ですか?」
ギルゴが驚くと、魔王は大きく頷き、胸ポケットから紙を取り出した。
「昨晩お手紙を受け取ったのだ。読もう。“前略、魔王へ。そろそろお城も近くなってきたしパーティのレベルもいい具合なのでお伺いしたいと思います。明日空いてますか? 明日行きます。草々”」
「勇者め、なんと無礼な! ビジネスメールなら社内問題だぞ!」
「せめて三日くらい前にはアポ取ってほしかったですねぇ」
ううむ、と魔王は唸る。
「仕方が無いのでお前たちに出迎えさせる。まずは門前でメイベル、お前からだ」
「えー。何でわたしからなんです?」
「お前が四天王最弱だからに決まってるだろうが」
決まってると言われても、メイベルは納得できない。いきなり強い者に戦わせて一回で勝負を付けた方が楽じゃないか、と思う。しかしそこは段取りを踏むのが魔王軍の常識。メイベルは渋々従う事にした。
メイベルは魔王城の門前に佇んで、雲が流れていくのをじっと眺めていた。暇だ。今日と一口に言っても何時にやって来るのか知らない。夕方かも知れないし、夜かも知れない。その場合、ずっとここで待ちぼうけを食らうことになる。それは嫌だ。
と、思っていると。
「貴様が門番か!」
と声を掛けてくる者があった。見ると、鎧にマント姿の男。その後ろに白いローブを着た女。あとどう見ても荷物持ちにしか見えない大きな鞄を背負ったおじさん。
あ、勇者パーティだ。
「それとも雑用係か!」
メイベルは袖カバーに軍手まで付けているのをすっかり忘れていた。慌てて脱いで背筋を伸ばす。
「いや。わたしは、こう見えても四天王の一人――」
「む。四天王メイベルか!」
初めて会ったのによく分かったものだ。そうメイベルは驚いて帽子を脱いだ。
「前任の勇者が残したガイドブックに載っていたぞ」
「それ絶対、ゲームと同時に発売になったけど肝心なところが載ってなかったり誤情報が記載されてたりなファ○通の公式ガイドブックと同じでは?」
「最近あまり見ないな」
「売れないのだろうなぁ」
自然と会話が世間話にシフトしていきそうだったので、勇者は慌てて剣を抜いた。
「さて、貴様が第一の関門という訳だな」
「クククッ……ほざくな勇者よ。このわたしと戦おうなどと思うな。何故ならわたしは四天王の中でも最弱。戦おうものならたちどころに敗北を喫するであろう」
「何か偉そうに自己肯定感の低いことを言い出しましたわ!」
ローブの女が言うので、メイベルは指を指した。
「そこの女……さてはヒーラーだな? わたしが負けたとき、わたしのことを回復してはくれまいか」
「いえ、普通にしませんけれど」
「そうか……じゃあ、お前。お前はその、何だ?」
横のデカい鞄男を指差した。男は、あたす? と自分の顔を指す。
「あたすは商人でさぁ」
「商人……え、商人? 勇者パーティに商人ってジョブはどうなの」
「路銀を稼ぐんでさぁ」
「いや、もっとこう、お使いとか討伐とかクエストこなしたりあるじゃない?」
「やめろメイベル! こいつはついこの間までジョブ・遊び人だったんだ。それが心を入れ替えて真っ当に商売を始めたんだぞ! 褒めてやれ!」
商人は恥ずかしそうに頭を掻いた。
いや働くことは当たり前だ。遊び人が改心して働き始めたり、ヤンチャしてた人間が家庭を持って落ち着いたりしても何ら特別ではない。むしろ最初からキッチリ働いてたりよき家庭人だったりする方がよっぽど偉い。昔と今のギャップを美談にする風潮はやめた方がいいとメイベルは思う。
まあ、それはどうでもいい。
「フッ……ここで言い争っていてもつまらん。付いてくるがよい、勇者よ」
メイベルは潜り戸を開けた。
「まずご紹介するのはこの客間」
「何か急に魔王城探訪始まった」
「キングサイズのベッドでゆったりくつろげる。二部屋あるから最大で六人くらい宿泊できる。しかも防音だから『ゆうべはおたのしみでしたね』対策もバッチリ」
「そ、そんな破廉恥な……」
ヒーラーは身じろぎし、勇者は顔を赤らめ、商人は表情を曇らせる。さてはやってんなこいつら、とメイベルは察した。
次に案内するのは大浴場だ。床は全面石張りで高級感があるが滑って危ない。幅広い魔族に対応できるよう段階的に深さ調整された湯船に、キメラの頭、要するにライオンの口からドバドバ源泉掛け流し。
「待て、男湯女湯に別れてはいないのか」
「クククッ……よいところに気付いたな勇者よ。魔族は性別の観念が薄いのだ。よく考えてみるがいい……オススライムとメススライムとか、オスゴーレムとメスゴーレムとか……なんかこう、パッと想像しにくいだろう。なので浴場は混浴なのだ」
「そ、そんな破廉恥な……」
ヒーラーは頬を両手で覆い、勇者は鎧を直し、商人はどんよりする。ひょっとしなくてもやってんなこいつら、とメイベルは確信した。
「続いては修練場。ここで魔族たちがその腕を磨いている。そしてあちらに見えるのがかの有名な闇の翼ギルゴ」
「わー本物だ」
「おい、何故観光案内をやっているんだメイベル!」
剣を振り回して怒鳴るので、メイベルは、うるさいな、と思った。
「西の山中に居城を構えているが、立地が悪すぎて勇者たちは先に魔王城に到着してしまうというお粗末。結果隠れボス的な扱いの四天王が一人、闇の翼ギルゴ。ちなみにわたしの幼馴染みだ。七十年前までは一緒のベッドで寝ていたが何故か寝不足気味になったり、お風呂に入るのにずっと目を覆うようになったりして、急に別々に暮らしたいと言い出した闇の翼ギルゴ」
「まあ、青春ですわねぇ」
「恥ずかしい話を初対面の相手にするな! あといちいち二つ名を呼ぶな!」
ギルゴは顔を耳まで真っ赤にしつつ、切っ先を勇者に向けて言い放った。
「この闇の……このギルゴ! ここより先は通さん!」
と言う脇を、メイベルは勇者一行を連れて通り過ぎた。まだ魔王城案内が終わっていないから、通さんと言われても通るしかない。ギルゴは絶句した。
「さあ、次こそこの魔王城最大の見せ場、魔王さまだ! イェイ!」
「わー本物だ」
「何が『イェイ』だお前ッ! お前ら四天王、いや二天王がこいつらを止めるんだろうが!」
魔王は立ち上がって至極正論を言うので、メイベルは、うるさいな、と思った。
「すみません魔王さま。勇者が来るなんて久し振りでテンアゲで、つい!」
「『つい』じゃないんだわ」
商人がカメラを組み立て始めたのでメイベルが止めた。魔王は写真撮影NGだ。
「ほら、あんなお姿だから世間に知られるとナメられちゃうでしょ。先代の魔王さまが脱サラ、じゃない脱王して齢三十ながら跡を継いだばかりなので」
「あの格好で三十なのか……そう考えるとちょっと痛いな」
「痛いですわね」
「痛いでさぁ」
「人間の尺度で見るな! お前が攻撃材料を与えるなメイベル!」
「すみません、つい!」
そんな訳で魔王の観覧も終わったので、次に行こうとするメイベル。待て待て、と止める魔王。
「この姿を見て生きて帰れると思うな勇者よ。この僕、いや我、いや余、いや朕自らその命奪い去ってやろう!」
魔王も勇者と会うのは初めてなのでキャラがブレブレだった。
「いえ、魔王さま。それはだめです」
「あ?」
「まだ食堂を案内してないので」
行くぞー、と勇者の手を引いて、メイベルは玉座の間から去った。
こうして、勇者の観光案内は幕を閉じた。勇者一行は飯を食って普通に満足して帰った。メイベルも実に満足だった。
再び帽子を被り、袖カバーに軍手を嵌めて、庭仕事に戻る。ギルゴが草を焼いてしまったので、今度は除草剤に頼る事にした。
「メイベルさまー、これでよかったので?」
「よかったに決まってるじゃない。平和が一番よ、平和が。さあ、悪い根っこはどこかしら、ここかしら。撲殺、鏖殺、なぶり殺し~」
メイベルは即興の歌を歌う。その歌声は青空を流れていく。
メイベルが魔王軍を引き連れて村を襲撃するよう言い付けられるのは、また別のお話。
思い付きが描き出したどうでもいいストーリー。