騎士団長さま、おそばにおいてください。
ある時、目が覚めると、全て思い出していた。
私の前世。幸せで、楽しくて、あなたがいて。でも、幸せな毎日は、あまりにも早く終わってしまった。
幼馴染の岬くんとは、ケンカもたくさんしたけれど、大好きだった。それは、友達以上恋人未満という言葉が似合う関係で。それなのに、ある日私の前から、永遠に消えてしまった。
それからの日々は、暗い雲の中を手探りで進んでいるみたいだった。
「ふっ、ふええええ」
まだ、子どもの体に、あの喪失体験は大きすぎる。大声で泣いてしまったのだって、仕方がない。だってまだ、12歳なのだもの。
そう、今日から12歳。
……名誉のために言えば、普段は泣いたりしないのに。
バタバタと廊下を走る音がして、大きな人影が飛び込んでくる。
「ミルティーユ! どうした」
飛び込んできた、背の高い男性は、私の育ての親のラーディア・ストランドさまだ。赤ちゃんの頃、私を拾って育ててくれている得難い人。
ああ、前世の記憶のせいで、言葉まで小難しくなっている気がするわ。気をつけないと。
それでも、その顔が見えた途端に、不安は霧のように音もなく消えた。
「ひっく。ラーディアさま。……大丈夫です。ほんの少し、怖いことを思い出しただけで」
「そ、そうか……。でも、最近は、滅多に泣かなかったミルティーユが泣くようなことってなんだ?」
そんな疑問を浮かべながらも、あからさまに、ホッとした顔をしたラーディアさま。優しい人だ。そして、なぜか、ラーディアさまは、私にだけ甘い。
騎士団長をしているラーディアさまは、男爵家の三男。数々の武功を上げて、今の地位に上り詰めたお方だ。鬼団長と呼ばれているのだと、聞く。よく聞く。
たしかに、秘密裏に見学に行った模擬戦では、鬼団長そのものだった。大の大人たちが、ガチ泣きしてた。
ラーディアさまの、交友の幅は広く、たくさんの人たちが、このお屋敷を訪れる。怖いだけじゃないという証明だと、思っている。
半年前には、金髪碧眼の可愛らしい第五王女様が、お忍びで訪れた。
「ラーディアさま狙い?!」
二人の会話をクローゼットに隠れて聞いてしまった。
「実は、バルティ様をお慕いしているのです」
副団長狙いだった!
たしかに、ほとんどの場合、無愛想で鉄仮面とか言われてしまうラーディアさまより、誰にでも優しくて、頼りになるお兄さん的な、しかも侯爵家の次男さまでもある、バルティ副団長の方がいいに違いない。
そして、クローゼットに隠れていたことは、バレていたらしく、呆れ切った顔のラーディアさまに、軽く叱られた。
それにしても、ラーディアさまには、浮いた噂の一つもない。仕事が終わると、すぐ帰ってくる。
長身で、騎士団長で、資金潤沢なストランド男爵家の人間で、美丈夫。隙のないカッコ良さなのに。
それから、先日、副団長さまとお姫さまの婚約が発表された。おめでとうございます。
「本当に大丈夫か?」
しまった、蘇った記憶の情報量が多すぎて、意識が飛んでしまったみたい。ぎゅうっと抱きしめられれば、男らしい、タイムみたいな香りがする。この香り、好き。
「あの。大丈夫です」
見上げてみれば、黒髪にコバルトブルーの瞳が、心配そうにこちらを見つめていた。
その瞬間、これが顔に火がつくということか、と驚きとともに、私は初めての体験をする。前世も含めて初めてだった。
だって、幼馴染の岬くんは、私にその感情を教える前に、いなくなってしまった。心にはこんなにポッカリと穴が空いてしまうんだって、私に教えて。
「顔が、赤いが?」
「だ、大丈夫です!」
「ん、たしかに熱はないな?」
コツンッと、おでことおでこが、ぶつかった。
ふっ、と笑った口元に視線が釘付けになる。
困った、これは。育ての親なのに、自覚してしまう。
だって、あまりにも、似ている。
この、相手の気持ちなんて考えてもいないだろうこの距離感。
岬くんと、ラーディアさまは、あまりにも。
ラーディアさまは、私の15歳年上だ。
うん、何か今引っかかった気がしたけれど、胸のドキドキが強すぎて、思考がまとまらない。
そもそも、戦火に焼け落ちた村で私を拾った時、ラーディアさまは、まだ15歳。その後も、なぜか恋人も作らずに育ててくれた。そんなラーディアさまに対して、こんな想いを抱くなんて、不純すぎると思う。
「笑って、ミルティーユ」
私が泣くと、いつも困ったように笑って、ラーディアさまは、そんなことを言う。その手には、誕生日プレゼントのクマのぬいぐるみ。
「ぬいぐるみなんて。もう、子どもじゃないです」
「そうか?」
「そうです」
それでも、どこか懐かしいクマのぬいぐるみを抱きしめて、私は、一生懸命笑う。喜んで欲しいから。
私が笑うと、ラーディアさまは、いつも笑顔を返してくれる。その笑顔が見たいから。
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一年後の同じ日。
目を覚ますと、枕元に大きな箱が置いてあった。私の瞳と同じ、赤みの強いピンク色のリボン。添えられているのは、髪の毛の色と同じ、淡い金色の薔薇の飾り。
私がラーディアさまに拾われた日。誕生日のわからない、私の誕生日。
「13歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます。ラーディアさま」
去年から、片時も離れることないクマのぬいぐるみを抱きしめて、私は笑う。
可愛らしくラッピングされた箱の中には、ドレス一式。大人っぽい、コバルトブルーのドレスと、真珠の飾り。ん? 真珠の耳飾り? 前世の私が好きだった絵画が、脳裏に浮かんで消える。
「あっ、あの」
「13歳だ、大人の入口だな」
「えっ、まだまだ子どもですよ」
そう、前世三十路に片足を突っ込んだ記憶から、断固として13歳は子どもであると宣言する。
「ふふ、去年と言っていることが、違うようだが?」
でも、13歳になった私は、どこか心の片隅で、ラーディアさまに認められる大人でありたいと思っている。
そう、追いつくことが出来ないのがもどかしい。ラーディアさまの隣に立てる大人になりたい。
「着て見せて、くれないかな?」
「はい!」
振り返れば、すでに侍女たちが列をなしていた。
こうなってしまっては、もう私は、されるがままだ。あっという間に飾り立てられる。髪の毛は、初めて全部結い上げてもらった。
鏡の前には、半分くらい大人になった私がいた。
コバルトブルーのドレス。真珠の耳飾り。
「準備、出来たか?」
ドレスの裾をそっと摘んで、ラーディアさまの前に進み出る。
ラーディアさまが、なぜか目を見開いて、口元を手で覆った。
「あの、どうですか?」
「似合う、可愛い、最高だ」
口元を押さえたままのラーディアさまが、褒めてくれる。ずいぶん、短い言葉で、無理に言ってくれた感じがしないでもないけれど、それでも嬉しい。
「ありがとうございます」
大好きなラーディアさま。
でも、冬が終わり雪が溶ければ、また戦いの季節がやってくる。
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春になり、「待っていてくれるか?」と鎧姿のラーディアさまが、私に微笑んだ。
もちろん私は頷く。いつまでも、ここで待っているのは、私にとってあまりに当然だった。
ラーディアさまは、いつも最前線で戦う。
それはそれは、無茶をすると、騎士団の皆様が嘆いていた。
「止めてあげて、ミルたん」
たんってなんだ。たんって。そんな呼び方を許した覚えはありません。
突っ込みどころは満載だけれど、目の前にいるジン様は、騎士団の精鋭だ。
伝令役として、王都に帰ってきているらしい。
日に日に、戦火は激しくなっているという。
そう、私と出会ったあの日も、ラーディアさまは、最前線で戦っていた。
「たぶん、ミルたんが、『無事に帰って来ないと、ミルたん、悲しい』って、伝令魔法を送ってあげたら、騎士団長は無茶しないと思うんだ。ついでに、騎士団の士気も上がる」
――――それだけはしたくない。なぜだろう、結婚式で流されてしまったりしたら、生きられない。伝令魔法は、音声を手紙に込めることが出来る魔法だ。何回も繰り返し聞くことが出来る。
ある意味、変わったお方ぞろいの騎士団員たちなら、悪ふざけしてやりかねない。
そう思ったのに。
「ぶ、ぶじにかえってこないと、み、みるたん、かなしい」
何をさせられているのだ私は。
だって、ラーディアさまが、大怪我をしたのに、周囲の反対を振り切って、前線に出てしまっているって、聞いてしまったから。
「ふふふ……。ミルたん親衛隊の永久保存版」
なんだか、おかしな単語が聞こえてきた気がしたけれど、気のせいに違いない。
そういえば、ラーディアさまが交代でつけてくれている護衛のメンバーの中に、ジンさまもいた。
親衛隊……?
後から考えてみれば、上手く乗せられてしまったに違いない。
数日後、早馬でラーディアさまから伝令魔法の込められた手紙が届いた。
『ミルティーユ、昔から、そういうのに、すぐ乗せられるよな。ジンは、あいつに似ているから気を付けてくれ? ……だが、元気が出たよ。ありがとう、早く帰れるように、戦うから。待っていてくれ』
――――ダメじゃないか、逆効果じゃないか! 逆にやる気になったラーディアさまは、前線に赴いてしまったようだった。
そういえば、クラスメイトに、試合に行く前に岬くんが、怪我をしたから、激励してやってくれと、渡された台本も、似たような内容だったわ……。あの時は、やる気を出し過ぎた岬くんが、ハットトリックを決めたのだったわ。痛めた脚を悪化させて、主治医の先生に、無理をし過ぎだと、怒られていたわ。
――――あれ、今回の人生でも、そんなことあったかしら。
首をかしげる私。
けれど、私の願いも空しく、戦争はそのあと三年間も続く。
ラーディアさまは、快進撃を続け、英雄と呼ばれるようになっていった。
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16歳の誕生日が近づく。13歳、14歳、15歳。ラーディアさまからは、その瞳の色をした、コバルトブルーの宝石がはめられた、ブレスレット、ブローチ、ネックレスがそれぞれ届いた。
そのアクセサリーは、まだ身に着けることが出来ず、宝箱にしまっている。
だって、一番に見て欲しい。
そんなある日、ラーディアさまの指揮していた部隊が、消息を絶ったという知らせが届いた。
眠れない日々が続く。また、置いていかれてしまう。
「また、置いていくの?」
私の口からこぼれたのは、私の言葉ではない。
そう、それは前世の私が呟いた言葉。
ああ、そうだったのか……。
ラーディアさまは、もしかしたら。
そうすれば、ストンとすべてがつながった。
15歳という年齢差は、岬くんがいなくなってから、私が生きていた時間だ。
もし、あちらとこちらの世界の時間の流れが同じなら、辻褄が合う。
それに、ラーディアさまは、私を引き取ったせいで、実家と絶縁状態に近かった。
騎士団長になって、戦果を上げ続けてからは、実家との関係も良好になったと笑っていたけれど。
――――ラーディアさまが、誰にでも手を差し伸べる天使のような人、というわけではない。
どちらかというと、戦場でも無情な騎士団長だと言われているという。
だから、そこまでしてくれたのには、特別な理由があったのだ。
そう、例えば、前世の幼馴染を助けてあげたいとか。
「――――今さら」
「……何が今さらなんだ?」
は? 頭の中が真っ白になって振り向けば、腕を組んだラーディアさまが、ずいぶんぼろぼろの格好で立っていた。短かった髪の毛は後ろでまとめられて、顔は精悍さを増している。
「――――きれいになっていて、見違えた。それにしても、俺が贈ったアクセサリー、一度もつけていないのか?」
「あ、の……。行方不明になったんじゃ」
「ああ、続報は届いていなかったか? 単独で敵陣に潜入して、最後の蹴りをつけてきた。戦争は、終わりだ」
それは、後世まで語り継がれる、英雄の武勇伝、つまり無茶ぶりの極致だった。
私は、慌てて宝箱からアクセサリーを取り出して、身に着ける。
手が震えて、ネックレスがうまくつけられないでいると、小さなため息が聞こえて、ラーディアさまが着けてくれた。
「つけたところ、ラーディアさまに、一番に見て欲しくて。どうですか?」
「うれしい。うれしいが……。俺が、どんな気持ちでそれを贈ったと」
「どんな気持ち……ですか?」
「ほかの男に、取られてしまわないかと。ずいぶん、年が離れてしまったから」
その言葉で、確信を得る。
やっぱりラーディアさまは……。
「私のこと、好きだったんですか? 分かりにくいです。でも、嬉しいです。でも、ずっと私は、岬くん、そしてラーディアさま、一筋ですよ? 知らなかったんですか?」
その瞬間、いつも穏やかで優しい、幼馴染でも、育ての親でもない、愛しい人から荒々しい口づけをされていた。
「――――どちらにしても、気が付くのが、遅すぎる」
差し出されたのは、コバルトブルーの宝石がはめ込まれた、左の指にピッタリの指輪だった。
私もそう思います。どうして今まで気が付かなかったのか、不思議で仕方がないくらいに。
でも、その言葉は、もう一度降ってきた、今度は優しい口づけに阻まれて、口にすることはできなかった。
久しぶりの短編。騎士団長、幼馴染、じれじれ、書いていて楽しかったです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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